2013N12句

December 01122013

 蜜柑捥ぎ終へてありけり蜜柑山

                           齋藤春雄

柑狩りの句でしょう。晴天の昼間、たわわに実る蜜柑畑の中に入って、はさみ片手に一つずつ捥(も)ぎ取り、かごに入れていきます。年譜によると作者61歳の句で、背よりも少し高い所にも手を伸ばし、シャンとした気分になっています。帰り道、かご一杯に盛られた蜜柑はずっしり重く、今日の収穫を喜びながらふり返ると、青空の中、蜜柑山は健在で、作者たちがかご一杯に取り尽くそうが蜜柑山は蜜柑山のままです。心地よい敗北感。捥ぎ取っても捥ぎ取っても蜜柑はたわわに陽光を受け、陽光そのものの色彩と香りを恵み続けています。掲句では「ありけり」が二重に効いていて、かごの中の蜜柑の存在を示す過去の「けり」と、今、距離を置いてふり返った蜜柑山への詠嘆の「けり」です。「蜜柑」という語もふくめて巧妙に一句の中で反復をくり返して、鈴なりの蜜柑を表出しているように読みました。『櫻館』(2122)所収。(小笠原高志)


December 02122013

 おでん食う堅い仕事のひとらしい

                           火箱ひろ

こで作者の目は世間の目である。厳密に「堅い仕事」なんてものがあるわけはないが、世間の目は何でも値踏みをするから、仕事にも硬軟を言わないと気がすまない。そして値踏みの尺度は世の変化に応じて変化するために、今日の物差しが明日は無効になったりもする。おでん屋にはいろいろな人が出入りするので、世間の目の活動には好都合な場所である。それらの人々の好みや食べ方によって、「堅い仕事」の人かどうかなどは、たちまちにしてわかるような気がする。同じようなスーツにネクタイの人間だって、おでんを介在させると、違いが歴然としてくる。店内でちょっと気になった客が、どうやら「堅い仕事」の人らしいと作者は思っているわけだが、だからといってこの値踏みが作者に特段の何かをもたらすことなどはない。こんなことは、すぐに忘れてしまう。しかしながら私たちは、いつだってこの種の世間の目を忙しく働かせて生きていることだけは確かなのである。『火箱ひろ句集』(2013)所収。(清水哲男)


December 03122013

 目閉づれば生家の間取り冬りんご

                           星野恒彦

から覚めてぼんやりしている時間に、ふと今居る場所がわからなくなることがある。目に入る情報でだんだんと現実をたぐり寄せるが、なぜかいつも幼い頃を過ごした実家の天井ではないことに不安を覚え、「ここはどこ?」と反応していることに気づく。人生の五分の一ほどしか占めていないはずの家の襖や天井の木目まで、今も克明に覚えているのは、そこが帰る場所ではなく、生きていく日々の全てを抱えていたところだったからだろう。元来秋の季語である林檎だが、貯蔵されたものは冬にも店頭に並ぶ。様々な果物の色があふれる秋ではなく、色彩のとぼしくなった冬のなかに置かれた鮮やかさに、作者の眼裏に焼き付いた生家がよみがえる。閉じられた目には、家族や友人の姿があの頃のままに描かれていることだろう。『寒晴』(2013)所収。(土肥あき子)


December 04122013

 ふるさと富士から順に眠りだす

                           丸谷才一

いていの日本人は富士山が好き。全国各地にあって地元の人たちに親しまれている山で、かたちが富士山に似て恰好いい山を「〇〇富士」と呼んでいる。たとえば北海道の羊蹄山を「蝦夷富士」と呼び、筑波山を「筑波富士」と呼ぶ。そんな「ふるさと富士」が全国に350以上もあるという。富士を模した人工の「富士塚」も各地に多い。富士山は広く愛されているだけでなく、信仰を集めている山でもある。冬の山のことを意味する季語「山眠る」があるけれど、掲句は冬の「ふるさと富士」を詠んでいる。冬の到来とともに北から順に「ふるさと富士」は、次々と冬化粧をして眠りに就く。じつは「〇〇富士」は日本国内ばかりに限っていなくて、台湾、インド、ロシアをはじめ世界各地にあるというから驚きである。掲句を含む才一句は、彼の全集の付録『八十八句』(2013/非売品)に収められた。他に「白魚にあはせて燗をぬるうせよ」もある。「今の作家が詠まないのはじつに淋しい。小説家諸氏よ、俳句を詠まれたし」と長谷川櫂は挑発している。売れっ子諸氏は、そんな暇がないのだろうか。いや、才能がないのだろうか?(八木忠栄)


December 05122013

 寒鴉歩く聖書の色をして

                           高勢祥子

の少ない今の時期、電柱などに止まってゴミ出しの様子を伺っている寒鴉の翅の色は冴えない。祈祷台にあり多くの人の手で擦れた聖書はくたびれた黒色をしている。街角にひっそりたたずみ、道行く人に聖書を説く人の多くは黒っぽい服を着ていてまるで鴉のようだ。「とんとんと歩く子鴉名はヤコブ」の素十の句なども響いてくる。そんな連想をいろいろと呼び込む聖書の色と寒鴉の結びつきに着目した。同句集には「曼珠沙華枯れて郵便受けの赤」という句もあって、植物や動物の色をリアルに感じさせる色彩の比喩がうまく句に組み込まれている。『昨日触れたる』(2013)所収。(三宅やよい)


December 06122013

 招き猫水中の藻に冬がきて

                           波多野爽波

き猫は、前足で人を招く形をした猫の置物。商売繁盛の縁起物とされている。店頭に置かれてあったりするのを見ることが、よくある。招き猫は、本来、おめでたいものであるが、この句では、そのような既成概念が、招き猫から払拭されている。中七以降、「水中の藻に冬が来て」は、あたかも、招き猫が、冬を呼び寄せたかのようである。作者の感情は、負の方向に働いている。ユーモラスな招き猫が、不気味な存在であるかのように感じられる。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


December 07122013

 朴落葉反り返りつつ火となれり

                           原 夏子

週間ほど前、久しぶりに朴落葉と遭遇。冬紅葉がまだあざやかな武蔵野の落葉径、ひときわ大きく反り返る朴落葉にどきりとさせられた。葉裏の色は散りたての銀色からだんだん石のように青ざめ、魚をも連想させる。しばらく佇んで見ていたものの、言葉は同じところをぐるぐるするばかりだったのだが、掲出句を見てあの時見た朴落葉が、冷たい色のまま最後の生気を失ってやがて枯色となってゆく様が見えるような気がした。実際は落葉を焚いているのだろう、その中でひときわよく燃えている朴落葉なのだ。すぐそう思ったが一瞬、よみがえった記憶の中の朴落葉に不思議な命の火の色が見えた気がしたのだった。『季寄せ 草木花 冬』(1981・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


December 08122013

 磐城の国の神さすらへる枯野かな

                           長谷川櫂

書に「楽浪(ささなみ)の国つ御神のうらさびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも・高市黒人(たけちのくろひと)」とあります。万葉集巻第一30番の歌で、水の都であった近江大津宮(おおみおおつのみやこ)が壬申の乱で荒廃した景を詠んでいます。掲句の磐城(いわき)の国は、かつては「黒ダイヤ、地の油」と呼ばれた炭鉱の町。げんざいは、福島第一原発事故地です。万葉びとは、土地そのものを神と見立て祠や社を建立して、周囲の自然と一体化する生活の中の信仰を生きていただろうと思われます。そのような土地に対する愛着は、現在も連綿と続いておりますが、核分裂という太陽エネルギーと同じ方法を生態系の中に設置してしまったことが原因で、それを制御する技術をもっていなかったわれわれの時代は、動物も植物も人も神々も枯野にさすらうばかりの状況を生きています。これから十万年の間この状況は変わりません。専門家の中には、原発のリスクを「何万分の一、何億分の一」という人もいます。しかし、79年スリーマイル島、86年チェルノブイリ、99年東海村JCO、2011年福島という事実を論拠とすれば、そのように言う専門家は、「神話」のシナリオライターだったということです。「さすらへる」のは人の弱さで、放射能は十万年間確固たる存在です。『震災句集』(2012)所収。(小笠原高志)


December 09122013

 狐火やある日激しく老いてゆく

                           黒崎千代子

火の正体には諸説ある。遠くの山野で大量に発生し、あたかも松明を掲げた行列のように見えるというが、私は見たことがない。黒澤明の映画に夢をテーマにした作品があって、その第一話に狐の嫁入りの情景が出てきたけれど、あの行列の夜の模様と解すれば、かなり不思議であり不気味でもある。そんな狐火を見たのだろうか。作者はその途端に急激に老いてゆく自分を感じたと言うのだが、こちらのほうはうなづける気がする。普通、老いはじわじわとやってくると思われているけれど、私の実感ではある日一気に老化が進行したような気になったことが何度かある。足腰の弱りなどは、代表的な例だ。そんな肉体の衰えの不思議を狐火に結びつけた作者は、狐火に呆然とするように自分自身にも呆然としている。それが老いることの不思議であり怖さでもある。昔草森紳一が「一晩で白髪になるのだから、逆に一晩で黒髪に戻ることもあるにちがいない」と言ったが、残念なことに若返りのほうの不思議は起こらないようだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


December 10122013

 やがて地に還る身をもて受ける雪

                           赤坂恒子

を愛してやまなかった研究者中谷宇吉郎は「雪は天から送られた手紙である」と書いた。同じ生い立ちでありながら、地面に叩きつけられるのが雨なら、雪はゆらりゆらりと軽やかに宙をさまよう。空から舞い降りる雪に触れると、清らかなものに生まれ変わることができるような気持ちがわきあがる。それは純白の雪の美しさとともに、すべてを白一色に覆い尽くしてしまう自然の力を畏れ、崇める心が働くからだろう。「雪ぐ」は「すすぐ」と読み、祓い清めるという意味を持つことを思うと、掲句の「やがて地に還る」とは、生物の逃れることのできない運命であるが、聖なるものの前でつぶやく懺悔の姿にも見えてくる。『トロンプ・ルイユ』(2013)所収。(土肥あき子)


December 11122013

 学ぶときをいとほしんで冬ごもり

                           三遊亭らん丈

の寒さを避けて暖かい屋内にこもることを、「冬ごもり」は意味している季語だが、今日では交通機関や施設を含めて、どこでも暖房が効いている。また一般の人は冬だからと言って、とじこもって外出しないわけにいかない日々でもある。「冬ごもり」はきれいな響きをもつ言葉で好きだけれど、私たちの生活実感としてあまりピンとこない季語になってしまっている。もともと草木も花も葉もなく、霜雪に埋もれていることを「冬籠」とか「冬木籠」と称していたものらしい。句の意味合いは、冬ごもりして、じっくり時間をいとおしむようにして、いろんなことを学ぶことに精出す、勉強するということであろう。らん丈は三遊亭円丈の一番弟子で真打。早稲田大学と一橋大学それぞれの大学院で学んだというインテリ。このごろは大学卒などのインテリさんが多い。「学ぶ」と落語家は一見釣り合わないようだけれど、前座・二ツ目の修業時代からして学ぶことは多いのだから、「学ぶ」が不自然というわけではない。石田波郷の句に「背に触れて妻が通りぬ冬籠」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


December 12122013

 寒卵割つてもわつても祖母の貌

                           玉田憲子

ヴィナスは他者の顔と出会うことが自分の生を見いだす契機になると説く。自分の支配に取り込もうとしてもできない他者の顔、特にそのまなざしは不可侵であり根源的な問いかけを持って相手の目をじっと見返す。寒卵をいくつも、いくつも割る。滑り落ちた黄身に重なって祖母の顔が浮かび上がってくる。これはなかなか怖い。寒卵は、「寒中には時に栄養豊富で生で食べるのが良い」と歳時記にある。とすると、祖母は自分の顔を食べろと寒卵の中から現れるのか。祖母が向けるまなざしはどんな感情を含んでいるのだろう。寒卵を二つに割るたび浮かび上がる祖母の顔。思いもかけぬときに生々しく蘇ってくる肉親の顔は、寂しく、孤独で、生きているうちに伝えきれなかった思いを無言で問うてくるかのようだ。『chalaza』(2013)所収。(三宅やよい)


December 13122013

 冬空や猫塀づたひどこへもゆける

                           波多野爽波

々とした冬空が広がっている。見ると、一匹の猫が塀伝いに歩いていた。そこから、作者の想像力は飛躍する。下五部分の「どこへもゆける」は七音の字余り。一句は、独特のしらべをなしている。「どこへもゆける」の表現には、主観が反映されており、解放感への羨望がある。背景が冬空であることが、一句のポイント。自由に移動することが許されている猫に対し、そのことが儘ならぬ自分への屈折した感情が、季語「冬空」から伝わって来る。『鋪道の花』(1956)所収。(中岡毅雄)


December 14122013

 試験憂し枯木にさがりゐる縄も

                           沢木欣一

書きに「共通一次試験、東京芸大」とある。作者は昭和四十一年、当時の文部省から東京芸術大学助教授に転任、その後教授となり、この句を引いた句集『往還』(1986)出版の翌年、同大学を定年退職されている。試験会場となっている大学構内を歩いているのだろうか。次々に受験生とすれ違いながら、試験があるからこんな思いつめたような生気のない顔になってしまうのだと思っているのか、枯木にさがりゐる縄が象徴的だ。ただ、真剣に勉強している受験生の顔はとても凛々しく美しい。大学入試センター試験までほぼ一ヶ月、講習の準備をしたり過去問の質問に答えたりしながら、今の自分の美しさを彼女等は知らないだろうなと思ったりしている。(今井肖子)


December 15122013

 ことごとく雪に省略されし町

                           鳥居三太

の町の実景です。一つの町の実景でありながら、隣の町にもその隣の町にも「ことごとく」雪が降り積もって、町の輪郭がどんどん消されて「省略」されていきます。作者が目の前で見ていた町は、積雪とともに単純な雪景色へと抽象化されていき、現実から離れたこころもちになります。でこぼこ道も、茶色く枯れた雑草も、公園の三輪車も、屋根の三角もじょじょにその姿を雪に消され一様に白くなっていきます。同時に、雪は音を吸収し、降る雪の結晶が落下する姿に音を錯覚するほどの静寂。カンディンスキーは「デッサンの能力は省略だ」と言いました。画家は、消しゴムやパンで線と面を消しますが、地球は雪でそれをおこなう美術家です。「太郎冠者」(1995年)所収。(小笠原高志)


December 16122013

 寄鍋の席ひとつ欠くままにかな

                           福山悦子

年会シーズンもたけなわだ。句は、そんな会合での一コマだろう。定刻をかなり過ぎても来ない人を待っているわけにもいかず、先に始めてしまったのだが、待ち人はいつまでたっても現れない。「どうしたんだろう」と気にしながらも、鍋の中身はどんどんたいらげられてゆく。格別に珍しい情景ではなく、類句も多い。が、私くらいの年齢になると、こういう句はひどく身にしみる。いつまでも来ない人に、若いころだったら「先にみんな喰っちゃうよ、知らないよ」くらいですむところを、最近では「何かあったんじゃないか。急病かもしれない」などとその人のいない席を気にしながら、心配しつづけることになる。若い人ならば当人に携帯で連絡を取るところだが、我らの世代にはそんな洒落たツールを持ち合わせている奴は少ない。みんなで「どうしたのか、死んじゃったかも」などと埒もないことを言いながら、結局は時間が来ておひらきとなる。その間のなんとなくもやもやとした割り切れない気持ちを、思い出させる句だ。トシは取りたくないものです。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


December 17122013

 バカだなと目が言うホットウイスキー

                           火箱ひろ

ントリーの「ウイスキー入門」によると、ホットウイスキーは「あたたかいグラスから柔らかに香るウイスキーのおいしさは格別」「アウトドアで飲めば、暖をとるのにも効果的」とある。蜂蜜やシナモンなどを加え、お湯割りと言わないところがお洒落感を募らせる。寒い日に頬を明るく染めて、大きなマグカップで飲むホットウイスキーは、気心の知れた者同士がよく似合う。掲句の「バカだな」は声には出していないが、発しているも同然、しかも甘い言葉として。男が女に向かって言う「バカだな」も、女が男に向かって言う「バカね」も、どちらも言葉通りでないことをふたりはじゅうぶんに承知している。というわけで立派なのろけ句なのだが、ほんわかあったかい気分になるのは、やはりホットウイスキーの効果だろう。『火箱ひろ句集』(2013)所収。(土肥あき子)


December 18122013

 月一つ落葉の村に残りけり

                           若山牧水

の時季、落葉樹の葉はすっかり散り落ちてしまった。それでも二、三枚の枯葉が風に吹かれながらも、枝先にしがみついている光景がよくある。あわれというよりもどこかしら滑稽にさえ映る。何事もなく静かに眠っているような小さな村には、落葉がいっぱい。寒々と冴えた月が、落葉もろとも村を照らすともなく照らし出しているのであろう。季重なりの句だが、いかにも日本のどこにもありそうで、誰もが文句なく受け入れそうな光景である。牧水が旅先で詠んだ句かもしれない。この句から「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」の名歌が想起される。作者は冬の月を眺めながら、どこぞでひとり酒盃をかたむけているのかもしれない。暁台に「木の葉たくけぶりの上の落葉かな」がある。牧水には他に「牛かひの背(せな)に夕日の紅葉かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 19122013

 ふゆのまちふうせんしぼむやうに暮れ

                           岡 正実

京に来て何時まで経っても慣れないのはあまりに日暮れが早いことだ。3時ごろになるともう日ざしが衰え4時過ぎると早くも薄闇がせまってくる。仕事をしていて、ふっと窓の外を見るとすっかり暗くなっていることもたびたびである。秋の落日は「つるべ落とし」というけれど、冬の日の暮れ方はどう形容したものか。掲句では、風船の空気が抜けてだんだんとしぼんでゆく様子を冬の町が暮れてゆく様に例えている。平仮名の表記とくぐもったウ音の響きが冬の頼りない暮れ方を実感させる。もうすぐ冬至、一陽来復また日が長くなっていくのが待ち遠しい。『風に人に』(2013)所収。(三宅やよい)


December 20122013

 天ぷらの海老の尾赤き冬の空

                           波多野爽波

ぷらの海老の尾が赤いというのは、普段、誰もが目にしている。常識である。しかし、その赤い海老の尾は、下五「冬の空」と配合されることによって、モノとしての不思議な実在感を感じさせるようになる。海老の天ぷらは、当然のことながら、家の中、あるいは食堂の中に置かれている光景であろう。それに対して、冬の空は、外の光景である。この配合には、大きな飛躍がある。それでいて、天ぷらの海老の赤い尾は、あたかも、それ自体を真っ青な冬空にかざしているかのように、視覚的に強い結びつきがある。これは、嘱目の句としては作りにくい。爽波俳句は、心象風景の印象をもたらすことが、しばしばあるが、これも、そうした一句であろう。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


December 21122013

 吹雪くなり折々力抜きながら

                           関 木瓜

森県鰺ヶ沢に住む知人から、ぜひ真冬に一度いらっしゃい、と言われているがなかなかその機会がない。雪らしい雪といえば北海道に流氷を見に行った折に出会ったくらいで、ましてや吹雪を体感したことなど皆無なのだが、この句の、力を抜く、という表現には臨場感があるように思う。ただただ吹雪いている中、風に緩急があるのだろう、それがいっそう生きものが襲ってくるような恐ろしさを感じさせる。網走に旅した時の作と思われるが、吹雪に慣れていない旅人らしい視点で作られた一句。『遠蛙』(2003)所収。(今井肖子)


December 22122013

 いつの間にうしろ暮れゐし冬至かな

                           角川春樹

至の日暮れです。「いつの間に」、日が暮れてしまったのだろうという驚きがあります。続く「うしろ」の使い方が巧妙です。暮らすということは、掃除でも、料理でも、前を向くこと、次の手順をこなすことです。生きているかぎり、好むと好まざるにかかわらず、私たちは、「前向き」に行動し、予定を気にしながら、先のことを考えて暮らしています。しかし、掲句は、「いつの間にうしろ」と書き出すことで、驚きながら、うしろを振り返る身振りを読み手に与えます。ふり返ると一日が終わり、一年が終わっていく。冬至の暮れは早く、東京では16時32分。一年のあれやこれやが思い起こされ、暮色に消え、長い夜を過ごします。「存在と時間」(1997)所収。(小笠原高志)


December 23122013

 天皇誕生日その恋も亦語らるる

                           林 翔

の恋も、もはやほとんど語られることはなくなった。ロマンスもまた、いつかは風化してしまうのだ。最近は、テレビに写る天皇の姿を注意して見るようになった。べつににわかに皇室崇拝の心が湧いてきたわけではなく、ひとりの老人としての彼の立ち居振る舞いが気にかかるからだ。背中を丸めやや覚束ない足どりで歩く姿を見ていると、自然に「転ぶなよ」とつぶやいている自分に気がつく。天皇は私より五歳年長である。だから彼の姿を注視することは、そのまま近未来の自分のそれをシミュレートしている理屈だ。軽井沢の恋などと騒がれたころには何の関心もなかった人だったが、いまはそんなふうにして大いに気になっている。どこかで真剣に「元気で長生きしてほしい」と願っている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


December 24122013

 東京が瞬いてゐるクリスマス

                           茅根知子

リスマスイルミネーションの発祥は、森のなかで輝く星の美しさを木の枝にロウソクを点すことで再現しようとしたものだといわれる。日本では昭和6年「三越」の電飾がさきがけだという。現在では、人気スポットでは12月に入る前から光ファイバーやフルカラーLEDを駆使して、競い合うようにまたたいている。掲句は「東京が瞬く」と書かれたことで、東京自体があえかな光りをまとい息づいているように見えてくる。作者はクリスマスの喧噪からそっと離れ、スノーボールに閉じ込めたようなきらめく東京を、手のひらに収めるようにして飽かずに眺め続けるのだ。『眠るまで』(2004)所収。(土肥あき子)


December 25122013

 鮭舟の動き動かぬ師走かな

                           山岡荘八

鮭は今でこそ家庭の食卓に年中あがるけれど、小生が子どもの頃の地域では鮭は貴重だった。年に一度、大晦日の夜に厚切りにした串焼きの塩引きが食卓にならんだ。それを食べることで年齢を一つ加えた。飼猫も一切れ与えられて年齢を加えた。あのほくほくしたおいしさは、今も忘れられない。焼かれた赤い身の引きしまったおいしさ。今どきの塩鮭の甘辛・中辛の比ではなかった。鮭は北海道に限らず本州各地の川でも、稚魚の放流と水揚げが行われている。南限は島根県と言われる。定置網漁が多いが、掲句は漁師が川で舟に乗って網を操って鮭漁をしている、その光景を詠んでいる。大ベストセラー『徳川家康』全26巻を著した荘八は、越後・魚沼(小出)の農家の長男として生まれた。同地を流れる魚野川では、現在も網を操る鮭漁が行われている。シーズンに入って、厳しい寒気のなか鮭舟をたくみに操る漁師が、昔ながらの漁に精出している様子が見えてくる。魚野川の小出橋のたもとに、掲句は刻まれている。荘八には他に「菊ひたしわれは百姓の子なりけり」がある。「新潟日報」(2013年12月2日)所載。(八木忠栄)


December 26122013

 薔薇型のバターを崩すクリスマス

                           花谷和子

てもクリスマスらしい雰囲気を持った句である。私が子供の頃は今ほど街のイルミネーションも家に飾る大きなツリーもなく、普段と変わらない晩御飯の後こちこちに固められたバターケーキがクリスマスを感じさせる唯一のものだった。ケーキなどほとんど口にすることのない子供にとっては待ち遠しいものだった。ケーキにはデコレーションのピンクの薔薇と露に見立てた甘い仁丹(?)の露がついていた。掲句の薔薇はそんな時代めいたしろものではなく、ホテルなどで出される薔薇を象ったバターだろう。「崩す」という言葉がありながらクリスマスの特別な晩餐と、その華やいだ雰囲気を楽しく連想させるのは「薔薇」と「バター」の韻を踏んだ明るい響きと「クリスマス」に着地する心地よいリズムがあるからだろう。思えば日本のクリスマスも昔憧れた外国のクリスマスのように垢抜けたものになりつつある。さてそんなクリスマスも終わり今日からは街のにぎわいも正月準備一色になることだろう。『歌時計』(2013)所収。(三宅やよい)


December 27122013

 冬ざるるリボンかければ贈り物

                           波多野爽波

になって、何もかも荒れ果てて寂しいさまになっていくことを、「冬ざるる」という。冬ざれの景色の中、ある何かを包装して、リボンをかければ、贈り物になったという。何にリボンをかけたかは分からない。この中七以降の部分に、省略が効いているのである。冬のものさびしい光景は、「リボン」の一語で、明かりが点ったように、ぱっと明るくなる。そして、下五「贈り物」で心あたたまる世界になる。季語「冬ざるる」は、決して、中七以降を説明しようとはしない。それどころか、中七以降の展開の予測を遮断するように、正反対のイメージをもたらしている。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


December 28122013

 焼藷がこぼれて田舎源氏かな

                           高浜虚子

前初めて『五百句』を読んだ時、その一句目が〈春雨の衣桁に重し戀衣〉で、いきなり恋衣か、と思ったが、必ずしも自分の体験というわけではなく目に止まった着物から発想したのだと解説され、え、そういう風に作っていいの、と当時やや複雑な気分になった。その後「戀の重荷」という謡曲をもとにしていると知り、昔の二十歳そこそこはそういう面は大人びているなと思いながら、恋衣と春雨にストレートな若さを感じていた。掲出句の自解には「炬燵の上で田舎源氏を開きながら燒藷を食べてゐる女。光氏とか紫とかの極彩色の繪の上にこぼれた焼藷」とある。ふと垣間見た光景だろうか、五十代後半の作らしい巧みな艶を感じるが、春雨と恋衣、焼藷と光源氏、対照的なようでいて作られた一瞬匂いが似ている。『喜壽艶』(1950)所収。(今井肖子)


December 29122013

 はらわたの卵をこぼし柳葉魚反る

                           三宅やよい

る12月21日に行なわれた、第110回「余白句会」の兼題が「柳葉魚(シシャモ)」でした。私はシシャモの産地で育ったので、冬、学校から帰るとシシャモを石炭ストーブの金網にのせて、ひっくり返して、かなり無造作にムシャムシャ食べていました。かつて、私の身体の何%かは、シシャモでできていたのですが、俳句の兼題に出されてみるとむずかしく、たまたま実家に所用ができたことを渡りに舟として、釧路までシシャモを仕入れにいきました。しかし、食べ物としてみていたシシャモを句にするのは困難で、駄句を携えて句会に出席したとき掲句に出会い、膝を叩きました。シシャモの雌は、体の1/4程が卵です。また、養分の半分以上を卵に費やしているでしょう。シシャモの雌の本質は、「こぼれる」ほどの卵をぎりぎりまで増殖するところにあり、焼くと「反る」うごきにつながります。今井聖さんが掲句を高く評価したうえで、「『はらわた』は消化器官を指す語だから生殖器官の卵には付かないのではないでしょうか」と疑問を呈され、精緻な読み方を学びました。句会では掲句が天、地に「火の上の柳葉魚一瞬艶めける」(土肥あき子)。私が狙い撃ちされて天を入れたのが「啄木の釧路の海よ!シシャモ喰う」(井川博年)でした。なお、句会の後の忘年会では、お店に無理を言って釧路より持参したシシャモを炭焼きにして皆でいただきました。清水哲男さんが「シシャモ、うまかったー」。(小笠原高志)


December 30122013

 何時の間に冬の月出てゐる別れ

                           稲畑汀子

書に「昭和二十八年十二月」とある。年も押し詰まってきての「別れ」は、作者か相手どちらかの、よんどころない事情によるそれだろう。しかもいま別れると、もう当分会えそうもない。なかなかに別れ難くて縷々話し込んでいるうちに、ふと窓外の闇に目をやると、いつの間にか、冷たく輝く冬の月がかかっていた。美しいというよりも、凄まじい冷ややかさを湛えている。二人の話が深刻だっただけに、余計に冷たさが増幅して感じられたのだ。余談になるが、私は最近、ほとんど月を見ることがない。名月だの満月だのと周囲に言われても、結局は見逃してしまう。理由はしごく単純で、めったに夜間は外出しなくなったからだ。月を愛でることよりも、夜道での転倒のほうが怖いのである。その昔に、「侍だとて忘れちゃならぬ、それは風流、風流心」なんて流行歌もあったっけ。ましてや侍でもない当方としては、だんだん身の置き場がなくなってくる。『月』(2012)所収。(清水哲男)


December 31122013

 掛け替へし大注連縄の匂ひけり

                           小西和子

年末、出雲大社の神楽殿の大注連縄が掛け替えられたが、長さ13m、重さ5トン。最後はクレーン車に力を借りながら、大人30人ほどが大蛇の腹にまといつくようにして縒り合わせていた。6〜7年に一度という出雲大社は別として、神社の注連縄は毎年氏子が力を合わせて作り、掛け替えられるものだ。注連縄はその年に収穫された新藁で作られ、一本一本適した藁しべを選んでいくことから始まる。選ばれた藁しべで藁束を作り、縒り合わせるまで全て手作業の大仕事である。藁は、清潔すぎる木の香りとも、素朴すぎる土の香りとも違う、お日さまと風が静かに息を吹きかけたような豊かな香りを持つ。注連縄という神聖な場所の入口に張られるものからふっと漂う藁の香が、まるで来る年の幸を予感させるような清々しい気分にさせる。今年も残すところ今日一日。来年も引き続きよろしくお願いいたします。〈仕上げたる大注連は地につかぬやう〉『神郡宗像』(2013)所収。(土肥あき子)




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