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September 1892014

 運動会静かな廊下歩きをり

                           岡田由季

の頃の学校はいつ運動会をしているのだろう? むかし運動会と言えば秋だったけど、この頃は残暑が厳しく熱中症になる危険があるので、9月の運動会は少なくなっているのかもしれない。さて、運動場は応援の声や競技の進行で沸き立つようなのに「ちょっとトイレ」と入る校内の廊下は人気なくしんと静まり返っている。「運動会」と言えば思い浮かべるシーンと少し外れた視点から掲載句は詠まれている。きっと誰もが経験しておるが、気にも留めないで通り過ぎてしまう出来事だろう。そんな場面に目を向けて言葉で丁寧に掬い取っている。ひたひたと歩く自分の足音と、時折ワーッとわき立つ遠くの歓声まで聞こえてきそうだ。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


September 3092014

 間取図のコピーのコピー小鳥来る

                           岡田由季

越先の部屋の間取りを見ながら、新しい生活をあれこれと想像するのは楽しいものだ。しかし、作者の手元にあるのはコピーをコピーしたらしきもの。その部分的にかすれた線や、読みにくい書き込みは、真新しい生活にふさわしくない。しかし、作者は大空を繰り返し渡ってくる小鳥の姿を取り合わせることで、そこに繰り返された時間を愛おしむ気持ちを込めた。引越しによって、なにもかもすべてがリセットされるわけではない現実もじゅうぶん理解しつつ、それでもなお新しい明日に希望を抱く作者の姿が現れる。図面といえば、以前は図面コピーの多くは青焼きだった時代があった。青空を広げたような紙のしっとりと湿り気をおびた感触と、現像液のすっぱい匂いをなつかしく思い出している。〈箒木の好きな大きさまで育つ〉〈クリスマスケーキの上が混雑す〉『犬の眉』(2014)所収。(土肥あき子)


December 25122014

 犬の眉生まれてきたるクリスマス

                           岡田由季

リスマスは人間を救済するため人の子の姿を借りて神の子キリストが生まれたことを祝う日であるが、もはやサンタとケーキとプレゼント交換が目的の日になってしまった。本来の意義を感じつつこの日を迎えるのはクリスチャンぐらいだろう。掲句では生まれたての子犬のふわふわした顔にうっすらと眉毛のような濃い毛が生えてきたのだろう。かすかな兆候を「生まれる」と形容しクリスマスに重ねたことで、それを発見したときの初々しい喜びが伝わってくる。暖かな子犬を抱き上げてうっすらと眉が生えてきたように見える額のあたりを指の腹でなでてみる。その下に輝く子犬の瞳は不思議そうに飼い主を見つめていることだろう。新しく生まれてくるものを迎えるクリスマスにふさわしい一句であると思う。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


November 12112015

 ヒップホップならば毛糸は編みにくし

                           岡田由季

枯らしが吹いて、そろそろ厚いセーターやマフラーが恋しい季節になった。以前は電車の中や病院の待合室でも編み棒をせっせと動かしてセーターやマフラーを編んでいる人を見かけたが、軽くて安くて暖かい冬の衣料がいくらでも手に入る昨今、とんと見かけなくなった。ただひたすらに記号に沿いながら編み針をうごかしている時間は無心になれて楽しいものである。そこにクラッシックでも流れていれば編み針もスムーズに進むのだろうが、ヒップホップで調子がついてしまうとさぞ編みにくかろう。ヒップホップのリズムで身体を跳ね上げながら編み物をしている姿を想像しておかしくなってしまった。こういうユーモアを持った俳句、とてもいい。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


April 2142016

 つちふるやロボット光りつつ喋る

                           岡田由季

粉の襲来が収まったと思えば黄砂である。東京に来てからはあまり実感できないが、山口や北九州に住んでいた時には一晩で外に置いている車の表面がザラザラになるほどの量だった。「つちふる」という言い方は天に巻き上げられた砂塵が鈍い太陽の光にキラキラ天から降ってくるイメージを呼び寄せる。ロボットは光を明滅させながら喋るイメージだ。その共通項である「光りつつ」で両者を結び合わせている。冷たいジェラルミン材質のロボットに静かに降り続ける黄砂。人間によって入力された言葉を機械音声で繰り返し喋り続けるロボットへの哀感と悠久につながる時空間の取り合わせでイメージに広がりがでた句だと思う。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)




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