2014N4句

April 0142014

 炊飯器噴き鳴りやむも四月馬鹿

                           石川桂郎

じめちょろちょろ中ぱっぱ、が済んだあたりの炊飯器。激しく出していた蒸気が落ち着いた頃だろう。手順が口伝されるほど手がかかったご飯炊きに、自動炊飯器が登場したのは1956年。誰が世話するでもなく炊ける炊飯器に主婦はどれほど歓喜したことだろう。一方、世の男性諸氏は妻とは少し違う見方をしていたようだ。掲句の作者も炊飯器に対して働き者へのねぎらいよりも、いまいましさすら感じているかに思わせるのは、四月馬鹿の季語を斡旋したことでも表れている。妻の労働を軽減することが、すなわち家庭をおろそかにするのではないかという不安につながっているのは、なんともかわいらしくもある。さて、四月馬鹿の今日は、罪のない嘘で笑い合うことが許される不思議な風習。この日は毎年さまざまな企業がジョークのセンスを競っているが、昨年は讃岐うどんチェーン店「はなまる」のホームページ「新メニュー:ダイオウイカ天(要予約)87,000円」に思わず笑ってしまった。時事を上手に取り入れるところが腕の見せどころ。だますのは午前中、午後には種明かしということもお忘れなく。「現代俳句全集 3」(1959・みすず書房)所載。(土肥あき子)


April 0242014

 掃除機を掛けつつ歌ふ早春賦

                           美濃部治子

子は十代目金原亭馬生の奥さん。つまり女優池波志乃の母親である。いい陽気になってきて部屋の窓を開け放ち、掃除機を掛ける主婦の心も自然にはずんで、春の歌が口をついて出てくる。♪春は名のみの風の寒さや/谷のうぐいす歌は思えど……。掃除をしながら歌が口をついて出てくるのも、春なればこそであろう。大正2年、吉丸一昌作詩、中田章作曲によるよく知られた唱歌である。治子は昭和6年生まれの主婦だから、今どきのちゃらちゃらした歌はうたわなかったかもしれない。考えてみれば、落語家の家のことだから、掃除は弟子たちがやりそうなものだが、馬生夫婦は弟子たちには、落語家としての修業のための用しかさせないという主義だった。だから家のことはあまりやらせなかったというから、奥さんが洗濯や掃除をみずからしていたのだろう。志乃さんがそのことを証言している。いかにも心やさしかった馬生らしい考え方、と納得できる。治子は黒田杏子の「藍生」に拠っていたが、平成18年に75歳で亡くなった。春の句に「職業欄無に丸をして春寒し」がある。『ほほゑみ』(2007)所収。(八木忠栄)


April 0342014

 学生でなくなりし日の桜かな

                           西村麒麟

学や社会人になる喜びと桜を重ねた句は山ほどあるけど、この句の感慨を詠んだ句はあるようでない。既視感のある視点をずらした表現に読む者をひきつける切なさがある。学生から社会人へ移行する見納めの桜。入学式ごと、学年があがるごと見てきた桜ともお別れ。自由で気楽な学生時代が終わるということは、親に依存してきた長い子供時代の終わりでもある。これからは自分の力で世間を渡っていかなければならない。先の見えないのはいつの時代も一緒かもしれないが、通勤途上で会う新入社員とおぼしき人たちの顔つきを見ていると、これから社会に出て行く喜びより不安の方が大きいのではないかと思ってしまう。『鶉』(2013)所収。(三宅やよい)


April 0442014

 春没日マウンドの高み踏みて帰る

                           波多野爽波

ウンドは、上から見ると円形で、土を盛って周囲のグラウンドよりも高くなっている。真っ赤な夕日を浴びながら、マウンドを踏んで、帰路についている。この句、下五の「踏みて帰る」が六音の字余りになり、緊迫した調べになっている。あと、「タカミフミテ」の部分、「ミ」の音が反復され、一句の後半、バウンドするような感覚上の効果がある。韻律の上から、帰宅する心躍りが伝わって来る。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


April 0542014

 花の闇静かに人の気配あり

                           今井つる女

ういう花の闇には、今やなかなか出会えない。満開の夜桜を観にちょっと出かけてみたが、都内はどこも人がひしめき合っていて桜はライトアップされている。この句は昭和五十四年作、そのころ我が家を含め三本の桜の大樹が作者の部屋の窓から見えたはずである。漆黒の闇を満開の桜が仄白く照らすともなく照らす花の夜、窓辺に居るとふと人の気配がする。その気配に花の闇はわずかにゆれ、より一層静けさを増したのだろう。静かに、と言っているのが一読した時は説明のような気がしたのだが、人の気配を静かと言うことで花の闇の静けさがより引き立つのだ思うようになった。手のひらサイズの句集『吾亦紅』(1998)、変な行き詰まり方をしてるな、と自覚した時に読む。(今井肖子)


April 0642014

 峰の湯に今日はあるなり花盛り

                           高浜虚子

本最古と言われる和歌山県湯の峰温泉に句碑があります。熊野古道につながる湯の峰王子跡です。熊野詣での湯垢離場として名高く、一遍上人が経文を岩に爪書きした伝説が残り、小栗判官蘇生の地でもあります。句碑の脇の立て板にはこう記されています。「先生は昭和八年四月九日初めて熊野にご来吟になり、海路串本港に上陸され潮の岬に立ち寄られてその夜は勝浦温泉にお泊まりになり、十日那智山に参詣『神にませばまこと美はし那智の滝』と感動され新宮市にご二泊。翌十一日にプロペラ船で瀞峡を経て本宮にお着きになり、旧社跡から熊野巫神社に参詣された後、湯の峰温泉の『あづまや』に宿られて私どもと句会をしこの句を作られました。十二日に中辺路から白浜温泉に向われたのであります。途中野中の里にて『鶯や御幸ノ輿もゆるめけん』とお残しになられました。先生は昭和二十九年十一月、文化勲章を受賞されましたが、同三十四年四月八日八十四歳で逝去されました。 昭和五十五年七月 先生にお供した福本鯨洋 記」。名湯と花盛りと、虚子を慕って集った人々と、その喜びが「今日はあるなり」に集約された挨拶句です。なお、「湯の峰」を「峰の湯」としたのは、地名よりも場所を写実した虚子らしい工夫で、凡庸を避けています。(小笠原高志)


April 0742014

 沢蟹に花ひとひらの花衣

                           矢島渚男

蟹は、別名「シミズガニ」と言われる。水がきれいな渓流や小川に棲息しているからだ。子どものころは近所に清水の湧き出る流れがあって、井戸のない我が家は、そこから飲料水や風呂の水などを汲んできて使っていた。当然のごとく、そこには沢蟹が棲んでいて、句の情景も日常的に親しいものだった。むろん子どものことだから「花衣」にまでは連想が及ばなかったけれど……。この句は一挙に、私を子供時代の春の水辺に連れていってくれる。何があんなに私の好奇心を誘ったのだろうか。この沢蟹をはじめとして川エビやメダカなどの小さな魚たち、あるいはタニシやおたまじゃくし、そして剽軽なドジョウの動きなどを、学校帰りに道草をして、飽かず眺めたものだった。忘れもしない、小学校の卒業式からの帰り、小川を夢中でのぞき込んでいるうちに、いちじんの風が傍らに置いておいた卒業証書をあっという間に下流にまでさらっていったことを。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)


April 0842014

 狛犬の尾の渦巻けり飛花落花

                           天野小石

社の参道に入ると両脇に置かれる狛犬の起源は、エジプトやインドの獅子が中国を経て伝来したとされる。仁王像同様、二体は阿吽のかたちを取り、筋骨隆々、痩せ形、巻き毛と姿態も大きさもさまざまである。掲句の狛犬は尾にも渦を持つタイプ。渦巻きは燃え立つ炎を思わせ、全身に立体感があり、雄々しいタイプの狛犬だ。そのいかめしい狛犬に桜が降りしきる。一斉に咲く桜は満開の日から飛花落花が始まる。風雨にさらされ通しの狛犬も、一年のうちのほんの数日は、こうして花にまみれることもあるかと思うと、ふと安らかな思いにもとらわれる。体中に桜の花びらをまとわりつかせた様子は、唐獅子牡丹ならぬ、狛犬桜とでもいうような豪奢な景色だろう。桜吹雪がやわらかく触れるなかで、歯を見せる狛犬がなんとなく笑っているようにも見えてくる。『花源』(2011)所収。(土肥あき子)


April 0942014

 いつの間に昔話や春灯(はるともし)

                           塚田采花

夏秋冬、灯りはそれぞれに明るいとはいえ、ニュアンスに微妙なちがいがある。とりわけ春の灯りは明るく暖かく感じられるはずである。作者は越後の人であるから、雪に閉じ込められていた永い冬からようやく抜け出しての春灯は、格別明るくうれしく感じられるのである。夜の団欒のひととき、尽きることのない語らいは、ある時いつの間にか昔話にかわっていたのであろう。家族ならお婆ちゃん、他での集まりなら長老が昔話をゆっくり語りだす。もう寒くもなく、みんな真剣になって耳傾けているなかで、灯りが寄り集まった人たちを、まろやかに照らし出している様子がうかがえる。雪国育ちの筆者も子どもの頃、親戚のお婆ちゃんにねだって、たくさんの昔話を聞いたものである。きまって「昔あったてんがな…」で始まり、「…いきがぽーんとさけた」で終わった。「もっと、もっと」とせがんだものである。采花の他の句に「一つの蝶三つとなりし四月馬鹿」がある。『独楽』(1999)所収。(八木忠栄)


April 1042014

 ペンギンのやうな遠足ペンギン見る

                           仲 寒蟬

前ペンギンのコーナーでペンギンたちを見ているとき、そばでお化粧をしていた人のコンパクトの光がペンギンの岩場にちらちら当たった。すると、あちこち逃げるその光を追ってペンギンたちが連なってちょこちょこ駆けはじめた。一匹がプールに飛び込むと次々に続く。ペンギンって団体行動なんだ、とそのとき思った。幼稚園か小学校低学年の遠足か、ちっちゃい子供たちが手をつなぎあってやってくる。柵の向こう側にいるペンギンたちと同じようにちょこちょこ連なって。ペンギンを見ているのか、ペンギンに見られているのか。ペンギンも子供たちもたまらなく可愛い。『巨石文明』(2014)所収。(三宅やよい)


April 1142014

 家ぢゆうの声聞き分けて椿かな

                           波多野爽波

の声は妻の声。この声は長男の声。この声は次男の声。家族の誰かを、声だけで判断している。声だけ聞けば、誰だか分かるのだ。庭には、椿の花が開いている。家中の声を聞き分けるという行為と、椿との関連性を説明することは難しい。ただ、家の内と家の外という空間のバランスが取れていることは確かである。あと、あえて言えば、あの真紅の花びらを開いている椿自体が、声を聞き分けているという幻覚を、瞬時、感じさせてくれる。もちろん、そうした解釈は誤りであり、椿はただ咲いているだけなのだが、幻覚の余韻が漂っている。『骰子』(昭和61年)所収。(中岡毅雄)


April 1242014

 蘖や涙に古き涙はなし

                           中村草田男

(ひこばえ)は、切り株や木の根元から伸びる若芽をいい、孫(ひこ)生えの意、とある。切り株が古くて固いほど、若々しい新芽の緑が鮮やかな生命力を感じさせて春らしい言葉だ。涙はいつも生まれたてなのはわかっていることなのだが、こういう句は、はっとさせられてあらためてなるほどなあ、と納得する。泣くことがストレスを発散させるという研究もあるとか、映画は確実に泣ける映画を泣くために観にいく、という知人もいるが、本来は思わず昂ぶった感情が形になってあふれるものだ。蘖の明るさに、作者のまなざしの優しさが垣間見える。また、下五の音を整えようとして、涙なし、とすると途端に間が抜けてしまう。何が大切なのか、あらためて考えさせられた句でもある。『銀河依然』(1949)所収。(今井肖子)


April 1342014

 海より低き村より晩鐘春鷗

                           村田 脩

実にはちょっとあり得ない空間です。さらに、七七五の破調が異世界へいざないます。しかし、写生句です。句集では一句前に「行春や落書多き街に雨」があり、この前書が「アムステルダム」です。なるほど、オランダの旅の連作の一つとわかり、「海より低き村」は干拓地でした。わかってみてあらためて、作者がこの場所に立っている驚きが伝わります。海抜0mという感覚は、知識はもとより身体感覚には絶対的な基準値として設定されているはずで、それ以下のマイナス地点は地上ではあり得ないという常識があります。ところで、絵画ならだまし絵とかトリックアートなど、錯視を利用した手法があります。立体なら、荒川修作の「養老天命反転地」のように、遠近法の狂った空間内を歩くことによって平衡感覚を狂わせる作品があります。私もこの類いの空間に遊んだとき、酔いと吐き気に似た頭痛を感じた経験があります。たぶん、人間の空間感覚は、知識と経験に基づいてかなり保守された身体感覚として培われているのでしょう。あらためて掲句を読み返すと、日本の地理的条件ではほとんどあり得ない海抜0m以下の村を、海が見えている地点から見下ろした新鮮な驚きが伝わってきます。教会の晩鐘が下方から広がり届き、音が、海より低い村の実在を伝えています。オランダは海鳥が多いと聞きますが、「春鷗」の語感には欧風を感じます。『破魔矢』(2001)所収。(小笠原高志)


April 1442014

 花びらの転げゆく駅ホームかな

                           大崎紀夫

年の花もおわりだな。そんな一瞬の感慨を覚える場所や時間はひとさまざまだが、作者はそれを駅のホームで実感している。たぶん乗降客の少なくなった昼さがりなのだろう。ふと足元に目をやると、どこからか飛んできた桜の花びらが、風に吹かれて転がっていった。目で追うともなく追っていると、束の間ホームにあった花びらは、やがてホームの下に姿を消していく。どこから飛んできたのか。思わず桜の木を探すように遠くに目をやる作者の姿が想像される。こうやって桜の季節はおわり、あっという間に若葉の美しい日々が訪れてくる。年々歳々同じ情景の繰り返しのなかで、しかし人は確実に老いてゆくのだ。そんなセンチメンチリズムのかけらをさりげなく含んだ佳句だと読めた。『俵ぐみ』(2014)所収。(清水哲男)


April 1542014

 しがみつく子猫胸よりはがすなり

                           岩田ふみ子

年前、里親募集をしていたお宅で保護されていたのは三毛と白黒の姉妹。350gばかりの仔猫をかわるがわる抱き上げてもふわふわと頼りなく、ひしと胸にしがみつく姿は猫というより虫がくっついているようだった。細い爪をたてて、まるで「このまま連れていって」と言っているような健気な風情になんともいえない哀愁があり、結局二匹とも貰い受けた。猫姉妹はさっさと大人になり、一年でおよそ10倍に成長した。遊び相手がいつでも身近にいるので、それほど人間に甘えてこないところが少しさみしくもあるが、大人だけの暮らしのスパイスとなっているのはたしかだ。仔猫がまだ目が開く前から高いところへと登ろうとする習性は、かつて木の上で生活していた頃の安全地帯が記憶に刷り込まれているためだという。長い歴史のなかで生き残ってきた動物たちの知恵が小さな猫にも活かされている。掲句の仔猫にもどうか必要とされる家族が見つかりますように。『文鳥』(2014)所収。(土肥あき子)


April 1642014

 凧三角、四角、六角、空、硝子

                           芥川龍之介

は正月に揚げられることが多いことから、古くから春の行事とされてきた。三角凧、四角凧、六角凧、奴凧、セミ凧、鳥凧……洋の東西を含めて種類も形も多種多様だが、この時代のこの句、晴れあがった春の空いっぱいにさまざまな凧があがっているのだろう。名詞を五つならべて「、」を付した珍しい句だが、「硝子」とはこの場合何だろうか? 空にあがったさまざまな形の凧が、陽をあびてキラキラして見えるさまを、あたかも空に硝子がはめこまれているように眺めている、というふうに私は解釈する。また凧合戦で相手の凧の糸を切るために、糸に硝子の粉を塗って競う地方があるというけれど、その硝子の粉を指しているとまでは考えられない。私が生まれ育った雪国では、雪のある正月の凧揚げは無理で4、5月頃の遊びだった。上杉謙信などの武者絵の六角凧がさかんに使われていた。私の部屋の壁には森蘭丸を手描きした六角凧が四十年近く前から飾ってあり、今も鋭い目をむいて私を見下ろしている。掲句は大正5年、龍之介25歳のときの句だが、同じころの句に「したたらす脂(やに)も松とぞ春の山」がある。『芥川龍之介俳句集』(2010)所収。(八木忠栄)


April 1742014

 春月の背中汚れたままがよし

                           佐々木貴子

の月が大きい。少し潤んで見えるこの頃の月の美しさ。厳しくさえ返っていた冬月とは明らかに違う。掲載句の「背中」の主体は春月だろうか。軽い切れがあるとすると月を眺めている人の背中とも考えられる。華やかな月の美しさと対照的に「この汚れ」が妙に納得できるのは月の裏側の暗黒が想起されるからだろうか。現実世界の「汚れ」を「よし」と肯定的にとらえることで、春月の美しさがより輝きすようだ。その手法に芭蕉の「月見する坐にうつくしき顔もなし」という句なども思い浮かぶ。さて今夜はどんな春月が見られるだろうか。『ユリウス』(2013)所収。(三宅やよい)


April 1842014

 花満ちて餡がころりと抜け落ちぬ

                           波多野爽波

の句は、おそらく中村草田男の「厚餡割ればシクと音して雲の峰」が心の中にあったのであろう。しかしながら、一句は草田男の模倣ではなく、爽波独自の世界を構築している。辺り一面に、咲き満ちた桜の花。饅頭を割ったところ、皮と餡の間に隙間があったのであろう。餡がそのまま、抜け落ちてしまった。「花満ちて」が雅の世界であり、一方、「餡」の方は俗の世界である。餡が饅頭から抜け落ちてしまったというのは、日常生活の中のトリビアリズムであるが、そのような世界を詠うことは、爽波は得意であった。『骰子』(昭和61年)所収。(中岡毅雄)


April 1942014

 落花いま紺青の空ゆく途中

                           成瀬正俊

朝ベランダから見ていた遠桜も緑になれば一枚の景に紛れてしまう。いつもなら、代わって盛りとなった花水木の並木道を歩きながら桜のことはとりあえず忘れてゆくのだが、今年は複雑な思いが残った。それは先週末、吉野山で満開の山桜に圧倒されていたからだ。しかも、二日間居てその万朶の桜が全くゆるがず、信じられないほど散らなかったのだ。散ってこその花、とは勝手な言い草ではあるけれど、これほどの桜が花吹雪となって谷に散りこんだら、という思いを抱いたまま帰途につき今日に至った。そして、未練がましいなと思いながら『花の大歳時記』(1990・角川書店)の「落花」の項を見ていて、掲出句の生き生きとした描写に一入惹かれたというわけだ。青空を限りなく渡ってゆく花、その風の中にいるような心地は、途中、の一語が生むのだろう。花の吉野山に湧き上がっていた桜色を心の中で一斉に散らせて、いつかそんな風景に出会えることを願っている。(今井肖子)


April 2042014

 さへづりのさざなみ湖の彼方より

                           青柳志解樹

にいると、何種類もの鳥のさえずりを耳にする季節になりました。同時に、カラスと鴬の鳴き声くらいしか判別できない我が身のふがいなさを反省するこの頃です。受験勉強や試験を人よりも多く経験してきた身にとって、(浪人、留年が永かったので)雑多な知識は人並みに備えたものの肝心の花の名、鳥の鳴き声の判別はいまだおぼつかないままです。ただ、野山を一人歩くとき、尺八を持参して吹くとそれに呼応してくれる鳥たちもいて、しかし、その鳥の名がわからないジレンマを抱えつつ吹き続けるのみです。最近の大学入試では英語のヒアリングが導入されていますが、いっそのこと、鳥のさえずりの判別を試験にするような粋な入試が始められてもいいのではないでしょうか。少なくとも、生物や環境を専攻する人たちにとっては有効と思われます。掲句は実景のようでもあり、虚構のようでもあります。そのすれすれのところ、虚実皮膜之間(近松門左衛門)の面白みがあります。実景として考えるなら、湖の向こうの森から様々な鳥のさえずりが聞こえています。そのさえずりが湖面にさざ波を立てているように見えるわけで、一見写生句です。しかし、実際のさざ波は風によって立った波で、さえずりがさざ波を立てるはずがありません。ここに、作者の想念の中で起こる跳躍がありました。さえずりがさざ波を立てている。実景を目の前にしながら俳句を虚構化することで、彼方よりやって来た春の広がりを耳から目に伝えています。『楢山』(1984)所収。(小笠原高志)


April 2142014

 車椅子まなこ閉じれば春が消え

                           有山兎歩

の三年ほどで徐々に歩行が困難になってきて、このままでは車椅子の世話になりそうだなと思っている。そうなったときの状態をいろいろと想像はしてみるのだが、しかし想像と実際とでは、必ずや大きくかけ離れた部分が出てくるだろう。作者は入院先で、車椅子生活を余儀なくされた。句意は解釈するまでもないだろうが、ここで私などが驚かされるのは、「まなこ閉じれば春が消え」という単純な事実に対してである。目をつぶれば何も見えなくなる。当たり前だ。しかし、私たちの文学的表現にあっては、目を閉じるからこそ何かが見えてくると言ってきた。長谷川伸の『瞼の母』ではないが、実の母親に邪険にされても、番場の忠太郎にはいつだって「優しかったころの母の姿」が、瞼を閉じさえすれば見えてくるのだった、というふうに…。車椅子利用者は、歩行の自由を失った人だ。そうした人が歩行の自由を夢見るかというと、そういうことはないのだと、掲句は告げているのだと思う。忠太郎は母を恋うているから見えるのだし、作者は歩行の自由を諦めているから何も見えないのである。つまり瞼を閉じて何かが見えるか見えないかは、その対象に対して諦念を持つかどうかに関わっていて、歩行不可能者が歩行を諦めるのは、いつまでもこだわっていては生きていけないからである。春が楽しいと思えるのは、野山を自由に歩き回れる健常者だけの謂であり、私たちの周囲には、そうした春を諦めた多くの人々が存在することを知るべきだろう。『有山兎歩遺句集』(2014)所収。(清水哲男)


April 2242014

 足跡の中を歩いてあたたかし

                           高橋雅世

跡が見えるということはアスファルトなど都会の道路ではないようだ。土に刻まれた足跡には、雑踏に感じる圧迫感と異なり、かすかな気配だけが残される。この道を自分よりほかに同じように歩いた人がいる。あるいは人ではなく、動物のものかもしれない。見ず知らず同士の生活の軌跡が一瞬ふと触れ合う。あたたかな日差しに包まれ、現在と過去が交錯する瞬間、記された足跡のひとつひとつから体温のぬくもりが発しているように思われる。掲句では足跡(あしあと)と読ませると思うが、足跡(そくせき)とも読むことを思うと、意味は一層深くなる。〈林から飛び出してゐる木の芽かな〉〈横顔のうぐひす餅をつまみたる〉『月光の街』(2014)所収。(土肥あき子)


April 2342014

 ゆく春やあまき切手の舌ざはり

                           吉岡 実

句のシロートには「ゆく春や」で、何十句も出来そうな気がしないでもない。いっちょうやってみるか……冗談はよせよせ。切手は糊や水を用いるなど、一定の貼り方があるわけだが、舌でぺろりとなめてぺたんと貼るーーこれが一番いいと私は思うし、実践している。気取っていなくて手っ取り早い。お行儀は悪いけれど、不潔でしょうか? 切手の糊はもちろん「あまい」わけではないが、手紙の内容によっては「にがい」場合もあるだろう。晩春のころに、誰に出す手紙かは知らないけれど、行く春をそっと惜しむうっすらとした感傷のこころが読みとれる。同時にいい加減な手紙ではなく、気持ちのこもった手紙であろうと想像される。「あまき」を味ではなく、下五「舌ざはり」と受けたところに、吉岡実の抜群の感性がみごとに生かされている。あの鋭い目つきの詩人が、切手をぺろりとなめている図に強い興味をおぼえる。とりわけメイルやファックスなどがなかった時代のことを、考えさせてくれる傑作である。参考までに、吉岡実にはこんな短歌があるーー「舌ざはり惜しみ白き封筒に火蛾の情慾を入れて貼り投凾す」。先ほど82円と52円の切手をなめてみたが、決して「あまく」はない。吉岡実には春の句が多い。「人形の胸ひややかにゆく春や」「春愁や瞼のうらのなまぬるき」。『赤鴉』(2002)所収。(八木忠栄)


April 2442014

 風車売居座る警備員囲む中

                           榮 猿丸

楽で賑わう公園の近辺に「物売り禁止」の看板があちこちにかかっている。隅々まで管理の行き届いた都会では「街角の風を売るなり風車」と三好達治が詠んだ牧歌的光景なんてない。しかし、この句にある滑稽な哀感は今の時代ならではのもの。囲まれてだんだんと意地になってくる風車売。力づくでどかすわけにもいかず、顔を見合わす警備員の困惑ぶりを考えると何となくおかしい。どんなトラブルも少し距離をおいてみると戯画的な要素を多分に含んでいる。ささいなことなのに「まあいいじゃない」と流せないのは、今の世の中が杓子定規で余裕がないせいだろうか。そんな思惑をよそにからから回る風車。このあと風車売りはどうなったのだろう。『点滅』(2013)所収。(三宅やよい)


April 2542014

 やどかりの中をやどかり走り抜け

                           波多野爽波

どかりは、巻貝の貝殻に体を収め、貝殻を背負って生活する。やどかりが何匹かいる中、一匹だけ群れの中を走り抜けたというのだ。単純な写生句のようにも見えるが、作者の細かな観察眼が光っている。やどかりという愛らしい小動物が動く様を思い浮かべてみると、愛らしさと同時に、そこはかとないオカシミが伝わって来る。『一筆』(平成2年)所収。(中岡毅雄)


April 2642014

 珊瑚咲く海へ染まりに島の蝶

                           小熊一人

年か前にも同じことを思った気がするのだが、蝶にあまり出会わない。いかにも麗らかな春の日が少ないからだろうか。そうこうするうちに春は行きつつあり、ぐんぐんと緑が育ってきたこのところである。この句の蝶は島の渚から珊瑚の海へ、染まりながら消えていく。珊瑚は動物だが碧い海にまさに咲いている、とは沖縄の美しい海ならではだろう、『沖縄俳句歳時記』(1985・那覇出版社)から引いた一句。海と珊瑚と蝶、明るく美しい色彩だが、蝶はやがて珊瑚の海で永遠に眠ることを知っているかのように感じている作者、春を惜しむかすかな淋しさがそこにある。(今井肖子)


April 2742014

 漫画読む鬚の青年めかり時

                           沢木欣一

かり時は晩春の季語。蛙(かわず)の目借時を縮めた言い方です。蛙が人の目を借りるから春は眠気をもよおすという俗説で、戯画的な季語です。掲句の鬚の青年は、文学青年かアーティスト風か、一見高尚な面立ちながら漫画に集中している、そのギャップに着眼しています。作者は東京芸大の国語教師だったので、後者を揶揄(やゆ)しているのかもしれません。句集発行は昭和58年で、漫画の文化的な価値は日本でも世界でも現在ほど評価されていなかった時代です。だから、アーティスト風情が漫画なんかを読んでいたら蛙に目を持っていかれるぞ、という警告なのかもしれません。しかし、「めかり時」という季語自体が戯画的なので、句全体を晩春の気候のように青年の鬚すらおだやかに包んでいます。なお、句集にはもう一つ「飽食の昭和後代めかり時」があり、こちらはかなり警句的です。『遍歴』(1983)所収。(小笠原高志)


April 2842014

 すぐ座ると叱られている四月尽

                           長嶋 有

られているのは、たとえば新入社員。与えられた仕事がすむと、すぐに席に戻って座ってしまう。叱る側からすれば、隙あらばさぼろうとしているように見えるから叱るわけだが、新入社員から言わせれば、他に何をしてよいかが分からないから自席で待機するのだということになる。しかし先輩にそう口答えするわけにはいかないので、黙っていると、「少しは気を利かせたらどうだ」とまた叱られる。この「座る」はむろん手抜きにつながる行為の象徴であって、新入社員の一挙手一投足が、とにかく先輩社員のイライラの種になる時期がある。そして、そんなふうに過ごしてきた四月もおしまいだ。昔はここから五月病になる若者も多かったが、最近はどうなんだろう。ああ、私にも覚えがあるが、本当にすまじきものは宮仕えだな。『春のお辞儀』(2014)所収。(清水哲男)


April 2942014

 尺蠖の上に尺蠖渡る朝

                           佐藤日和太

体を屈伸させて移動することから、寸法を計っているように見えるしゃくとり虫。生真面目に移動する姿が愉快で見飽きないが、やはり同じ尺蠖でも足の遅速はあるようだ。あるいは、同じ尺蠖のなかにも丹念に計る派とざっと計る派があって、後者が前者を追い越したのだろうか。追い越す側も大きくまたいで行くわけでもなく、やはりせっせと屈伸しながら乗り越えていったのだろうと思うとなおさら愉快だ。どちらにしても手に汗にぎるレースというより、そのなりゆきを面白く見守っている様子が伝わってくる。ところで尺が長さの単位であることを理解できる世代はどれほど残っているだろう。かくいう私も尺という文字のなりたちが親指と人差し指を広げ、ものを計るかたちからきているとはこのたび初めて知った。実際に人差し指と親指を広げたとき一尺(30.3cm)というわけにはいかない。計ってみると15cm。二回分でちょうど一尺になることが分かった。本日昭和の日にふさわしい知識を得られたように思う。『ひなた』(2014)所収。(土肥あき子)


April 3042014

 春雨や物乞ひどもと海を見る

                           横光利一

乞ひども、などという言葉遣いは、今日ではタブーであろう。「二月二十八日、香港」という前書きがあるから、かの国の「物乞ひども」であろう。利一は1936年から半年間ヨーロッパへ旅行した。途中、香港に寄っている。その時代にかの国の「物乞ひ」たちに向けられた、日本の作家の一つの態度がうかがえるようである。まだ冷たい春雨に降りこまれ、旅の無聊を慰めるように九龍の浜から、香港島を望んで目の前に広がる海をぼんやり眺めているのだろう。どこかしら心が沈んでいて、不安な気持ちが読みとれるようだ。これからヨーロッパへ向かうというのに、今の自分は「物乞ひども」といったいどれだけちがうというのか。二日前に日本で起きた「二・二六事件」のことは台湾で知ったらしい。事件のことも頭にあって、香港の海を前に茫然自失しているのかもしれない。このヨーロッパ旅行から帰国して書いたのが、代表作「旅愁」だった。俳句をたくさん残した利一が、やはり物乞いを詠んだこんな句もある、「物乞ひに松の粉ながれやむまなし」。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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