2013N10句

October 01102013

 誰にでも付いて行きたいゐのこづち

                           小寺篤子

のこづち(牛膝)はどこにでもよく見られる草で、茎が牛の膝に似たことからこの名が付いた。秋には小さな種子で覆われ、衣服や動物にところかまわず付着する。ゐのこづち、せんだんぐさ、おなもみ、の3種がくっつく選手権不動の上位と思われる。なにしろ、くっつくことを主にして進化を遂げた形態なのだ。誰かに付いていくことで勢力範囲を広げるというのは完全な他力本願である。しかし、個人的には迷惑でしかないこの強引な方法も、掲句のように「付いて行きたいのでこうなりました」と言われれば、なんとなく愛嬌も感じられる。いきあたりばったりが臨機応変と言い換えられるように、他力本願もまた「あなたを信じています」という一途な思いに変身し、ゐのこづちのひと粒ひと粒がけなげな姿に見えてくるから不思議である。『薔薇の風』(2013)所収。(土肥あき子)


October 02102013

 コスモスと電話をかける女かな

                           古川ロッパ

スモス(秋桜)については説明するまでもなく、秋を代表する色さまざまな花である。その可憐さには誰もがホッとする。可憐でありながら、じつはなかなかしぶとく強い花で、風によって地になぎ倒されても、そこからまた伸びあがってくるのを見て、子どもの頃に舌を巻いたものだ。掲句の「コスモス」は電話の女の「モシモシ」が訛っているという、むしろ川柳。この場合の「コスモス」は季語とは言えまい。男爵の息子だったロッパは、なかなかのインテリ・コメディアンであった。逆にそこに悩みもあった。東京生まれだが、方言をよく学び、特に東北弁が独特のニュアンスを持っていて、可笑しかった。いまだに忘れがたい。「モシモシ」を「コスモス」と聴いて、オッフォンとほほえんでいる巨漢ロッパの風体が見えてくる。ロッパは「声色(こわいろ)」を「声帯模写」と新たに命名したことで知られるし、「イカす」も彼の発明。舞台・映画関係では「ロッパ」を名乗り、文筆では「緑波(りょくは/ロッパ)」と使い分けた。もう若い人には馴染みがないだろうが、往時エノケンとならび「喜劇王」と称された。私などの世代はラジオの連続ドラマ「さくらんぼ大将」や「アチャコ青春手帖」でロッパに親しんだ。厖大な『昭和日記』や『ロッパの悲食記』などはなかなか貴重な歴史的記録である。「読売新聞」(2013年8月16日)所載。(八木忠栄)


October 03102013

 爪先から淋しくなりぬ大花野

                           山岸由佳

句を始める前までは「花野」といえば春だと思い込んでいた。春と秋では咲く花の種類も空気も違い、まったく異なった野の風景になる。尾花、萩、女郎花、撫子、吾亦紅、赤のまま、色鮮やかな春の花とは違い、色も姿も控え目で寂しさを感じさせる。花を輝かせる日ざしもうつろいやすく、花野の花を楽しんでいるうち、たちまちに夕刻になり心なしか風も寒く感じられる。爪先から感じる冷えがしんしんと身体に伝わってきて心細さが身体全体を包んでゆく。「花野」のはかなさが「淋しい」冷たさになって、読み手にも伝わってくるようだ。「風」(炎環新鋭叢書シリーズ6『風』)(2012)所載「海眠る」より。(三宅やよい)


October 04102013

 ソース壜汚れて立てる野分かな

                           波多野爽波

食堂のテーブルに、汚れたソース壜が立っていることがある。外は野分の風が吹き荒れている。一見、単なる取り合わせのように見えて、汚れたソース壜は、野分の濁流や被害を彷彿させる。それでも、ソース壜は、じっと立っているのだ。家の内と外とを繋ぐものは、一本のソース壜でしかない。それでも、野分の情景をありありと感じさせてくれる。『一筆』(1990)所収。(中岡毅雄)


October 05102013

 背の高きことは良きこと秋立ちぬ

                           宮田珠子

秋からほぼ二ヶ月経ってしまったのだが今日の一句とした。平成二十一年秋の作とわかっているが、活字になっていないので出典はない。秋立つのは一日のこと、たいていまだまだ暑いので季感も含めて、暦の上では秋、と思いながら一日過ごしても句を為しづらい。この句が、秋の晴、であったら平凡な発想、秋立つ、であるから、ふと清々しいのだろう。当時小学六年生だったお嬢さんを詠んだ一句、と知ると、背が高いことを気にしている娘に対する母の眼差しと共に、母と娘の立秋の一日が思われる。先週、作者は五十年の生涯を閉じられ、その葬儀に参列した。初めてお目にかかったお嬢さんは今は高校一年生、すらりと伸びた脚に制服がよく似合っていた。(今井肖子)


October 06102013

 絵の中の時計も正午秋の蝉

                           皆吉 司

いうことは、現在は正午。絵の中の時計は、一日に真昼と真夜中に一回ずつ、正しい時刻と重なります。ということは、23時間58分は狂っているということで、朝起きて絵を見ても正午を指していて、夕食を食べている時間もずっと正午を指しているわけです。当たり前ですよね、絵なんだから。虚構なんだから、現実の世界に侵入してくるのは昼と夜の真ん中の一回ずつ、一分ずつが丁度よい。ところで、秋の蝉です。親が悪いのか、自分がとんまなのか、人生(蝉生?)最大の大遅刻です。今啼(な)いたって、たぶん、雌には逢えないじゃないですか。それとも、土の中にはもう還れないのだから、絵の中に入って来年の夏まで待ちますか?冗談です。絵の中で描かれた時計は、一日に二度の周期で現実と重なる。季節外れに羽化した蝉は、果たして、同様にとんまな雌に巡り逢い重なり合えるやら?人の世では似た者夫婦という言葉もあるので、甘い期待に賭けたいところですが、このてんまつやいかに。正午の今が、正念場だぞ、啼けよ、セミ。なお、掲句からしみじみ、自分も秋の蝉なのではないかと、ふと寂しく笑います。『皆吉司句集』(2000)所収。(小笠原高志)


October 07102013

 木の蔭の中の草影秋暑し

                           山口昭男

は大気が澄んでくるから、見えるものの輪郭がくっきりとしてくる。影についてもそれは同じで、陽炎燃える春などに比べれば、その差は歴然としている。この句は「木の蔭」と「草の影」を同じ場所に同時に発見することで、澄み切った大気の状態と夏を思わせる強い日差しとを一挙に把握している。それにしても、木陰の中の草影とは言い得て妙だ。ふだん誰もが目にしている情景だが、たいていの人はそのことに気がつかないか、気づいても格別な感想を持つことはないだろう。そうした何でもないようなトリビアルな情景を拾い出し、あらためて句のかたちにしてみると、その情景以上の何かが見えてくるようだ。俳句の面白さのひとつはたぶん、このへんにある。この発見に満足している作者の顔が見えるようで、ほほ笑ましい。『讀本』(2011)所収。(清水哲男)


October 08102013

 鹿鳴くや思いの丈といふ長さ

                           桑原立生

人一首でおなじみ〈奥山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき〉にあるように、秋は鹿の繁殖シーズンであり、妻を求める声をあげる。しかし、以前ごく近くで聞いたラッティングコールは、百人一首で想像していたものよりずっと激しいものだった。自然界において愛の成就は、常に縄張りをめぐるたたかいと同時進行していくのだから、求愛の声が猛々しくなるのは仕方ないことだろう。思いの丈とは、恋慕の相手に対する情熱をオブラートに包んだ言葉だ。長々と鳴く鳴き声を「思いの丈」という人間の情になぞらえたとき、鹿は一瞬にして恋する獣として映し出される。歯をむきだしにする野生をひそめ、一頭の妻を求める牡鹿の切ない姿がそこに現れるのだ。〈逆上がりできて木の実をこぼしけり〉〈ねんねこを覗けば見つめ返さるる〉『寒の水』(2013)所収。(土肥あき子)


October 09102013

 石を置く屋根並べをり秋の蝶

                           和田芳恵

屋根ではなくて、何軒もの家々の屋根には石がならべられている、それはどこかに実在する集落であろう。そうした素朴な集落の家々の軒先や屋根高くまで、秋風に吹かれて飛んでいる蝶の風景が見えてくる。「並べをり」で切れる。蝶は四季を通じて見られるけれども、単に「蝶」だと春の季語であることは言うまでもない。春の蝶は可愛さも一入だし、小型種が多いと言われる。秋の蝶だから、風にあおられて屋根まで高く飛んでいるのだろう。石も蝶も、どことなくさびしさを伴っている。今はどうか、かつては屋根に石を置く地域があった、掲句はそれを目の当たりにして詠まれている。何をかくそう、私の生まれ育った実家の屋根も、広い杉皮を敷きつめ、その上にごろた石がいくつも置かれていた。雪下ろしの際にはそれらが長靴やシャベルにぶつかって、作業がやりにくかったことをよく覚えている。近所にはそういう家はなかったようだから、わが家では瓦を上げる資金がなかったのかーー。小学五年頃にめでたくコンクリート瓦にかわり、子ども心に晴れ晴れした気持ちになった。芳恵には他に「病む妻と見てをりし天の川」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 10102013

 豆菊や昼の別れは楽しくて

                           八田木枯

い先日、人と別れるのに「さようなら」と言ってその語感の重さにぎくりとした。数日後に顔をあわせる人や職場の同僚、親しい友人には「じゃあまた」と手を挙げて挨拶する程度の別れの挨拶であるし、目上の人には「失礼します」で日常過ごしていることに改めて気づかされた。よく人生の時期を季節に例えるけれど、自分の年齢も人生の秋から冬へ移行しつつある。一日の時間帯で言えば夜にさしかかりつつあるのだろう。人と別れるのは永遠の別れを常にはらんでいることを若い時には考えもしなかった。そう考えると掲句の青春性が眩しい。豆菊は道端の野菊のように可愛らしい小菊のことだろうか。はしゃぎながら別れる女子高生や、元気な子供たちが想像される。別れの言葉は?「バイバイ」って手を振るぐらいだろな。三々五々散ってゆく人たちの去ったあとの豆菊の存在が可憐に思える。『八田木枯少年期句集』(2012)所収。(三宅やよい)


October 11102013

 吊したる箒に秋の星ちかく

                           波多野爽波

波は時折、極めてリリカルな句を作る、どこか軒先にでも吊してある箒のすぐ間近に秋の星が輝いていたのだ。箒と秋の星の取り合わせ。この句は、位置的な関係を無視できない。箒が吊されていなかったら(たとえば、地面に置いてあったら)、秋の星間近に見えることもなかっただろう。新鮮なアングルである。「秋の星ちかく」の「ちかく」は星の大きさは言っていないが、私には、はっきりと見える大きな星であるように思える。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


October 12102013

 わがいのち菊にむかひてしづかなる

                           水原秋桜子

の菊、と題された連作五句のうちの一句。五句のちょうど真ん中、三句目である。菊の美しさを描こうと、朝夕菊をじっと眺めて作ったという。昭和八年の作というから、四十一歳になったばかりというところか。のちにこの連作について「力をこめたものであるが、菊の美しさを描き出すにはまだまだ腕の足らぬことが嘆かれた句」と自解している。しかし、一句だけをすっと読むと、どうすればこの菊の美しさを表現できるだろうか、という言わば雑念のようなものが消えて、菊の耀きと向き合うことによって作者の心が言葉となって自然にこぼれでているように感じられる。以前も一句を引いた『秋櫻子俳句365日』(1990・梅里書房)、俳句と共にその人となりが味わえて興味深い。(今井肖子)


October 13102013

 一歩出てわが影を得し秋日和

                           日野草城

のやわらかな日差しを窓外に見ていると、少し身なりを整えて、この日曜日、外出しようかという気になります。晴天の日、家の中と外では文字通り、ケとハレの違いがあるように思われます。外に出るときは、少しはにかみながら晴れがましくもあります。掲句は、作者自らの足どりを微足(スローテンポの歩み)の舞踏家を見るように示しています。「一歩出て」には、家の中から外へ出る一歩に、相当なエネルギーを要しています。ふだんは病に身を横たえている作者は、直立歩行して得られた「わが影」を見て、自ら立って、生きている姿を確認しています。この姿は、秋日和を照明にした、作者の晴れ舞台のようでもあるでしょう。共演者は脇から支えている妻。しかし、観客は誰もいません。ただ、「わが影」を見ている作者自身が、演じる者と観る者の二役をこなしています。『人生の午後』(1953)所収。(小笠原高志)


October 14102013

 ざわざわと蝗の袋盛上る

                           矢島渚男

作農家にとって、「蝗」は一大天敵だ。長い間そう思ってきたけれど、日本の水田に生息するほとんどの蝗は、瞬く間に稲などを食い尽くしてしまういわゆる「蝗害」とは無縁なのだそうである。悪さをするのは「飛蝗」という種類の虫で、その猛烈な悪行は映像などでよく知られている。しかし、子供の頃にはよく蝗捕りをさせられた。稲が食い尽くされないまでも、何か悪さはしていたからだろう。殺虫剤が使われていなかった時代で、稲の実った田んぼに入ると、蝗たちが盛大に跳ね回っていた。あえて捕ろうとしなくても、向こうからこちらの身体にいくらでもぶつかってきた。顔面に体当たりされると、けっこう痛い。そんなふうだから、大きな紙袋の口を開けておいて前進すると、面白いように飛び込んできた。とは言っても、適当なところで口を閉めないと逃げられてしまう。句の状態はそこから先のことで、今度は手で一匹ずつ捕まえては袋に入れていく。そしてだんだん「ざわざわ」と音を立てながら袋が盛り上ってくると、蝗捕りが快感につながってくる。こうなってくると、袋のようにまさに心もざわめいてきて、どんどん弾んでくる。充実してくる。この句を読んで、長らく忘れていたあの頃の充実感を思い出し、田舎の秋の生命の活力感に思いを馳せたのであった。『延年』(2002)所収。(清水哲男)


October 15102013

 終の家と思へば匂ふ榠樝の実

                           井上ひろ子

ままな一人暮らしのときは、たびたび引越しを重ねていた。それは気分転換のひとつでもあり、新しい洋服を買うような気軽さだったが、結婚して現在の家に移ってからは18年間ずっと同じ家に住んでいる。居心地が良いこともあるが、引越しそのものが面倒になったのだ。長く生きていればいるほど、荷物は増える。それを整理し、分類し、始末する労力と割かれる時間がどうにも惜しくなったのだ。作者は今の家を見上げ、ふと、もう引っ越すことはないだろうな、と思う。それは年齢から余生の数字を換算する行為でもある。青空に貼り付くように実る鮮やかな果実が、この地に根をおろした自分の姿とも重なり、ひときわ愛おしく濃く匂うのだろう。『偏西風』(2013)所収。(土肥あき子)


October 16102013

 来るわ来るわ扱(こ)くあとへ稲を引担(ひつかつ)ぎ

                           泉 鏡花

々稲刈りは機械化し、時期も早くなっているようだ。だから、今の時期はもう晩稲もとっくに米粒となっておさまっているだろう。しかし、あの鏡花にしてこの滑稽味あふれる一句を、ここでとりあげておきたい。「扱く」は「脱穀」のことで、機械が籾を扱く。「稲扱き」とも呼ばれる。掲句は稲扱きの作業風景を詠んでいる。私などは農家の子として、田植えに始まって、稲刈り、稲扱きまで手伝わされたから、この句にはどうしても心が寄ってしまう。作業場に高く積み上げられた稲が、脱穀機のそ脇に次々に運ばれてくる。脇に立ってそれを脱穀械で扱く父親に一束ずつ突き出すのが、私の役割だった。機械から撒きあがる細かい稲塵が首のあたりから入るから、チクチクしてたまらなくせつない。でも稲の山はなかなか減らない。夜の作業だとチクチクするやら眠いやら。「来るわ来るわ」に始まって、「引担ぎ」で止めるまで、鏡花にしては滑稽味あふれる描写である。「引担ぎ」に作業のリアリティーがこめられていて、しかも可笑しさが感じられる表現だ。つい自分の子どもの頃のしんどかった作業経験を重ねてしまったけれど、今は田んぼで機械が稲を刈り取り、一挙に籾にして袋詰めしてしまう。あの忘れもしないチクチクは、今や昔のモノガタリ。鏡花には他に「片時雨杉葉かけたる軒暗し」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 17102013

 大学に羊生まれぬ秋の風

                           押野 裕

学になぜ羊がいるのだろう?農学部の牧場なのかドリーのように実験用の羊なのか。この句の眼目は羊が生まれた場所と季節だと思うが、普通羊は秋に交配時期が来て春に生まれる。とすると、この子羊は「大学」で何らかの処置をほどこされた親羊から生まれたのではないだろうか。そう考えると秋生まれの羊が人工的で華奢な存在に思われる。春に生まれた動物は気温も高くなり食べ物も豊富に育つが、秋生まれの子羊には厳しい生活環境がすぐやってくる。野良猫の場合も秋生まれの仔猫はほとんどが死んでしまうそうだ。これからの寒さの予感を感じさせる秋風のあわれさが子羊の存在の弱弱しさを暗示しているように思われる。『雲の座』(2011)所収。(三宅やよい)


October 18102013

 蓑虫にうすうす目鼻ありにけり

                           波多野爽波

波の代表作だが、そもそも、蓑虫に目鼻はあるのだろうか。ネットで調べて見ると、次のようにある。「実は蓑虫は子孫を残すためだけに羽化するため、ミノガに口はなく、餌を食べることはありません。一方、メスはいつまでたっても羽化しません。実は雌は完全に卵を産むためだけの成虫になるため、手足はおろか、目などの感覚器すらありません。」。意外な事実である。しかしながら、爽波が見たのが、雄の蓑虫ならば、目があっても不思議はなかろう。そんなことよりも、この句の詩的真実が訴えかけてくるのは、蓑虫という小動物への作者の親近感である。「うすうす目鼻ありにけり」という細かな観察眼は、確かに、蓑虫の目鼻を捉えた。そう読者に思わせるところがある。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


October 19102013

 打てばひゞくわれと思ふや秋の風

                           久保よりゑ

らを、打てば響く、とはなかなか言えないだろう、自信家だったのかと最初は思った。事実、そういう側面も持っていた作者であるようだ。大正十四年、四十代初めの作だが『ホトトギス雑詠選集 秋の部』(1987・朝日文庫)の中でも『虚子編歳時記』の中でも、秋風の項にあって趣の異なる一句である。ただ、何度か読み返していると、打てば響く自分を打って欲しい、どうして打ってくれないのか、と言っているようにも思えてくる。はげしくあらく、身にしみてあはれをそふる、という秋風。その中に身を置きながら何を思っていたのだろう。(今井肖子)


October 20102013

 樹も草も時雨地に呼ぶ峡の国

                           飯田龍太

の読みは、キョウ。山あいにはさまれた谷で、作者が住む山梨県、旧境川村です。山から谷の斜面にかけて、樹が草が、垂直を志向しながら生えていて、谷間に続いています。「時雨地に呼ぶ」とは何なのだろうかと考えております。何が呼ぶのか。ふつうに読めば、樹も草も時雨を地面に呼んでいる、でよいのでしょう。ただ、この句は、「峡の国」が地形としてダイナミックなので、地球規模の大きな構想で読んでみたいとも思います。樹の根も草の根も地球の中心を志向しており、時雨も同様、地球の引力に引き寄せられて落下しています。何が呼んでいるのか。それは、地球の中心、重力が呼んでいて、峡の国ではその垂直の力が視覚化されやすいのでしょう。「地」は重力と読みました。物質に質量を与えるヒックス粒子が報道されていて、全く理解できていないのですが、すこしばかり俳句の読みに影響しているかもしれません。『春の道』(1971)所収。(小笠原高志)


October 21102013

 貧しさの戦後の色よ紫蘇畑

                           鍵和田秞子

きごろ亡くなった漫画家のやなせたかしが、こんなことを書き残している。「内地に残っていた銃後の国民のほうがよほどつらい目を見ている。たとえ、戦火に逢わなかったとしても飢えに苦しんでいる」(「アンパンマンの遺書」)。掲句の作者は、敗戦当時十三歳。別の句に「黍畑戦中の飢え忘れ得ぬ」とあるように、戦後七十年近くを経ても、いまなお飢えの記憶は鮮明なのである。当時七歳でしかなかった私などでも、飢えの記憶はときおり恨み言のようによみがえってくる。この句のユニークさは、そんな飢えに代表される貧しさを、「色」で表現している点だろう。通りかかった一面の紫蘇畑を見て、ああこの色こそが「戦後の色」と言うにふさわしいと思えたのだった。紫蘇は赤紫蘇だ。焼け跡のいずこを眺めても、まず目に入ってくるのは瑞々しさを欠いた紫蘇の葉のような色だった。他にも目立つ「色」はなかったかと思い出してみたが、思い浮かばない。埃まみれの赤茶けた色。憎むべき、しかしどこにも憎しみをぶつけようのない乾いた死の色であった。「WEP俳句通信」(76号・2013年10月刊)所載。(清水哲男)


October 22102013

 稲雀ざんぶと稲にもぐりけり

                           大島雄作

道で迷っても雀を見つけることができれば人里が近いのだと安心するという話しの通り、雀は昔から人間と生活をともにしてきた。実った稲を食べるための害鳥でありながら、害虫を捕食する益鳥でもあり、長らく共生関係を築いてきた。歌や民話にたびたび登場するのは身近な鳥であるとともに、その可愛らしい容姿によるところも大きい。実際の雀は人間に対して臆病で、用心深いというが、雀同士は相当のおしゃべりで遊び上手だ。欣喜雀躍という言葉がある通り、ちゅんちゅんと鳴きながら、飛び跳ねる姿はなんとも無邪気で楽しそうだ。掲句は一面の波打つ稲田に雀たちが賑やかに出入りしている。きっと稲穂を波頭に見立てた波乗りごっこが開催され、母雀に「遊びながら食べてはだめ」などと叱られているに違いないのだ。〈鷹柱いっぽん予約しておかむ〉〈ここからの山が正面更衣〉『春風』(2103)所収。(土肥あき子)


October 23102013

 Now the swing is still:/a suspended tire/Centers the autumn moon.

                           ニコラス・ヴァージリオ

意→「ぶらんこは静止していて/つるされたタイヤの/まんなかに秋の月がある」(佐藤和夫訳)。作者はNicholas Virgilio(アメリカ。1928年生まれ)。掲句は『ザ・ハイク・アンソロジー』(ニューヨーク/1986)に収録されている。「つるされしタイヤのまんなか秋の月」とでも拙訳しておこうかーー。誰もが知っているブランコそのものではなく、ブランコの代用として吊るされているタイヤだろう、それが静止している。そのまんなかから丸い月が眺められる。静かな秋の夜である。ーーそんな情景としてとらえていいだろう。どこかの家の庭だろうか、小さな公園だろうか。日中は子どもたちが、乗っかったり揺さぶったりして遊ばれていたタイヤも、夜にはさすがに静止したままだ。作者はうってつけのように、そのタイヤのまんなかから月をうっとり眺めているのだろう。そのとき思わず「これは俳句になるぞ!」と思って作ったのかどうか。ニコラスは、ペンシルヴァニア大学で開催された第1回国際ハイク・フェスティバルの共同主催者だったという。各地で、今もさかんに国際的なハイク・フェスティバルが開催されている。佐藤和夫『俳句からHAIKUへ』(1987)所載。(八木忠栄)


October 24102013

 中也忌の透明傘の中の空

                           斉田 仁

明のビニール傘の中から空を見ているのは自分だろうか。「の」の助詞のたたみかけで読み手を透明傘の中まで引っ張ってゆく。中原中也は丸い帽子を被った写真が有名で中也と言えば教科書にあったその写真が思い出される。透明傘は丸い帽子の形状と連想が結びつくし、透明傘を透かして見る空に中也の詩にある叙情性を思う。哀しみを宿す人の心に直に語りかけてくるような中也の詩。掲句から「生い立ちの歌」の一節を思った。「私の上に降る雪はあられのやうに降りました/私の上に降る雪は雹であるかと思われた/私の上に降る雪はひどい吹雪とみえました」きっと彼は触れると飛び上がるほど鋭敏な感受性を持っていたのだろう。ことに幼い息子を失った中也の嘆きは何にも癒されることがなかった。息子を亡くした翌年死去。忌日は十月二十二日、墓は故郷の山口市にある。『異熟』(2013)所収。(三宅やよい)


October 25102013

 鳥威きらきらと家古りてゆく

                           波多野爽波

威は、かつては、空砲を撃ったりしていたそうだが、今は、もっぱら、赤と銀のテープが用いられている。風に靡いてきらきらしている鳥威。一句は、「鳥威きらきらと」で切れる。傍に、古くなった家が建っている。鳥威のきらめきが、家の古びた様子を一層際立たせている。家「古りてゆく」なので、時間の経過が感じられる。「古りにけり」では、この臨場感は表せない。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


October 26102013

 潮騒の人ごゑに似て温め酒

                           上田日差子

暦九月九日が寒暖の境い目、その後は酒を温めて飲むと体によいとされていたという。今年は先週の日曜日、十月十三日だったが、立て続けの台風襲来で寒暖の差が激しく、なかなかそんな気分にもなれなかった。まあでもさすがに日が落ちれば肌寒く、あたためざけ、ぬくめざけ、がしっくりくるようになって来たこのところだろう。温め酒は一人で、せいぜい二人差し向かいでやるのが似合っている。広い居酒屋などでゆっくり飲むうちに酔いがやや回って来て、周囲のざわめきの中に身を置いていることが妙に心地良くなってくることがある、なるほど潮騒か。人ごゑの潮騒に似て、では広がりがなくなる。などと思ったが普通に考えれば、作者はかすかな潮騒に耳を傾けながら少し人恋しくなっているのだろう。いずれにしても、温め酒、に趣が感じられる。『和音』(2010)所収。(今井肖子)


October 27102013

 月山の雲の犇めく芋煮会

                           後藤杜見子

北の秋は、芋煮会だと聞かされておりました。今月半ば、山形の映画祭に行く用事があり、初めて芋煮汁をいただきました。聞くと食べるのでは大違い。芋は里芋で、つるんと口から食道を通過し、一口大に切られたちぎりこんにゃくも同様、つるんと胃袋へ。味のしみ込んだごぼうとにんじんをもぐもぐ噛み、かつをとしいたけのだしの利いた温かいうす醤油味の汁をのみ込む所作を繰り返して、おかわりをいただきます。直径1m程の大きな鉄鍋で作っているので、いくらおかわりをしても大丈夫な大盤振る舞い。山形の人のよさ温かさを堪能しました。山に囲まれた盆地のせいか、雲はやや低くうす黒く濃い青空で、太平洋と日本海真ん中の山あいの気候でした。掲句、「月山の雲の犇(ひし)めく」中で作られる芋煮は、具も味も人々も多様な豊穣の秋です。『新日本大歳時記・秋』(講談社・1999)。(小笠原高志)


October 28102013

 霜柱土の中まで日が射して

                           矢島渚男

を読んで、すぐに田舎の小学校に通ったころのことを思い出した。渚男句を読む楽しみの一つは、多くの句が山村の自然に結びついているために、このようにふっと懐かしい光景の中に連れていってくれるところだ。カーンと晴れ上がった冬の早朝、霜柱で盛り上がった土を踏む、あの感触。ザリザリともザクザクとも形容できるが、靴などは手に入らなかった時代だったから、そんな音を立てながら下駄ばきで通った、あの冷たい記憶がよみがえってくる。ただ、子供は観照の態度とはほとんど無縁だから、よく晴れてはいても、句のように日射しの行く手まで見ることはしない。見たとしても、それをこのように感性的に定着することはできない。ここに子供と大人の目の働きの違いがある。だからこの句に接して、私などははじめて、そう言われればまぶしい朝日の光が、鋭く土の中にまで届いている感じがしたっけなあと、気がつくのである。『延年』(2002)所収。(清水哲男)


October 29102013

 長き夜の外せば重き耳飾

                           長嶺千晶

中身につけているときには感じられないが、取り外してみてはじめてその重さに気づくものがある。自宅に帰って、靴を脱ぐ次の行為は、イヤリング、腕時計の順であろう。化粧や服装などと同様、女の身だしなみであるとともに外部との武装でもあることを考えれば、昼間はその重みがかえって心地よいものに思えるのかもしれない。装飾品を取り外しながら、ひとつずつ枷を外していく解放感と同時にむきだしになることの心細さも押し寄せる。深々としずかな闇だけが、女の不安をやわらげることができるのだ。『雁の雫』(2013)所収。(土肥あき子)


October 30102013

 人生これ二勝一敗野分あと

                           斉藤凡太

太(本名:房太郎)は、新潟県出雲崎で十三歳からずっと漁業に従事している人で、八十七歳の達者な現役漁師。台風で舟が壊れて漁業をやめようと思ったが、「これは人生のうちの一敗。一つぐらい勝ち越したい」と本人が念じての「二勝一敗」である。よけいに欲張らずに、あくまでも現役の骨太く力強い決意の句ではないか。「人間生きているうちは夢を持て」と日頃おのれを鼓舞しているという、説得力をもった一句である。七十歳のとき奥さんを亡くしてから、町の句会に入会したという。今や「新潟日報」紙・毎週の俳壇(選者:黒田杏子)の常連で、熱心に投稿して高い成績をおさめ、注目されている。「年を取って、転ばないように支えてくれるのは杖。俳句も杖のようなもの」と述懐する。今年の「新潟日報・俳壇賞」(10月)で、最高入賞を果たした凡太の句は「つばめ来てわれに微笑む日の光」だった。他に「海鳴りもうれしく聞ゆ雪解風」という漁師らしい句もある。句集に『磯見漁師』がある。「ラジオ深夜便」(2013年10月号)所載。(八木忠栄)


October 31102013

 木の葉髪鐡といふ字の美しき

                           玉田憲子

鴎外の『羽鳥千尋』に自分の好きな漢字を列挙してゆくくだりがあった。「埃及」「梵語」「廃墟」等々。鏡花は豆腐の「腐」の字が許せなくて「豆府」と表記していたという。字の好き嫌いに関する逸話は多い。掲句の「鐡」は鉄であるが金を失うと意味がつくのでわざわざ作りを「矢」と変えて使用していたら子供が漢字を間違って覚えるからやめてくれとクレームが入ったそうだ。旧字体を社名にしているところもある。「木の葉髪」はパラパラと抜け落ちる毛を落葉に例えての季語。掲句では旧字体の「鐡」の緻密な字画と堅牢な質感と「木の葉髪」の語感の柔らかさと頼りなさとの絶妙な釣り合いが感じられる。両者を結び付けるものは「黒」であり、美しきという一言もそこから響いてくるように思う。『chalaza』(2013)所収。(三宅やよい)




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