2015N1016句(前日までの二句を含む)

October 16102015

 鵙日和医師も患者も老いにけり

                           滝本香世

は仁術なりと聞いたが人間の信頼関係が凝縮されている。患者から見れば吾が命を託す神様みたいなものである。そう信頼されると医師もまた誠を尽そうと本気を出して事に当たる。場合によっては自分のプライドを捨てて他の専門医をあれやこれと紹介したりもする。こうして二人の付き合いも永くなって診察合間の談話も親しいものとなってゆく。他愛も無いやりとりに医師は顔色診察をしている。鵙のつんざく様な高鳴きが聞こえた。おだやかな秋の一日、良い鵙日和ですなあと言葉を締めくくり、事も無く今日が過ぎてゆく。人は共に老いてゆく。願わくば穏やかに老いたいものである。因みに句の作者も連れ合い様共々に医師と聞いている。<看護師に子の迎へあり春休み><日向ぼこり女盛りの過ぎにけり><天国に予約をふたり小鳥来る>など収容あり。『待合室』(2015)所収。(藤嶋 務)


October 15102015

 電球や柿むくときに声が出て

                           佐藤文香

学校のとき高いところにある電球を取り換えるのに失敗して床に取り落としたことがある。「あっ」と手元が滑ったとき落下してゆく電球と粉々に割れる様までスローモーションのようにはっきり見えた。それ以来電球の剥き出しの無防備さが気になって仕方なかった。背中がむずがゆくなってくるほどだ。掲載句は「電球や」ではっきり切れているのだけど、柿をむく行為と、電球のつるりと剥き出し加減が通底している。そして「声が出て」は読み手に意味付けなく手渡されているのだけど、何かしらエロチックなものを想像してしまう。俳句に色気は大事である。柿の句でこんな句は見たことがないし、この句を読むたび身体の奥が痛くなる。言葉の配列の不思議が強く印象に残る句である。『君に目があり見開かれ』(2015)所収。(三宅やよい)


October 14102015

 門近く酒のいばりすきりぎりす

                           木下杢太郎

呑みならば、誰もが心当たりのあるような句である。「酒のいばりす」とは言え、まさか酒そのものが小便をするというはずは勿論ないし、「いばりすきりぎりす」とは言え、きりぎりすが小便をするというわけでもない。今夜どこぞでしこたまきこしめしてきたご仁が帰って来て、門口でたまらず立ち小便している。(お行儀が悪い!と嘆く勿れ)そのかたわらできりぎりすがしきりに鳴いているーーという風情である。そろそろ酔いも覚めてきているのかもしれない。もう少し我慢して家のなかのトイレで用をたせばいいものを……敢えて外で立ち小便するのがこたえられないのである。わかるなあ! しかも、かたわらではきりぎりすが「お帰りなさい」と言わんばかりに鳴いている深夜であろう。今夜の酒は、おそらく快いものだったにちがいない、とまで推察される。飲んだとき、秋の俳句はこうありたいものだと思う。杢太郎が詠んだ俳句は多い。ほかに「ゆあみして障子しめたり月遅き」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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