高校野球地方予選、ほぼ終了。甲子園での期待高まる。(哲




2014N730句(前日までの二句を含む)

July 3072014

 にはたづみ夕焼雲を捉へたり

                           鈴木 漠

焼雲は夏に限ったものではない。けれども、殊に夏のそれはダイナミックでみごとに感じられるところから、「夕焼」「大夕焼」とともに夏の季語とされる。「にはたづみ(潦)」は俳句でよく詠われる。降った雨が地上にたまって流れる、その水のことで、古くは「庭只海」とされていたというから、情趣のある日本語である。あんなさりげない流れ水を「……海」ととらえたところに、日本人ならではの感性が感じられる。夕焼雲をとらえた「潦」を詠んだ掲出句は、繊細でありながら天地の景をとらえた大きな句である。夏の雨あがりの気分には格別なものがある。両者はそれぞれ、天空と地上にあって別のものである。それを作者はみごと有機的に繋いでみせた。作者が中心になって連句をつづけている「海市の会」があって、その座で巻いた歌仙の一つ「潦の巻」(2010年8月首尾)の発句である。ちなみにこの発句につづく脇句は「タヲルをするり逃げる裸子」(士郎)と受けている。漠は他の歌仙(塚本邦雄追悼)の発句の一つを「初夏や僅(はつ)かも疾(と)くに折見草(おりみぐさ)」としている。ここには「つかもとくにお」が詠みこまれている。連句集『轣轆帖』(2011)所収。(八木忠栄)


July 2972014

 あっちこっち「う」の字が泳ぐうなぎの日

                           山本直一

日土用丑。ここ数年鰻の稚魚が不漁のため価格高騰が続いたが、今年は豊漁という嬉しいニュースがあった。掲句の「う」はもちろんうなぎ屋の店先に掛かる暖簾に描かれたうなぎの「う」。デザイン化されたものはみごとな鰭や尾までついている。やはり日本の暑気払いにはこれでしょう、とばかりに紺地の暖簾に白抜きの「う」の字が涼やかに客足を招いている。というわけで今年こそいざいざ、と胸を踊らせていたところだが、先月ニホンウナギが絶滅危惧種としてレッドリスト改訂版に記載されたことが報じられた。鯰も蒲焼きにすれば同じような味だという。そうかもしれない。自然保護も大切である。ああしかし、それでもやっぱり……と、鰻食いの筆者にとって、今年はなおさら「う」の字の尻尾があっちこっちに跳ねて見える。『鳥打帽』(2014)所収。(土肥あき子)


July 2872014

 皆遠し相撲取草を結ばずに

                           矢島渚男

いていの人は「相撲取草」の名前も知らないし、知ろうともしないと思うが、この草は茎が強靭なので、昔の子供たちはこの茎を輪のように結んでお互いに引っ張り合い、勝負を競ったものだ。ある程度の年齢以上の人たちにとっては、そぞろ郷愁を誘われる雑草である。いまではすっかりこの遊びもすたれてしまい、もう子供ではない作者も、この草を結ばなくなってから久しい。炎天下に逞しく生えている相撲取草を眺めるともなく眺めていると、小さかったころいっしょに相撲取草で遊んだともがらや、往時のあれこれの出来事などが思い出されて、茫々の感にとらわれてゆく。何もかもが遠くなってしまった……。この一種のセンチメンタリズムは、私などには好もしい。それはおそらく、夏という季節の持ついわば「滅びの予感」から来るのだと思う。四季のなかでもっとも活性的な夏はまた、同時に滅びへの予感に満ちている。盛夏と言ったりするが、盛夏にはもはや明日はない。盛りの一瞬一瞬は、滅びへの道程だけだ。そしてこの道筋は、私たちの人生のそれにも重なってくる。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)




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