p句

March 0932015

 嘘のような二十代あり風船売

                           壬生雅穂

い当たる。私の二十代もまた、「嘘のよう」であった。いや、作者や私に限らず、多くの人の二十代は嘘のようにあったのではなかろうか。子どもと大人との共存。そのこと自体が不思議すぎるけれど、その矛盾的存在が奇跡のように現実として動きまわっているのが二十代の人間だろう。希望と迷妄、期待と落胆、立志と虚言、純情と狡猾等々が、マグマのようにちっぽけな精神の坩堝で煮え立っている。それでいて、狂気には落ちなかった。そのことがまさに「嘘」のようではないか。作者は遊園地の風船売を瞥見しながら詠んでいるわけだが、句の感懐は風船売その人のものでもあり、作者自身のそれでもあり、また読者たちのそれでもあると思わせている。そんな二十代からははるかに遠くまできてしまった私などには、ほろ苦さを通り越して、まっすぐに肺腑を突いてくる一句のように受け取れる。俳誌「豆の木」(第18号・2014年4月刊)所載。(清水哲男)




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