2014N12句

December 01122014

 老い兆す頭ごなしに十二月

                           小嶋萬棒

いは、いずれは訪れるにしても、万人に共通の年齢で訪れるわけではない。私の体験や観察によれば、あまり年齢には関係なく、兆はある日突然のようにやってくる。どうも身体の具合がおかしいな、復調しないなと感じはじめたときには、それが老いの兆なのだ。認めたくはないけれど、そうなったらもう以前の体調には戻らないのである。若いころの身体の不調ならば、ほとんどが復調するのだが、そうはいかなくなってくる。そこが老いの辛いところで、そうなったらひたすらに不具合が進行しないようにと願うわけだが、そのためには時間にゆっくり流れてくれるよう祈るくらいしか術がない。しかし、その気持ちが強ければ強いほど、時間が早く流れていくように感じられる。もう今日から十二月。私にも有無を言わさず「頭ごなしに」やってきた。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)


December 02122014

 花八手むかし日暮れに糸電話

                           七田谷まりうす

コップふたつと数メートルの糸さえあれば糸電話はできあがる。コップをつなぐ糸をぴんと張ることがもっとも大切な約束ごとだが、たったそれだけのことで声が運ばれるとはなんだか不思議な気持ちになる。「じゃあ、始めるよ」と、糸を張るためわざわざ遠くに離れ、話し終わればコップを手渡すためにまた顔を合わせるのだから、結局聞こえたか、聞こえないか、程度の会話が続く。それでも糸を伝わる声は、どこか秘密めいていて、他愛ない言葉のひとつひとつが幼い心を刺激した。全神経を耳に集中して、あの階段、この路地と試してみれば、冬の日はたちまち暮れてしまう。路地や庭先に生えていた無愛想なヤツデの花が、まるで通信基地のように薄暗がりにぬっと突き出ていた。〈折鶴の折り方忘れ雪の暮〉〈枯葦に分け入りて日の匂ひけり〉『通奏低音』(2014)所収。(土肥あき子)


December 03122014

 とぎ水の師走の垣根行きにけり

                           木山捷平

や、師走である。「とぎ水」はもちろん米をといだあと、白く濁った水のことである。米をとぐのは何も師走にかぎったことではなく、年中のこと。しかし、あわただしい師走には、垣根沿いの溝(どぶ)を流れて行く白いとぎ水さえも、いつもとちがって感じられるのであろう。惜しみなく捨てられるとぎ水にさえ、あわただしくあっけない早さで流れて行く様子が感じられる。「ながれ行く」ではなく「行きにけり」という表現がおもしろい。戦後早く、牛乳が思うように手に入らなかった時代、米のとぎ汁に甘みを加えて、乳幼児にミルク代わりに飲ませている家が近所にあったことを、今思い出した。栄養不足で、母乳が十分ではなかったのだ。とぎ汁には見かけだけでなく、栄養もあったわけだ。寒さとあわただしさのなかで、溝(どぶ)を細々とどこまでも流れて行く、それに見とれているわずかな時間、それも師走である。とぎ水を流すその家も師走のあわただしさのなかにある。「師走」の傍題は「極月」「臘月」「春待月」「弟(おとこ)月」など、納得させられるものがいろいろある。野見山朱鳥の句に「極月の滝の寂光懸けにけり」、原石鼎に「臘月や檻の狐の細面」などの句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 04122014

 銀閣も耳の後ろも冬ざるる

                           柳生正名

閣は金閣に比べて地味で渋い味わいの寺である。数年前に雪の京都を訪れたことがあるが、金閣は絢爛、銀閣は雪が暖かく見えるほどひっそりと静まり返ったわび姿だった。「冬ざれ」は冬枯れのさびしく荒涼たるさま、と歳時記にある。冬ざれの中に佇む銀閣は銀沙灘と向月台とそぎ落とした簡素なたたずまいが特徴なだけに、蕭条たるさまに寒さがいっそう伝わってくるように思う。銀閣も庭も冬ざれて、耳の後ろあたりからぞわぞわ来る寒さ、じんじんと足下から全身に伝わってくる寒さを感じているのだろう。底冷えの京都で冬ざれた銀閣を眺めるのは紅葉の季節、桜の季節と違った美しさを感じられていい。そのあとは熱いきつねうどんでも食べたくなるだろうな、きっと。『風媒』(2014)所収。(三宅やよい)


December 05122014

 潜る鳰浮く鳰数は合ってますか

                           池田澄子

(ニオ、ニオドリ、カイツブリ)は湖沼や公園の池などに棲み、例えば琵琶湖は鳰の湖などと称され親しまれている。しかしめったに地上には上がらず、水に潜っては魚や小エビ、昆虫などを捕食している。目まぐるしく浮き沈みする様を眺めていると、その沈んだ数と浮いた数が合っていないかもしれないなどと心配になってくる。「合ってます」とはとても確信が持てない。何しろ顔付もみなそっくりなのだ。潜った鳰が次にすぐ浮いて来るとは限らないし、長く潜っているものや直に浮いて来るものなど様々である。また浮いて来る場所にも意外性があって想定外の場所に出てくる。でも数だけは合っているはずだがなあ。『空の庭』(2005)所収。(藤嶋 務)


December 06122014

 蓮枯れて水に立つたる矢の如し

                           水原秋桜子

池の夏から冬への変貌は甚だしく、枯蓮の池は広ければ広いほど無残な光景がどこまでも続く。そんな一面の枯蓮のさまを目の前にして戦を想像し、折れた矢を連想することはあるだろう。しかし作者は、枯蓮が折れているところよりまっすぐなところを見ている。水に立つ、という表現には、危うさとその奥の強さが共存し、よりくっきりと折れた茎の鋭角を思わせる。この句が作られたのは、屋島の射落畠(いおちばた)。源平合戦の激戦地として知られ、源氏の佐藤継信が義経の身代わりとなって命を落とした地であるという。昭和三十年代当時は蓮池に囲まれていたようだが今はその池も無くなっている。水原春郎編著『秋櫻子俳句365日』(1990・梅里書房)所載。(今井肖子)


December 07122014

 寒鮒の口吸う泣きの男かな

                           永田耕衣

作年代はバラバラですが、掲句を三連作の最後として位置づけてみました。最初が「水を釣つて帰る寒鮒釣一人」。次が「池を出ることを寒鮒思ひけり」。この二つの「静」から、序破急の「動」が始まります。釣り師が鮒を釣り上げる。その時、まれに相思相愛の糸が赤く染まることがある。針に傷ついた鮒の唇を、男は泣きながら吸っているのである。なぜ泣くのか。泣くとはどういうことなのか。笑いは、瞬間的な落差の結果生ずることが多いのに対して、涙は、時間の蓄積によって溜まった結果流れます。その時間には、苦痛や迷い、希望や落胆が入り交じっていますから、泣くことも、一つの意味や感情に限定されにくい絵巻物のような現れ方をします。釣り師は、寒鮒との長い駆け引きの中で糸を引かずとも、一途な思いを寄せてきました。それは、「水を釣つて帰る寒鮒釣一人」に表れています。では、鮒の方はどうでしょう。「池を出ることを寒鮒思ひけり」です。釣り師は、長い間その気配を感じ続けてきた一方で、寒鮒は、長きに渡る針の漂いに、この唇を託してもいいという決意をしたのではないでしょうか。釣り師と寒鮒が恋に陥り、男が接吻の涙を流す。しかし、ここは人と魚。口吸いは短く終えて、水槽に移さなくてはなりません。異種恋愛には制約が多く、過去には『人魚姫』の悲恋もありますが、この恋はいちおう成就されたようです。たぶん、寒鮒も涙を流していて、これは芭蕉の「行春や鳥啼魚の目は泪」以来の魚類の涙です。ただ、耕衣の後に芭蕉を読むと、ちょっとオトメチックですね。耕衣は激しいますらをぶりです。掲句を17歳の少年に読ませたら、「マジっすか?」と言われそう。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


December 08122014

 レノン忌より小さき記事なり開戦忌

                           藤本章子

日十二月八日はかつての大戦の開戦日であり、ジョン・レノンの命日でもある。日本人にとって、いや世界の人類にとって、どちらが社会的に大きな出来事であったかは言うを俟たない。だが、この日の新聞はレノンの忌のことを大きく取り上げていたというのである。むろんレノン忌のことも風化させてはなるまいが、開戦の日のことはなおさらだろう。だが、ジャーナリズムとは残酷なもので、戦争の記憶の風化を嘆く舌の根も乾かぬうちに、かくのごとくに事態を風化させて平然としている。作者はそのことに大いなる義憤を覚えて詠んでいるわけだが、今日配達された紙面はどうであろうか。来年は戦後も七十年だから、そのことに引っかけて、多少大きめの記事を載せているかもしれない。近ごろの私は万事に悲観的だから、どのような大きな出来事もいずれは風化してしまうと思ってしまう。が、せめても自分の中では風化させないようにとも願っている。開戦日については、敗戦日よりもっと多々論じられてよい。俳誌「苑」(2011年3月号)所載。(清水哲男)


December 09122014

 野良猫に軒借られゐて漱石忌

                           尾池和子

際には猫より犬派だったようだが、漱石といえば猫、そして夏目家の墓がある雑司が谷界隈には野良猫が実に多い。野良猫の寿命は4〜5年といわれ、冬を越せるかどうかが命の分かれ目ともいわれる。先日、冷たい雨を軒先でしのいでいる猫のシルエットに気づいた。耳先がV字型にカットされている避妊去勢済みの猫である。縁側で昼寝をするほどの顔なじみではあるが、一定距離を保つことは決めているらしく、近づくと跳んで逃げる。ああ、またあの猫だな、と思いつつ、野良猫に名前を付けることはなんとなくはばかれ、白茶と色合いで呼んだりしている。そういえば『吾輩は猫である』の一章の最後に吾輩は「名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯無名の猫で終るつもりだ」とつぶやいていた。軒先で雨宿りする猫はどう思っているのだろう。漱石忌の今日もやってきたら、きっと名前を付けてあげようかと思う。「大きなお世話」と言われるだろうか。〈ふくろふに昼の挨拶してしまふ〉〈双六に地獄ありけり落ちにけり〉『ふくろふに』(2014)所収。(土肥あき子)


December 10122014

 咳こんで胸をたたけば冬の音

                           辻 征夫

咳」と「冬」で季重なりだが、まあ、今はそんなことはご容赦ねがいましょう。咳こんだら、下五はやはり「冬の音」で受けたい。「春の音」や「夏の音」では断じてない。私はすぐ作者の姿をイメージしてしまうのだが、イメージしなくとも、咳こんでたたく胸は痩せた胸でありたい。肥えた胸をドンドンとたたいても、冬のさむざむとした音にはならないばかりか、妙に頼もしくも間抜けたものに感じられてしまう。では、いったい「冬の音」とはどんな音なのか、ムキになって問うてみてもはじまらない。鑑賞する人がてんでに「冬の音」を想像すればいいのだ。掲出句は征夫がまだ元気なころの作ではないかと思われる。コホンコホンと軽い咳ならともかく、風邪であれ気管支の病気であれ、それによって起こる止まらない咳は苦しいものであり、思わず胸をたたかずにはいられない。とても「しわぶき」などとシャレている場合ではない。征夫には他に「わが胸に灯(ともしび)いれよそぞろ寒」という句もある。川端茅舎の句には「咳き込めば我火の玉のごとくなり」がある。そんなこともあります。『貨物船句集』(2001)所収。(八木忠栄)


December 11122014

 飲食のあと戦争を見る海を見る

                           吉村毬子

食時に食事時にテレビをつければイスラム国での戦闘の画面が映し出され、次のニュースでは南半球のリゾート地でのバカンスに切り替わる、一つの部屋にいながらにしてテレビは次々と世界で同時的に起こる映像を映し出す。漫然と通り過ぎる画像を食事をしながらリビングで見る生活が歯止めなく流れてゆく。掲載句ではそうした現実を踏まえつつ、現実から少し浮遊したところで書きとめている印象だ。句に意味づけをするつもりははないのだけど、無季であるだけに「いんしょく」と読むか「おんじき」と読むかで句の色合いが変わってくるように思う。「おんじき」と読むと「飲食のあと」の言葉の響きに終末感が漂う。戦争と海の概念性が増し「見る」主体に「わたくし」ではない超越的な神の目を思わずにはいられない。日常的な飲食のくり返しの果てに戦争を見て、海に全てのものが飲み込まれてゆくのを見る、そんな怖さを感じさせられる。『手毬唄』(2014)所収。(三宅やよい)


December 12122014

 浮寝鳥同心円を出でざりき

                           柴田奈美

とか鳰とか鴛鴦などは秋に渡来し越冬する。冬の間は湖水、河川、潟や海で餌をあさり寒い水の上で冬を過ごす。飛ぶもの潜るもの姿態は様々であるが、特に水上に浮かんで寝るものを浮寝鳥と言う。群れで渡来はするもののエサ取り羽繕いなど個別の生活作業もある。が常時仲間の気配を察知しながら落こぼれないように暮している。見渡せばみんな同心円の中でそうしている。一人は淋しい。寒くても貧しくても誰かと居ることは心強く嬉しい。他に<蜩や静かにその人を赦す><いち早く座ってをりぬ冷奴><病身の姉は叱れずさくらんぼ>などあり。『黒き帆』(2007)所収。(藤嶋 務)


December 13122014

 焚火してけふを終らす大工かな

                           松川洋酔

斗缶の火を囲む数人の大工、その日に出たカンナ屑など燃やしているのだろう。煙の香りが懐かしくよみがえるが、在来工法が少なくなった上、おいそれと焚火などできなくなってしまった現在ではほとんどお目にかかれない光景だろう。先日も二十代後半の知人に、キャンプファイヤー以外の焚火を見たことがない、と言われて驚いたがよく考えてみれば、さもありなんだ。掲出句は平成二十四年の作。<水舐めて直ぐにはたたず冬の蝶    >など、よく見て一句を為す作者であるが掲出句の、かな、は、過去の一場面をふと思い出しているような余韻が感じられる。<   湯たんぽの火傷の痕も昭和かな >。『水ゑくぼ』(2014)所収。(今井肖子)


December 14122014

 冬の暮何の疲労ぞ鮒を飼ひ

                           永田耕衣

滞しています。冬の暮は、季節の谷底です。植物は枯れ、動物の死骸は干からびて吹き溜まります。季節に感応しやすい作者は、どん底の時間を甘受しつつ、口まで吸って愛した鮒を飼うことに疲労を感じています。(「寒鮒の口吸う泣きの男かな」)。これは、二者の関係の絶頂は過ぎ、もう下降していく未来しかない時に生ずる疲労なのかもしれません。かたや、鮒はどう思っているのでしょう。あれほど強く求愛されてほだされて身を任せたものの、水槽生活はあまりに四角四面です。たしかに 、餌は安心して食べられます。水質も濾過装置がはたらいていて、常にきれいです。しかし、池の中にいた時のような、冒険したり、駆け引きに身を隠したり逃れたりした後にやってくる心地よい疲労がありません。鮒は、清潔で安全で豊かで、何ひとつ不安のない生活と引き換えに、ときめきを喪失したことを自覚しました。作者も、鮒の自覚を季節の谷の底で認識して、抜け出すことのできない疲労感に陥っています。なお、句集には他に「濁り鮒亡父母も共に潜り行く」「寒鮒の死にてぞ臭く匂ひけり」があります。生きている鮒は、生きるための新陳代謝をおこなっているので鮮度がいいのに対して、死んだ鮒は、生態系の中で分解される時、化学反応の臭気を発散します。耕衣は、生の新鮮さと死の化学 の両方を一方に偏らず、一方を美化することなく、公平な眼で写実しています。ここに、収支決算ゼロという耕衣の特質の一つを見いだします。数学的に言えば、左辺と右辺は等しいということになり、幸福と不幸、快楽と苦痛、それぞれのエントロピーもまた等しいということになるのでしょう。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


December 15122014

 名画座の隣は八百屋しぐれ来る

                           利普苑るな

学に入った年(1958年)は、宇治に下宿した。まだ戦後の色合いが濃く滲んでいた時代である。宇治は茶どころとして、また平等院鳳凰堂の町として昔から有名だったが、時雨の季節ともなると、人通りも少なく寂しい町だった。町に喫茶店は一軒もなく、ミルクホールなる牛乳屋のコーナーがあるだけだった。この句は、そんな宇治のころを思い出させてくれる。暮らしたのは宇治橋の袂からすぐの県通りで、私の下宿先から三十メートルほど離れたところに、名画座ではないが小さな映画館があった。隣がどんな建物だったかは覚えていないけれど、下宿の前が豆腐屋、その隣辺りに風呂屋があったといえば、この句の世界とほぼ同じようなたたずまいだ。句は町の様子をそのまんまに詠んだものだが、こうした句は、時間が経つほどにセピア調の光沢が増してくる。俳句ならではのポエジーと言ってよいだろう。なお、作者名「利普苑るな」は「リーフェン・ルナ」と読ませる。『舵』(2014)所収。(清水哲男)


December 16122014

 冬帽子試してどれも似合はざる

                           井出野浩貴

ね着するより帽子をかぶるほうがあたたかいと知ってから、冬場に帽子は欠かせないものになった。しかし、ニットや頭にフィットする素材が多い冬帽子は、輪郭と一体化するため、顔のかたちが強調される。掲句では、ショップであれこれ試してみてもどうもしっくりしないし、店員さんの言葉も素直も信用できなくなってくる。それでもいくつも被ってみて、いらないと出て行くのも悪い。さらに、店内の照明のなかで汗ばんた頭に被るのさえつらくなってきている状態と推察する。似合うか、似合わないかより、実は見慣れていないことにも原因はあるようだ。つば付きのものだと意外と違和感がないというので、初挑戦の方はぜひお試しあれ。〈不合格しづかに踵かへしけり〉〈卒業す翼持たざる者として〉『驢馬つれて』(2014)所収。(土肥あき子)


December 17122014

 たましひの骸骨が舞ふ月冴えて

                           那珂太郎

書に「大野一雄舞踏」とある。老年になってからの大野一雄の舞踏であろう。那珂さんが大野一雄の舞踏に、興味をもっていたとしても不思議ではないけれど、お二人の取り合わせはちょっと意外な感じがする。私も若いころから、大野さんの舞踏を大小さまざまな場所で拝見する機会が多かったし、晩年の車椅子での“舞踏”も何回か拝見した。「たましいの骸骨」とか「骸骨が舞ふ」という捉え方は詩人なればこそ。舞踏評論家でそういう捉え方をした人は、おそらくいないであろう。ずばり「骸骨」は凄い。言われてみれば、たしかに「たましいの骸骨」の舞いであった。ここで「骸骨」という言葉は、もちろん嫌な意味で使われているわけではなく、まったく逆である。むしろ余計なものをふり捨てて「生」を追いつめた、清廉で荘厳な「生命体」として捉えられている。ステージを観客はみな尊崇の表情で見つめていたが、その舞踏は「荘厳」とはちょっとちがう。敢えて言えば「荘厳な骸骨」としか言いようのない舞踏だった。この句の「たましひ」という言葉こそ重要であり、至上の響きをはらんでいる。那珂太郎の俳号は「黙魚」。眞鍋呉夫らと「雹」に属した。掲出句は「雹」3号(2000)に発表した「はだら雪」十五句のうちの一句。他に「炭つぐや骨拾ふ手のしぐさにて」がある。『宙・有 その音』(2014)には191句の俳句が収められた。(八木忠栄)


December 18122014

 コート払ふ手の肌色の動きけり

                           村上鞆彦

か紺色が深い色のコートの袖から出ている手の動きが生々しく感じられる。「コート払う」とあるので肩や裾あたりを手で払う動作が想像されるが、冬物の濃いコートの色を背景に遠くからでもその動きは目立つことだろう。句の着目はあくまでも手の「肌色」である。クレオンの肌色という色がオレンジベージュという言葉に変わったというニュースを聞いた。確かに人種によって「肌色」は違うし、あくまで黄色人種の日本人の示す範囲の概念だからだろう。この句で連想させる色もその肌色なのだけど、「肌色の動きけり」と即物的に書かれているだけに、コートからむき出しになっている手の動きと、その手がさらされている冷たい空気を想像させる。防寒用のコートや外套そのものを句の中心に置いた句を多いが、コートから露出した手でコートの色や質感を際立たせるような掲句の視点は新鮮に思える。『新撰21』(2009)所載。(三宅やよい)


December 19122014

 うつくしき骨軋ませて雪は降る

                           月野ぽぽな

を歩くときゅっきゅっと靴が鳴り、静かに降りしきる雪が重たく積ってその幹や枝を軋ませている。これをうつくしい骨が軋んでいると観る感性がある。このシューリアリズムの表現を敢てこの世の景観に変換する必要もなかろう。ここにあるのはただ軋む骨、降る雪、白い美しさ、それ以上のものでない方がよい。他に<これはまだ幼い鎌鼬だろう><冬霧の膝を崩して夜の底へ><陽のままでいる綿虫に出会うまで>などあり。「俳句」(2012年1月号)所載。(藤嶋 務)


December 20122014

 着ぶくれてゐても見つけてくれる人

                           石塚直子

、重くて肩が凝るという理由で真冬でも薄着していたら、寒い時薄着をしていると体の防衛本能が働いて脂肪が付きますよ、ほらトドみたいに、と言われ慌てて分厚いコートを着たことがあった、今は高性能のインナーやダウンジャケットがあるので助かる。そのダウンジャケットも、膨らんで見えるから着ません、と言っている知人もいるし、雑誌には、着ぶくれしないダウンジャケットの選び方、が特集されていたりする。伊達の薄着に象徴される我慢が、粋すなわちお洒落に通じるとすれば、安心して着ぶくれることは甘えに通じるということか。若い二人にとってはそんな甘えも文字通り心地よい甘さなのですね。『古志青年部作品集 第二号』(2013)所載。(今井肖子)


December 21122014

 空を出て死にたる鳥や薄氷

                           永田耕衣

は水中に生き、哺乳類は地上に生きます。魚は水中から出ると死に、哺乳類は、クジラ・イルカの類を除けば水中では生きられません。掲句もその考え方でいいのかどうか。空を出たら、鳥は死ぬ。そんな、空の掟があるのでしょうか。その前に、空とは何か。空はどこから始まってどこで終わるのでしょう。うまく定義づけられません。無難に答えるなら、水中でも地表でもない空間ということになります。ところで、私が今いる二階の部屋は水中でも地表でもありませんが、空でもありません。たしかに、私が部屋を出て家を出て戻らなければ、死んでしまったと思われることもあるでしょう。掲句の鳥も、空を出て、鳥としての生活圏外に出てしまったから死んだのでしょ う。あるい は、生き物が死ぬということは、生活圏の外に出るということなのでしょう。当たり前ですね。ちょっと視点を変えます。掲句の鳥は、雀や鳩、鴉ではありません。雀は、電線を伝わる程度の飛躍力しかないし、21世紀に入って、伝書鳩はほぼ絶滅しているでしょう。都会の鴉は、サラリーマンのように郊外の森から都心に出勤するので、数十メートル上空を移動します。鴉は、黒い羽根に隠された逞しい筋肉で羽ばたき空を飛びますが、狡知を働かせた都市生活者として地に足をつけて生きています。雀も鳩も鴉も、都市民のおこぼれをいただいて生計を立てるパラサイトである以上、空の生き物とは言えません。たぶん、掲句の鳥は、人間の世界とは全く無関係に、自然の摂理の中で生きる鳥だと思い ます。雁や鴨、ツグミやヒワなどの渡り鳥が、薄氷が張っている湖畔で客死している姿です。作者は、旅に死す姿に、至上の生き様をみています。詩人の死もこうあるべきや否や。空はどこから空なのか、その境界は曖昧ですが、湖水と地表の境界に薄氷を張らせたところに、画家でもあった耕衣の絵心をみます。その心は、鳥の死骸の傍らで、薄氷には空が反射しています。ここまでが空、ここからが空。天と地の、鳥送りのレクイエムです。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


December 22122014

 ひだりより狐の出でし障子かな

                           西原天気

語は「障子」。これを冬の季語とするのは、まだ冷暖房設備が整わなかったころ、夏は風通しをよくするために外し、寒くなってきてから障子を入れる習慣があったため。こうして整えられるのが「冬座敷」というわけだ。その冬座敷の障子に、いきなり狐が現れた。びっくりするような光景だが、この狐は影絵遊びのそれだろう。貼り替えた真新しい障子は、それでなくとも想像力を刺激してくる。影絵の主もちょっと遊んでみたかったのだろう。私も子供のころに、狐や犬を写しては弟に見せて楽しんだものだった。ただし電気の来ない家に住んでいたので、光源はランプだった。大人であればランプの光源はゆらめいたりするので魅力的と思うかもしれないが、子供にははっきりしない映像がもどかしかった、狐や犬以外にも多くのキャラクターを作ることができたけれど、いまでは狐と犬くらいしか覚えていない。そして現在の我が家には、もはや肝心の障子がないのである。『けむり』(2011)所収。(清水哲男)


December 23122014

 どろどろのマグマの上のかたき冬

                           水岩 瞳

グマといえば、噴火で流れ出た溶岩を思うが、本来は地下の深部にあるもの。あらためて地球の内部構造の解説を見てみると、今から約46億年前に誕生して以来、地球はマグマの海に覆われ、そののちゆっくりと表面が固まったと説明されている。地球の直径は1万km以上で、人間が掘ったもっとも深い穴は10kmほどというのだから、地球の内部のほとんどを人間はまだ見ていないことになる。宇宙も神秘だが、地中も神秘に満ちている。地球の薄皮一枚の地表の上で、冬が来たと右往左往する人間がことさらが愛おしく思えるのである。〈この道の草に生まれて草の花〉〈円かなる月の単純愛すかな〉『薔薇模様』(2014)所収。(土肥あき子)


December 24122014

 地上の灯天上の星やクリスマス

                           千家元麿

夜はクリスマス・イブ。とは言え、当方には格別何もない、何もしない。夕食にワインをゆっくり楽しむくらい。ツリーもターキーも関係ない。関連するテレビ番組のチャラチャラしたバカ騒ぎが邪魔臭いだけだ。「地上の灯」つまりイルミネーションは、クリスマスから始まったと思われるが、近年は12月に入ると、町並みのあちこちで派手なイルミネーションが、キリスト様と関係なくパチクリし始める。クリスマスというよりも、年末商戦がらみの風物詩となってしまった観がある。ノーベル賞受賞はともかく、経済的に有利なLEDの普及と関係があるらしい。今や「天上の星」は「地上の灯」のにぎわいに圧倒され、驚きあきれて夜通しパチクリしているのではあるまいか。掲出句における「地上」と「天上」は、まだ程よくバランスがとれていた時代のクリスマス・イブであろう。近年は「昼に負けない都会の夜の明かるさ」と嘆く声も聞こえてくる。過剰で危険な発電に強引に突っ走るのではなく、夜は星明かりをしみじみ楽しむゆとりをもちたいものである。元麿には、他に「春寒き風の動かす障子かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 25122014

 犬の眉生まれてきたるクリスマス

                           岡田由季

リスマスは人間を救済するため人の子の姿を借りて神の子キリストが生まれたことを祝う日であるが、もはやサンタとケーキとプレゼント交換が目的の日になってしまった。本来の意義を感じつつこの日を迎えるのはクリスチャンぐらいだろう。掲句では生まれたての子犬のふわふわした顔にうっすらと眉毛のような濃い毛が生えてきたのだろう。かすかな兆候を「生まれる」と形容しクリスマスに重ねたことで、それを発見したときの初々しい喜びが伝わってくる。暖かな子犬を抱き上げてうっすらと眉が生えてきたように見える額のあたりを指の腹でなでてみる。その下に輝く子犬の瞳は不思議そうに飼い主を見つめていることだろう。新しく生まれてくるものを迎えるクリスマスにふさわしい一句であると思う。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


December 26122014

 正月は留守にする家鶲来る

                           小川軽舟

月の留守は実家への帰郷とか連休利用の旅行など普段の生活拠点を離れる事が多くなる。十月を過ぎる頃にはそんな正月の予定をあれこれ立てる。ふいと「ヒッヒッ」と火打石を打つ音に似た鳥の鳴き声が聞えた。尉鶲(ジョウビタキ)である。例年通り渡来し例年通りわが家の庭木に止まった。そんな律義さがこの鳥にはある。オスは赤褐色の腹部や尾が鮮やかで翼の黒褐色とそこにある白い斑点がしゃれている。よく目に留まる高さに飛びまわるので目につきやすい。今年もやって来たなと安心しつつも人は自らの旅の準備に思いをはせる。旅は良い、心細くなるような冬の旅が良いと飽食の都会生活にこころ腐らせた身には思えるのである。他に<初冬や鼻にぬけたる薄荷飴><しぐるるや近所の人ではやる店><綿虫のあたりきのふのあるごとし>などあり。「俳句」(2013年2月号)所載。(藤嶋 務)


December 27122014

 おほかたは灯の無き地上クリスマス

                           亀割 潔

前目にした、宇宙から見た夜の地球、の画像を思い出す。煌々と輝いている灯の美しさに驚きながら、あらためてこれ全部電気なのだと複雑な気分になった覚えがある。それは、地球という生きている星に人間が寄生している証のようにも思えた。掲出句を読んで、あらためて国際宇宙ステーションからの映像を見てみると、眩い光は深い藍色の闇の中に浮きあがっている。掲出句の作者は、クリスマスツリーやイルミネーションの光から、それとはほど遠い彼方の大地やそこに生きる人を思っているのだろうか。自在な発想は<山眠る小石の中に川の記憶>などの句にも感じられる。『斉唱』(2014)所収。(今井肖子)


December 28122014

 空蝉や触るも惜しき年埃

                           永田耕衣

蝉という日本語には、雅ではかない情感があります。十七歳の光源氏が心魅かれた女性の名が空蝉でした。光源氏の夜の訪れを察して、薄衣を残して去った幻の女性です。耕衣の書斎には、自筆の書画のほかに小物、小道具、珍品が小さな博物館のように有機的かつ無造作に置かれていたと聞きました。句集では、掲句の前に「空蝉の埃除(と)らんと七年経つ」があるので、「年埃(ねんぼこり)」は、七年物です。合理主義者ならそれを、七年間放置されているゴミとみなして捨てます。年末の大掃除のときなら尚更でしょう。しかし、耕衣は「触るも惜しき」心を表明しています。蝉の抜け殻は脱皮後の抜け殻ですが、蝉がこれから生きていくためには、まったく必要のない廃棄物です。ところが、耕衣はそれを七年間書斎に置き、はじめのうちは抜け殻そのものの造形美を見ていたのが、見つづけるうちに埃が堆積してきた変化を楽しみはじめます。空蝉に堆積しつづける年埃は、砂時計が一粒ずつ落ちることによって時の経過を示すように、時間を可視化しています。拾ってきたセミの抜け殻をコレクションにしたがるのは子どもに多く、耕衣は、幼児性が抜けていないおじいちゃんであったこともしのばれます。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


December 29122014

 暖房の室外機の上灰皿置く

                           榮 猿丸

煙家ならば、誰もがうなずける句だろう。いまではたいていの室内が禁煙だから、吸いたいときには室外に出ざるを得ない。句は、オフィスの室外だろうか。寒風の吹くなか、震えながらの喫煙となるが、灰皿を持って出ても、適当な置き場所もないので手近の室外機の上に置いている。そもそも室外機の上に物を置く行為がなんとなく後ろめたいうえに、そんなことまでして煙草を吸う惨めさが身にしみてきて、およそゆったりとした気分にはなれない。だが、それでも吸いたいのが煙草好きの性なのだ。味わうなんてものじゃなく、とにかく煙を吸ったり吐いたりする行為にこそ、意味があるわけだ。どんな職場にもそうした男たちが何人かは存在する。仕事ではウマが合わなくても、こういう場所では同志的連帯感がわいてくる。これからの季節、しばらくはこんな情景があちこちで見られるだろう。喫煙者以外には、わかりにくい句かもしれない。『点滅』(2013)所収。(清水哲男)


December 30122014

 生きてゆくあかしの注連は強く縒る

                           小原啄葉

連縄は神聖な場所と下界を区別するために張られる縄。新年に玄関に飾る注連飾りには、悪い気が入らないよう、また年神様をお迎えする準備が整ったという意味を持つ。現在では手作りすることはほとんどなくなったが、以前は米作りののちの藁仕事の締めくくりに注連縄作りがあった。一本一本丁寧に選別された藁は、手のひらで強く縒(よ)り合わせながら、縄となる。体温をじかに伝えながら、来年の無事を祈り込むように、注連縄が綯(な)われていく。『無辜の民』(2014)所収。(土肥あき子)


December 31122014

 なにはさてあと幾たびの晦日蕎麦

                           小沢昭一

成17年12月の作。昭一はこの年76歳で、元気そのものだった。同年6月の新宿末広亭の高座に、初めて10日間連続出演して話題になった。連日満員の盛況だった。私は23日に聴いた。演題を「随談」として、永六輔の顔がいかに長いか、そのほか愉快な談話で客を惹きつけた。最後は例によって、ふところからハーモニカを取り出しての演奏になった。笑いあふれる高座だった。ところで、「晦日蕎麦」の風習は今もつづいているようで、12月になると、蕎麦屋には「年越し蕎麦のご予約承ります」というビラが貼り出される。私も大晦日には新潟風のいろんな料理をつついて酔っぱらったあげく、いつも蕎麦を食べてから沈没するのが恒例となっている。齢を重ねれば、誰しも「あと幾たび」とふと考えることが増えるのは当たり前。なにも「晦日蕎麦」に限ったことではない。他人事ではない詠みっぷり、さすがに昭一らしい。「なにはさて」という上五がうまい。氏はその後、(計算では)亡くなる年まで七回「晦日蕎麦」を食したことになる。掲出句とならんで「黄泉路川(よみじがわ)小巣越すも越さぬも春の風」がある。『俳句で綴る変哲半世紀』(2012)所収。(八木忠栄)




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