2014N5句

May 0152014

 ものを言ふ豚の尻尾や五月晴

                           大谷のり子

尾とは不思議なものだ。動物の感情表現なのだろうが、尻尾を振っているからと言って歓迎されているとは限らない。犬などは、恐怖のあまり近づくなと言っているときもあって、その場合はたいてい頭を低く構えて戦闘体制に入っており、手を出せばガブッとやられる。くるくるっとかわいらしく巻いた短い尻尾を持つ豚の場合は噛むなんてことはないだろうが、やっぱり嬉しいときに尻尾を振るのだろうか。言葉を持たない動物が気持ちを伝える健気な尻尾。養豚場でひしめくように飼われている豚しか見たことがないけど、放し飼いにされている豚もいるようで、そんな豚たちが良く晴れた草原を短い尻尾を振りながら寄ってくる様を想像すると、気持ちがいい。『豚の睫毛』(2013)所収。(三宅やよい)


May 0252014

 大根の花や青空色足らぬ

                           波多野爽波

根は種を採るため畑に残したものに、春、十字状の小花をつける。白色のものや紫がかったものもある。青空との比較から考えると、白色の花の方がイメージしやすい。本来は、花の白と空の青で明確な対照を描くはずだが、透き通るような青空ではなく、いくぶん、澱んでいるのだ。下五では、そのような情景を「色足らぬ」といささか主観的に表し、残念な気持ちを表白している。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


May 0352014

 暖かき雨の降りをり鍋に穴

                           玉田憲子

のアルミの鍋は使っているうちに小さな穴が開いてしまうことがあった。吹きこぼれてもいないのにジュージュー音がするので、おかしいなと鍋を洗って透かして見ると光が漏れている。しばらくその光を見つめつつ、少し情けなくもありながら、この鍋もよく使ったなあと感慨深かったりしたものだ。雨が降っているというかすかな憂鬱、でもそれが春の雨であるという明るさ、その両方をつなぐ小さな鍋の穴である。なべにあな、とつぶやくとなんとなく微笑んでしまう。気がつけば我が家の台所にはもう古いアルミ鍋はなく、穴をあけるなんてとても無理という厚底鍋ばかりになってしまったが。『chalaza』(2013)所収。(今井肖子)


May 0452014

 蒲公英の気ままに育つ花時計

                           澤田緑生

公英(たんぽぽ)は自由だ。梅のつぼみがふくらみ始める初春、ひょっこり咲く一輪を見つけることがある。土筆が生える仲春には、土手や河原に点在する黄色を見つけられる。桜が散り、ツツジが咲きほこる今も、公園の植え込みや、道路の緩衝地帯で目にすることができる。子どもは、綿毛になった茎を折って、一気に息を吹きかける。種子は飛散するが、翌春、どの地に根を張るかは風まかせだ。一代限りの潔い生。人の手を借りずに地をはびこる種の生命力は、黄色く点在している。それは、綺麗に整備された花時計にも落下して、制服を着せられた児童に交じる野生児のように無邪気だ。花時計に限らず、花壇のチューリップも、梅もツツジもソメイヨシノも人が手を入れ育てた春だが、蒲公英は、今年の春風が、来年の居場所を決めてくれる気ままな育ちだ。この花こそ、春を運び、春の終わりを告げる花と思う。今日、みどりの日、タンポポに出会えるだろうか。『極光』(1992)所収。(小笠原高志)


May 0552014

 子を発たす立夏の駅の草の丈

                           石井直子

日は「立夏」。子を「発たす」とあるから、遠くの地に行く子を、駅まで見送っている母親の句だ。この時季だから、おそらく大型連休を利用して帰省していた子が、普段の生活の場に戻っていくのだろう。新入社員かもしれないし、大学生かもしれない。べつに永の別れではないのだから、「見送りなんて大袈裟だよ」くらいは言われたろうが、そうもいかないのが母心である。私の勤め人時代の同僚も、そんな母親を持っていた。今度子が戻ってくるのは、夏季休暇のときだ。日頃は気にもとめない「駅の草」に気がついた作者は、次に会えるときにはこの草の丈もずいぶんと伸びているだろうと、早くもその日を待ちかねているようだ。この「丈」は子供の生長の様子にかけられていて、夏めいてきた季節の明るい別れにふさわしい発語と言えるのでなかろうか。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)


May 0652014

 虎が一匹虎が二匹虎が三匹藤眠る

                           金原まさ子

の花の美しさは、古くから日本人をとりこにし「万葉集」では26首に見られる。満開の藤が盛大に懸け垂れるなかに立てば、その円錐形が天地をまどわし、甘い香りとともにめまいを覚えるような心地となる。その美しさは蔓で他者に支えられており、それはあらゆるものに巻き付き、食い込み、枯れ果てるまで締め上げるという残酷な側面を持つ。掲句では、唐突に登場した虎が最後になって眠れない夜に数える羊のかわりであることがわかる。藤の生態の獰猛さを思えば、おとなしく穏やかな羊ではまるでもの足りないというのだろう。肩をいからせ、舌なめずりをしながらたむろす虎を想像しながら藤はうっとりと眠りに落ちる。紫の藤の下に黄色と黒のビビッドな虎が一匹、二匹そして三匹。あなたなら眠れますか?『カルナヴァル』(2013)所収。(土肥あき子)


May 0752014

 チューリップ明るいバカがなぜ悪い

                           ねじめ正一

ューリップは春の季語だけれど、四月から五月にかけて色とりどりに咲き出す。バカにも「明るい」と「暗い」があるのか、正一さん?ーー確かにあるのだ。「明るいバカ」と言われて、私などがすぐ連想するのは「アホの坂田」であり、落語の与太郎さんである。落語の与太郎はなくてはならないキャラクターである。その明るいバカさ加減はどうにも憎めない。単なるバカというよりも人間の虚をついたり、常識を皮肉ったりと、バカにできない面があって一筋縄ではおさまらないおバカさんである。正一がここで詠む「バカ」に私は、チューリップのように明るい落語の与太郎さんを連想せずにはいられない。暗い陰湿なバカは願い下げである。(ホラ、そういうバカが世間に時々顔を出すではないか。)下五「なぜ悪い」に居直った様子がうかがえる。即ち、ワタシばかノ味方デス。掲句は田島征三の絵と組み合わさっている最新の絵本『猫の恋』(2014)のなかの一句。まちがいなく元気の出る絵本です。他に「ビリビリっと尻尾の先まで猫の恋」など、正一らしい楽しい句と絵十五組が収められている。まともな句は一つもない(?)という凄まじさ。帯の惹句に「絵と俳句のごっつんこ」とある。(八木忠栄)


May 0852014

 黄金週間終わるブラシで鰐洗い

                           斉田 仁

休明けのがらんとした動物園での一コマ。生きていても剥製のように動かない鰐だけどゴールデンウイークに沢山の人の視線を背中に集めて疲れただろう。ゴシゴシとブラシでその背中を洗われて気持ちよさそう。ゴールデンウイークを黄金週間と表記したことで「黄金」という言葉の硬質感とごつごつの鰐の背中の硬さが響き合っていい感じだ。鰐の背中を洗うブラシの音まで聞こえてきそう。「俳句が出来ないときは動物園に行ったらいいよ」と俳句を始めたころ一緒に句会をやっていた年上の俳人からアドバイスをもらった。動物は楽しい想像力をかきたててくれるからだろうか。連休明けの一日、ベンチに座って動物たちをぼんやり眺めるのもいいかもしれない。『異熱』(2013)所収。(三宅やよい)


May 0952014

 新緑や人の少なき貴船村

                           波多野爽波

船は京都の地名。貴船山と近隣の鞍馬山に挟まれた渓谷には、料理旅館が建ち並ぶ。夏には貴船川沿いに川床料理が供され、納涼客の客足が伸びる。爽波のことである。貴船での川床遊びを体験したこともあったに違いない。ところが、時期を違えて、夏の初め、新緑の頃、訪れた貴船は閑散としていた。人の少ない貴船村とは、意外な事実。ことばの抑制が効いている佳句である。『鋪道の花』(昭和31年)所収。(中岡毅雄)


May 1052014

 夕風はうすむらさきに蟻地獄

                           野木藤子

れかけた空、どこからともなく漂う木々の香り、うすむらさきの風とはまさに初夏の心地よい風らしい。そこに蟻地獄である。以前、アリジゴクを捕獲してペットボトルで飼ったという話を聞いたが、美しいともいえるすり鉢状の巣を器用に作りまさにアトシザリ、本当に前には進めないのだという。様々な不思議をはらんだ生き物のひとつだなと思うが、その密やかな地獄は罠としての恐ろしさを秘めながらたいていしんと静かで、アリジゴク自身は長い時間を巣の底で過ごしている。そう思うとうすむらさきの夕風も、これから訪れる闇を誘うようなぞわりとした風に思えてくる。『青山河』(2013)所収。(今井肖子)


May 1152014

 母の日の祖母余所行着をすぐに脱ぐ

                           池田澄子

日は母の日。『新日本大歳時記』によると、もとは米国ウェブスターに住むアンナ=ジャービスが母を偲ぶため白いカーネーションを教会の人々に分けたのが始まりで、1914年5月にウィルソン大統領によって母の日と定められた、とあります。掲句は作者が少女の頃でしょう。祖母が外出先から帰ってきて、余所行着(よそゆき)をすぐに脱ぎ、大事に仕舞ってから普段着に着替えるその素早さを記憶しています。祖母にとって母の日は名ばかり。かつての母は、手を動かしながら家中をくまなく動き回っていました。家電が流通する以前の暮らしでは、衣・食・住のすべてが手間ひまかかる手仕事です。繕い物の針仕事、早朝の煮炊き、はたき・ほうき・ぞうきんがけ。手を動かしながら次の手仕事を見つけ 、それがまた、次の動きにつながります。その経験の積み重なりがおばあちゃんの知恵袋を作っていったのでしょう。掲句の祖母が「余所行着をすぐに脱ぐ」のは、普段着という仕事着に着替え、家庭のプロフェッショナルへと切り替わるスイッチのオンなのです。これぞ主婦のプロ。その記憶を孫に伝えています。かつての少女は、おそらく祖母の齢を越えて、その素早い替わり身を受け継いでいるのでしょう。なお、中七のほとんどを漢字にしたのは外出を暗示した工夫と読みました。『池田澄子句集』(ふらんす堂・1995)所収。(小笠原高志)


May 1252014

 田を植ゑてゐるうれしさの信濃空

                           矢島渚男

濃川流域に広がる田園風景をはじめて見たときには、心底衝撃を受けた。旅の途中の列車の窓からだったが、どこまでもつづく広大な田圃に、故郷山口のそれとは比較にならないスケールに圧倒されたのだった。私が子どもの頃に慣れ親しんだ田圃は、信州のそれに比べれば、ほんの水たまりみたいなものだった。千枚田とまではいかないが、山の斜面に張りついた小さな田圃になじんだ目からすると、その広がりに眩暈を覚えるほどであった。と同時にすぐに湧いてきた思いは、農家の子の悲しき性で、この広い田圃の田植や収穫の労働は大変だろうなということでもあった。そんなわけで、この句を前にした私の気分は少し複雑だ。「植ゑてゐる」のは自分ではあるまい。作者は、広大な田圃ではじまった田植を遠望している。反対に、私の田舎の田植は遠望できない。植えている人に声をかければ、届く距離だ。したがって、田植を見る目には、空が意識されることはない。目の前は、いつも山の壁なのである。私には句の「うれしさ」を満々と反映している信濃の空のありようは想像できるけれど、想像すると少し寂しくなる。腰を折り曲げての辛い労働に、すかっと抜ける空があるのとないのとでは大違いだなあ。そんなことを思ってしまうからである。『采薇』(1973)所収。(清水哲男)


May 1352014

 綿津見の鳥居へ卯浪また卯浪

                           藤埜まさ志

波とは陰暦四月、卯月の波のことだが、決して静かな波ではなく、晩春から初夏にかけての低気圧によって立つ白波をいう。綿津見(わたつみ)に立つ鳥居といえば、まよわず宮島の大鳥居が浮かぶ。淡々と景色を写生した掲句だが、口にすればたちまち海の深い青、続けざまに寄せる波頭の白、そして鳥居の朱色が眼前に立ち現れる。それは合戦の昔から図絵に描かれた景色であり、また世界文化遺産となって残る今日の景色でもある。目にも鮮やかな鳥居の朱色は邪気を祓うと同時に、丹を塗ることで腐食も防ぐという実利も兼ね備えていた。先人の知恵と工夫が日本人の美意識として引き継がれ、またそれを言葉にして愛でることができる喜びが潮のように胸に満ちる。『火群』(2014)所収。(土肥あき子)


May 1452014

 地球儀のあをきひかりの五月来ぬ

                           木下夕爾

の開花→満開→花吹雪、桜前線北上などと、誰もが桜にすっかり追いまわされた四月。その花騒動がようやくおさまると、追いかけるように若葉と新緑が萌える五月到来である。俳句には多く「五月かな」とか「五月来ぬ」「五月来る」と詠まれてきた。世間には一部「五月病」なる病いもあるけれど、まあ、誰にとっても気持ちが晴ればれとする、うれしい季節と言っていいだろう。「少年の素足吸ひつく五月の巌」(草間時彦)という句が思い出される。最近の新聞のアンケート結果で、「青」が最も好まれる色としてランクされていた。「知的で神秘的なイメージがあり、理性や洗練を表現できる」という。世界初の宇宙飛行士ガガーリンの「地球は青かった」という名文句があったけれど、地球儀だって見方によって、風薫る五月には青く輝いて見えるにちがいない。地球儀が青い光を発しているというわけではないが、外の青葉若葉が地球儀に映っているのかも知れない。ここは作者の五月の清新な心が、知的な青い光を発見しているのであろう。夕爾は他にも、地球儀をこんなふうに繊細に詠んでいる。「地球儀のうしろの夜の秋の闇」。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


May 1552014

 苗床にをる子にどこの子かときく

                           高野素十

床を子どもたちがのぞきこんでいる。その中に見かけない子がいるがどこの子だろう。句意とすればそれだけのものだろうが、このパターンは句会でもよく見かける。ベースになっているのが誰の句かな、と思っていたら素十の句だった。「苗床」が焚き火になっていたり、盆踊りになっていたり季語にバリエーションはあるけれど見知らぬ子がまじっているパターンは一緒だ。類句がつまらないのは、この句の下敷きになっている村の共同体がもはや成り立たないからだろう。子供神輿の担ぎ手がいなくて祭りの体裁を整えるのに縁もゆかりもない土地から子供に来てもらうこの頃である。子供のいない村では「どこの子か」どころではない。この句が持っているぬくもりは今や遠い世界に感じられる。『雪片』(1952)所収。(三宅やよい)


May 1652014

 青あらし電流強く流れをり

                           波多野爽波

嵐は、青葉の茂ることに吹く強い風。電線が風に揺られるくらいの風だったのだろう。しかしながら、爽波は電線の描写などはしない。目に見えない「電流」を描写する。この句「青嵐/電流」までで、すでにひとつの情景は描かれてしまっている。それに「強く流れをり」とダメ押しをする。「青嵐」と「電流」がぶつかり合って、火花を散らし合うような激しさを持った一句である。『一筆』(平成2年)所収。(中岡毅雄)


May 1752014

 修道女薔薇みることもなくて過ぐ

                           青柳志解樹

豆高原の自営の薔薇園で自ら撮影した薔薇の写真と、八十余名の作家の薔薇の句を集めた『薔薇の俳句1000句& PHOTOGRAPHS of THE ROSES』(2001・みちのく発行所)の前書きによると、近代の薔薇は「人間の愛情に応え、人間社会に歩みよって来た」のだという。薔薇を慈しみ育て続けていた著者の言葉は、薔薇は咲き誇るもの、といった先入観を取り払ってくれる。そんな薔薇のひたむきな美しさに立ち止まることもなく修道女は通り過ぎる。みることもなくて、の軽い切れに、この句の作者の薔薇への視線が修道女に向けられた一瞬が感じられる。その瞬間、修道女の視線も薔薇をとらえて、薔薇の輝きに心が動いたことだろう。(今井肖子)


May 1852014

 松が枝をくぐりて来たり初扇子

                           桂 信子

客を詠んだ句でしょうか。そうならば、挨拶句と言えそうです。俳句は短い形式なので、句の中にドラマを盛り込むことは簡単ではありません。掲句にもドラマ性はありませんが、来客の身体の動きは伝わります。これが、「松が枝」を舞台にして「扇子」を持って舞う踊り手のような印象を与えています。一句が地唄舞の歌詞のようになっていて、松が枝をくぐり抜けてこちらへやって来る所作はたをやかです。この粋客は、たぶん着物に白足袋、草履をはいて、扇子を手にしています。ところで、日本舞踊の修練は、日常の立居振舞を洗練することにあり、同時にそれが目的であると聞き及んでいます。その身体は屈んだり、畳んだり、折り込んだりする仕舞いの動作で、西洋のバレエダンサーが天に向けて身体を開くのとは対照的な、内へと向かう所作です。そうならば、扇子を手にするということは、折り畳み、仕舞い込む品性を持つことの象徴とも考えられます。掲句の粋客は、作者にとって、今年初めて目にする扇子を手にしています。初夏を運ぶ客に対する挨拶句と読みました。『樹影』(1991)所収。(小笠原高志)


May 1952014

 若竹のつういつういと伊那月夜

                           矢島渚男

来「つういつうい」は、ツバメや舟などが勢いよく滑るように、水平に移動する様子を指しているが、この句では若い竹の生長するさまについて用いられている。水平ではなく垂直への動きだ。なるほど、竹の生長の勢いからすると、たしかに「つういつうい」とは至言である。元気いっぱい、伸びやかな若竹の姿が彷彿としてくる。しかも、時は夜である。月の雫を吸いながらどこまでも伸びていく竹林の図は、まことに幻想的ですらあって、読者はある種の恍惚境へと誘われていく。そして舞台は伊那の月夜だ。これまた絶好の地の月夜なのであって、伊那という地名は動かせない。しかも動かせない理由は、作者が実際に伊那での情景を詠んだかどうかにはさして関係がないのである。何故なのか。かつての戦時中の映画に『伊那節仁義』という股旅物があり、主題歌の「勘太郎月夜唄」を小畑實が歌って、大ヒットした。「影かやなぎか 勘太郎さんか 伊那は七谷 糸ひく煙り 棄てて別れた 故郷の月に しのぶ今宵の ほととぎす」(佐伯孝夫作詞)この映画と歌で、伊那の地名は全国的に有名になり、伊那と言えば、誰もが月を思い浮かべるほどになった。句は、この映画と歌を踏まえており、いまやそうしたことも忘れられつつある伊那の地で、なお昔日のように月夜に生長する若竹の姿に、過ぎていった時を哀惜しているのである。『木蘭』(1984)所収。(清水哲男)


May 2052014

 ひばり揚がり世は面白きこともなし

                           筑紫磐井

白いとは不思議な言葉だ。語源は面は目の前、白は明るさを意味し、目の前がぱっと開けるような鮮やかな景色をさした。のちに美しいものを見たことで晴れ晴れとする心地や、さまざまな心の状態も追加され、滑稽まで含む多様性を持つ言葉となった。面白いかどうかとは、すなわちそれを探求あるいは期待する心が言わせる言葉なのだろう。掲句がともすると吐き捨てるような言い回しになってしまうところを救っているのが、軽快なひばりの姿である。空へとぐんぐん上昇する雲雀を目を追っていることで、鬱屈した乱暴さから解放された。時代を経て付け加えられ、ふくらみ続ける「面白い」に、またなにか新しい側面を見ようとする作者の姿がそこに見えてくる。『我が時代』(2014)所収。(土肥あき子)


May 2152014

 萬緑やあの日の父を尾行せむ

                           間村俊一

の花にうつつをぬかし、初夏の花にオヤオヤと見とれているうちに、いつの間にか日々ふくらむ新緑が私たちの目を細めさせる。そして萬緑がまなこになだれこむ季節の到来である。掲句の中七〜下五の中味は穏やかではない。そのくせどこかしら「フフフフ」とわいてくるモノがある可笑しさ。「あの日の父」に何があったのかは誰にもわからない。しかし、たしかに何かしらあったのだ。オトナにはオモテがあればウラがある。「その日」すぐにでなくとも、のちのちずっと「父を尾行せむ」という気持ちが消えることはない。ナゾが残れば残るほど、尾行したい気持ちはつのるいっぽうであろう。「いやいや、尾行なんかしたくない」という気持ちもいっぽうにはあろう。何かしらあったにせよ、なかったにせよ、父を探ってみたい気持ちが息子にあるのは何ら不思議なことではない。しかも萬緑がむせるような季節である。ひそかに尾行されている父よ、父を尾行している息子よ、両人とも十分お気をつけくださいまし。生まれる二ヶ月前に父を亡くした私などには、加齢とともにそれとなく、日々まぼろしの父を尾行しているような気持ちがしている。俊一には、他に父を詠んだ「はゝこ草父の知らざる母の嘘」がある。『抜辨天』(2014)所収。(八木忠栄)


May 2252014

 初夏やきらめくわたしのフライ返し

                           関根誠子

ライ返し!日々使うことはあってもその存在自体まじまじと意識したことはない。お玉や菜箸と並んで壁に吊り下げられて出番を待っている金属のへらが初夏の光を受けてきらめいている。普段は気にも留めないフライ返しの輝きに、はっとした作者の気持ちが伝わってくる。玉子焼をひっくり返して、チャーハンを炒めてと、フライ返しは家族の食事を作るのに欠かせない道具。そう思えばほかの誰でもない「わたしの」と強調したい気持ちが同じ主婦としてよくわかる。生活の一部になっているものを季節の訪れとともに、見返して愛おしむこともこの詩形ならではの働き。ただごとに終わるか、新鮮な発見になるかは紙一重だろうが、一瞬の心の動きと愛情が読み手に伝われば十分ではないか。『浮力』(2011)所収。(三宅やよい)


May 2352014

 ちぎり捨てあり山吹の花と葉と

                           波多野爽波

祇に「山吹や葉に花に葉に花に葉に」の句がある。山吹の花が咲いている様子を描写したものだ。爽波の句は、太祇の句を思い出させるが、情景は全く異なっている。爽波の句は山吹の花と葉が、ちぎり捨ててある情景を詠っている。意味的には、「山吹の花と葉とちぎり捨てあり」だが、定型に収まるように、倒置法を用いている。前半の「ちぎり捨てあり」で一呼吸休止して、「山吹の花と葉」がおもむろに提示される。爽波写生句の代表作である。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


May 2452014

 鎧戸の影白靴を放り出す

                           内村恭子

の鎧戸は、掃き出し窓のようなところの鎧戸だろう。休暇中の作者は本を読むのにもちょっと飽きて、目の前の海まで散歩に行こうかと立ち上がる。鎧戸の影は縞々、そこに白靴をぽんと投げると、白靴にも縞々の影ができる。ただそれだけなのだが、白靴の一つの表情に小さな詩が生まれていることに気づく作者なのだろう。鎧戸と白靴という二つの素材が、作為の無い景としてくっきりと切り取られている。同じ句集『女神』(2013)に<白靴を踏まれ汚れただけのこと>という句もある。美しい眉をひそめて相当むっとしている作者の様子が目に浮かぶが、お気に入りの白靴があるのかもしれない。(今井肖子)


May 2552014

 すりこ木で叩いて胡瓜一夜漬

                           長谷川櫂

理のよしあしは、ひと工夫で決まるもの。胡瓜を叩くひと手間で、たしかに味は変わりそう。台所に立つことを趣味とし、5枚のエプロンを着こなすこの身で、掲句のやり方を実行してみました。ゴマすり用の20cmほどのすりこ木を右手に持ち、まな板の上に胡瓜を置いて叩き始めます。叩いてみると胡瓜は案外硬く、一度や二度では全く変化はありません。五十回ほど万遍なく叩いて触ってみると、すこし柔らかくなっていますが、まだまだ外側はしっかりしていて、もっと叩いてやわらかくしていいよ、と胡瓜が言っているようにも思われてきて、結局、百回ほど叩いて、指で押すとすこしへこむくらいの柔らかさになりました。これはもう、ひと手間どころではないぞと思いつつも、すりこ木で胡瓜を叩く動作はなかなか楽しく、また、やや鈍く響く音は最近聞かれない類いの生活音で、約10分間ほど、三本の胡瓜を叩くこと三百回、それぞれを半分に切って塩をふり瓶詰めにしました。ただし、胡瓜はもう一本あって、それはあえて叩かず瓶詰めにし、翌日比較してみることにしました。差は歴然。叩いていない胡瓜は、きれいに切れますが歯ごたえが硬く、味もしみていません。一方、叩いた胡瓜は柔らかく、口の中でほぐれ、胡瓜の青くささに適度な塩味がしみ込んだ味わいです。料理作りと直結している五七五をもっと知りたくなりました。『鶯』(2011)所収。(小笠原高志)


May 2652014

 谷の奥妻の木苺熟るるころ

                           矢島渚男

苺には園芸用もあるが、私が子供の頃に接したのは野生種だった。まさに「谷の奥」に自生していた。おやつなど考えられない食料難時代の山の子には、自然が与えてくれた極上のおやつであったから、学校からの帰途、空の弁当箱にいっぱい獲るのが初夏の楽しみなのだった。欲張ってぎゅうぎゅうに詰め過ぎて、実がつぶれたものは不味かったが、とにかくこのころに食べた木苺の味は、いまでも図鑑の写真を見ただけでも思い出すことができる。句の「妻の木苺」で思い出したのは、子供仲間の間には、それぞれが(勝手に)所有しているつもりの木があって、子供なりの仁義で他人の木苺に手を出さないという暗黙の了解があったのだった。「妻の木苺」にはそれほどの切実な意味はないのだろうが、遠い日に二人で出かけた地の「谷の奥」で妻が見つけて、分け合って食べた木苺の甘酸っぱい味がよみがえってくるような措辞である。初夏の木漏れ日も、きっと目にまぶしかっただろう。そんな日の木苺の様子を思い出し、同時にその当時の生活のあれこれを、いま作者は微笑とともに思い返しているのだ。もはやあの日がかえってくることはないけれど、もしかすると「幸福」とは、あのときのような状態を指すのかもしれない。と、これは読者としての私が、この句につけた甘酸っぱい味である。『百済野』(1997)所収。(清水哲男)


May 2752014

 抱く犬の鼓動の早き薄暑かな

                           井上じろ

夏の日差しのなかで、愛犬と一緒に駆け回る楽しく健康的なひととき。本能を取り戻した犬の鼻はつやつやと緑の香りを嗅ぎわけるように得意げにうごめき、心から嬉しそうに疾走する。それでもひとたび飼い主が呼び掛ければまっしぐらに戻ってくる。ひたむきな愛情表現を真正面から受け止めるように抱き上げてみれば、薄着になった身体に犬の鼓動がはっきりと伝わってきたのだ。それが一途に駆けてきたことと、飼い主と存分に遊べることの喜びで高鳴っているためだと理解しつつ、思いのほか早く打つ鼓動が、楽しいだけの気分に一点の影を落とす。一生に打つ鼓動はどの動物でも同じ……。この従順な愛すべき家族が意外な早さで大人になってしまう事実に抱きしめる腕に力がこもる。〈たわわなる枇杷ごと家の売り出さる〉〈単身の窓に馴染みの守宮かな〉『東京松山』(2012)所収。(土肥あき子)


May 2852014

 大いなる雲落ち来る夏野かな

                           会津八一

の晴れあがった日の平野部。見渡すと東西南北ぐるりとまんべんなく彼方に、雲がもくもく盛りあがっている。視界いっぱいの夏だ。白い雲が鮮やかにまぶしく湧いているぶんには結構だけれど、それがにわかに黒雲に変貌したりして、突然冷ややかな風が起こってくると、昨今の気象は雹が降ったり、雷雨や竜巻が発生したりして油断ができない。「大いなる雲」はぐんぐん盛りあがっていたかと思うと、大瀑布が襲いかかるように、夏野にかぶさるように、容赦なく天から「落ち来(きた)る」というのだ。まさに「落ち来る」。高く広々とした夏野のダイナミズムに、圧倒されるようである。それまで夏野に散らばっていた人びとは、あわてて走り出しているのかも知れない。こんな光景を前にしたら、書家・八一先生は「雲」という文字をどんなふうに書きあげただろうか、と妙な興味をそそられる。まさに「大いなる」句姿である。掲句と並んでいて対になるような句「白雲の夏野の果てや村一つ」は、同じときの作かと思われる。『新潟県文学全集』第II期6(1996)所収。(八木忠栄)


May 2952014

 風に落つ蠅取リボン猫につく

                           ねじめ正也

取リボンとは懐かしい。私が小さい頃は魚屋の店先にぶら下がっていた。同句集には「あきなひや蠅取リボン蠅を待つ」という句も並んでいる。あの頃、生ごみは裏庭に掘った穴に放り込んでいた。昼間でも暗い台所には蠅が多かった気がする。頭のまわりをうるさく飛び回っていたあの蠅達はどこへ消えたのだろう。それにしても「蠅取リボン」という名前自体が俳諧的である。真っ黒になるぐらいハエのついた汚いものをリボンと呼ぶのだから。風に翻ったハエ取りリボンが落ちて昼寝をしていた猫の背中につく。身をくねらせてリボンをとろうとするがペタペタペタペタリボンは猫の身体にまとわりつき猫踊りが始まる。追い立てられてリボンを巻きつけたまま外へ飛び出してゆく猫。そんな路地の1コマが想像される句である。『蠅取リボン』(1991)所収。(三宅やよい)


May 3052014

 大空は微笑みてあり草矢放つ

                           波多野爽波

胆な擬人法である。「大空は微笑みてあり」だから、晴れ渡った空だったのだろう。あと、草矢遊びに興じている子供の心情まで、喩えているように思う。「草矢」は芒や葦などの葉を縦に裂き、指に挟んで、飛ばすこと。高さや飛んだ距離を競ったりする。この句、下五の部分が、「クサヤハナツ」と一音字余りになっている。その一音の時間の流れが、飛んでいく草矢の時間を彷彿させる。『鋪道の花』(昭和31年)所収。(中岡毅雄)


May 3152014

 涼しくていつしか横に並びけり

                           西村麒麟

我が家のピクチャーレールには<縁柱細り涼風起りけり>(星野立子)の軸がかかっている。渋い紫の表装、さらりと書かれた句中の、涼風、は見るからに涼しく気持ちがよいので夏はこれをかけて過ごしているが、墨で書かれた文字は表情があり味わい深い。梅雨入り前のこの時期、夏の涼しさを感じるにはまだちょっと早いかもしれないが、日ごと育つ緑を見ていると、清々しい涼風が吹き抜ける掲出句を思う。涼し、にこんな表情を持たせた句を他には見たことがなく、この句を思い出すたびに作者の幸せを心地よい余韻として感じるのだ。向かい合って両手をつないで見つめ合っているより、横に並んで同じ方を見ながら片手をつないでいる方が幸せは続く、そんな言葉があったな、などとも。『鶉』(2013)所収。(今井肖子)




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