清水昶『俳句航海日誌』が日本一行詩協会賞特別賞受賞とのこと。(哲




2014N731句(前日までの二句を含む)

July 3172014

 家族とは濡れし水着の一緒くた

                           小池康生

かに。もう行くことはなくなったけど家族で海水浴やプールに出かけてぐしょぐしょになった水着を一緒くたにビニール袋に入れて持ち帰った。からんだ水着をほぐして洗濯機に入れて洗うのが主婦である私の仕事だった。びしょぬれになった水着の絡まり具合は「家族」と定義するのにふさわしい。家族の間で交錯する感情の絡みとごたごたを象徴していると言ってもいい。物々しい出だしに対して「一緒くた」とくだけた物言いで収めたことで句の親近感がぐっと増す。一緒くたになった水着を一枚ずつほぐして洗い、洗い上がった水着を形を整えながら干してゆくこと。遠い夏の日には何とも思わなかった作業が、水の匂いと共に懐かしく思い出される。『旧の渚』(2012)所収。(三宅やよい)


July 3072014

 にはたづみ夕焼雲を捉へたり

                           鈴木 漠

焼雲は夏に限ったものではない。けれども、殊に夏のそれはダイナミックでみごとに感じられるところから、「夕焼」「大夕焼」とともに夏の季語とされる。「にはたづみ(潦)」は俳句でよく詠われる。降った雨が地上にたまって流れる、その水のことで、古くは「庭只海」とされていたというから、情趣のある日本語である。あんなさりげない流れ水を「……海」ととらえたところに、日本人ならではの感性が感じられる。夕焼雲をとらえた「潦」を詠んだ掲出句は、繊細でありながら天地の景をとらえた大きな句である。夏の雨あがりの気分には格別なものがある。両者はそれぞれ、天空と地上にあって別のものである。それを作者はみごと有機的に繋いでみせた。作者が中心になって連句をつづけている「海市の会」があって、その座で巻いた歌仙の一つ「潦の巻」(2010年8月首尾)の発句である。ちなみにこの発句につづく脇句は「タヲルをするり逃げる裸子」(士郎)と受けている。漠は他の歌仙(塚本邦雄追悼)の発句の一つを「初夏や僅(はつ)かも疾(と)くに折見草(おりみぐさ)」としている。ここには「つかもとくにお」が詠みこまれている。連句集『轣轆帖』(2011)所収。(八木忠栄)


July 2972014

 あっちこっち「う」の字が泳ぐうなぎの日

                           山本直一

日土用丑。ここ数年鰻の稚魚が不漁のため価格高騰が続いたが、今年は豊漁という嬉しいニュースがあった。掲句の「う」はもちろんうなぎ屋の店先に掛かる暖簾に描かれたうなぎの「う」。デザイン化されたものはみごとな鰭や尾までついている。やはり日本の暑気払いにはこれでしょう、とばかりに紺地の暖簾に白抜きの「う」の字が涼やかに客足を招いている。というわけで今年こそいざいざ、と胸を踊らせていたところだが、先月ニホンウナギが絶滅危惧種としてレッドリスト改訂版に記載されたことが報じられた。鯰も蒲焼きにすれば同じような味だという。そうかもしれない。自然保護も大切である。ああしかし、それでもやっぱり……と、鰻食いの筆者にとって、今年はなおさら「う」の字の尻尾があっちこっちに跳ねて見える。『鳥打帽』(2014)所収。(土肥あき子)




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