2014N828句(前日までの二句を含む)

August 2882014

 蝦蟇公よ情報化社会と言ふらしい

                           山本直一

く短い足を大地に踏ん張る蝦蟇がのっしのっしと歩いてくる。スローテンポの蝦蟇と縁側で目があって思わず呟く一言。「情報化社会というらしい」押し寄せてくる情報に振り回される時代から少し距離を置いた言葉だ。メールにネットに便利になった分「時間がない」「時間がない」と追われる一方である。何てことはない。見なければいいだけの話。と開き直ってみるが、仕事もプライベートも情報依存度や高まるばかりである。情報に尻をたたかれて動くなんてバカバカしい。勝手に忙しがってろ、と蝦蟇公は太古から変わらぬ速度でのっしのっしと我が道をゆく。「先頭はだれが決めるの?蟻の列」「世渡りが下手とのうわさきりぎりす」小さな生き物たちと友達に語りかけるあたたかさで通じ合っている鳥打帽』(2014)所収。(三宅やよい)


August 2782014

 鎌いたち稲妻だけを借着して

                           瀧口修造

読して難解な句である。だいいち「鎌いたち(鼬)」は今や馴染みがない言葉である。鼬の種類ではない。辞書では「物に触れても打ちつけてもいないのに、切傷のできる現象」「越後七不思議の一つ」などと簡単に説明されている。小学校時代に同級生が遊んでいて何かのはずみで、脚の肉がパックリ割れたことがあった。初めて「かまいたち」というものを知った。その後、私もじつは小学生時代に肘に鎌状の傷を負い、「鎌鼬」の跡が残っている。「鎌鼬」の医学的現象についての解説は今は略すけれど、「切傷」などという生易しい現象ではなく深傷だが、不思議とたいした出血もない。井上靖に「カマイタチ」という名詩がある。修造の「私記土方巽」(「新劇」連載)のなかに初出する句だという。細江英公の写真集『鎌鼬』は、土方巽をモデルにした傑作であった。それが修造の頭にあったはずである。修造が初めて舞踏家土方の訪問を受けたときのエピソードを、両人と親しかった馬場駿吉が掲出句を引用してこう書いている。「突然の激しい雷雨に見舞われた土方は玄関へ入るなりずぶ濡れの着物を脱ぎ、裸身にバスタオルを巻きつけなければならなくなったと言う。その咄嗟の出来事を鮮烈に記憶に刻んだのがこの一句なのだろう。」土方との出会いをいかにも修造らしくとらえた一句である。土方はじっさい裸身を稲妻で包みかねない舞踏家だった。「洪水」14号(2014)所載。(八木忠栄)


August 2682014

 草の穂や膝をくづせば舟揺れて

                           藤田直子

と舟は、推進に動力を利用する大型のものが船、手で漕ぐごくちいさなものを舟、とその文字により区別される。現在でも川や湖など短距離を移動するための手段として渡し船が活躍する場所もあるが、舟の腹にぶつかる波も、船頭の立てる櫓のきしむ音も、なつかしいというより、ひっくり返りはしないかと落ち着かないものである。小刻みな揺れに身を任せることにもどうにか慣れ、ようやく緊張の姿勢を解いたそのとき、舟が大きく傾く。こんな時、ひとはきっと一番近い陸を見る。あそこまで泳げるか、などという現実的な考えなど毛頭なく、地上を恋う体がそうさせるのだ。すがる思いで岸辺を見れば、草の穂が秋の日差しのなかきらきらと輝いている。風に揺れるのは草の穂なのか、自分自身なのか……。水のうえに置かれている我が身がいっそう頼りなく思え、頬をかすめる秋の風が心細さをつのらせる。〈一舟に立ちてひとりの白露かな〉〈汁盛神社飯盛神社豊の秋〉『麗日』(2014)所収。(土肥あき子)




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