「爆笑問題」の政治ネタを没にしたNHK。日曜娯楽版魂は何処へ。(哲




2015N18句(前日までの二句を含む)

January 0812015

 人減し時代に生きて鷽を替ふ

                           田川飛旅子

替え(うそかえ)は大宰府天満宮などで行われる神事。「鷽」は「嘘」に通じ、前年にあった厄を吉へ転じるために木彫りの鷽を新しいものに交換するという。理系の技術者で役員まで上り詰めた作者には経営の厳しさもサラリーマンの悲哀も両方わかる立場にいただろう。会社に育てられ終身雇用が当たり前だった時代も過ぎ、会社が生き残るための人員整理が怒涛のごとく行われた。今やリストラや転職が珍しくない時代になったが、掲句では「鷽を替ふ」という禍を転じるはずの言葉が、簡単にすげかえられるサラリーマンの首のように思えてこの神事に対してのアイロニーが感じられる『田川飛旅子選句集』(2013)所収。(三宅やよい)


January 0712015

 役者あきらめし人よりの年賀かな

                           中村伸郎

っから芝居がたまらなく好きで堅実に役者をめざす人、ステージでライトに照らし出される華やかな夢を見て役者を志す人、他人にそそのかされて役者をめざすことになった人……さまざまであろう。夢はすばらしい。大いに夢見るがよかろう。しかし、いっぱしの役者になるには、天分も努力も必要だが、運不運も大いに左右する。幸運なめぐり合わせもあって、役者として大成する人。ちょいとした不運がからんで、思うように夢が叶わない人。今はすっぱり役者をあきらめて、別の生き方をしている人も多いだろう。(そういう人を、私も第三者として少なからず見てきた)同期でニューフェイスとしてデビューしても、一方は脱落して行くという辛いケースもある。長い目で見ると、そのほうが良かったというケースもあるだろうし、その逆もある。このことは役者に限ったことではない。「役者をあきらめし人」の年賀をもらっての想いは、今は役者としての苦労もしている身には複雑な想いが去来するのであろう。親しかった人ならば一層のこと。そういう感懐に静かに浸らせてくれるのが年賀であり、年頭のひと時である。虚子の句に「各々の年を取りたる年賀かな」がある。平井照敏編『新歳時記・新年』(1996)所収。(八木忠栄)


January 0612015

 抱かれたし白ふくろふの子となりて

                           森尻禮子

クロウは、鳥のなかでも、顔が大きく扁平で、目鼻立ちが人間に近い。ヨーロッパでは古くから「森の賢者」とされ、知恵の象徴としてきたが、日本では不吉なものだった。しかし、最近では「不苦労」「福来路」「福老」などと読み替えて、縁起を上乗せし、ウサギやカエルについで、小物などの収集家の多い生きものとなっている。シロフクロウといえば、「ハリー・ポッター」でハリーのペットとして登場し、その大きく、美しく、賢い姿に一時ペットとしての人気も急上昇し、「ふくろうカフェ」なる場所も今や話題だ。それしにしてもフクロウの子どもときたら、手のひらサイズで全身ふわふわ、うるうるの瞳をうっとり閉じる様子などとても猛禽類とは思えない可愛さである。ふくろうカフェの紹介には「鳥というより猫に近い」とあり、猫好きが心惹かれる道理と納得した。〈鷹狩の電光石火とはこれぞ〉〈鳰の巣に今朝二つめの卵かな〉『遺産』(2014)所収。名前の表記はネヘンに豊。(土肥あき子)




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