2014N48句(前日までの二句を含む)

April 0842014

 狛犬の尾の渦巻けり飛花落花

                           天野小石

社の参道に入ると両脇に置かれる狛犬の起源は、エジプトやインドの獅子が中国を経て伝来したとされる。仁王像同様、二体は阿吽のかたちを取り、筋骨隆々、痩せ形、巻き毛と姿態も大きさもさまざまである。掲句の狛犬は尾にも渦を持つタイプ。渦巻きは燃え立つ炎を思わせ、全身に立体感があり、雄々しいタイプの狛犬だ。そのいかめしい狛犬に桜が降りしきる。一斉に咲く桜は満開の日から飛花落花が始まる。風雨にさらされ通しの狛犬も、一年のうちのほんの数日は、こうして花にまみれることもあるかと思うと、ふと安らかな思いにもとらわれる。体中に桜の花びらをまとわりつかせた様子は、唐獅子牡丹ならぬ、狛犬桜とでもいうような豪奢な景色だろう。桜吹雪がやわらかく触れるなかで、歯を見せる狛犬がなんとなく笑っているようにも見えてくる。『花源』(2011)所収。(土肥あき子)


April 0742014

 沢蟹に花ひとひらの花衣

                           矢島渚男

蟹は、別名「シミズガニ」と言われる。水がきれいな渓流や小川に棲息しているからだ。子どものころは近所に清水の湧き出る流れがあって、井戸のない我が家は、そこから飲料水や風呂の水などを汲んできて使っていた。当然のごとく、そこには沢蟹が棲んでいて、句の情景も日常的に親しいものだった。むろん子どものことだから「花衣」にまでは連想が及ばなかったけれど……。この句は一挙に、私を子供時代の春の水辺に連れていってくれる。何があんなに私の好奇心を誘ったのだろうか。この沢蟹をはじめとして川エビやメダカなどの小さな魚たち、あるいはタニシやおたまじゃくし、そして剽軽なドジョウの動きなどを、学校帰りに道草をして、飽かず眺めたものだった。忘れもしない、小学校の卒業式からの帰り、小川を夢中でのぞき込んでいるうちに、いちじんの風が傍らに置いておいた卒業証書をあっという間に下流にまでさらっていったことを。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)


April 0642014

 峰の湯に今日はあるなり花盛り

                           高浜虚子

本最古と言われる和歌山県湯の峰温泉に句碑があります。熊野古道につながる湯の峰王子跡です。熊野詣での湯垢離場として名高く、一遍上人が経文を岩に爪書きした伝説が残り、小栗判官蘇生の地でもあります。句碑の脇の立て板にはこう記されています。「先生は昭和八年四月九日初めて熊野にご来吟になり、海路串本港に上陸され潮の岬に立ち寄られてその夜は勝浦温泉にお泊まりになり、十日那智山に参詣『神にませばまこと美はし那智の滝』と感動され新宮市にご二泊。翌十一日にプロペラ船で瀞峡を経て本宮にお着きになり、旧社跡から熊野巫神社に参詣された後、湯の峰温泉の『あづまや』に宿られて私どもと句会をしこの句を作られました。十二日に中辺路から白浜温泉に向われたのであります。途中野中の里にて『鶯や御幸ノ輿もゆるめけん』とお残しになられました。先生は昭和二十九年十一月、文化勲章を受賞されましたが、同三十四年四月八日八十四歳で逝去されました。 昭和五十五年七月 先生にお供した福本鯨洋 記」。名湯と花盛りと、虚子を慕って集った人々と、その喜びが「今日はあるなり」に集約された挨拶句です。なお、「湯の峰」を「峰の湯」としたのは、地名よりも場所を写実した虚子らしい工夫で、凡庸を避けています。(小笠原高志)




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