2015N11句(前日までの二句を含む)

January 0112015

 俳句思えば元朝の海きらめきぬ

                           池田澄子

けましておめでとうございます。2015年、羊年の幕開けである。毎日夜は明けるけど元旦の日の出のきらめきは格別である。今朝も多くの人が山や海へと足をのばして、その瞬間を待ちわびたことだろう。正月と言えば宮城道雄の「春の海」。正月のたびかかるこの曲も元旦に聞くと気持ちが清々しく改まるように思える。そんなふうに気持ちをリフレッシュできる正月があってよかった。さて掲載句は「俳句思えば」のフレーズで5つのパートに分かれた章の締めくくりに配置されている中の一句。作者の俳句に対しての思いがめぐる季節と同体化して表現されている。この短くて短いが故に困難さと可能性を秘めたこの詩形を心から愛する作者にとって、まだ生み出していない俳句は元朝の日に寄せては返す波頭のきらめき。さて今年はどんな俳句とめぐりあえることだろう。『拝復』(2011)所収。(三宅やよい)


December 31122014

 なにはさてあと幾たびの晦日蕎麦

                           小沢昭一

成17年12月の作。昭一はこの年76歳で、元気そのものだった。同年6月の新宿末広亭の高座に、初めて10日間連続出演して話題になった。連日満員の盛況だった。私は23日に聴いた。演題を「随談」として、永六輔の顔がいかに長いか、そのほか愉快な談話で客を惹きつけた。最後は例によって、ふところからハーモニカを取り出しての演奏になった。笑いあふれる高座だった。ところで、「晦日蕎麦」の風習は今もつづいているようで、12月になると、蕎麦屋には「年越し蕎麦のご予約承ります」というビラが貼り出される。私も大晦日には新潟風のいろんな料理をつついて酔っぱらったあげく、いつも蕎麦を食べてから沈没するのが恒例となっている。齢を重ねれば、誰しも「あと幾たび」とふと考えることが増えるのは当たり前。なにも「晦日蕎麦」に限ったことではない。他人事ではない詠みっぷり、さすがに昭一らしい。「なにはさて」という上五がうまい。氏はその後、(計算では)亡くなる年まで七回「晦日蕎麦」を食したことになる。掲出句とならんで「黄泉路川(よみじがわ)小巣越すも越さぬも春の風」がある。『俳句で綴る変哲半世紀』(2012)所収。(八木忠栄)


December 30122014

 生きてゆくあかしの注連は強く縒る

                           小原啄葉

連縄は神聖な場所と下界を区別するために張られる縄。新年に玄関に飾る注連飾りには、悪い気が入らないよう、また年神様をお迎えする準備が整ったという意味を持つ。現在では手作りすることはほとんどなくなったが、以前は米作りののちの藁仕事の締めくくりに注連縄作りがあった。一本一本丁寧に選別された藁は、手のひらで強く縒(よ)り合わせながら、縄となる。体温をじかに伝えながら、来年の無事を祈り込むように、注連縄が綯(な)われていく。『無辜の民』(2014)所収。(土肥あき子)




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