初霜初氷、そして初雪の便り。街にはXmasイルミネーション。(哲




2014N116句(前日までの二句を含む)

November 06112014

 恋人は美人だけれどブロッコリー

                           小枝恵美子

ロッコリーって年中スーパーに並んでいるけどこれからが筍の冬野菜。煮込んだシチューにブロッコリーを取り合わせると鮮やかな緑が食欲をそそる。ブロッコリーを水っぽくなく茹でるのは易しいようで難しい。メイン料理になれなくとも他を引き立てる名脇役であり、栄養価満点の存在感のある野菜と言えよう。美人な恋人がブロッコリーなのが不満なのか、それとも満足なのか?「だけれど」の接続の仕方が意味深だ。何にでも便利で美味しいブロッコリーだから、美人だけど気取ってなくて味のある彼女なのだろう。友人がこんな言葉を呟いたら「ごちそうさま」と答えるといいんだろうな、きっと。『ベイサイド』(2009)所収。(三宅やよい)


November 05112014

 莖漬の石空風となる夜かな

                           百田宗治

般に「茎漬」という言い方はあまり聞かないが、蕪や大根などを葉や茎も一緒に塩漬けしたもの。葉や茎をつけたままの塩漬けや糠漬けには、野趣が感じられうまさが増す。冬場の漬物にはいっそうのうまさがある。そんな時季だから、漬物の「押し」となっているごつい石にも、格別寒々としたものが感じられる。外は空風が吹いている。台所でふと目にした漬物石であろう。昔はどこの家でも、代々使われてきた桶と代々使われてきた石がセットになって、自家製の漬物が姑から嫁か娘へと伝授されていた。外は空風、冷え冷えとした石の下では、茎漬が刻々と味よく漬かっていく。石、塩、空風……そんな夜である。「民衆詩派」のひとりだった宗治は、広くはあまり知られていない詩人だけれど、よく知られた♪どこかで春がうまれてる……の歌の作詞者である。宗治は昭和十年代末頃から、萩原朔太郎、室生犀星、西脇順三郎たちを月例句会に誘い、その後「句帖」を創刊した。俳句的詩風への変化を指摘されたこともある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 04112014

 まだ駆くる脚の構へに猪吊らる

                           谷岡健彦

りで捕らえた獣を運ぶため、前脚、後脚をそれぞれ縛り、運搬用の棒を渡す。まだほのかに温みの残っている猪が、人間の足並みに合わせてゆらゆらと揺れる。大きな獲物を担いでいくのは大層難儀だが、山中のけわしい道では人力に頼るほかはない。四肢を持つ獣が運ばれるためにもっとも適したかたちが、天地は逆でこそあれ、野を駆ける姿と同じであることが、一層哀れを誘う。猪へと送る作者の視線は狩る側のものではないが、また過剰な憐憫を溢れさせた傍観者のものでもない。一撃さえ避けられれば、昨日と同じ今日が続いていたはずの猪を前に、それはまるで命を頂戴するための儀式でもあるかのようにも見えてくる。〈風船を身体浮くまで買へと泣く〉〈輪唱の焚きつけてゆくキャンプの火〉〈猫に店任せつきりの暦売〉『若書き』(2014)所収。(土肥あき子)




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