October 032014
鵙遠音魚板打ちても応答なし
景山筍吉
鵙の甲高い鳴き声は遠くまで届く。澄んだ秋の空気の中訪れた禅寺には人気が無い。どこか奥まった所でお勤めをしているのかも知れない。柱を見ると魚板と小槌がぶら下がっている。これが呼び鈴代わりかと早速叩いてみる。手応えのある音の割には中からの応答(いらへ)が無い。どこか心細くなる。寺へ悩み事の相談に訪ねたのであれば尚更のこと。因みに景山筍吉が敬虔なクリスチャンであった事を思うと、問うて答えのない不安な心を見てしまうのである。神仏に声は無い。他に<繰り返へす凡愚の日々の蚊遣かな><友情の嘘美しき月の道><キリシタン処刑跡なり蛇の衣>など。『白鷺』(1979)所収。(藤嶋 務)
October 022014
台風のたたたと来ればよいものを
大角真代
太平洋上に台風が発生したようで今後の進路が気になる。秋に来る台風は夏の台風と違い偏西風の影響で足早に過ぎ去るという。来てほしくはないのだけど、飛行機で遠方に出かける予定があるときなど気が揉める。台風の進路にあたるときは、ベランダに並べた植木鉢を片付けたり、壊れそうな箇所を補強したりとやっておかなければならない作業も多い。台風による甚大な被害を思えば、どこにも上陸しないで通り過ぎてくれることが一番なのだけど、避けられないなら「たたた」と来て「たたた」と去ってほしいと、天気図を眺めながら思っているのだろう。『手紙』(2009)所収。(三宅やよい)
October 012014
里芋の煮つころがしは箸で刺す
大崎紀夫
私たちがふだん「里芋」と呼んでいる芋にも種類があって、ツルノコイモとかハタケイモをはじめ、品種が多いようだ。山形県ではじまった、この時季の「芋煮会」なるものはどこでも行われるようになってきた。里芋にはいろいろなレシピがあるわけだが、素朴な「煮っころがし」が最もポピュラーで、好まれていると言っていい。丸くてぬめりがあるから、お行儀よく箸でつまむよりは、手っとり早く箸で刺したほうが確実にとらえて口に運べる。掲出句はお行儀よく構えることをせず、そのことを詠んだもの。「本膳」という落語がある。庄屋に招かれた村人たちが、あらかじめ手習いの師匠から「本膳での食べ方は私の真似をするように」と教わって出かける。席で師匠が里芋の煮っころがしをうっかりとりそこなって転がすと、村人がいっせいに箸で里芋をつついてそれを転がすという、にぎやかなお笑いの場面がある。ついでに、落語家の間では「ライスカレーは匙で食う」という、当たり前すぎて笑える言い方がある。釣師でもある紀夫には「ぎぎ釣るやぎぎぎぐぎぐぎぐうと泣く」という妙句がある。『俵ぐみ』(2014)所収。(八木忠栄)
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