November 242015
いつも冬にあり木星の子だくさん
矢島渚男
宇宙情報センターによると、木星は太陽系のなかで最も大きな惑星であり、直径は地球の約11倍という。昔は汚れた雪だるまなどと呼ばれていた筋模様も、今ではハッブル宇宙望遠鏡のよりクリアな画像によって、美しい大理石のような縞模様であることが確認された。掲句の「子だくさん」たる所以は、衛星を67個も持つことによるもの。地球の衛星が月のひとつきりであることを思うと、11倍の大きさとはいえ、木星が肝っ玉母さんのように見えてくる。12月にかけて、空には明るい星がまたたく。明けの明星の金星に続き、木星、そして少し暗めの赤を放っているのが火星。宇宙の神秘を早朝味わうのもまた一興。『冬青(そよご)集』(2015)所収。(土肥あき子)
November 232015
声出すは声休むこともう冬か
小笠原和男
今日は二十四節気の「小雪」。「しょうせつ」と読む。そろそろ冬になるのか。作者は思わず声に出して「もう冬か」とつぶやいてしまったのだろう。そういうことはよくあるけれど、句の「声休むこと」という発想はユニークだ。私などには、とても出てこない。どうなのだろう。一般的に「声休む」とは、どんな状態を指しているのか。いろいろと考えてみて、それは人が黙っているときのごく日常的な様子をさすのではないかと思われた。つまり、人間の頭脳には日頃さまざまな思念がランダムに詰まっていて、発語するとはそれらを私たちは他者に通じるように整理してから行っていると解釈できる。ところが句のような情況で他者に告げる意思もなく勝手に飛び出してきた言葉、強いて音声化しないでもよい言葉を発してしまったときに、声は休んだままになっている。つまり句の「声出すこと」とは、思わぬ拍子に出した声で、人間の物言うことの不思議さに気づいたということのようだ。いやあ、難しい句もあったものである。「俳句」(2015年12月号)所載。(清水哲男)
November 222015
落葉焚き人に逢ひたくなき日かな
鈴木真砂女
人に会いたくない日があります。寝過ぎ寝不足で顔が腫れぼったい日もあれば、何となく気持ちが外に向かず、終日我が身を貝殻のように閉ざしていたい、そんな日もあります。長く生きていると、事々を完全燃焼して万事滞りなく過ごす日ばかりではありません。人と関わりながら生きていると、多かれ少なかれ齟齬(そご)をきたしていることがあり、心の中にはそれらが堆積していて、重たさを自覚する日があります。そういう日こそ、心の深いところにまで張り巡ぐらされていた根から芽が出て言の葉が生まれてくるのかもしれません。句では「逢ひ」の字が使われていることから、逢瀬の相手を特定しているとも考えられます。句集では前に「落葉焚く悔いて返らぬことを悔い」があるので、そのようにも推察できます。完全燃焼できなかった過去の悔いをせめて今、落葉を焚くことで燃焼したい。けれどもそれは心の闇をも照らし出し、過去と否応なく向き合うことになります。それでも焚火は、今の私を明るく照らし、暖をとらせてもらっています。句集では「焚火して日向ぼこして漁師老い」が続きます。これも、婉曲的な自画像なのかもしれません。『鈴木真砂女全句集』(2001)所収。(小笠原高志)
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