2015N1030句(前日までの二句を含む)

October 30102015

 鵜は低く鶫は高き渡りかな

                           坂部尚子

面に鵜(ウ)が低空飛行している。その遥か上空に一団の鳥がざわざわと渡っている。鶫(ツムギ)である。渡り鳥を見ていると何故安住の地を探し留まらないのか不思議に思う事がある。 藤田敏雄作詞の若者たちの歌詞ではないが、「君の行く道は、果てしなく遠い、だのになぜ、歯をくいしばり君は行くのか、そんなにしてまで」と思うのである。子育てとか食糧だとか鳥には鳥の都合があるのだろう。北から渡った鶫たちはやがて人里に散り、我々の周辺を跳ね歩く事となる。他に<萩刈るや裏山渡る風の音><色葉散る幻住庵の崩れ簗><円空の墓も小径も竹の春>など。「俳壇」(2015年1月号)所載。(藤嶋 務)


October 29102015

 上着きてゐても木の葉のあふれ出す

                           鴇田智哉

思議な句である。風の又三郎のようにこの世にいながらこの世の人でないような人物の姿が想像される。上着の下に隠された身体からどんどん木の葉があふれだしてしまい、はては消えてしまうのだろうか。風に舞い散る木の葉、頭上から落ちてくる木の葉。落ちた木の葉を掃いて集めてもふわふわ空気を含んでなかなか収まらず袋に入れようとしてもあふれ出てしまう。上着を着ていることと、木の葉があふれることに何ら関係もないはずなのだが、「着てゐても」という接続でまったく違うイメージが描き出されている。特別なことは言っていないのに違う次元の世界に連れ出されるこの人の句はつくづくスリリングである。『凧と円柱』(2014)所収。(三宅やよい)


October 28102015

 店主(あるじ)老い味深まりぬ温め酒

                           吉田 類

季を通じて、日本酒は温め酒でいきたいと私は思うけれど、一般的にも温め酒にこだわりたい季節になってきた。馴染みの酒場で、ある時ふと店主もトシとったなあという感想をもったのだろう。活気のあるお兄ちゃんやお姉ちゃん店員もいいけれど、うっかりしていたが、トシとともに店主のウデはもちろん、物腰や客扱いに味わいが増してきた。注文した酒や肴の味わいも一段と深くなってきた、そう感じられるというのであろう。温め酒の燗の加減にも納得できる。馴染みの酒場ならではのうれしい「店主の老い」である。テレビで週一度放映される「吉田類の酒場放浪記」を、私は毎週楽しんでいる。酒を求め、酒場を求めさまよっているこの人の人間臭さが、さりげなくにじむ特別な時間。こっちも一緒にくっついて、さまよっているような気分にさせてもらっている。俳人である。テレビでは最後に酒場ののれんをくぐって外に出ると、必ず詠んだ俳句が画面に表示されて、この人はさらに夜の闇へとさまよってゆく。その俳句は「吟行のロケーションを酒場におくというほどの意味」だそうである。他に「酔ひそぞろ天には冬の月無言」という句も。さて、今宵も……。『酒場歳時記』(2014)所載。(八木忠栄)




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