2014N8句

August 0182014

 葭切や渡船で嫁に来しといふ

                           山本あかね

切は大小の2種がいてオオヨシキリ(全長18cm程度)とコヨシキリ(全長13cm程度)に区別される。オオヨシキリは、その複雑な囀りの中に「ギョウギョウシ、ギョウギョウシ」と聞きなせるため漢字で「行々子」と言われ俳人歌人の好むところである。また好んで葦原に棲むことからアシキリ、そのアシ(悪し)のゲンをかついで(良し)ヨシキリになったとも言われている。両鳥は混ざることなく葭原の内部と外周部で棲み分けをしている。昔交通網も発達しない頃には水路の方が便利でこの葭原を縫って嫁入り道具を満載して嫁ぐ風習の地域が各所にあったという。ひょっとすると花嫁には「ギョウギヨクシ(行儀良くし)、ギョウギヨクシ」と聞こえていたかも知れない。のんびりとした水郷の中に何か忙しげな鳴き声に耳を澄ませば、命の出し惜しみなんぞするもんかとも教えられる。『大手門』(2007)所収。(藤嶋 務)


August 0282014

 風鈴を鳴らさぬやうに仕舞ひけり

                           齋藤朝比古

ょっとした瞬間の心理である。風鈴をはずして、別に鳴っても構わないのだけれどなんとなく、鳴らさないようにそっとしまうのだ。昔は、歩いていてどこからか風鈴が聞こえてくることもあったし、祖母の部屋の窓辺には風鈴付きの釣忍が吊るしてあったが、そういえば最近はほとんど聞くことがない。確かにこの暑さだと、日中は窓を閉め切ってクーラーをつけて過ごすから風鈴の出番がないのかもしれない。同じ作者に<風鈴の鳴りて遠心力すこし >。作者のように、せめて夕風のふれる風鈴の音色を楽しむ余裕がほしいなと思いながら、遠い記憶の中の風鈴を聞いている。『塁日』(2013)所収。(今井肖子)


August 0382014

 雲は王冠詩をたづねゆく夏の空

                           仙田洋子

者は、稜線を歩いているのでしょう。標高の高い所から、雲を王冠のように戴いている山を、やや上に仰ぎ見ているように思われます。「雲は王冠」の一言で詩に出会えていますが、夏の空にもっともっとそれをたづねてゆきたい、そんな、詩を求める心がつたわります。句集では、掲句の前に「恋せよと夏うぐひすに囃されし」、後に「夏嶺ゆき恋する力かぎりなし」があり、詩をたづねる心と恋する力が仙田洋子という一つの場所から発生し、それを率直に俳句にする業が清々しいです。また、「橋のあなたに橋ある空の遠花火」「国後(クナシリ)を遥かに昆布干しにけり」といった、彼方をみつめる遠い眼差しの句がある一方で、「わが胸に蟷螂とまる逢ひに行く」「逢ふときは目をそらさずにマスクとる」「雷鳴の真只中で愛しあふ」といった、近い対象にも率直に対峙する潔い句が少なくありません。詩に対する、恋に対する真剣さが、瑞々しさとして届いています。ほかに、「踏みならす虹の音階誕生日」。『仙田洋子集』(2004)所収。(小笠原高志)


August 0482014

 蝉時雨何も持たない人へ降る

                           吉村毬子

ま蝉時雨に降りこめられた格好で、これを書いている。午後一時半。気温は33度。先ほどまで35度を越えていた。何度か読んで、この句は二通りに解釈できると思った。一つは全体をスケッチのように捉えて、文字通りに何も持たない手ぶらの人が、激しい蝉時雨のなかで、暑さにあえいでいる図。しかしこの人は、あえいではいるけれど、へこたれてはいない。暑さをいずれはしのいでやろうという心根がかいま見える。もう一つの解釈は、何も持たないことを比喩的に捉えて、たとえば資産的にもゼロの状態にあり、血縁などももはや無し。世間とはほとんど無縁というか孤立状態に追い込まれていて、少し普遍化してみれば、この状態は多くの老人のそれといってよいだろう。そんな老人に、もはや蝉時雨に抗する元気はない。真夏の真昼どき、蝉時雨に追い立てられるようにして歩いていく。それを見ている作者のまなざしには、憐憫ではなくてむしろ愛惜に近い情がこもっている。誰にとっても、明日は我が身なのである。『手毬唄』(2014)所収。(清水哲男)


August 0582014

 天国は駅かもしれず夏帽子

                           阿部知代

くなった方を悼むとき、残された者の悲しみより前に、病や老いの苦しみから解放されたことに安堵したいと思う。自由になった魂の行方を思うと、少しだけ気持ちが明るくなる。天国とは、死ののちの出発点でもある。そこからさまざまな行き先を選び、もっとも落ち着く場所へと扉が開かれることを思い、作者はまるで駅のようだと考える。仰々しい門のなかの最後の審判や、三途の川の向こうの閻魔様の裁きなどとは無縁の軽やかだった人の死に、駅とはなんとふさわしい場所だろう。何も言わず長い旅に出てしまった人に向けて明るく夏帽子を振ってみる。前書に悼九条今日子。改札には夫であった寺山修司が迎えに来ていたかもしれない。「かいぶつ句集」(2014年6月・第77号)所載。(土肥あき子)


August 0682014

 麦飯の熱(ねつ)さめがたき大暑かな

                           宮澤賢治

ろろめしには麦飯がふさわしい。麦とろ。近年では、麦飯はヘルシーなレシピとして好まれるケースが多い。賢治の場合はその時代からしてヘルシーどころか、やむを得ず米に麦を混ぜた麦飯であろう。凶作の年は、稗や粟も米に混ぜたし、大根めしもあった。凶作の東北では珍しいことではなかった。この国では産米が余って、近年は減反政策がしばらく実施されて来たのだが、今になってそれを見直すのだという。この国の農業政策の無為無策ぶりは相変わらずである。さて、「大暑」は本来7月22日頃の酷暑をさす二十四節気の一つだが、このところの連日の暑さにあきれて、今回は少々遅れて賢治句に登場ねがった。暑いときだから炊きたての麦飯ではたまらない。冷まして漬物でさっさと食べたいのだろうが、団扇で暑さに耐えながらしばし待っているといった図か。賢治が実際に遭遇した光景かもしれない。実感がこめられている。当方もふところが淋しいときには、麦飯によるとろろめし。それに佃煮か焼いた丸干をかじる素朴な麦とろは、安値ながらも妙に心が落ち着いたものである。賢治の俳句は少ないけれど、「目刺焼く宿りや雨の花冷に」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


August 0782014

 原爆忌テレビ終れば終るなり

                           柳沼新次

年八月六日になればテレビで広島での原爆死没者慰霊式の様子が放映される。献花の後に8時15分原爆投下時の黙祷、平和宣言などが続く。原爆投下直後の街の凄まじさについて被爆者である義父はあまり語らなかった。瀕死の妻を抱えて命からがら脱出した土地で傷を養い、ゆっくり回復していったようだ。当時新型爆弾と呼ばれ、放射能の影響がよくわかっていない中で様々な憶測や流言飛語が乱れ飛んだだろう。そのさなかに避難してきた被爆者を介護した広島周辺の人々と、爆心地へ救助に入った人たちの勇気を合わせて思う。慰霊式の中継が終われば普段の番組が始まり、見る側の私たちも日常に戻ってしまう。「終れば終るなり」と強い断定で言い切ったことで、そのあとの余白にあの日起こったことが今も持続していることを強く感じさせる。八月九日には長崎原爆犠牲者慰霊の日を迎える。無慈悲に人を破壊するのも、傷ついた人を助けるのも人間である事実を忘れたくはない。『無事』(2013)所収。(三宅やよい)


August 0882014

 筒鳥に涙あふれて失語症

                           相馬遷子

鳥は郭公や時鳥に似た姿態で「ポポ、ポポッ」と筒を打った様な声で鳴く。夏鳥として九州以北の山地の林に渡来し、秋は平地の桜の木の毛虫をよく食べに来る。ウグイス科のセンダイムシクイという鳥の巣に自分の卵を託して雛を孵してもらう。仲間の郭公、時鳥なども自分では巣を作らないで他の鳥の巣に卵を産み込み雛を育てさせる。これを託卵という。母は子を知らず子は母を知らない。人には感情の起伏があり喜怒哀楽がある。たかがテレビドラマの世界に貰い泣きする老いの日々もある。作者は今何か感情の高まった拍子に聞こえた「ポポ、ポポッ」という淋しい声が引き金になり、思わずも頬に涙を溢れさせている。感極まって言葉を失し絶句状態になるときがあるが病名をつければ失語症といったところ。失語症ながらも眼が何かを訴えている。目は口ほどに物を言う。瞳ほど雄弁なものはない、まして涙は。『雪嶺』(1969)所収。(藤嶋 務)


August 0982014

 原爆忌乾けば棘を持つタオル

                           横山房子

日の猛暑に冬籠りならぬ夏籠りのような日々を送っているうち暦の上では秋が立ち、そしてこの日が巡って来る。一度だけでもありえないのになぜ二度も、という思いと共に迎える八月九日。八月六日を疎開先の松山で目撃した母は、その時咲いていた夾竹桃の花が今でも嫌いだと言うが、八月の暑さと共にその記憶が体にしみついているのだろう。この句の作者は小倉在住であったという。炎天下に干して乾ききったタオルを取り入れようとつかんだ時、ごわっと鈍い痛みにも似た感触を覚える。本来はやわらかいタオルに、棘、を感じた時その感触は、心の奥底のやりきれない悲しみや怒りを呼び起こす。夫の横山白虹には<原爆の地に直立のアマリリス >がある。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


August 1082014

 尺取虫一尺二尺歩み行く

                           小林 凛

の夏、長野の山中で尺取り虫を見ました。登山口に置かれた木の机の上を、「く」の字「一」の字を繰り返し「歩行」するのですが、5cmほどの体長の全身を使って「歩行」するのであんがい速く、縦横1m程の机を5分程で一周するスピードでした。二周目に入って、この周回を延々と続けるのかと思っていたら、四隅の角から糸を垂らして見事地面に着地。自然界へと回帰していきました。掲句は、凛くんが11歳の時の作。句の直後に、「いじめられて学校を休んでいます。道で尺取り虫に出会いました。人生あせらずゆっくり行こうと思いました。」とあります。この句には「尺」の字を三度使って、その歩みを視覚化する工夫もあるようです。同じく11歳の作に「蟻の道シルクロードのごとつづく」「おお蟻よお前らの国いじめなし」「蟻の道ゆく先何があるのやら」。凛くんは、体が小さく生まれたせいで、小学校一年から五年までいじめの標的になります。そんな時、野山に出て俳句を作りました。凛くんにとって不登校を選んだことは、学校の四角い教室からの脱出であったと同時に、自然へと回帰していくことでもあったのでしょう。人間が作った教室という枠組よりもずっと広い、尺取り虫や蟻の道ゆく世界に接近し、そこに参加させてもらって、自身の居場所を俳句を作ることによって獲得していった。そんな、生きものとしての強さを物語っています。凛くんの眼は、接写レンズのように対象をくっきりとらえ、それを伝えています。8歳の作に「大きな葉ゆらし雨乞い蝸牛」。句の直後に「登校途中、大きな葉に蝸牛がはっているのを見て詠みました。」とあります。『ランドセル俳人の五・七・五』(2013)所収。(小笠原高志)


August 1182014

 島の子のみんな出てゐる夜店かな

                           矢島渚男

の「島」を「村」に替えれば、そのまま私の子供時代の光景になる。バスも通わぬ村だったから、陸の孤島という比喩があるように、村はすなわち島のようなものだった。むろん映画館もなければ、本屋すらなかった。そんな環境だったので、娯楽といえば年に一度の村祭くらいしかなく、わずかな小遣いを握りしめて、夜店をのぞいてまわるのが楽しみだった。夜店で毎年買いたいと思ったのは、ゴム袋に水を入れる様式のヨーヨーだったけれど、買えるほどの小遣いはもらえなかった。どんなにそれが欲しかったか。大人になってから、ヨーヨー欲しさだけで町内の侘びしい祭に出かけていったほどである。いまは知らないけれど、そのころ夜店を出していたのは旅回りの香具師たちだった。なにしろ日ごろは、村人以外の人を見かけるとすれば総選挙のときくらいだったから、点々と店を張っている香具師たちの姿は、ともかくも新鮮だった。夜店は決して大げさではなく、年に一度の異文化との交流の場だったのである。ヨーヨーばかりではなく飴玉一個煎餅一枚にしても、西洋からの輸入品のように輝いて見えていたのだった。『翼の上に』(1999)所収。(清水哲男)


August 1282014

 指の力殺してブルーベリー摘む

                           平石和美

本で本格的な栽培が始まったから30年余り、栄養価の高い健康食品として、またジャムや菓子などの材料として定着したブルーベリー。いまや、農園での収穫体験や、家庭の庭木にも栽培されることから、手軽にその果実を手にすることができる。ブルーベリーは蔓性の植物で、果実は木苺と同じように指先で触れればたやすく萼から離れる。息や気配など、感情を努力して押さえる意味で使われる「殺す」を、掲句では指先の微妙な力加減で使用しているが、やはり一読ぎょっとさせる効果がある。ブルーベリーの果実のやわらかさゆえのあやうさが表現され、力を込めてしまいたくなる相反する気持ちがどこかで芽生えていることも感じさせる。〈顎引いて蝗もつともらしき貌〉〈縞馬の鬣の縞秋うらら〉『蜜豆』(2014)所収。(土肥あき子)


August 1382014

 茗荷食み亡き友の癖思い出す

                           辻井 喬

マのまま刻んで薬味によし、味噌汁に入れて茗荷汁よし、天ぷらでよし、酢漬けでよしーー茗荷は重宝でうれしい野趣あふれた山菜である。屋敷のあちこちや山野へ出かけ、時季になると袋一杯に茗荷を採ってあるくことが、子どものころから私は好きだった。あの茶色なつややかさ、ぽってりとした茎が薄黄色の花をつける。子どもの頃うちではたくさん採れると、蒸かして芥子醤油でたんまり食べたり、味噌漬けにしたりした。晩夏に出る秋茗荷(花茗荷)は、花が出はじめる前が食べごろ。「その花、開かざるのとき、採りて食す」(『滑稽雑談』)と言われる通りである。あの独特の風味は何とも言えずうれしい。春にのびる茗荷竹もちがったおいしさがあった。「人はなくて七癖、あって四十八癖」と言われるが、この句の場合「亡き友」には、いったいどんな癖があったのだろうか? その友はおそらく茗荷が好きだったにちがいない。喬には『故なくかなし』『命あまさず』など、俳句小説もあった。自ら俳句も少々たしなんで、平井照敏主宰の「山の上句会」に忙しい合間をぬって参加したりもした。喬は惜しまれつつ昨年「亡き」人となってしまった。彼岸で時折、五七五の指を折ったりしておいでだろうか。日野草城の句に「人知れぬ花いとなめる茗荷かな」がある。「翡翠」389号(2014)所載。(八木忠栄)


August 1482014

 吾輩にやあと海水浴の客

                           田辺須野

年は漱石が『こころ』の連載を始めて100年目の記念の年だそうで、朝日新聞に再連載されている『こころ』を読むことから一日が始まる。7月19日には船団の会主催で『東京漱石百句』フォーラムが東京神楽坂で行われた。漱石にまつわる一句も同時に募集し、漱石の作品の題やエピソードを詠みこんだ句が多数披露された。掲載句も『こころ』の冒頭で主人公が先生と出会う鎌倉の海岸の場面を思い起こされる。先生が「やあ」と片手をあげて合図する姿と「吾輩は猫である」の「にやあ」が読み方によって浮上してくる。現実の場面が物語世界の言葉を織り込むことで膨らみを増す、その重層性は読み手側にも共通知識があってこそ理解される。そんな俳句世界が芭蕉の時代からあった。身近なことを題材に詠む俳句と並行して、このような試みがどんどん句集に織り込まれても面白いのではと思う。『こきくくるくれこよ』(2014)所収。(三宅やよい)


August 1582014

 鳥が鳥追い払ひたる茂りかな

                           望月 周

語は「茂り」で夏。小鳥来る秋の前である。小鳥達にとって子育ての最中だろうか縄張りの茂りを必死で防衛中である。縄張りといえば鳥に限らず魚の鮎なども知られている。植物も群生という事があるからひょっとすると生きるものは多かれ少なかれ縄張りを持つのかも知れない。縄張りはそれを守る戦いによって実現している。生物である人間もまた国家という縄張りを持つ。平和を祈りつつも地球上に縄張りを守る紛争が絶えた試しはない。何か哀しい気もするが人はこうした哀しい性からは免れられないのだろう。それでもこの水の惑星に愛しい命を輝かせている。今日は終戦記念日。俳誌「百鳥」(2013年10月号)所載。(藤嶋 務)


August 1682014

 上層部の命令にして西瓜割

                           筑紫磐井

西瓜割、そういえば一度もやったことがないので、あらためて想像してみる。目隠しされてやや目が回った状態で、周りの声を頼りに西瓜に近づき、棒を思いきり振りおろして西瓜を割るというか叩き潰す。場合によっては見当違いの方に誘導され、空振りしている姿をはやされたり、それはそれで余興としては盛り上がるのだろうが、割れた後の西瓜の砕けた赤い果肉と同様ちょっと残酷、などと思っていたら、西瓜割協会なるものがあり、西瓜に親しむイベントとして西瓜の産地を中心に競技会が開催されているらしい。消費量と共に生産量の減少している西瓜に親しむことが目的というが、そうなると西瓜割の危うさや残酷さは無くなる。重たい西瓜を用意するのも後始末をするのも命令された方であり、思いきり棒を振りおろす瞬間によぎる何かが怖い。『我が時代』(2014)所収。(今井肖子)


August 1782014

 秋立つやひたと黒石打ちおろす

                           安部孝一郎

秋から十日経ちましたが暑いですね。日本は太陽暦、太陰暦、太古の暦が重なっているので、季語と季節にずれが生じることも少なくありません。おしゃれに気づかう人が季節を先取りするように、歳時記にもそんなしゃれたところがあろうかと思います。まだまだ猛暑は続きそうですが、言葉のうえでは秋を先取りしようと思います。掲句は「秋立つや」で切れています。暦の上で秋になった感慨であり、まだ暑さが残る中で立秋を迎えることにちょっとした違和感があるのかもしれません。また、この切れ字には屋外と室内を仕切るはたらきもありそうです。畳の上にはいまだ何も置かれていない碁盤。その隅に、第一着の黒石を打ちおろす。この一手が、秋の始まりと呼応します。この時、黒石はどのような手つきで置かれ、どのような音をたてたのでしょうか。それは、「ひたと」打ちおろされたのです。『広辞苑』では「ひたひた」を「ひた(直)」の畳語。ぴったり。すみやか。『日本語大辞典』では、波などが物に当たる音と説明しています。これをもとに碁石の置かれ方を想像すると、黒石は、碁盤の目(たとえば隅の星)に、すみやかに打ちおろされてぴったり置かれ静かな音をたてたものと思われます。盤上にかすかなさざ波が立つように、秋が始まりました。現在、囲碁碁聖戦五番勝負が進行中。井山六冠は平成生まれです。『四重奏』(1993)所収。(小笠原高志)


August 1882014

 水を出しものしづまりぬ赤のまま

                           矢島渚男

リラ豪雨というそうだが、この夏も各地が激しい雨に見舞われた。山口県の私の故郷にも大量の雨が降り、思いがけぬ故郷の光景をテレビで眺めることになったのだった。ただテレビの弱点は、すさまじい洪水の間の様子を映し出しはするものの、おさまってしまえば何も報じてくれないところだ。句にそくしていえば「しずまりぬ」様子をこそ見たいのに、そういうところはニュース価値がないので、切り捨てられてしまう。「水を出し」の主体は、私たちの生きている自然環境そのものだろう。平素はたいした変化も起こさないが、あるときは災害につながる洪水をもたらし、またあるときは生命を危機に追い込むほどの気温の乱高下を引き起こしたりする。だがそれも一時的な現象であって、ひとたび起きた天変地異もしずまってしまえば、また何事もなかったような環境に落ち着く。その何事もなかった様子の象徴が、句では「赤のまま」として提出されている。どこにでも生えている平凡な植物だけれど、その平凡さが実にありがたい存在として、風に吹かれているのである。それにつけても、故郷の水害跡はどうなっているだろうか。農作物への被害は甚大だったろうが、せめていつもの秋のように、風景だけでも平凡なそれに戻っていてほしい。あの道々やあの低い丘の辺に、いつものようにいつもの「赤のまま」が、いつもの風に吹かれていてほしいと、切に願う。『延年』(2003)所収。(清水哲男)


August 1982014

 天の扉を開けて星降るビアガーデン

                           工藤 進

うまでもないことながら、ビアガーデンの定義は屋外である。開放的な空間で、わいわいがやがやとジョッキを掲げる。ビアガーデンの発祥は昭和12年、ニュートーキョー数寄屋橋本店屋上だといわれ、以来毎年の夏の都心を彩ってきた。冷房完備、個室優勢の現代でも、人は折々夜風に吹かれ、ビールに喉を鳴らしたいときがある。ビジネスマンが仕事帰りに集うことが多いため、駅前のビルやデパートの屋上など、交通に便利な場所が多いが、都心を離れた場所で人気のビアガーデンもある。高尾山のケーブルカー降り口にある高尾山ビアマウントは標高500メートル。夜空には星が輝き、地上の夜景も見渡せる。掲句は「天の扉」としたことで、特別な空間が生まれ、また、満天の夜空からこぼれ落ちる星を掲げるジョッキで受けるような豪快な美しさを伴った。〈百草に百種のこゑ秋澄めり〉〈秋の七草夕日を束ねてゐたりけり〉『ロザリオ祭』(2014)所収。(土肥あき子)


August 2082014

 フード付きマント/影の色持ち/オアシスの暑さ

                           ジム・ケイシャン

句は「a burnoose takes on / the color of the shade / oasis heat」(Jim Kacian/邦訳:夏石番矢)。海水浴場の砂浜にかぎらず、暑い日差しのなかでは、フード付きマントのフードをすっぽりかぶっていないと、炎暑はたまったものではないし、健康管理上ヤバい。「影の色」とはマントについた「フード」による日影を意味していると思われる。単なる「影」ではなく、「影の色」と表現したところにポエジーが感じられる。フードで暑さはいくぶん避けられるとしても、マント全体は暑い。フードを「オアシス」ととらえても暑さは避け切れない。でも、確かに多少なりともホッとできるような、「オアシス」という語感がもつ救いが若干なりともあるだろう。句の舞台は実際の砂漠ではなくて、暑い日差しのなかでの「フード付きマント」であり、それを「オアシス」と喩えたものと私は解釈したい。ケイシャンはアメリカ人で、「英語俳句を創作し、広めることを目的とした団体を創立し、ディレクターを務める」「多くの俳句の本を出版する」と略歴紹介にあるとおり、英語俳句の実力者である。「吟遊」63号(2014)所載。(八木忠栄)


August 2182014

 蜜豆や母の着物のよき匂ひ

                           平石和美

豆はとっておきの食べ物だ。つい先日異動になる課長が課の女性全員に神楽坂の有名な甘味処『紀の善』の蜜豆をプレゼントしてくれた。そのことが去ってゆく課長の株をどれだけ上昇させたことか。蜜豆の賑やかで明るい配色と懐かしい甘さは、子供のとき味わった心のはずみを存分に思い起こさせてくれる。掲載句ではそんな魅力ある蜜豆と畳紙から取り出した母の着物の匂いの取り合わせである。幼い頃から見覚えのある母の着物を纏いつつ蜜豆を食べているのか。懐かしさにおいては無敵としか言いようがない組み合わせである。「みつまめをギリシャの神は知らざりき」と詠んだのは橋本夢道だけど、男の人にとっても蜜豆は懐かしく夢のある食べ物なのだろうか。『蜜豆』(2014)所収。(三宅やよい)


August 2282014

 鶺鴒の鳴くてふけふでありにけり

                           香田なを

鴒は長い尾を振りながら歩きリリッ、リリッと澄んだ声で鳴く。石の鈴を連想させるので石鈴との俗説。広い河川、農耕地、市街地の空地など開けた環境で何処でも見られる。そんな何でもない風景を普段は何気なく見過ごして行く。ところが何でもない普通の日々が突然に失われる事がある。例えば病を得たときなど。出来なくなってしまた生活の諸事、味噌汁の味、気ままな小旅行、サッカー観戦や仲間との談笑。何でもない普通の事も出来ないとなれば羨ましい。そんな時ふっと命を考え儚さを想う。鶺鴒が鳴いている。それを見ている私が今確かにここに在る。万事はこれだけで佳しと思う。作者も病を得た事を機に一書を上梓したと言う。命愛しや。『なをの部屋』(2013)所収。(藤嶋 務)


August 2382014

 白桃の浮力が水を光らせる

                           東金夢明

ンクに水を張って白桃をそっと入れてみた。水に触れた瞬間、表面の産毛に細かい泡がきらきら生まれ、手を放すと桃はゆらりと少し浮く。そして、水中で自重と浮力のはざまを行ったり来たり、指で軽くつつくと沈み切ってしまう直前の危うさでたゆたっていた。無数ともいえる産毛の一つ一つがまとう光は、透明な水をより透明にして想像以上に美しい。白桃という、色合いといい形といいこの上なくやわらかいものと、浮力というやや硬い言葉と、水を光らせる、という断定的な表現との出会いが、この想像以上の美しさを鮮やかに見せている。『月下樹』(2013)所収。(今井肖子)


August 2482014

 大佛の中はからつぽ台風過

                           小口たかし

年は初夏からいくつもの台風が過ぎていきました。甚大な被害に遭われた方も多く、年々その規模が拡大しているように思われます。私もちよっとした影響を受けました。出張先で、道を倒木に遮られ迂回したり、送電線に倒木が寄りかかっているのを、電力会社の人が復旧させている様子を目撃したりです。日本列島に住む者にとって、台風は避けられない脅威です。日常を一変させる災害をやむなく受け入れてきた日本人が、仏教から無常の思想を取り入れたのも自然ななりゆきです。掲句は、大佛の背後を台風が通過する様をとらえています。疾走する雲と不動の大佛。たぶん雨は降っていません。ただ、風には熱風がふくまれています。いつもより輪郭がくっきりしている大佛をながめながら、作者は、ゆく川の流れのように刻々と変化していく空模様に無常をみると同時に、不動の大佛に常住している「からつぽ」の空気に停滞を見いだしたのではないでしょうか。たしかに、大佛の中は換気が悪そうです。大佛という人工物をシニカルに見つつ、台風が過ぎた後の澄み切った青空を予感させます。『四重奏』(1993)所収。(小笠原高志)


August 2582014

 蝉殻を踏めば怖ろしうすき聲

                           中島夜汽車

ろしい句だ。とくに私のように、子供のころの夏休みの退屈紛れに、遊び半分で無数の蝉を殺戮(!)した者にとっては。思い出すだにおぞましい思いにとらわれるので、殺戮の詳細については書かないでおく。句の「怖ろし」をくどいと思う人もいそうだが、私には適当と思える。「蝉殻」は亡骸ではない。だからこそ、それが発する、発するはずもない「うすき聲」には、この世のものではない「怖ろしさ」があるのだ。いずれはこの声にとり殺されるのではないかと、読んだ瞬間にはぞっとした。道を歩いていて、気づかずに蝉殻を踏む。よくあることである。たいていの人は気にもかけないのだろうが、そこに「うすき聲」を聞いてしまった作者は、私とはまた別の意味で、蝉に対する特別な思い入れがあるのだろうか。気になる、ことではあった。『銀幕』(2014)所収。(清水哲男)


August 2682014

 草の穂や膝をくづせば舟揺れて

                           藤田直子

と舟は、推進に動力を利用する大型のものが船、手で漕ぐごくちいさなものを舟、とその文字により区別される。現在でも川や湖など短距離を移動するための手段として渡し船が活躍する場所もあるが、舟の腹にぶつかる波も、船頭の立てる櫓のきしむ音も、なつかしいというより、ひっくり返りはしないかと落ち着かないものである。小刻みな揺れに身を任せることにもどうにか慣れ、ようやく緊張の姿勢を解いたそのとき、舟が大きく傾く。こんな時、ひとはきっと一番近い陸を見る。あそこまで泳げるか、などという現実的な考えなど毛頭なく、地上を恋う体がそうさせるのだ。すがる思いで岸辺を見れば、草の穂が秋の日差しのなかきらきらと輝いている。風に揺れるのは草の穂なのか、自分自身なのか……。水のうえに置かれている我が身がいっそう頼りなく思え、頬をかすめる秋の風が心細さをつのらせる。〈一舟に立ちてひとりの白露かな〉〈汁盛神社飯盛神社豊の秋〉『麗日』(2014)所収。(土肥あき子)


August 2782014

 鎌いたち稲妻だけを借着して

                           瀧口修造

読して難解な句である。だいいち「鎌いたち(鼬)」は今や馴染みがない言葉である。鼬の種類ではない。辞書では「物に触れても打ちつけてもいないのに、切傷のできる現象」「越後七不思議の一つ」などと簡単に説明されている。小学校時代に同級生が遊んでいて何かのはずみで、脚の肉がパックリ割れたことがあった。初めて「かまいたち」というものを知った。その後、私もじつは小学生時代に肘に鎌状の傷を負い、「鎌鼬」の跡が残っている。「鎌鼬」の医学的現象についての解説は今は略すけれど、「切傷」などという生易しい現象ではなく深傷だが、不思議とたいした出血もない。井上靖に「カマイタチ」という名詩がある。修造の「私記土方巽」(「新劇」連載)のなかに初出する句だという。細江英公の写真集『鎌鼬』は、土方巽をモデルにした傑作であった。それが修造の頭にあったはずである。修造が初めて舞踏家土方の訪問を受けたときのエピソードを、両人と親しかった馬場駿吉が掲出句を引用してこう書いている。「突然の激しい雷雨に見舞われた土方は玄関へ入るなりずぶ濡れの着物を脱ぎ、裸身にバスタオルを巻きつけなければならなくなったと言う。その咄嗟の出来事を鮮烈に記憶に刻んだのがこの一句なのだろう。」土方との出会いをいかにも修造らしくとらえた一句である。土方はじっさい裸身を稲妻で包みかねない舞踏家だった。「洪水」14号(2014)所載。(八木忠栄)


August 2882014

 蝦蟇公よ情報化社会と言ふらしい

                           山本直一

く短い足を大地に踏ん張る蝦蟇がのっしのっしと歩いてくる。スローテンポの蝦蟇と縁側で目があって思わず呟く一言。「情報化社会というらしい」押し寄せてくる情報に振り回される時代から少し距離を置いた言葉だ。メールにネットに便利になった分「時間がない」「時間がない」と追われる一方である。何てことはない。見なければいいだけの話。と開き直ってみるが、仕事もプライベートも情報依存度や高まるばかりである。情報に尻をたたかれて動くなんてバカバカしい。勝手に忙しがってろ、と蝦蟇公は太古から変わらぬ速度でのっしのっしと我が道をゆく。「先頭はだれが決めるの?蟻の列」「世渡りが下手とのうわさきりぎりす」小さな生き物たちと友達に語りかけるあたたかさで通じ合っている鳥打帽』(2014)所収。(三宅やよい)


August 2982014

 城壁一重に音絶ゆ山塊雁渡し

                           花田春兆

渡しは雁が渡って来る陰暦八月ごろ吹く北風で青北風(あをぎた)ともいう。車椅子生活の作者は海外旅行も随分したらしい。万里の長城へも行ったとあり、その際得た句である。句は漢詩調で城壁に在る時の感慨を吐露している。森閑たる一重に伸びる長城と取り囲む山塊の空には雁渡しの風がびょうびょうと吹いている。心肝寒からしめる光景に「立ち向かう覚悟」のような呟きが聞こえる。<正念場続く晩年寒の鵙><帰る雁へ托す願ひの一つあり><初鴉「生きるに遠慮が要るものか」>がある。人間遠慮が要るもんかが中々これで難しい。『喜憂刻々』(2007)所収。(藤嶋 務)


August 3082014

 一瞬の自死向日葵の午後続く

                           岡本紗矢

射状に広がる黄色い花弁の持つ明るさと種の部分の仄暗さ、向日葵は見る人の心情を照らす花だ。この句を引いた句集『向日葵の午後』(2014)のあとがきには「通勤時に人身事故が発生し、生きることの辛さについて思い巡らしていた時、じりじりと焼けるような太陽の下、向日葵が立ち並ぶ情景に出会った」とある。向日葵が、自死のやりきれなさに対する単なる生の明るさではなく、無常観を持ちながらも明日へ向かう静かな力を感じさせるのは、続く、という一語によるものだ。先週末、生まれて初めて訪れたいわき市の海辺に、向日葵がたくさん咲き残っていた。ときおり吹く初秋の風の中、朽ちてゆきながらまっすぐ立っている向日葵の姿は深く心に刻まれている。(今井肖子)


August 3182014

 内緒話皆聞こえさう月の道

                           牧野洋子

子会という言葉が一般化しています。掲句はまぎれもなく女子の句です。なぜなら、作者が女性だからです。いや、そんな単純なことではありません。男子の内緒話なら、もっと淫靡で句にうしろめたさが醸し出されそうですが、それが全くない明るさがあるからです。女子が内緒話をするなら、恋話(コイバナ)でしょう。恋話は、つねに未来形です。これは、『源氏物語』以来の伝統なのではないでしょうか。この物語が、貴族の子女たちの未来の結婚と男女の関係を教育する物語であり、少女漫画が、恋愛の予防接種のような役割を果たしているように、女子は、男子よりも数年先を生きる性です。だから、一般的に、夫よりも妻の方が年下なのかもしれません。ただし、これには多くの異論があります。内緒話をしながら月の道を歩くのは、二人か三人。内緒話だから、ひそやかな声だから、それは心の声なので、皆聞こえそう。聞かれては困るけれど、この気持ちは届いてほしい。月の道を歩きながら、この心の輝きを月が受けとめて、かの人を照らしてほしい。今は女子会といいますが、これは、乙女心という言葉がふさわしいでしょう。「内緒話」の字余りに、心に余る思いを託しています。また、上五から、漢字五文字を続けたことで、乙女心の複雑さを暗示しています。『蝶の横貌』(2014)所収。(小笠原高志)




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