2014N7句

July 0172014

 汗の胸富士より風の吹きおろす

                           竹村翠苑

士が霊峰と呼ばれる由縁は、噴火による驚異を鎮めるため、山をまるごとご神体としたことによる。浅間大社が祀られた頂上へ登拝することで災難から免れ、また崇高なるものとの一体感を満喫する。登山の際のかけ声である「六根清浄お山は晴天」の六根とは目鼻耳などの身体であり、そこから生じる欲や迷いを脱し、清浄な精神を得ることを願うという意味からなる。富士山頂から吹きおろす風を胸に受けたことで、清涼感とともに、五体すみずみまで霊峰の力が行き渡る心地を味わっている。本日山開き。〈電子レンジ十秒蝗しづもりぬ〉〈御柱祭男見るなら諏訪に来い〉『摘果』(2014)所収。(土肥あき子)


July 0272014

 朝ぐもり窓より見れば梨の花

                           高村光太郎

ぐもりは夏の季語。朝のうち曇っていても、曇っている蒸気が刻々と晴れてきて暑い夏日となる。今の時季、よく経験することである。そんなところから「旱の朝曇」とも言われる。また、梨は四月頃に白い可憐な花をつけるから、「梨の花」そのものは春の季語。作者は窓から白い梨の花を眺めながら、「今日も暑くなるのかなあ」と覚悟しているのかもしれない。梨の花の花言葉は「博愛」「愛情」である。どこか光太郎にふさわしいようにも思われる。梨には、弥生時代以来の「日本(和)梨」があり、ほかに「中国梨」「西洋梨」があるという。また「赤梨」と「青梨」に大別される。「梨の花」は春で、「梨の実」は秋である。梨は秋には桃などとともに欠かせないくだものである。掲句は月並句といっていいだろうが、光太郎の句は珍しいのでここに取りあげた。中村汀女に「朝曇港日あたるひとところ」がある。平井照敏編『新歳時記・夏』(1996)所収。(八木忠栄)


July 0372014

 夏みかん長い名前の人が買ふ

                           高橋 龍

の句のおかしみはどこから来るのだろう。もちろん夏みかんを買う人の名前なんていちいちわからないし、長い名前の人がたまたま夏みかんを買ったとしても、何てことはない。でもこうして俳句で読むと身体の奥をくすぐられるようなおかしみがある。「夏みかん」と「長い」と頭韻の響きの良さもあるのだけど、そのもったいぶり方に注目だ。夏みかんを買う人は長い名前の人!と限定することがありふれた行為に浮力をつけ「夏みかん」が新たな手触りを持って浮き上がってくる。これも五七五の定形の効果と言えるかもしれない。叙述は奇をてらっていないのに何だか可笑しい。そんな俳句に出会うとうれしくなる。『二合半』(2014)所収。(三宅やよい)


July 0472014

 桐の木の向う桐の木昼寝村

                           波多野爽波

の木というと高貴なイメージがある。桐の木の向こう側にも桐の木が生えている。この場合、桐の木が二本だけというのは考えにくい。それ以外にも、何本か生えているのであろう。折しも、時は、昼寝の時間。村は静まりかえっている。秋櫻子の「高嶺星蚕飼の村は寝しづまり」と比較してみても面白い。現実に存在する村ではなく、メルヘンチックな風景画のように感じさせる。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


July 0572014

 大日向あぢさゐ色を薄めけり

                           上野章子

の当たる場所を、日向、ととらえるのは概ね冬だろう。ひなた、というやわらかい音は、強くて濃い夏の日差しの感じとはやや違う。さらに大日向となると、そこにある光はさほど強くはないが広々と遍くゆきわたっている。作者は、たくさんの紫陽花がこんもりとまさに咲きに咲いたり、という感のある場所に居て紫陽花を見ている。雨の日には水の色を湛えていた紫陽花はことごとくしおしおと少し悲しげに見え、そこにどこか白く湿った日があたっているのだ。その真夏とは違う日の色がまさに、大日向、なのだろう。虚子の六女である作者、その句柄は天真爛漫といわれるが自由でありながら本質をとらえ平明だ。<あるだけの団扇とびとび大机><浜茶屋の夏炉に軽い椅子寄せて><夏蝶の去り残る花色いろいろ>。『桜草』(1991)所収。(今井肖子)


July 0672014

 合掌の村に青田の迫りくる

                           宮本郁江

川郷の夏でしょうか。村全体を見晴らしのよい地点から眺めているようです。「迫りくる」という動詞は、何者かがある対象に向かって迫ってくることですが、掲句を文字通りに読むと、青田の生育が活発で、合掌造りの村全体を席巻している状態であるととることができます。この場合、作者の立ち位置はある程度高所から、村全体を平面的に眺めている見方になります。ところで、合掌造りの屋根は、日本では稀な鋭角です。一般的に、キリスト教系の建築物は先鋭的な屋根を持つのに対し、神社仏閣はそれよりも鈍角的に広がる屋根を持っています。前者は天に向かう意志を表し、後者は内側を庇護する傾向にあるとも考えられますが、日本の建築では、鋭角の屋根は例外であったことは事実です。それが、宗教的な観念からではなく、豪雪地帯という風土条件からもたらされた形態であるというところに日本らしさを感じます。ここで、合掌造りの鋭角的な屋根を意識に入れてもう一度掲句を読み直してみます。すると、平面的に広がっている青田が、読む者に向かって垂直的に迫ってきます。合掌の鋭角的な屋根と、稲の先鋭的な葉先が、天に向かって迫っています。絵画でいうなら、ビュッフェではなく、棟方志功でしょう。『馬の表札』(2014)所収。(小笠原高志)


July 0772014

 ヘッドホンのあはひに頭さみだるる

                           柳生正名

ッドホンというのだから、たしかに「あはひ(あいだ・間)」には「頭」がある。しかし私たちは普通、そこには「頭」ではなく「顔」があると認識している。だからわざわざ「頭」があると言われると、理屈はともかく、「え?」と思ってしまう。そしてこの人は、顔を見せずに頭を突きだしているのだろうと想像するのだ。つまり、ヘッドホンを付けて下うつむいている人を思い浮かべてしまうというわけだ。ヘッドホンからはどんな音楽が聞こえているのかはわからない。が、さながら「さみだれ」のように聞こえている音楽が、その人の周囲に降っている五月雨の音に、溶け込むように入り交じっているようである。そう受け取ると、おそらくは青年期にあるその人の鬱屈した心情が思われて、読者はしんと黙り込むしかないのであろう。『風媒』(2014)所収。(清水哲男)


July 0872014

 五十音の国に生まれて生きて鮎

                           宮崎斗士

名でも国名でも、なんでも五十音順に揃っていると意味もなくほっとする。学校などでも出席番号が名字の五十音順だったことから、今でも天野さんはいつも早く呼ばれて、中村さんは真ん中へん、渡辺さんはおしまいの方だったんだろうと、無意識のうちに五十音図をあてはめている。北原白秋の詩「五十音」は、「あめんぼ赤いな、あいうえお」から始まるが、あめんぼって黒いよね、などと疑問も持たずに覚えていた。いまや何にでも対応する五十音表の魚部門でいえば「鮎」はかなり上位である。掲句によって縄張り意識が強い魚であることも知られる鮎が、清流のなかでその名をいかにも誇らしげにすいすいと泳いでいる姿が浮かぶ。鮎は荒くれ、あいうえお、ではどうだろう。『そんな青』(2014)所収。(土肥あき子)


July 0972014

 羅や母に秘めごとひとつあり

                           矢野誠一

にだって秘めごとの一つや二つあるだろう。あっても不思議はない。家庭を仕切って来たお母さんにだって、長い年月のうちには秘めごとがあっても、むしろ当然のことかもしれない。しかも厚い着物ではなく、羅(うすもの)を着た母である。羅をすかして見えそうで見えない秘めごとは、子にとって気になって仕方があるまい。この場合、若い母だと生臭いことになるけれど、そうではなくて長年月を生きて来た母であろう。そのほうが「秘めごと」の意味がいっそう深くなってくる。母には「秘めごと」がたくさんあるわけではなく、「ひとつ」と詠んだところに惹かれる。評論家・矢野誠一は東京やなぎ句会に属し、俳号は徳三郎。昨年七月の例会で〈天〉を二つ獲得し、ダントツの高点を稼いだ句。同じ席で「麦めしや父の戦記を読みかへす」も〈天〉を一つ獲得した。披講後に、徳三郎は「父と母の悪事で句が出来ました」と言っている。同じ「羅」で〈天〉を一つ獲得した柳家小三治の句「羅や真砂女のあとに真砂女なし」も真砂女の名句「羅や人悲します恋をして」を踏まえて、みごと。『友ありてこそ、五・七・五』(2013)所載。(八木忠栄)


July 1072014

 夏に負けヨドバシカメラ店の前

                           瀬戸正洋

雨が明けるとどんどん暑くなる。げんなりする蒸し暑さ。夏に勝てるのは高校球児とサーファーぐらいだ。普段から元気のない中高年などは早々と夏に全面降伏するしかない。それが巨大な家電量販店ヨドバシカメラの前っていうのだからこの暑苦しさの増幅は凄い。都会を詠むならこのぐらいのインパクトがなければ、新宿や池袋の雑踏やアスファルトの照り返しによる暑苦しさは伝えられないだろう。固有名詞の取り込みは時代の俳句を詠む大事な柱の一つだと思う。「ヨドバシカメラ」がいつまで読み手にわかる言葉であるかわからないが、この濁音の多い固有名詞を取り込むことで現代の夏を伝える効果があれば十分ではないかと思う。『B』(2014)所収。(三宅やよい)


July 1172014

 来てすぐに気に入つてゐる避暑地かな

                           波多野爽波

者は避暑地がどんな場所であるか、一切、説明していない。描かれているのは、やってきた避暑地を気に入ったという心情だけである。考えてみれば、避暑地にやって来たら、気に入るか気に入らないか、選択肢は二者択一である。当たり前のことなのだが、読後は新鮮。「来てすぐに」の「すぐに」が微妙な味わいを出し、まるで子供のような無邪気な喜びようである。作者本人は意図していなかったかもしれない俳味が、この一句にはある。『骰子』(昭和61年)所収。(中岡毅雄)


July 1272014

 背泳の背のすべりゆく蒼き星

                           光部美千代

つて個人メドレーの日本記録を持っていたという知人と、スポーツジムのプールで遭遇したことがある。その時四十代であった彼はその歳なりの体型であったが、水に入った瞬間、これが同じ水かと思うほど水が彼を受け入れ、まさにすべるような流れるような滑らかさで、ほとんど手足を動かさないまま二十五メートルのプールを往復した。掲出句はその時の感動を思い出させる。あの背泳ぎならそのまま海へ、満天の星を仰ぎながらやがて海とひとつになりこの惑星の一部になってしまいそうだ。〈いつまでもてのひら濡れて蛍狩〉〈海底に火山の眠る夏銀河〉。ときに繊細にときに大胆に、惹きつけられる句の多いこの句集が遺句集とはあらためて残念に思う、合掌。『流砂』(2013)所収。(今井肖子)


July 1372014

 秘湯なり纏はる虻と戦つて

                           矢島渚男

の十年くらいで日帰り温泉が増えました。かつての健康ランドが格上げされた感じで、気軽に温泉気分を味わえるので重宝しています。しかし、掲句の秘湯はそんなたやすいものではありません。鉄道の駅からも、高速のインターからも相当時間のかかる奥地です。時間をかけて、知る人ぞ知る秘湯に辿り着いた感慨を「なり」で言い切っています。また、山あいの秘湯なら、樹木が放つ芳香につつまれながら湯を肌にしみ込ませる幸福な時を過ごしており、その感慨もあります。けれども、天然自然は、そうやすやすと人を安楽にはさせません。自らも生まれたままの姿になって自然に包まれるということは、自然の脅威におびやかされるということでもあります。ここからは、ヒトvsアブの戦いです。吸血昆虫の虻からすれば、人肌は一生に一度のごちそうです。本能の赴くまま右から左から、前から後ろから、戦闘機のように攻撃をしかけてきます。作者はそれを手で払い、湯をかけたりして応戦しているわけですが、のんびりゆっくり秘湯にくつろぐどころではありません。しかし、それを嫌悪しているのではなく、これもふくめて「秘湯なり」と言い切ります。秘湯で虻と戦う自身の滑稽を笑い、しかし、この野趣こそが秘湯であるという宣言です。なお、虻は春の季語ですが、句集の配列をみると前に「崖登る蛇や蛇腹をざらつかせ」、後に「蟻の列食糧の蟻担ひゆく」とあり、「蛇」「蟻」は夏なので、夏の季題として読みました。『百済野』(2007)所収。(小笠原高志)


July 1472014

 老人は青年の敵強き敵

                           筑紫磐井

書に「金子兜太」とある。ちょうどいま新刊の『語る 兜太ー我が俳句人生』(岩波書店)を読んでいるところで、この句を思い出した。水も滴るよい男(古いね)を指して「女の敵」と言うように、この句の「敵」は最高の賛辞である。人の褒め方にもいろいろあるが、「敵」という許せない存在も、レベルが上がってくると、許すどころか畏敬の対象にまで変化を遂げるのだ。この人のようになりたいとかなりたくないとかのレベルを超えて、「敵」はもはや、この句の範疇で言えば、「青年」の批評や批判の外に、あるいは憧憬や羨望の外に悠然と立っている。そして、こうした人物の存在はもとより希少である。それが「もとより」であることは、ちなみにこの前書を他の誰それに変更して読んでみると、はっきりわかるだろう。老人について書かれた最古の文章であるキケロの老人論に私たちが鼻白むのは、キケロがこの句を半ば一般論として押しつけようとしているからなのだ。『我が時代』(2014)所収。(清水哲男)


July 1572014

 言霊の力を信じ滝仰ぐ

                           杉田菜穂

辞苑には言霊(ことだま)は「言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた」と解説される。日本の美称でもある「言霊の幸ふ国」とは、言霊の霊妙な働きによって幸福をもたらす国であることを意味する。沈黙は金、言わぬが花などの慣用句も言葉とは聖にも邪にもなることから生まれたものだ。そして滝の語源はたぎつ(滾つ)からなり、水の激しさを表し、文字は流れ落ちる様子を竜にたとえたものだ。胸底にたたむ思いも、また波立つもののひとつである。さまざまな思いを胸に秘め滝を仰ぐ作者に、水の言霊はどのような姿を見せてるのだろうか。〈猫好きと犬好きと蟇好き〉〈ウエディングドレスのための白靴買ふ〉『砂の輝き』(2014)所収。(土肥あき子)


July 1672014

 浅草や買ひしばかりの夏帽子

                           川口松太郎

の日本人は、年間を通じて帽子をあまりかぶらない人種と言える。数年前に夏のシンガポールへ行った時も、日本以上に暑い日差しのなか帽子をかぶっている人の姿が少ないことに、どうして?と驚いた。(日本人に限ったことことではないか、と妙に納得した。)掲出句は浅草で買った夏帽子をかぶって、浅草を歩いているのではあるまい。そうではなくて、どこかの町で買ったばかりの夏帽子をかぶって、暑い日盛りの浅草へ遊びにでも出かけたのであろう。去年の夏もかぶっていた帽子ではなく、ことし「買ひしばかり」の夏帽子だから、張り切って意気揚々と浅草のにぎわいのなかへ出かけた。祭りなのかもしれない。帽子にも近年はいろいろとある。サハリ帽、パナマ帽、中折れ帽、アルペン帽、バンダナ帽、野球帽、麦わら帽……松太郎の時代、しかも浅草だから、高級な麦わら帽かパナマ帽なのかもしれない。いずれにせよ、新調した夏帽子をかぶって盛り場へ出かける時の高揚感は、時代を超えて格別である。松太郎には他に「秋晴の空目にしみる昼の酒」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)


July 1772014

 やわらかくきっぷちぎられ水族館

                           長岡裕一郎

季の句だが水族館の醸し出す雰囲気が涼しげで句の雰囲気が夏を思わせる。炎天を逃れて薄暗い館内に入ると明るい水槽では魚たちが自在に泳ぎ回っている。この頃は深さによって棲み分ける魚たちの生態も見られるように数十メーターの高さのある大きな水槽が設置された水族館も多く、水族館での楽しみ方も増えた。動物園や映画館など入口でちぎって渡される半券はどこも柔らかいように思うが、ひらがなの表記に続けて接続する「水族館」の「水」の効果で手の内で湿る半券のやわらかな感触が伝わってくる。人それぞれの思い出の中に水族館はあるだろうが、掲句を読んで、私は幼い頃よく行った須磨水族館を思った。窓の外には須磨の浜が広がっていた。今も海水浴客でにぎわっているだろうか。『花文字館』(2008)所収。(三宅やよい)


July 1872014

 巻尺を伸ばしてゆけば源五郎

                           波多野爽波

事現場だろうか。地面に巻尺を当てて伸ばしていったら、近くの池に源五郎がいたというのである。この句、描かれているものは、「巻尺」と「源五郎」だけだ。省略の効いた二物配合の句である。中七の「伸ばしてゆけば」は、動作の表現だけではなく、巻尺を伸ばしている時間をも感じさせる。それにしても、「巻尺」から「源五郎」へ飛躍するイマジネーションの柔軟なこと。意外性に溢れつつ、リアリティを失っていない作品である。『骰子』(昭和61年)所収。(中岡毅雄)


July 1972014

 伸びきつてゐたる暑さやタマの午後

                           高濱朋子

はタマ、の由来は様々あるらしいが現在は、庭付き平屋一戸建てに三世代のサザエさん一家同様かえって珍しい。それでも、白い猫を見て、タマ、の名前を思い浮かべる人はまだ多くいるだろう。あら、お前も暑そうねえ、とわずかな物陰に体を合わせるように身を横たえる猫に声をかける作者。そこでふと思いついた一句、猫、とせずに、タマ、とする遊び心がこの作者の持ち味の一つだ。おもしろさだけでなく、どこにでもいる白い猫のありさまを読み手が共有することは、連日の暑さをやれやれと思いつつも、日本らしい夏への愛着を共有することにつながっている。虚子の七番目の孫にあたる作者の第一句集、その名も『おそき船出に』(2014)所収。(今井肖子)


July 2072014

 夕立ちや小言もにぎる江戸かたぎ

                           小沢昭一

年前、惜しまれて逝去した俳優・小沢昭一の『俳句で綴る変哲半生記』(2012)所収です。序文に、「最初は俳句を口実に集まって、遊んでいるような心持ちでしたが、そのうちだんだん句作が面白くなってまいりました。それは、俳句を詠むことで、本当の自分と出会えることに気付いたからです。今までに詠んだ句を集めましたら、およそ四千にもなりました。改めて眺めてみますと、どの句にも『自分』というものがチラチラと出ているように思えます。特に『駄句』にこそ私らしさ が現れておりますので、あれこれ選ばず、恥ずかしながら詠んだ句全てを載せさせていただきました」。俳句を始めた昭和四十四年から、月順に配列されているので、タイトル通り、俳句で綴られた半生記です。掲句は平成九年七月の作。行きつけの店の外は夕立ちで、他に客が入ってくる気配もありません。主人の小言は、相変わらずわさびが利いて辛口です。にぎられたら即座に口にするのが江戸前のならい。主人がにぎった鮨を客の小沢はすぐに手にとり口にする。主人がにぎり客が手にとり口にする。あうんの呼吸で、これがテンポよくくり返されていたと想像します。主人は江戸っ子ですから、舌の切れ味がよい。浅草橋で売っている佃煮のような塩っ辛い味に親しんでいるからでしょう。夕立ちも、小言 も、にぎる手ぎわもそれぞれみな短くて、これもこの句が小気味よい理由です。なお、「夕立ちや」で切ることで、外界との遮断を表して、主人と客との距離がはっきりしてきます。(小笠原高志)


July 2172014

 喪に服す隣の庭の百日紅

                           宮本郁江

の句と同じ実景のなかにいたことがある。三年ほど前に、父と弟、そして母をたてつづけに失ったころのことだ。私の仕事場の窓からは、まさに隣の庭(正確には小さな児童公園)に「百日紅」が植わっていて、毎夏咲いている様子を楽しむことができる。真夏の暑さに耐え抜いて長期間咲く百日紅は、よく見ると一つ一つはそんなに強靭そうな花ではないのだが、咲いてかたまりになったところを見上げると、ふてぶてしいくらいに強そうに見える。作者が失った人は誰かはわからないけれど、「喪に服す」という決意のような言いきり方に、個人を偲ぶ気持ちの深さが感じられる。この世を去っていったかけがえのない命と、いまを盛りと咲き誇る花の命と……。嫌でもこの対比に心をとらわれざるを得ない作者の、戸惑いのなかにも自然の摂理を受容している一種茫とした感覚が読者にも染み入ってくるようだ。これをしも、自然の癒しの力と言うべきなのだろうか。わからない。『馬の表札』(2014)所収。(清水哲男)


July 2272014

 夏あざみ真昼間も星動きつつ

                           塩野谷仁

しい花に惹かれて伸ばした手に葉の鋭いとげが刺さることから、「欺(あざむ)く」が語源といわれるあざみ。夏のあざみは一層猛々しく茂る葉のなかで守られながら、愛らしい玉房飾りのような花を天に向かって開く。色彩も青紫、深紅など目を引くあざやかなものが多いが、それらはどれも華美というよりどこか悲しみをまとって咲いているように思われる。鋭いとげに守られたあざみの孤独が、青空の奥にしまいこまれた星を感じることで静かに伝わってくる。〈緑陰を出て緑陰に入り休日〉〈虹二重人影にひと追いつけず〉『私雨』(2014)所収。(土肥あき子)


July 2372014

 幽霊の形になっていく花火

                           高遠彩子

よいよ日本中、花火花火の季節である。花火のあがらない夏祭りは祭りではないのか、といったあんばいの今日このごろである。花火も近頃は色彩・かたち・音ともに開発されてきて、夜空は従来になく多様に彩られ、見物人を楽しませてくれるようになってきた。しかもコンピューター操作が普及しているから、インターバルが短く、途中で用足しするヒマもままならないほどだ。「幽霊の形」ということは、開いたあと尾を引くように長々としだれる、あの古典的花火の様子だろう。♪空いっぱいに広がった/しだれ柳が広がったーーという童謡が想起される。しかも「なっていく」という表現で、きらめきながら鮮やかにしだれていく経過が、そこに詠みこまれていることも見逃せない。この場合の「幽霊」は少しも陰気ではないし、「幽霊」と「花火」という言葉の取り合わせも意識されているようだ。彩子はユニークな声をもつ若いシンガーとして活躍しているが、たいへんな蕎麦通でもある。『蕎麦こい日記』という著書があるほどで、時間を惜しんで今日も明日も各地の蕎麦屋の暖簾をくぐっている。他に「生くるのも死ぬるも同じ墓参り」がある。「かいぶつ句会」所属。『全季俳句歳時記』(2013)所載。(八木忠栄)


July 2472014

 どの部屋に行つても暇や夏休み

                           西村麒麟

い昔に味わった夏休みの退屈さが実感を持って思い出される句。毎日毎日、窮屈な学校から解放されて朝寝はし放題。漫画を読もうが朝から家を飛び出して遊びに行こうが、テレビを見ようが好きにしていい天国のような生活も二,三日たてば飽きてくる。子供の出来ることなんて限られている。朝ご飯を食べたらする事もないので二階に上がってみたり、座敷で寝転んでみたり。部屋を変えてみても暇なことに変わりはなく、午後の時間は永遠かと思えるほど。掲句を読んで、子供の頃嬉しいはずの夏休みがだんだんつまらなくなってゆく漠然とした不満を言い当てられたら気がした。季節の巡りは螺旋を描いて毎年やってくる。遠い日の自分の中の名付けがたい感情をすくい取って俳句にする。その細やかな視線に共感した。『鶉』(2013)所収。(三宅やよい)


July 2572014

 老人よどこも網戸にしてひとり

                           波多野爽波

は老いる。必ず、老いる。そして、老いはしばしば孤独を伴うものである。配偶者が亡くなり、子供も訪ねてくることなく、日々、一人で生活せざるを得ない場合もある。爽波がここで描いた老人も、また、ひとりである。「老人よ」の呼びかけが、作者の老人への共感を表している。どこも、網戸にしてというのは、涼しげなイメージを浮かべるかも知れないが、ここでは、窓やガラス戸など、家の内と外とを隔てている境界を出来る限り取り外し、網戸によって外界に繋がろうとする、老人の意識下の願望が感じられる。そして、下五の「ひとり」という呟きのような結び。爽波の句で、「老い」の心境を詠んだ句は、ほとんど見られない。それだけに、心に残る一句である。『一筆』(平成2年)所収。(中岡毅雄)


July 2672014

 道路鏡の中の百日百日紅

                           阿部正調

々車で通る道が、ある時百日紅の並木道になった。花が咲いていないときは気づかなかったが真夏、久しぶりに通ってびっくり、どうしてこんな暑苦しい並木道にしようと思ったのだろう、と驚いてから、いや待てよピンクや白の花の房が風に揺れて涼しげだと思う人もいるのかも、と思い直した。そのものに対する記憶が固定概念になっていることは花に限らずある。子どもの頃住んでいた家の前になだれるようにたくさんの百日紅が毎年咲いて、あのやや濃いめのピンクは暑さの象徴だった。いつ見てもたくさん咲いていてついやれやれと思ってしまう。そんな百日紅を夏の間中映し続けるカーブミラーが作者の身近にあるのだろう。来る日も来る日も、丸い凸面鏡いっぱいにピンクの花が映っている。本来は死角にあってこのミラーが無ければ目に留まることも無いこの花を親しく思っているか、暑苦しく思っているかは作者の記憶次第だが、百日紅の花はカーブミラーに不思議と似合う。『土地勘』(2014)所収。(今井肖子)


July 2772014

 古書店を出でて青葉に染まりたり

                           波多野完治

者は、御茶ノ水女子大で学長を務めた心理学者。俳句を始めたのは八十歳を過ぎてからで、あとがきには、「生涯教育の時代は、生徒が先生を選べる時代である。だから、ゆっくりさがせば、自分に合った先生は必ず見つかる」と、自身の経験を語っています。一高では小林秀雄と同級だっただけあり、掲句もふくめて句集には、教養主義の香りが所々に立ちこめています。例えば、「青嵐ツァラトゥストラの現れむ」「明け易し老いて読み継ぐ三銃士」「雹(ひさめ)ふりページ小暗き山居かな」「短夜やメルロー・ポンティ終了す」。掲句は作者にとって、学生時代から老齢に至るまで変わらない夏の出来事だったのでしょう。場所はたぶん、神田神保町。旧制高校を経験した世代にとって古書店は、未来の自我に出会える場です。だから、いったん店内に入ったら、書棚の隅から隅まで目を配り、貪欲な嗅覚を発揮して店内を渉猟します。やがて、知的欲求と懐具合とを勘案して、数冊を抱えて店内を出ます。その時、古書店という観念の森に繁る言の葉に置いていた作者の身は、現実の青葉に染まり始めて、夏の最中へと還俗していきました。他に、「草田男の初版に出会ひ炎天下」。『老いのうぶ声』(1997)所収。(小笠原高志)


July 2872014

 皆遠し相撲取草を結ばずに

                           矢島渚男

いていの人は「相撲取草」の名前も知らないし、知ろうともしないと思うが、この草は茎が強靭なので、昔の子供たちはこの茎を輪のように結んでお互いに引っ張り合い、勝負を競ったものだ。ある程度の年齢以上の人たちにとっては、そぞろ郷愁を誘われる雑草である。いまではすっかりこの遊びもすたれてしまい、もう子供ではない作者も、この草を結ばなくなってから久しい。炎天下に逞しく生えている相撲取草を眺めるともなく眺めていると、小さかったころいっしょに相撲取草で遊んだともがらや、往時のあれこれの出来事などが思い出されて、茫々の感にとらわれてゆく。何もかもが遠くなってしまった……。この一種のセンチメンタリズムは、私などには好もしい。それはおそらく、夏という季節の持ついわば「滅びの予感」から来るのだと思う。四季のなかでもっとも活性的な夏はまた、同時に滅びへの予感に満ちている。盛夏と言ったりするが、盛夏にはもはや明日はない。盛りの一瞬一瞬は、滅びへの道程だけだ。そしてこの道筋は、私たちの人生のそれにも重なってくる。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)


July 2972014

 あっちこっち「う」の字が泳ぐうなぎの日

                           山本直一

日土用丑。ここ数年鰻の稚魚が不漁のため価格高騰が続いたが、今年は豊漁という嬉しいニュースがあった。掲句の「う」はもちろんうなぎ屋の店先に掛かる暖簾に描かれたうなぎの「う」。デザイン化されたものはみごとな鰭や尾までついている。やはり日本の暑気払いにはこれでしょう、とばかりに紺地の暖簾に白抜きの「う」の字が涼やかに客足を招いている。というわけで今年こそいざいざ、と胸を踊らせていたところだが、先月ニホンウナギが絶滅危惧種としてレッドリスト改訂版に記載されたことが報じられた。鯰も蒲焼きにすれば同じような味だという。そうかもしれない。自然保護も大切である。ああしかし、それでもやっぱり……と、鰻食いの筆者にとって、今年はなおさら「う」の字の尻尾があっちこっちに跳ねて見える。『鳥打帽』(2014)所収。(土肥あき子)


July 3072014

 にはたづみ夕焼雲を捉へたり

                           鈴木 漠

焼雲は夏に限ったものではない。けれども、殊に夏のそれはダイナミックでみごとに感じられるところから、「夕焼」「大夕焼」とともに夏の季語とされる。「にはたづみ(潦)」は俳句でよく詠われる。降った雨が地上にたまって流れる、その水のことで、古くは「庭只海」とされていたというから、情趣のある日本語である。あんなさりげない流れ水を「……海」ととらえたところに、日本人ならではの感性が感じられる。夕焼雲をとらえた「潦」を詠んだ掲出句は、繊細でありながら天地の景をとらえた大きな句である。夏の雨あがりの気分には格別なものがある。両者はそれぞれ、天空と地上にあって別のものである。それを作者はみごと有機的に繋いでみせた。作者が中心になって連句をつづけている「海市の会」があって、その座で巻いた歌仙の一つ「潦の巻」(2010年8月首尾)の発句である。ちなみにこの発句につづく脇句は「タヲルをするり逃げる裸子」(士郎)と受けている。漠は他の歌仙(塚本邦雄追悼)の発句の一つを「初夏や僅(はつ)かも疾(と)くに折見草(おりみぐさ)」としている。ここには「つかもとくにお」が詠みこまれている。連句集『轣轆帖』(2011)所収。(八木忠栄)


July 3172014

 家族とは濡れし水着の一緒くた

                           小池康生

かに。もう行くことはなくなったけど家族で海水浴やプールに出かけてぐしょぐしょになった水着を一緒くたにビニール袋に入れて持ち帰った。からんだ水着をほぐして洗濯機に入れて洗うのが主婦である私の仕事だった。びしょぬれになった水着の絡まり具合は「家族」と定義するのにふさわしい。家族の間で交錯する感情の絡みとごたごたを象徴していると言ってもいい。物々しい出だしに対して「一緒くた」とくだけた物言いで収めたことで句の親近感がぐっと増す。一緒くたになった水着を一枚ずつほぐして洗い、洗い上がった水着を形を整えながら干してゆくこと。遠い夏の日には何とも思わなかった作業が、水の匂いと共に懐かしく思い出される。『旧の渚』(2012)所収。(三宅やよい)




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