February 082015
蕗の薹母の畳にとく出でよ
清水喜美子
立春を過ぎても、寒い日々が続きます。探梅する粋人は、早や梅の花を見たとおっしゃっておりましたが、私はまだです。掲句も、蕗の薹が芽吹き始める早春を待ち望んでいます。ところで、「母の畳」とは何なのでしょう。句集を読むと、掲句より前に「はさみ合う母の白骨花八ッ手」があるので母は故人でしょう。考えられるのは、母がよく蕗の薹を採集した場所をさすということです。「母の畳」を母の縄張りのように考えるのかもしれません。あるいは、それよりも広く考えて、火葬された母 の煙も灰も大地の一部になっていて、母なる大地ととらえることもできそうです。春になると、亡き母は、蕗味噌を作ったり天ぷらにしてくれたりして、旬の苦みを食卓に出してくれたのでしょう。そのとき、母の生活の場は畳の上でした。「母の畳」という表現に、多様な含意を味わえます。『風音』(2009)所収。(小笠原高志)
February 072015
紅梅のゆるく始まる和音かな
宮本佳世乃
梅の季節は春を待ちながら静かに始まり、その花は香りを放ちつつ早春を咲きついでいつのまにか終わってゆく。丸く小さい蕾はいかにもかわいらしく、その濡れ色を一輪ずつほどく濃紅梅もあれば、夕空の色にほころぶ薄紅梅もある。一言で濃い、薄い、と言っても数え切れないほどの色があり、纏う光や風によっても趣が変わる。そんな紅梅のさまざまな視覚的表情が、和音、という聴覚的表現で見えてくる。と、こんな風に理屈で、和音、という言葉に意味付けすることは作者の意図するところではないのかもしれない。ともあれ、独特の感覚で対象を捉えて自然に生まれた言葉にすっと頬をなでられたような、不思議な気がした。『鳥飛ぶ仕組み』(2012)所収。(今井肖子)
February 062015
鍋鶴の首の白さの田に暮るる
小圷健水
日本で見かける鶴は、留鳥のタンチョウ、冬鳥のマナヅル、ナベヅルなどである。ナベヅルは胴体が鍋底のように黒い為こう呼ばれ、頭上の赤は遠くからは識別しにくい程度、そして首が白。鹿児島県出水平野や山口県熊毛地域の農耕地に飛来するが、他ではまれである。迫りくる夕闇の中で鍋鶴の白い首だけが暮れなずんでいる。冬の田んぼに響くコォーォーの一鳴きが淋しい。他に<かうかうと降りくる鶴と田の鶴と><尉鶲海をはるかに天主堂><冬帽や白き扉の懺悔室>などあり。「俳句」(2013年2月号)所載。(藤嶋 務)
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