2014N11句

November 01112014

 柿紅葉檻の奥より目の光る

                           山崎祐子

う十一月、と毎年のように思うが東京の紅葉黄葉はこれから、ベランダから見える欅は天辺のあたりだけ少し色づいて青空に揺れている。欅や銀杏、楓などは日の当たるところから徐々に染まってやがて一色になるが、桜は初めの頃一本の木の中で遅速があり遠くから見ると油絵のようだ。さらに柿紅葉の中には一枚がまだら模様になっていて鮮やかな中に黒い斑点があるものも。それはそれで美しいのだがどこか不思議でちょっと不気味でもある。この句の柿紅葉は夕日色の紅葉ではなくまだらな紅葉だろう。目の前に柿紅葉、あたりには柿落葉、肌寒さを覚えそろそろ帰ろうかと首をすくめて歩き出そうとしたとき、檻の中にいるそれと目が合う。それがなんであっても印象は冷たい目の光にあり、そこには木枯らしとまでは言えない晩秋の風が吹き抜けてゆく。『点睛』(2004)所収。(今井肖子)


November 02112014

 流星のそこからそこへ楽しきかな

                           永田耕衣

会いの絶景というは第一義上の事なり。これは、耕衣主宰『琴座』三百号(昭和50年)に掲げた俳句信条「陸沈の掟」十ヶ条の一つです。先週、10月26日(日曜)午前、私は神戸市兵庫区に滞在していました。この日の増俳は耕衣の「薪在り灰在り鳥の渡るかな」でしたが、神戸に来たからには何かしら故人の足跡を辿りたいと思っておりました。また、耕衣の句集を手に入れたいとも。持参した『永田耕衣五百句』の編者金子晉氏にお電話して著作を購入したい由を申し出ると、即座に 耕衣の愛弟子岡田巌氏のご住所と電話を紹介していただき、私はタクシーに乗り「そこからそこへ」「流星の」ごとく、岡田氏の自宅書斎に案内されました。書斎正面には、耕衣揮毫の「非佛」が太くでんと飾られていて、それは、井上有一の書に通底する自由闊達な動態です。耕衣は生前書画を多く描き、その遺作の大半は姫路文学館に収蔵されていますが、耕衣が愛蔵した何点かは師の遺志で岡田氏に託されていました。なかでも、耕衣が最も気に入って自宅書斎に飾っていた「ごって牛」の書画は、岡田氏預かりとなっておりました。二時間の滞在中、ありったけの書画を出して見せて下さった中で、いちばん最初に封を切って開いてくださった「ごって牛」には、「薪在り灰在り鳥の渡るかな」が揮毫されて いました。この日の増俳の句です。耕衣の書画に囲まれて二人、不思議な午後の西日に包まれておりました。「強秋(こわあき)ですね」と岡田氏。「強秋ですね」と私。尚、神戸に来るきっかけを作ってくださったのは、10月18日の余白句会あとの酒席で、阪神甲子園球場は「楽しきかな」と語ってくださった清水哲男さんです。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


November 03112014

 青き天心文化の日こそ掃除の日

                           香西照雄

真面目な句風で知られる作者にしては、珍しく季語(「文化の日」)を揶揄している。中身を簡単に言えば、なんだかよくわからん祝日だから、結局は何の日にでもなり得ると、作句してみせているわけだ。作者はむろん、この日が戦前の明治節であることは知っている。しかしいくら戦後民主主義の世の中になったからといって、文化住宅や文化鍋くらいならまだしも、「文化干し」などという魚の干物までが登場する軽薄な文化ブームに便乗したような命名には、深い憤りを覚えているのだ。ならば「今日は掃除の日だよ」と言い切って、魚の干物よりは少しはマシだろうがと苦りきっているのだろう。と同時に、こんな良い天気の日に、ひとり腹を立てているのも馬鹿馬鹿しいなとも思っている。『合本・俳句歳時記・新版』(角川書店・1974)所載。(清水哲男)


November 04112014

 まだ駆くる脚の構へに猪吊らる

                           谷岡健彦

りで捕らえた獣を運ぶため、前脚、後脚をそれぞれ縛り、運搬用の棒を渡す。まだほのかに温みの残っている猪が、人間の足並みに合わせてゆらゆらと揺れる。大きな獲物を担いでいくのは大層難儀だが、山中のけわしい道では人力に頼るほかはない。四肢を持つ獣が運ばれるためにもっとも適したかたちが、天地は逆でこそあれ、野を駆ける姿と同じであることが、一層哀れを誘う。猪へと送る作者の視線は狩る側のものではないが、また過剰な憐憫を溢れさせた傍観者のものでもない。一撃さえ避けられれば、昨日と同じ今日が続いていたはずの猪を前に、それはまるで命を頂戴するための儀式でもあるかのようにも見えてくる。〈風船を身体浮くまで買へと泣く〉〈輪唱の焚きつけてゆくキャンプの火〉〈猫に店任せつきりの暦売〉『若書き』(2014)所収。(土肥あき子)


November 05112014

 莖漬の石空風となる夜かな

                           百田宗治

般に「茎漬」という言い方はあまり聞かないが、蕪や大根などを葉や茎も一緒に塩漬けしたもの。葉や茎をつけたままの塩漬けや糠漬けには、野趣が感じられうまさが増す。冬場の漬物にはいっそうのうまさがある。そんな時季だから、漬物の「押し」となっているごつい石にも、格別寒々としたものが感じられる。外は空風が吹いている。台所でふと目にした漬物石であろう。昔はどこの家でも、代々使われてきた桶と代々使われてきた石がセットになって、自家製の漬物が姑から嫁か娘へと伝授されていた。外は空風、冷え冷えとした石の下では、茎漬が刻々と味よく漬かっていく。石、塩、空風……そんな夜である。「民衆詩派」のひとりだった宗治は、広くはあまり知られていない詩人だけれど、よく知られた♪どこかで春がうまれてる……の歌の作詞者である。宗治は昭和十年代末頃から、萩原朔太郎、室生犀星、西脇順三郎たちを月例句会に誘い、その後「句帖」を創刊した。俳句的詩風への変化を指摘されたこともある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 06112014

 恋人は美人だけれどブロッコリー

                           小枝恵美子

ロッコリーって年中スーパーに並んでいるけどこれからが筍の冬野菜。煮込んだシチューにブロッコリーを取り合わせると鮮やかな緑が食欲をそそる。ブロッコリーを水っぽくなく茹でるのは易しいようで難しい。メイン料理になれなくとも他を引き立てる名脇役であり、栄養価満点の存在感のある野菜と言えよう。美人な恋人がブロッコリーなのが不満なのか、それとも満足なのか?「だけれど」の接続の仕方が意味深だ。何にでも便利で美味しいブロッコリーだから、美人だけど気取ってなくて味のある彼女なのだろう。友人がこんな言葉を呟いたら「ごちそうさま」と答えるといいんだろうな、きっと。『ベイサイド』(2009)所収。(三宅やよい)


November 07112014

 金色の鳥の絵のあり冬館

                           涼野海音

色の鳥とは何だろう。またいかなる佇まいの館なのだろう。二つの具体的提示もそれから先は読者の想像に委ねられる。まず絵のある館は冬木立に囲まれてひっそりとしている。窓の外には落葉が積って、見通しの良い木立の間を小鳥たちが飛びかっている。私の想像は勝手に巡り階段途中に飾られた立派な額縁の絵画へ向かう。映画のシーンの残影かも知れぬ。さて金色の鳥が思い着かない。黒なら鴉で決まりだが金色となると。ヒワやオウムやアマサギは黄色に映るが金色ではない。頭の中が乱反射して鴉が絶滅危惧種になる事があるや否やなどと混乱の域に入った。心が空になった次の一瞬、ふっと手塚治虫の火の鳥が羽ばたいて心に収まった。他に<木の実落つ鞄に未発表の稿><われに似ぬ弟ひとり冬林檎><引出しに星座盤あり冬籠>など。『一番線』(2014)所収。(藤嶋 務)


November 08112014

 帰り花顔冷ゆるまでおもひごと

                           岸田稚魚

だ帰り花といえば桜、この句の帰り花もそうだろう。何かをずっと考えながら、ゆっくり歩いているのかベンチに座っているのか。ふと空を見上げたその視線の先に帰り花が光っていたのだ。その瞬間の小さな驚きと、口元が少しほころんでしまうくらいの喜びに、現実に引き戻された作者はのびの一つでもして大きく深呼吸をしたことだろう。おもひごと、という表現はそれほど深刻な悩みという感じではなく、唯一むきだしの顔は気づけば冷えきってしまっているけれど寒くてつらいというわけでもなく、作者のなんとなく微笑んだ顔が浮かんでくるのは、帰り花であるからこそだ。やはり帰り花は、咲いてないかなあ、と探すものではないのだとあらためて思った。『関東ふるさと大歳時記』(1991・角川書店)所載。(今井肖子)


November 09112014

 少年を噛む歓喜あり塩蜻蛉

                           永田耕衣

蜻蛉が、少年の瑞々しい皮膚を噛む。少年の肉汁を内臓に取り込んだ塩蜻蛉は、それをエネルギーにして、生殖行動の歓喜に向かって飛び発つ。少年の肉体は、交尾後の産卵へと繋がっているが、少年はそれを知らない。一方、はじめてトンボに噛まれた少年は、噛まれる痛みを受苦します。噛まれた痕跡は、やがて消失しますが、噛まれた痛みは記憶として残り続けます。それは、自然界が授ける予防接種でもあるでしょう。ところで、大人になった少年は、甘噛みの歓喜に目覚めます。しばらく忘れていた 塩蜻蛉の記憶が、性の指南であったことを悟ったかどうかは定かではありません。掲句には、野球で言う先攻と後攻があるように思われます。表のあとには裏がある。噛む側が居れば、その後に、噛まれる側の人生が始まる。耕衣の「陸沈の掟」十ヶ条から二つ引きます。*「存在の根源を追尋すべき事。存在の根源はエロチシズムの根源なり。精気あるべき故に。」*「自他救済に出づべき事。先ず俳句は面白かるべし。奇想戦慄また命を延ぶに価す。即ち生存の歓喜を溶解するの力価を湛うべし。」これらの言からも、塩蜻蛉の歓喜は、エロチシズムとして少年の肉体に伝播し得たと読みました。尚、今年の「日本一行詩大賞特別賞」を受賞した清水昶氏の『俳句航海日誌』に、「耕せば永田耕衣の裏畑」があるこ とを、編者の一人久保隆氏から教わりました。ありがとうございました。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


November 10112014

 ストーブを部分解禁する朝

                           森泉理文

業した高校(都立立川高)では、例年十一月一日が、スチーム暖房の解禁日だった。朝礼で校長が「都内の高校多しといえどもこんなに早く暖房をはじめるのは本校のみである」と威張ったものだった。公的な施設ではこのように暖房が解禁されるが、これが個人の家庭ともなれば、むろんこうはいかない。肌寒くなってきても、「まだ大丈夫、我慢できる」と、解禁を一日延ばしにするのが普通だろう。燃料費も馬鹿にならないし、一度暖房を入れてしまえばわずかな気温の差で止めたり点けたりするのは不可能に近いからだ。一度点けてしまえばそのまま春まで継続することになる。したがって、寒い部屋から「部分解禁する」のにも慎重にならざるをえない。作者は長野県佐久市に在住。東京などよりよほど寒い地方だから、もう「部分解禁」をされたころだろうか。『春風』(2014)所収。(清水哲男)


November 11112014

 下の子を抱き髪置の子を連れて

                           山内裕子

置(かみおき)の儀は、3歳となった男女児が11月15日に行う儀式。七五三の三に組み入れている地域もあるが、元来は別の行事である。儀式は頭に綿や白糸を白髪として乗せ、長寿を祈願する。7歳までに亡くなる子が多かった時代には、こまめに節目を用意することで、成長を喜び、神への感謝を捧げていた。医療が発達した現代でも、子の成長を願う親心から昔ながらの儀式を行う。しかし、幼い頃の兄弟、姉妹はたとえ二歳ほどの開きがあろうと、聞き分けのない赤ん坊が二人揃っているようなものだ。晴れ着の幼児と、すやすやと眠る赤ん坊、そして若い父母も美しく装う景色にたどりつくまでの、水面下の奮闘は想像にあまりある。掲句には並んで〈行き合はす人に祝はれ七五三〉が置かれる。はれの日に向けられるあたたかな視線もまた、どの時代にあっても健やかであれとの願いが込められる。『まだどこか』(2014)所収。(土肥あき子)


November 12112014

 錦秋の中に小さき小海線

                           中島誠之助

ごとな秋色に彩られた紅葉を錦秋と呼ぶことは、俳人ならずともご存知のはず。紅葉のさかりの山などは、まるで山火事のごとく激しく炎え立っている。小淵沢から小諸まで通じているのが小海線。のどかなローカル線である。私はかつて、仕事で八ヶ岳へ行くのに何回となくこの線を利用したことがある。沿線は観光的に開発されてしまったが、場所によっては電車の窓いっぱいに錦を広げたか、と錯覚されるような紅葉が見られる。また、高原のコスモスの鮮やかな色どりも忘れがたい。錦に包まれたような丘陵や山を縫うようにして、二、三輛編成の電車がゆったりコトコト走っている。電車も炎え立つ錦にすっぽり包まれているようだ。誠之助はご存知の古美術鑑定家。私はテレビの「開運! なんでも鑑定団」が好きで観ているが、たとえ偽物でも、この人は「いい仕事していますね。大事になすってください」とやさしい言葉をかける。俳号は閑弟子(かんていし)、句集に『古希千句』(2010)がある。「俳壇」(2014.11)所載。(八木忠栄)


November 13112014

 後ろ手に歩むは鴨の気持ちかな

                           こしのゆみこ

らりと晴れあがった気持ちのよい道を何も持たずに、手を後ろに回してぶらぶら歩いているのだろう。陸に上がった鴨は羽を後ろに揃え、水かきをつけたオレンジの足でよたよた歩く姿がユーモラスで可愛い。「気持ちかな」だから手を使わずに足だけを推進力に進むその動き、おしりが自然と左右にふれる動作に鴨の気持ちを味わっている。直喩や見立てだと対象に距離感があるが、自分の気持ちにぐっと引きつけて詠んだことで後ろ手に歩く人の姿とよたよた歩く鴨が自然に重なる。なんだか私も後ろ手で歩くたびに鴨の気持ちになって歩けそうな気がする。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)


November 14112014

 帰る家が見つかったかいつばめさん

                           如月はつか

に燕は遠く台湾や東南アジアより飛来し秋には帰る。「燕」が春の季語なら「帰燕」は秋の季語である。日本の各地で子を孵し育てる。夏の間市街地や村落で育った若い燕も次第に郊外の河原の葦原、海岸、湖沼などに集まる。ここに子育てのすんだ親鳥たちも合流し大群となり日本を離れてゆく。慣れ親しんだ彼らも今は帰り、街は心なしか淋しくなった。遠いお国に無事着いて安住の家が見つかっただろうか。旅のつばくろ達者で居てね。<結末の分かっている恋雪解風><ブティックのShow windowのみ春の風><独り泣くいつの間にやら虫が鳴く>など。大人に成る前の作者のつぶやきが聞こえる句集。思春期の危うくも敏感な感受性もやがて大人になって錆びついて鈍くなってゆくのだろう。命短し恋せよ乙女、脱線した、面目ない。『雪降る予感』(1993)所収。(藤嶋 務)


November 15112014

 七五三しつかりバスにつかまつて

                           綾部仁喜

+五+三=十五、だから十五日に七五三を祝う、というのは俗説のようだが、枯れ色の深まっていくこの時期、七五三の小さな晴着姿は色鮮やかで目を引く。七五三というと、そんなかわいらしさや着慣れないものを着て疲れて眠った姿などが句となっているのをよく見るが、この句の切り取った風景は極めて現実的だ。目に浮かぶのは作者の視線の先の子供の横顔と、太すぎるパイプをぎゅっと握りしめている小さな手。バスは揺れ、そのたびに転ぶまいとこれまた履きなれない草履の両足を踏ん張る。バスにつかまる、というのはかなり大胆な省略だがリアリティがあり、子供から少女へ、さらにその先の成長をも感じさせる七五三ならではの一句となっている。藤本美和子著『綾部仁喜の百句』(2014)所載。(今井肖子)


November 16112014

 人生の生暮れの秋深きかな

                           永田耕衣

句は、最晩年の句集『自人』(1995)所収。耕衣が、淡路阪神大震災に被災した年の刊行になります。「生暮れ」には「なまぐ(れ)」のルビがふられており、造語です。震災は、一月十七日未明に起きたので、その前年の秋の作、耕衣九十四歳の句でしょう。さて、この句をどのように読めばいいのか。「生暮れ」とは何か。耕衣の声に耳を傾けてみることにしました。「枯淡の境地に非ず。解脱を願はず。人が生きるということは、とことん生身でありつづけるということ。生身が人生の中に暮(ぼ っ)していくということ。その時、人生の秋の深さに出会える。存分に生身を生きることが、季節の粋を深く味わい尽くせる。」このような幻聴を聞きました。「陸沈の掟」十ヶ条から二つ引きます。*「卑俗性を尊重すべきこと。喫茶喫飯、脱糞放尿、睡眠男女の類は人間生活必定の最低辺なり。絶対遁れ得ず。故に可笑し。」*「俳句は人間なる事。俳句を作す者は俳人に非ず、マルマル人間なり。」この言を踏まえて「生暮れ」を考えると、生き物であることの本能と本性を本情をもって生き尽くすことではないかと思いました。それは、取り繕ったり、権威におもねたり、こびへつらったり腰巾着になって他人の褌で相撲を取る生き方とは正反対です。しかし、この、当たり前すぎる真っ当な生き方を貫くと人 間社会からスポイルされかねません。それでも、現代のマレビトである耕衣は、「生暮れ」を貫き、生身の肌から少年や女体や白桃、葱、寒鮒、天の川を取り込んで、奇想戦慄を与える言葉を編み出しました。自由自在です。『永田耕衣五百句』(1997)所収。(小笠原高志)


November 17112014

 昔々勝手にしやがれという希望

                           甲斐一敏

うか、もうゴダールの映画『勝手にしやがれ』は、「昔々」の域に入っているのか。調べてみたら1959年の製作だから、五十年以上も昔のフィルムである。見ていない人には説明の難しい映画だが、ストーリーとしては、官憲に追われた街のチンピラやくざ(ジャン・ポール・ベルモンド)がガールフレンドのアメリカ娘(ジーン・セバーグ)の密告で追いつめられ、最後は路上で警察の銃弾を受けて虫けらのように死んでいく、という単純なもの。しかしこのストーリーの画面上の展開技法は従来の映画の文法を打ち破る画期的な作品で、当時の若い映画ファンの度肝を抜いたのだった。ああ、映画はこんなに自由なメディアなのだ。見ていて、体中の神経や筋肉の緊張がが解き放たれるような気分であった。作者が「希望」と言っているのは、思想的な問題もさることながら、そうした自由気ままな雰囲気から触発された多くのことを指しているのだと思う。日本語のタイトルは「勝手にしやがれ」だが、原題は『A BOUT DE SOUFFLE』で、直訳すれば「息切れ」とでもすべきだろうか。これを大胆に改変した日本語のタイトルは、秀抜である。この絶妙な日本語タイトルとあいまって、若者の「希望」はなお色濃くなったと言ってもよさそうだ。『忘憂目録』(2014)所収。(清水哲男)


November 18112014

 返り咲くたんぽぽに茎なかりけり

                           福神規子

り花とは本来咲くべき季節ではない時期に、陽気の具合で咲いてしまう花。小春日のあたたかな日だまりで、たんぽぽの黄色が鮮やかに目に飛び込むことがある。たんぽぽの生育環境はかなり過酷でも、たとえばアスファルトのわずかな隙間でも育つことが可能だ。とかく生命力の強い植物は嫌われる傾向にあるが、その姿かたちによって誰にも愛される花である。葉を地面にぴったりと放射状に広げることで、一枚一枚重ならないようにして日照面積を多く取るような工夫がなされ、茎の長短も実はエネルギー効率をしたたかに考えたものだ。しかし、たんぽぽは可憐な風情をくずすことなく、寒風のなかでわずかな日向にしがみついているようにも見え、ことさらいじらしく映る。思わず膝を寄せ「大丈夫?」と問いかけてしまうほどに。〈鍵穴は古墳のかたち梅雨深し〉〈ままごとにかあさんがゐて草の花〉〈さりながら人は旅人山法師〉『人は旅人』(2014)所収。(土肥あき子)


November 19112014

 恋人と小さな熊手買いにけり

                           清水 昶

うご存知だと思うけれど、清水昶句集『俳句航海日誌』が、今年度の「日本一行詩大賞」特別賞を受賞したことをまず喜びたい。天国の昶はもう何回も祝杯をあげてもらい、上機嫌でかつてのように酒酒酒の日々だろうと推察される。本当によかったね、カンパーイ! 生前の余白句会の場で昶はいろいろあったにせよ、厖大な数の句から井川博年他の方々が苦労して選句したもので、改めてまとめて読んでみるとおやおや。「いいじゃないか!」という声が少なからずあがった。やはり俳句は束にして読みたいものだ。先夜は彼の誕生日の小さな集まりが、彼が入りびたっていた吉祥寺の中清であった。急逝からはや三年半になる。掲出句は2004年の作だ。素直でかわいい句ではないか。今年の一の酉は今月10日だったが、二の酉は22日。私は十年前、ごったがえす鷲神社まで行った際、バカでかい熊手とそこに添えられた「石原慎太郎」という大きい札を見て、しらけてしまったことが忘れられない。ずらりとならぶバカでかくて派手な熊手は見るだけして、買うのはもちろん小さいほうだ。掲出句の隣に「とことこと我に従ふ寒鴉」という句がならんでいる。寒鴉よ、昶に従ってどうなるというのだ?『俳句航海日誌』(2013)所収。(八木忠栄)


November 20112014

 韮レバと叫べば勇気世紀末

                           守屋明俊

韮は甘味があっておいしく、餃子に韮レバに、中華料理になくてはならない食材である。何だか気力が落ちてるな、とか元気を出したいときに食べれば活力が湧いてくる。力を込めて「ニラレバ」とガヤガヤうるさい店の調理場に聞こえるように注文する。その意気込みが「韮レバと叫べば勇気」なのだろう。それにしても「世紀末」の下五が凄い。もう二〇〇〇年はだいぶ過ぎてしまったけど世紀の変わり目の不安漂う中で「韮レバ」と元気よく注文して新しい世紀に乗り出すこんな句を作りたかった。掲載句と出会って思った。『守屋明俊句集』(2014)所収。(三宅やよい)


November 21112014

 梟を眺め梟から眺め

                           原田 暹

は鋭いカギ状の短い嘴と強力な爪のある脚を持った夜行性の肉食鳥である。だから普段は動物園くらいでしか見られないが、一度利根川河畔で見たことがある。その時は目の前でカラスと組んず解れずの大格闘をしていた。何を間違ってか、昼間その姿を見せてしまったのである。カラスは夜間は動けなく、夜行性の梟に度々襲われるらしい。特に子育て中の子ガラスは標的である。それやこれやで昼間は立場が逆転、勝負は圧倒的にカラスが優勢となる。揚句は梟が2回、眺めが2回でこれを「を」と「から」で結んで出来上がった。確かに梟を見ているとあのまん丸い梟の目からも見られているのかも知れないと思う。この作者と梟の間合いがどこか可笑しい。『天下』(1998)所収。(藤嶋 務)


November 22112014

 暮るるよりさきにともれり枯木の町

                           大野林火

木は、すっかり葉が落ちてまるで枯れてしまったように見える木のことで冬木に比べ生命力が感じられないというが、枯木の町、には風が吹き日があたり人の暮らしがある。まだ空に明るさが残っているうちからぽつりぽつりとともる窓明り。ともれり、が読み手の中で灯る時、冬の情感が街を包んでゆく。この句は昭和二十六年の作だが同年、師であった臼田亜浪が亡くなっている。その追悼句四句の中に〈火鉢の手皆かなしみて来し手なり〉があるが、このかなしみもまた静かにそして確かに、悲しみとなり哀しみとなって作者のみならず読み手の中に広がってゆくだろう。『青水輪』(1953)所収。(今井肖子)


November 23112014

 水を釣つて帰る寒鮒釣一人

                           永田耕衣

われてみれば、然り。私もこのようにして釣場を後にすることが多い。ただし、今まで一番多く釣ったのは、自分自身。正確に言うと、自分の袖。頭上の木の枝にもたくさん引っ掛けました。きちんと水を釣って帰って来られるようになったのは、釣を始めて十年近く経ってからです。つまり、掲句の釣り人はヘボに非ず、けっこうな腕前の持ち主でしょう。『吹毛集』(1955・耕衣55歳)所収で、上五は、「水を釣り」ではなく「水を釣つて」と字を余したところに釣師の徒労があらわれています。「水 を釣つて帰る」とは、格好のよい遊びの境地ですが、負け惜しみの気持ちものみ込んでいるでしょう。ただ、魚を釣り上げた時は、その手応えを喜ぶと同時に、命に対するちょっとした済まなさに針さされることもあります。その点、水を釣る釣り人は、初めは期待感を持って糸を垂らしますが、じれたり焦ったり、けっきょく、諦念をもって静かに竿を畳みます。それでも、ついにお目にかかれなかった「寒鮒」に遊んでもらいながら、澄明な時間を過ごすことができた。人と遊ぶ、生き物と遊ぶ、命の無い物と遊ぶ。この遊びの三態の中で、水や雲や石といった非生命と遊ぶ境地は、人生を寂しくさせないでしょう。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


November 24112014

 国会中継延々葱買いに行かねば

                           きむらけんじ

会中継はよく見るほうだと思う。だが最近は、たとえば往年の共産党・正森成二のような舌鋒鋭い突っ込みの名人がいないので、あまり面白くない。句の「延々」は、そのことを言っている。かといって気になるやりとりも少しは出てくるので、スイッチを切るに切れないというところか。葱を買いに行かねばならぬという目前の用事のことがちらちら頭をかすめるが、なかなか席を立てないもどかしさ。天下の大事と日常生活の小事とが、同じくらいの重さで行き交う面白さ。しかし、議員センセイなどには到底わからぬであろうこの種の庶民感覚が、本当は政治的にも大切なはずである。国会の「延々」には、この感覚の差異がいつまでも平行してクロスしないもどかしさも、含まれているのだろう。自由律句だけれど、本サイトではいちおう冬の季語の「葱」に分類しておく。『圧倒的自由律 地平線まで三日半』(2014)所収。(清水哲男)


November 25112014

 枯野には枯野の音の雨が降る

                           松川洋酔

れることの定義を広辞苑ではどう表現しているのだろうとなにげなく開いてみると、「水気がなくなって機能が弱り死ぬ意。死んでひからびる。若さ、豊かさ、うるおいなどがなくなる。」など、なんだか身につまされて、調べたことを後悔する。枯れ果てた草木に追い打ちをかけるような雨を思い、気分が沈む。しかし、気を取り直して「枯れる」の項を読み続けると、最後の最後にパンドラの箱に希望が取り残されていたように「長い経験の結果派手さが消え、かえって深い味を持つようになる」とあった。枯野から放たれる雨音は、思いのほか軽やかで、明るい音色に包まれていたのだ。そして、街には街の音、海には海の音の雨が降るのだと静かに気づかされる。〈裸火の潤みし雨の酉の市〉〈千年の泉のつくる水ゑくぼ〉〈湯たんぽの火傷の痕も昭和かな〉『水ゑくぼ』(2014)所収。(土肥あき子)


November 26112014

 凩に襟を立てれば戦後かな

                           阿部恭久

年の凩一号は、関西・関東地方とも10月27日に記録されている。日増しに寒さはつのるばかり。ワイシャツでもコートでも、襟を立てている若者がいるし、普段はオシャレでなくとも凩が強い日だと、人は思わず襟を立てたくなってしまう。あの襟にはそういう機能も果たしているのだ。思い出すのは、寺山修司は凩や寒さに関係なく、普段から意識的にコートの襟を立てていることが多かった。それがまたカッコ良かったよなあ。カッコ良くない人は、どうか気取って襟など立てませんように。襟が汚れるだけですよ。襟を立てることによって戦後がはじまったわけではない。けれども「襟を立て」るという、ちょっと気取った様子と「戦後」のうそ寒さが妙な具合に呼応して感じられ、どこかホッとさせられるような、懐かしいような……。敗戦で精神的に落ち込んでいた日本人の、やり場のない淋しさ、悔しさ、窮乏感と寒さが、凩と向き合った際、せめて襟を立てるという行為が凛と身を起こしてくるように、私には感じられる。この句に「外套は二十世紀も擦切れて」がならんでいる。「生き事」9号(2014)所載。(八木忠栄)


November 27112014

 マフラーのとけて水かげろふの街

                           鴇田智哉

いマフラーがとけることと水かげろうには何ら因果関係はない。しかし掲句のように書かれてみると、摩訶不思議な世界が立ち上がる。水かげろうからマフラーを呼び出す感覚がすばらしい。人の首から解き放たれたマフラーが何本も何本もボウフラのように立ち上がりユラユラ揺れる水かげろうになってしまったようだ。冬の季語としてのマフラーの本意に縛られていてはこのような発想は生まれてこない。この句を知って以来。川沿いに続く白壁に揺れる水かげろうを見るたび、マフラーの乱舞に思えて仕方がない。『凧と円柱』(2014)所収。(三宅やよい)


November 28112014

 田鳧群れ冠羽を動かさず

                           岩淵喜代子

鳧(タゲリ)は頭に反り返った冠羽(かんむりばね)がある冬鳥で、刈取り後の田や草地に群れて、ミューミューと猫のように細く鳴く。警戒心が強くすぐに飛び立つ習性がある。ふわりふわりとした羽ばたきも特徴である。チドリ科の30cm位の鳥でちょこまかと歩く。顔立ちがすっきりした鳥なので双眼鏡でいくら見ていても飽きない。一群れの田鳧のその見飽きない冠羽を観察していると彼等も息を詰めこちらを眺める。冠羽の動きも止まった。じっと静かに対峙する時が流れてゆく。他に<夏満月島は樹液をしたたらす><誰かれに春䡎の火種掘り出され><僧といふ風のごときを見て炬燵>などあり。『岩淵喜代子句集』(2005)所収。(藤嶋 務)


November 29112014

 なきがらを火の色包む冬紅葉

                           木附沢麦青

たこの季節がめぐって来たな、と感じることは誰にもあるだろう。それは、戦争や災害など多くの人が共有することもあれば、ごく個人的な場合もある。私の個人的な場合はちょうど今時分、父が入院してから亡くなるまでのほぼひと月半ほどのこと。病院へ向かう道すがら、欅紅葉が色づいてやがて日に日に散っていった様がその頃の心の様と重なる。掲出句の作者は、今目の前の冬空に上ってゆくひとすじの煙を見上げながら鮮やかな冬紅葉の色に炎の色を重ねつつ、亡くなったその人を静かに思っている。冬紅葉、の一語に、忘れられない風景と忘れかけていた淋しさが広がるのを感じている。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


November 30112014

 池を出ることを寒鮒思ひけり

                           永田耕衣

鮒が池を出る方法は三つある。一つ目は、飛び跳ねて池辺りに出ることだが、これは自死である。二つ目は、青鷺のような大きな鳥に捕獲されることで、これも死ぬことになる。三つ目は、腕利きの釣り師にうまく釣り上げられることだ。この寒鮒の棲まいは、湖でも川でも海でもない池です。商業的な目的で作られた管理釣場に生きる鮒は、日々、鼻先にエサを突きつけられていて、食欲に関しては不感症になるくらいスレています。狡猾な釣り人とのかけひきに暮らしていますから、人間の浅知恵 くらいは学習しているはずで、少なくとも、この池の中で生き抜く能力では人知を凌駕しています。ところが今日、今まで見たことのない針の動きを目にしました。ふつうの針は、自然に漂っているように見せかけながら、しかし、釣り師の欲望は竿から糸、糸から針へと伝わってきて、それは、魚類特有の嗅覚で感知できます。ところが、この針にはそんな臭いがしない。まるで、水を釣りに来たような無欲な針である。寒鮒は、この針を目にして、釣り師の顔を見たくなったのではないでしょうか。スレているゆえに、天の邪鬼な性質(たち)なのです。さて、釣り師は、本当に水を釣りに来た無欲な御仁であったかどうかは定かではありませんが、寒鮒の口元を損なうことなくきれいに釣り上げました。その後 、リリースしたのか、自宅の水槽で飼うことにしたのか、鮒鮨にしたのか、これも定かではありません。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)




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