2013N1210句(前日までの二句を含む)

December 10122013

 やがて地に還る身をもて受ける雪

                           赤坂恒子

を愛してやまなかった研究者中谷宇吉郎は「雪は天から送られた手紙である」と書いた。同じ生い立ちでありながら、地面に叩きつけられるのが雨なら、雪はゆらりゆらりと軽やかに宙をさまよう。空から舞い降りる雪に触れると、清らかなものに生まれ変わることができるような気持ちがわきあがる。それは純白の雪の美しさとともに、すべてを白一色に覆い尽くしてしまう自然の力を畏れ、崇める心が働くからだろう。「雪ぐ」は「すすぐ」と読み、祓い清めるという意味を持つことを思うと、掲句の「やがて地に還る」とは、生物の逃れることのできない運命であるが、聖なるものの前でつぶやく懺悔の姿にも見えてくる。『トロンプ・ルイユ』(2013)所収。(土肥あき子)


December 09122013

 狐火やある日激しく老いてゆく

                           黒崎千代子

火の正体には諸説ある。遠くの山野で大量に発生し、あたかも松明を掲げた行列のように見えるというが、私は見たことがない。黒澤明の映画に夢をテーマにした作品があって、その第一話に狐の嫁入りの情景が出てきたけれど、あの行列の夜の模様と解すれば、かなり不思議であり不気味でもある。そんな狐火を見たのだろうか。作者はその途端に急激に老いてゆく自分を感じたと言うのだが、こちらのほうはうなづける気がする。普通、老いはじわじわとやってくると思われているけれど、私の実感ではある日一気に老化が進行したような気になったことが何度かある。足腰の弱りなどは、代表的な例だ。そんな肉体の衰えの不思議を狐火に結びつけた作者は、狐火に呆然とするように自分自身にも呆然としている。それが老いることの不思議であり怖さでもある。昔草森紳一が「一晩で白髪になるのだから、逆に一晩で黒髪に戻ることもあるにちがいない」と言ったが、残念なことに若返りのほうの不思議は起こらないようだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


December 08122013

 磐城の国の神さすらへる枯野かな

                           長谷川櫂

書に「楽浪(ささなみ)の国つ御神のうらさびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも・高市黒人(たけちのくろひと)」とあります。万葉集巻第一30番の歌で、水の都であった近江大津宮(おおみおおつのみやこ)が壬申の乱で荒廃した景を詠んでいます。掲句の磐城(いわき)の国は、かつては「黒ダイヤ、地の油」と呼ばれた炭鉱の町。げんざいは、福島第一原発事故地です。万葉びとは、土地そのものを神と見立て祠や社を建立して、周囲の自然と一体化する生活の中の信仰を生きていただろうと思われます。そのような土地に対する愛着は、現在も連綿と続いておりますが、核分裂という太陽エネルギーと同じ方法を生態系の中に設置してしまったことが原因で、それを制御する技術をもっていなかったわれわれの時代は、動物も植物も人も神々も枯野にさすらうばかりの状況を生きています。これから十万年の間この状況は変わりません。専門家の中には、原発のリスクを「何万分の一、何億分の一」という人もいます。しかし、79年スリーマイル島、86年チェルノブイリ、99年東海村JCO、2011年福島という事実を論拠とすれば、そのように言う専門家は、「神話」のシナリオライターだったということです。「さすらへる」のは人の弱さで、放射能は十万年間確固たる存在です。『震災句集』(2012)所収。(小笠原高志)




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