1941年の今日午前3時19分、日本軍が真珠湾の米軍基地を奇襲攻撃。(哲




2013N128句(前日までの二句を含む)

December 08122013

 磐城の国の神さすらへる枯野かな

                           長谷川櫂

書に「楽浪(ささなみ)の国つ御神のうらさびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも・高市黒人(たけちのくろひと)」とあります。万葉集巻第一30番の歌で、水の都であった近江大津宮(おおみおおつのみやこ)が壬申の乱で荒廃した景を詠んでいます。掲句の磐城(いわき)の国は、かつては「黒ダイヤ、地の油」と呼ばれた炭鉱の町。げんざいは、福島第一原発事故地です。万葉びとは、土地そのものを神と見立て祠や社を建立して、周囲の自然と一体化する生活の中の信仰を生きていただろうと思われます。そのような土地に対する愛着は、現在も連綿と続いておりますが、核分裂という太陽エネルギーと同じ方法を生態系の中に設置してしまったことが原因で、それを制御する技術をもっていなかったわれわれの時代は、動物も植物も人も神々も枯野にさすらうばかりの状況を生きています。これから十万年の間この状況は変わりません。専門家の中には、原発のリスクを「何万分の一、何億分の一」という人もいます。しかし、79年スリーマイル島、86年チェルノブイリ、99年東海村JCO、2011年福島という事実を論拠とすれば、そのように言う専門家は、「神話」のシナリオライターだったということです。「さすらへる」のは人の弱さで、放射能は十万年間確固たる存在です。『震災句集』(2012)所収。(小笠原高志)


December 07122013

 朴落葉反り返りつつ火となれり

                           原 夏子

週間ほど前、久しぶりに朴落葉と遭遇。冬紅葉がまだあざやかな武蔵野の落葉径、ひときわ大きく反り返る朴落葉にどきりとさせられた。葉裏の色は散りたての銀色からだんだん石のように青ざめ、魚をも連想させる。しばらく佇んで見ていたものの、言葉は同じところをぐるぐるするばかりだったのだが、掲出句を見てあの時見た朴落葉が、冷たい色のまま最後の生気を失ってやがて枯色となってゆく様が見えるような気がした。実際は落葉を焚いているのだろう、その中でひときわよく燃えている朴落葉なのだ。すぐそう思ったが一瞬、よみがえった記憶の中の朴落葉に不思議な命の火の色が見えた気がしたのだった。『季寄せ 草木花 冬』(1981・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


December 06122013

 招き猫水中の藻に冬がきて

                           波多野爽波

き猫は、前足で人を招く形をした猫の置物。商売繁盛の縁起物とされている。店頭に置かれてあったりするのを見ることが、よくある。招き猫は、本来、おめでたいものであるが、この句では、そのような既成概念が、招き猫から払拭されている。中七以降、「水中の藻に冬が来て」は、あたかも、招き猫が、冬を呼び寄せたかのようである。作者の感情は、負の方向に働いている。ユーモラスな招き猫が、不気味な存在であるかのように感じられる。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)




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