2015N1句

January 0112015

 俳句思えば元朝の海きらめきぬ

                           池田澄子

けましておめでとうございます。2015年、羊年の幕開けである。毎日夜は明けるけど元旦の日の出のきらめきは格別である。今朝も多くの人が山や海へと足をのばして、その瞬間を待ちわびたことだろう。正月と言えば宮城道雄の「春の海」。正月のたびかかるこの曲も元旦に聞くと気持ちが清々しく改まるように思える。そんなふうに気持ちをリフレッシュできる正月があってよかった。さて掲載句は「俳句思えば」のフレーズで5つのパートに分かれた章の締めくくりに配置されている中の一句。作者の俳句に対しての思いがめぐる季節と同体化して表現されている。この短くて短いが故に困難さと可能性を秘めたこの詩形を心から愛する作者にとって、まだ生み出していない俳句は元朝の日に寄せては返す波頭のきらめき。さて今年はどんな俳句とめぐりあえることだろう。『拝復』(2011)所収。(三宅やよい)


January 0212015

 初烏風強ければ逆らはず

                           藤井鬼白

日ことに日の昇る東の空に鳴く烏とその声が「初烏」。初鴉は瑞兆で縁起が良いとされる。よく烏が鳴くと不吉な前兆と言うが烏って何時でも何処でも吉凶に拘らず鳴くものである。その姿や声が禍福両様にとられ八咫烏の故事や各地の神事で扱われたりしもする。晴れ渡る正月の空に、烏が風に逆らわず悠々と向かっている。烏の風遊びが始まった。逆らわず身を任す知恵と術を烏はもっている。他に<消燈の早き病舎や蛍飛ぶ><本尊は石の薬師や笹子なく><投げ苗の一把は解けて飛びにけり>など。『藤井鬼白自選句集』(2006)所収。(藤嶋 務)


January 0312015

 数へではあら六十や明けの春

                           小泉洋一

の句が収められている句集の名は『あらっ』(2013)。掲出句からとった、とあとがきにある。「その時の心持ちが素直に詠めたことがうれしかった」とは同じあとがきにある作者の言葉だ。「あら」は、ああ、あな、というある種の感動を表しているが、「あらっ」となると、あらまあびっくり、といった感じがよりにじむ。還暦はやはり一種感慨があるもので、同窓生が集まるとあれこれ話題になる。作者は早生まれ、年が明けて、皆今年還暦だけれど自分は来年よ、と思った瞬間、あ、数え年ならもう六十歳ではないか、と気づいて盃を持つ手が止まったのだ。年が明けることも、干支が一回りすることも、とりあえずめでたい。(今井肖子)


January 0412015

 初明り地球に人も寝て起きて

                           池田澄子

しい年が始まる。寒さの中で夜明けを待ち、初日の出を見るとき、その明りが地球を、私たちを暖めてくれている事実に気づかされます。日々、当たり前にくり返されている朝と昼と夜、そして四季が巡っている事実を、あらためて太陽と地球という天体の関係としてとらえ直してみることで、新しい年の日常を迎えいれていく覚悟ができるように思われます。掲句は、そのような、宇宙的視点から人が寝たり起きたりする日常を描いていて、普遍的な人類俳句です。以下、池田さんの新春俳句のいくつかを読んでみます。「年新た此処から空がいつも見え」。たぶん、池田さんは、空を見るのがお好きな方なのでしょう。とくに、年の始まりの空は澄んでいることが多く、何も書かれていない半紙や原稿用紙、画貼と向き合うような清々しさがあります。「湯ざましが出る元日の魔法瓶」。元日は、ゆったりしたテンポで生活しますから、魔法瓶の湯を替えることなく、「元日の茶筒枕になりたがる」となり、お茶もいれずに横たわり、「一年の計にピーナツの皮がちらばる」わけです。だから、「口紅つかう気力体力 寒いわ」。脱力した指先に、口紅をもつために気合いを入れるのですが、あまりに無防備になっているので寒さにやられて、「あらたまの年のはじめの風邪薬」。以上の読みは、句の制作年代もバラバラなので作者の生活実態とはかけ離れていることを付記し、池田さんには新春早々ご無礼をお詫び申し上げます。『池田澄子句集』(ふらんす堂・1995)所収。(小笠原高志)


January 0512015

 獅子舞の目こそ哀しき平和かな

                           辻井 喬

句では「平和」というような抽象的直裁的な表現を嫌うようだが、それは使い方によるもので、この句では「平和」がよく効いている。獅子頭の目はただ黒々と丸く描かれたものだから、何の感情も宿してはいない。人形などのそれのように、だからこそ逆に見るものの見方によってさまざまな感情を表すことになる。句意は獅子の目を見ているとその大きく見開かれた瞳が、現今の「哀しき平和」の様態を映し出しているように見えるというわけだが、同じ「平和」と言ってもその様態はさまざまだ。「平和」とは単に戦争の無い様態を言うこともできるけれど、内容的には大きな深浅の違いがあるだろう。簡単に言っておけば、戦後日本の「平和」は、戦後十五年ほどが最も深かった。もう戦争は御免だという意識が国民的な広がりを持っていて、再軍備などはとんでもないという理屈以前の根拠が大きな力を持っていた。国は貧しかったが、こんな時代はおそらく史上はじめてだつたと思う。「平和を守れ」とは単なるお題目ではなかった、それが今はどうだろう。戦争を知る世代の作者は、大きな哀しみをもって、お題目と化しつつある浅き「平和」の様態を眺めているという図だ。何をかいわんや。空爆くらいしか戦争を知らない私にしてからが、いまの「平和」の浅さには呆然としてしまう。「毎日新聞」(2014年5月24日・夕刊)所載。(清水哲男)


January 0612015

 抱かれたし白ふくろふの子となりて

                           森尻禮子

クロウは、鳥のなかでも、顔が大きく扁平で、目鼻立ちが人間に近い。ヨーロッパでは古くから「森の賢者」とされ、知恵の象徴としてきたが、日本では不吉なものだった。しかし、最近では「不苦労」「福来路」「福老」などと読み替えて、縁起を上乗せし、ウサギやカエルについで、小物などの収集家の多い生きものとなっている。シロフクロウといえば、「ハリー・ポッター」でハリーのペットとして登場し、その大きく、美しく、賢い姿に一時ペットとしての人気も急上昇し、「ふくろうカフェ」なる場所も今や話題だ。それしにしてもフクロウの子どもときたら、手のひらサイズで全身ふわふわ、うるうるの瞳をうっとり閉じる様子などとても猛禽類とは思えない可愛さである。ふくろうカフェの紹介には「鳥というより猫に近い」とあり、猫好きが心惹かれる道理と納得した。〈鷹狩の電光石火とはこれぞ〉〈鳰の巣に今朝二つめの卵かな〉『遺産』(2014)所収。名前の表記はネヘンに豊。(土肥あき子)


January 0712015

 役者あきらめし人よりの年賀かな

                           中村伸郎

っから芝居がたまらなく好きで堅実に役者をめざす人、ステージでライトに照らし出される華やかな夢を見て役者を志す人、他人にそそのかされて役者をめざすことになった人……さまざまであろう。夢はすばらしい。大いに夢見るがよかろう。しかし、いっぱしの役者になるには、天分も努力も必要だが、運不運も大いに左右する。幸運なめぐり合わせもあって、役者として大成する人。ちょいとした不運がからんで、思うように夢が叶わない人。今はすっぱり役者をあきらめて、別の生き方をしている人も多いだろう。(そういう人を、私も第三者として少なからず見てきた)同期でニューフェイスとしてデビューしても、一方は脱落して行くという辛いケースもある。長い目で見ると、そのほうが良かったというケースもあるだろうし、その逆もある。このことは役者に限ったことではない。「役者をあきらめし人」の年賀をもらっての想いは、今は役者としての苦労もしている身には複雑な想いが去来するのであろう。親しかった人ならば一層のこと。そういう感懐に静かに浸らせてくれるのが年賀であり、年頭のひと時である。虚子の句に「各々の年を取りたる年賀かな」がある。平井照敏編『新歳時記・新年』(1996)所収。(八木忠栄)


January 0812015

 人減し時代に生きて鷽を替ふ

                           田川飛旅子

替え(うそかえ)は大宰府天満宮などで行われる神事。「鷽」は「嘘」に通じ、前年にあった厄を吉へ転じるために木彫りの鷽を新しいものに交換するという。理系の技術者で役員まで上り詰めた作者には経営の厳しさもサラリーマンの悲哀も両方わかる立場にいただろう。会社に育てられ終身雇用が当たり前だった時代も過ぎ、会社が生き残るための人員整理が怒涛のごとく行われた。今やリストラや転職が珍しくない時代になったが、掲句では「鷽を替ふ」という禍を転じるはずの言葉が、簡単にすげかえられるサラリーマンの首のように思えてこの神事に対してのアイロニーが感じられる『田川飛旅子選句集』(2013)所収。(三宅やよい)


January 0912015

 御降の沁みとほりたる漁網かな

                           高階和音

降り(おさがり)は元日から三が日に降る雨や雪のこと。正月のお天気は晴れても降ってもめでたい。きっと今年も豊年満作、漁も大漁だろうと縁起よい夢を占う。初漁に備えて繕はれた漁網が広げられている。網の目に沁みとおるほどの小糠雨だろうか降注いでいる。細やかに明るく光る雨粒を眺めながら、今年もきっと健やかな年になることを切に期するのである。他に<傀儡師潮に濡れたるものを履き><漁小屋に歯固めの餅焦げにけり><御降の雪浮玉を隠しけり>などあり。俳誌「斧」(2005年3月号)所載。(藤嶋 務)


January 1012015

 寒苺われにいくばくの齢のこる

                           水原秋桜子

苺は本来、冬苺とも呼ばれる野生の実で、これが冬苺ですよ、と言われ丸くぷちぷちとしたそれを口にした時のすっぱさと共に記憶にある。しかしこの句の寒苺は、寒中に出回っていた温室栽培の冬の苺。というのも、売っていたものを買い求め、そのつややかな色を描こうとして見つめている時に作られた句であるからだ。確かに、思わず自らの老いを自覚してしまう感覚は、大粒でみずみずしい真紅の苺の輝きがなくては生まれない。しかし、寒苺の句として読んでも、冬枯れの野に小さく実をつけた冬苺の赤を愛おしむようなやさしさがにじんで、自らの老いはとうに自覚している、というまた違った趣の一句となる。ただ、われにいくばくの、とあえて字余りのひらがな表記の中八には前者の方がぴたっとくるだろう。六日の寒の入から月も欠け始めいよいよ寒さもこれからである。『霜林』(1950)所収。(今井肖子)


January 1112015

 早咲きの木瓜の薄色蔵開き

                           鈴木真砂女

歳時記によると、蔵開きは、年のはじめに吉日を選んでその年初めて蔵を開くこと。また、その祝い。多く正月の十一日に行ない、江戸時代に、大名が米蔵を開く儀式に始まるといいます。鏡開きで餅を割って食べる日でもある今日は、正月に休めていた筋肉を再始動させるスタートの日のようでもあります。また、家庭では、正月用の器の類を蔵に仕舞って日常に戻っていく、そんな生活の節目でもあったのでしょう。しかし、げんざい、そのような生活習慣はとうに切れていますから、掲句の「蔵開き」は、むしろ抽象的に使われているでしょう。春に咲く木瓜(ぼけ)の花がほんのり薄赤く咲き始めていて、それが、正月開けの人々の動きと連動しているように見えます。自 然界も 人の世も、徐々に活気づく日常が動き始めます。ただし、春はまだ遠く、早咲きの木瓜の花が受粉するのはかなりむずかしいでしょう。『鈴木真砂女全句集』(角川書店・2001)所収。(小笠原高志)


January 1212015

 成人の日の母たりしこと遥か

                           今井千鶴子

日の「成人の日」を詠んだ句は多いけれど、掲句の視点はユニークだ。子供の生長にことよせて、現在の自分のことを詠んでいる。あんなに小さかった我が子が、つつがなく成人の日を迎えた。傍目には平凡な事実が、産み育てた母親としての自分にはとても感慨深く感じられた。赤ん坊から大人への道程には、いくつもの劇的な変化が伴う。よくもここまでと、とりわけて母親には感じることの多い日であろう。そんな特別な日も、しかしいまでは遥か昔のことになってしまった。そのことを思うと、遠くまで来たものだという新しい感慨がわいてくるのである。かつて晴れがましそうに成人式に出向いていった子どもも、もはや自分と対等の大人であり、子どものころのような劇的な変化を見せることもない。これが人生の定めである。母としての作者は、その現実に一抹の寂しさを覚えながらも、おだやかに微笑しているような気がする。俳誌「ホトトギス」(2004年6月号)所載。(清水哲男)


January 1312015

 鮟鱇や大事なところから食べる

                           水上孤城

見からするとどう見ても美味とはほど遠い鮟鱇ではあるが、実は捨てるところなど全くないといわれるほどおいしい魚である。七つ道具とは、なくてはならない七種類のものをいうが、鮟鱇はこれ全身が美味の七つ道具。「肝」「ぬの(卵巣)」「ひれ」「えら」「皮」「水袋(胃)」「身」でしめて七つ。全体の80%が水分でさばきにくいことから、口にフックを掛けて吊し切りをするが、この七つ道具が外されると、残るは骨と口だけという心細い姿となる。掲句のいうもっとも大事な場所とはどこかと考えると、ものごとの重要を意味する「肝」に違いないと思われ、たしかにもっとも先に箸を付けたい場所だと得心する。しかし、大事な箇所ばかりを肥大させられるガチョウの不運を思うと、おいしくなりすぎるのも危険なことなんだよ、ともつぶやきたくもなるのである。『水の歌』(2010)所収。(土肥あき子)


January 1412015

 まゆ玉や一度こじれし夫婦仲

                           久保田万太郎

が子どもだった頃の正月の行事として、1月15日・小正月の頃には、居間にまゆ玉を飾った。手頃な漆の木の枝を裏山から切ってくる。漆の木の枝は樹皮が濃い赤色でつややかできれいだった。その枝に餅や宝船、大判小判、稲穂、俵や団子のお菓子など、色も形もとりどりの飾りをぶらさげた。だから頭上で部屋はしばし華やいだ。豊作と幸運を祈願する行事だったが、今やこの風習は家庭では廃れてしまった。掲出句の前書に「昭和三十一年を迎ふ」とある。万太郎夫婦は前年に鎌倉から東京湯島に戻り住んだ。当時、万太郎の女性問題で、夫婦仲は良くなかったという。部屋に飾られて多幸を祈念するまゆ玉は新年にふさわしい風情だが、そこに住む夫婦仲は正月早々しっくりしていない。部屋を飾る縁起物と、スムーズにいかない夫婦関係の対比的皮肉を自ら詠んでいる。万太郎の新年の句に「元日の句の龍之介なつかしき」がある。これは言うまでもなく龍之介の「元日や手を洗ひをる夕ごころ」を踏まえている。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)


January 1512015

 祖父逝きて触れしことなき顔触れる

                           大石雄鬼

寒のころになると「大寒の埃の如く人死ぬる」という高浜虚子の句を思い出す。一年のうちでもっとも寒い時期、虚子の句は非情なようで、自然の摂理に合わせた人の死のあっけなさを俳句の形に掬い取っていて忘れがたい。私の父もこの時期に亡くなった。生前は父とは距離があり、顔どころか手に触れたことすらなかった。しかし亡くなった父の冷たい額に触れ、若かりし頃広くつややかだった額が痩せて衰えてしまったことにあらためて気づかされた。多くの人が掲句のような形で肉親と最後のお別れをするのではないか。掲載句は無季であるが虚子の句とともにこの時期になると胸によみがえってくる。『だぶだぶの服』(2012)所収。(三宅やよい)


January 1612015

 弄ぶ恋があるらし温め鳥

                           平林恵子

め鳥は一つには、親鳥がひなを羽の下に抱いて温めるそのひなの事。母の想い出には抱かれた日の温かき懐の記憶がある。温め鳥のもう一つには冬の寒い夜、鷹が小鳥を捕らえて掴かんで足を温めるその小鳥の事を言う、翌朝には放すらしい。揚句の場合は後者の鷹に弄ばれた小鳥のほうだろうか。恋は片想い専門の小生であるが一度は弄ばれてみたかった、いや面目ない。他に<山の子が海の子へ振る夏帽子><十六夜や兎の型に切る林檎><東京の大坂小坂金木犀>など。『チョコレート口に小春日臨時列車』(2005)所収。(藤嶋 務)


January 1712015

 寒いからみんなが凛々しかりにけり

                           後藤比奈夫

かに、暑さにたるみ切った姿より寒さに立ち向かう姿の方がきりりと引き締まっている。それにしても前半の口語調と後半の、かりにけり、とのアンバランスが得も言われぬ印象を与える掲出句だが、既刊十句集から三百八十句を選って纏められた句集『心の花』(2006)の中にあった。そしてこの二句後に<一月十七日思ひても思ひても >。作者は神戸在住。思えば寒中、寒さの最も厳しい時に起こった阪神淡路大震災である。寒さは何年経ってもその時を思い出させるのかもしれないが、この句の肉声にも似た口語調と、凛々しかりにけり、にこめられた深く強い思いに励まされるような気がしてくる、二十年目の今日である。(今井肖子)


January 1812015

 霜百里舟中に我月を領す

                           与謝蕪村

筆句帳にある安永四年(1775)、六十歳の作。前書に、「淀の夜船 几董と浪花より帰さ(ママ)」とあり、淀川の夜舟に乗って大阪から京へ帰ってくる途中の句です。実景に身を置きながら、舟中の流れは、そのまま漢詩の世界に辿りつくようなつくりになっています。淀川の両岸は霜が降りて白く、舟は月光が反射する川の流れをゆっくりと遡上しています。見上げれば岸辺の樹木の葉は落ち、枯れ枝ゆえ空は広く、我(われ)と月とを遮る物は何もありません。今、我は月を独り占めしている。いい酒に酔って、詩想を得たのかもしれません。李白の『静夜思』に、「床前月光をみる。疑うらくはこれ地上の霜かと」があり、また、『つとに白帝城を発す』に、「軽舟すでに 過ぐ万重の山」があります。蕪村は、これらに類する漢詩文を踏まえて、掛軸のような一句を創作したのかもしれません。『蕪村全句集』(おうふう・2000)所収。(小笠原高志)


January 1912015

 葉牡丹の飽きたる渦となりにけり

                           有原正子

ところまでは、てっきり西洋からの伝来種だと思っていたが、純粋に日本で開発された「花」だった。結球しない古い品種のキャベツが主に観賞用として栽培されるうち、品種改良されたと見られている。冬で花の少ない時期に、葉っぱを「花」に見立てるとは、さすがにやりくり上手な日本人の智慧だと感心はする。が、やはり「花」ではない哀しさ。色合いもくすんでいて地味だから、私などははじめから飽きていると言ってもよいほどだ。作者は何日かは楽しんだようだが、あまりの変化のなさに、だんだん食傷気味になってしまったのだろう。品種によっては違うのかもしれないが、句は似是非「牡丹」の基本的様相をうまく捉えている。『現代俳句歳時記・冬、新年』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


January 2012015

 このあたり星の溜り場穴施行

                           酒井和子

施行(あなせぎょう)とは、餌が乏しくなる寒中に鳥や獣に食べものを施す習俗。寒施行、野施行ともいい、三升三合三勺の米を炊いて作った小さな握り飯を獣が出入りしそうな洞の前や大樹の根方などに置く。翌朝、食べものがなくなっていると豊作になると言われるが、この習俗は吉兆占いというより、ときに害獣となる敵であっても、この地に生きるものとして寒さや飢えを思いやる気持ちが勝っているように思われる。凍るような空に満天の星がひとところかたまり灯っているのも身を寄せ合っているようにも思え、また、この冬に命を落とした生きものたちがまたたいているようにも見え、その明るさに胸がしめつけられる。〈紙子着てわがむらぎものありどころ〉〈水仙の木戸より嫁ぎゆきにけり〉『花樹』(2014)所収。(土肥あき子)


January 2112015

 冬銀河男女黙せるまま老いぬ

                           橋本真理

人同士、あるいは若い夫婦なら向き合ってよくしゃべる。けれども一般的に、年齢とともに会話は少なくなっていくケースが多い。あるレストランで、中年の男女が活発によくしゃべっている。それを遠くから見ている人が連れの人に言う。「ふたりは夫婦じゃないな」「どうして?」「夫婦だったら、あんなによくしゃべらない」ーーというくだりがある小説を読んだことがあり、ナルホドと感心したものである。例外はもちろんあるだろうけれど、夫婦の会話は年齢とともにどうしても減ってくる。ま、「要用のみにて失礼します」というわけだ。掲出句の「男女」は夫婦なのかも知れない。会話は減ってきても、冬の夜空をまたいでいる銀河だけは相変わらず冴えわたっている。そこに黙せる男女を配置したことによって、冬銀河がいっそう冴え冴えと見えてくる。「黙せるまま」と言っても、二人とも特に仲が悪いわけではない。むしろ自然体なのであって、両者に格別の不満があるわけではないのだろう。「冬銀河」と「老い」とが鮮やかな対比を示しているところに注目したい。作者の句は他に「蝶凍てて夢の半ばも夢の果て」がある。「長帽子」76号(2014)所収。(八木忠栄)


January 2212015

 雪の教室壁一面に習字の雪

                           榮 猿丸

庭一面に降り積もった雪、体育館も渡り廊下の屋根も雪で覆われている。人いきれで曇った窓を手で拭って見ると普段の学校とは全然違う景色が広がっている。そして、教室の後ろの壁一面には生徒たちが習字の課題で書いた「雪」が黒々と張り出されている。40枚近く連続した「雪」「雪」「雪」の文字が様々な書きぶりで踊っているのだ。生徒たちでにぎわう教室より、授業が終わって閑散とした薄暗い教室で降る雪と壁面いっぱいに張り出されている「雪」に囲まれている情景を想像するとより印象的で、映画のワンシーンのようだ。「雪の教室」という出だしと結語の「習字の雪」というリズムも響きも良くて一読忘れがたい句である。『点滅』(2013)所収。(三宅やよい)


January 2312015

 冬夕焼鴉の開く嘴の間も

                           小久保佳世子

っ赤な夕焼けが真っ黒な鴉の嘴の間から見えたという。夕焼けと言えば夏場の季語だが冬の夕焼けも心細くなるほど感傷的に美しい。寒中の夕焼けはその短さゆえいっそう心に沁みてくる。鴉の成鳥は口の中も黒い。その開いた暗黒へ赤い夕陽が射している。ここにも一つの夕陽の美あり、人それぞれに小さな発見をし感心するものある。それがその人のアングルというものであろう。因みに鴉にはざっくり言って嘴の太いハシブトガラスと細ハシボソガラスが居るが、ここはハシブトカラスとみておこう。他に<涅槃図へ地下のA6出口より><アングルを変へても墓と菜の花と><人間を信じて冬を静かな象>などあり。『アングル』(2010)所収。(藤嶋 務)


January 2412015

 日脚伸ぶとは護美箱の中までも

                           坊城俊樹

年中で最も寒いと言われる大寒から立春までのこの二週間余りだが、日脚が伸びたことを実感するのもこの頃合いだ。昼間の時間が長くなるのはことに日が沈むのが遅くなるからだろう、たとえば今日一月二十四日の東京の日の入りの時刻は午後五時、松が取れる頃に比べると約二十分遅くなっている。掲出句、たとえば書斎で仕事をしているのか、あるいは公園を散歩しているのか、ふと時計を見るともう五時、なのにまだ仄明るい。少し前まで五時になったら真っ暗だったのにな、と思うとじわりとうれしく日脚が伸びたことを実感している。ゴミ箱は護美箱となって、捨て去られたゴミがそのじわりを受け止めているように感じられるがそれにしても、護美箱、とはよくできた当て字だとあらためて思う。『坊城俊樹句集』(2014)所収。(今井肖子)


January 2512015

 餅膨れつつ美しき虚空かな

                           永田耕衣

、目の前で餅がふくらみ始めています。真っ白な餅が少し茶色くこげ始めて美しい。熱々の焼きたてをいただくとき、口の中ではホクホクしながらほおばります。それが「虚空」の味わい。つまり、「虚空、虚空、虚空」とくり返し唱えると、「ホクホクホク」となるのです。嘘です。餅は、餅米を蒸してから、熱々のうちにペッタラ、ペッタラとつき始めますが、そのペッタラが、掲句の「虚空」のもとですね。ペッタラ、ペッタラと餅をついているとき、餅と餅の粒子の間に空気も一緒に入れ込ん でついているのです。うまい握り鮨は、米粒と米粒の間にほどよい空気が含まれているのだと言われますが、餅の場合は、ペッタラペッタラとつかれている間に、ナノサイズの空気の分子が餅と餅の間に入り込んで、それが、モチモチした食感となるわけです。それを強火で焼くと、ペッタラペッタラと入り込められていた空気が膨張し始め、虚空のホクホクしたうまみが造成されるわけです。掲句を改めて見直すと、「つつ」は、餅が膨らんだ状態にも見えてきます。耕衣ならばこんな仕掛けを楽しんだかな、と思いますが、以上の全て、私の妄想です。『永田耕衣五百句』(1990)所収。(小笠原高志)


January 2612015

 俺が老いるとは嘘のようだが老いている

                           田中 陽

者は口語俳句のベテランとして知られる。老年近くになってくると、誰しもが感じる泣き笑いの実相だろう。老いを自覚するのは、突然だ。第三者が冷静に観察しつづければ、老いは徐々に訪れるのかもしれない。が、当人にしてみれば、たいていはこんなはずではないのにと思うさなかに、老いは容赦なく姿を現す。そして老いは、ひとたび出現するや、どんどん進行していくような気がする。それは外観的にもそうだが、内面でも深化していく。外側から内側から泣き笑い現象が進行していき、泣こうがわめこうが、がんじがらめに縛り上げられることになる。余人は知らず、私の場合にはそんな印象だった。そしてやがては、同じ作者の最新句集『ある叙事詩』にあるように「だれが死んでもおどろかない おれが死んでも」の心境に至るのである。『現代俳句歳時記・無季』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


January 2712015

 おはじきの色はじきつつ冬籠

                           河内静魚

ラスがまだ手軽な存在ではなかった頃、おはじきには細螺(きしゃご)という小さく平たい巻貝を鮮やかに染めたものが使われていた。戦争による物資不足の時代には、石膏で型抜きされ染色したものや木製の代用品が出回った。女の子の小さな指先で繰り返し弾くには、それにふさわしいものがそれぞれの時代に合わせて姿を変えながら存在する。ふわりと撒いたおはじきを弾き合わせながら手元に増やしていく遊びは、男の子のメンコやビー玉の威勢の良さとはまったく違う、静かな空気に包まれる。思い出してみれば見慣れたガラスのおはじきにはあざやかなマーブル模様が入っていた。色彩のとぼしい冬の景色におはじきの色が軽やかに行き交えば、それはまるできゃしゃな指先から遠い春へめがけて放たれる光線のようにも見えてくる。『風月』(2014)所収。(土肥あき子)


January 2812015

 ふるさとの氷柱太しやまたいつか見む

                           安東次男

東次男(俳号:流火草堂)は山に囲まれた津山の出身。冬場は積雪もかなりあり、寒冷の地である。近年の温暖化で、全国的に雪は昔ほど多くは降らない傾向にあるし(今冬は例外かも知れないけれど)、太い氷柱は一般に、あまりピンとこなくなった。雪国に育った私には、屋根からぶっとい氷柱が軒下に積もった雪まで届くほどに、まるで小さな凍滝のごとき観を呈して連なっていたことが、記憶から消えることはない。それを手でつかんで揺すると、ドサッと落ちて積雪に突き刺さるのをおもしろがって遊んだ。手を切ってしまうこともあった。時代とともに氷柱もスリムになってきたかも知れない。「氷柱太し」という表現で雪が多く、寒さが厳しいことが理解できる。「またいつか見む」だから、帰省した際に見た氷柱の句であろう。初期の作のせいか、次男にしては素直でわかりやすく詠まれている。『安東次男全詩全句集』に未収録の俳句391句、詩7編が収められた『流火草堂遺殊』(中村稔編/2009)に掲出句は収められている。同書には「寒雷」「風」などに投句された作も収められ、処女作「鶏頭の濡れくづれたり暗き海」も収録されるなど、注目される一冊。(八木忠栄)


January 2912015

 風信子ゆっくり響く長女です

                           室田洋子

仙やヒヤシンスはいちはやく春を告げる花のように思う。水栽培にして部屋の中で育てることが昔流行っていたが、名前の響きからどこか寂しげでひんやりとしたたたずまいを感じさせる花だ。「ゆっくり響く」という形容は徐々に小花が開花するヒヤシンスの咲き方とともに、常に下の弟や妹たちに目配りをしながら生活をしている長女の在り方を表しているようでもある、この頃は子供たちの人数も少なくて生まれた順による性格付けは意味を持たなくなっているかもしれないが、おっとり長女長男と調整のうまい真ん中、要領のいい末っ子という大人数での兄弟のポジショニングを久方ぶりに思い出した。『まひるの食卓』(2009)所収。(三宅やよい)


January 3012015

 ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない

                           種田山頭火

(ふくろう)は夜行性の猛禽類である。灰褐色の大きな翼で音を立てずに飛翔し小動物を捕獲する。その鳴き声は「ボロ着て奉公」とか「ゴロスケホーホー」などと聞こえてくる。漂浪の俳人山頭火が野宿をしながらそのゴロスケホーをじっと聴いている。梟のほうはそれが本性なのだから眠れないのだが、山頭火の方は淋しくて眠れないのか物を思って眠れないのかやはり闇の中で起きている。誰にだって寝付かれぬ夜はある。他に<だまつてあそぶ鳥の一羽が花なのか><百舌鳥のさけぶやその葉のちるや><啼いて鴉の、飛んで鴉の、おちつくところがない>など。『山頭火句集』(1996)所収。(藤嶋 務)


January 3112015

 大試験指切れさうな紙で来る

                           谷岡健彦

度か書いているが、大試験は本来三月の進級試験、卒業試験のことを表す言葉。しかしどうしても、一月から二月にかけての入学試験シーズンになると、大試験の句に目が行ってしまう。それは学校に勤めているからか、自らの入学試験の失敗が未だに思い出されるからか、その両方なのか。掲出句は、来る、の一語に臨場感があり、受験生の視点で作ることで試験会場全体に漲る緊張感が見える。受験生に、出題者の意図を見抜け、などと言うことがあるが、入学試験は紙一枚の上で繰り広げられる、作問するものとそれを解くものの一発勝負なのだ。東京の私立中学入学試験の多くは明日から三日間。他に<木枯の向かうにわが名呼ぶ声す><若書きの詩の燃え立つ焚火かな>。『若書き』(2014)所収。(今井肖子)




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