ソニーが「VAIO Fit 11A」に発火の恐れで使用中止を呼びかけ。(哲




2014N412句(前日までの二句を含む)

April 1242014

 蘖や涙に古き涙はなし

                           中村草田男

(ひこばえ)は、切り株や木の根元から伸びる若芽をいい、孫(ひこ)生えの意、とある。切り株が古くて固いほど、若々しい新芽の緑が鮮やかな生命力を感じさせて春らしい言葉だ。涙はいつも生まれたてなのはわかっていることなのだが、こういう句は、はっとさせられてあらためてなるほどなあ、と納得する。泣くことがストレスを発散させるという研究もあるとか、映画は確実に泣ける映画を泣くために観にいく、という知人もいるが、本来は思わず昂ぶった感情が形になってあふれるものだ。蘖の明るさに、作者のまなざしの優しさが垣間見える。また、下五の音を整えようとして、涙なし、とすると途端に間が抜けてしまう。何が大切なのか、あらためて考えさせられた句でもある。『銀河依然』(1949)所収。(今井肖子)


April 1142014

 家ぢゆうの声聞き分けて椿かな

                           波多野爽波

の声は妻の声。この声は長男の声。この声は次男の声。家族の誰かを、声だけで判断している。声だけ聞けば、誰だか分かるのだ。庭には、椿の花が開いている。家中の声を聞き分けるという行為と、椿との関連性を説明することは難しい。ただ、家の内と家の外という空間のバランスが取れていることは確かである。あと、あえて言えば、あの真紅の花びらを開いている椿自体が、声を聞き分けているという幻覚を、瞬時、感じさせてくれる。もちろん、そうした解釈は誤りであり、椿はただ咲いているだけなのだが、幻覚の余韻が漂っている。『骰子』(昭和61年)所収。(中岡毅雄)


April 1042014

 ペンギンのやうな遠足ペンギン見る

                           仲 寒蟬

前ペンギンのコーナーでペンギンたちを見ているとき、そばでお化粧をしていた人のコンパクトの光がペンギンの岩場にちらちら当たった。すると、あちこち逃げるその光を追ってペンギンたちが連なってちょこちょこ駆けはじめた。一匹がプールに飛び込むと次々に続く。ペンギンって団体行動なんだ、とそのとき思った。幼稚園か小学校低学年の遠足か、ちっちゃい子供たちが手をつなぎあってやってくる。柵の向こう側にいるペンギンたちと同じようにちょこちょこ連なって。ペンギンを見ているのか、ペンギンに見られているのか。ペンギンも子供たちもたまらなく可愛い。『巨石文明』(2014)所収。(三宅やよい)




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