2015N1129句(前日までの二句を含む)

November 29112015

 古家のゆがみを直す小春かな

                           与謝蕪村

春は小六月とともに、陰暦十月の異名です。現在なら、十一月中旬から十二月上旬あたりの期間を意味しますが、近現代の例句をみると、小春日や小春凪といったおだやかな日和の情景として詠んだ句がほとんどです。その点蕪村の句は、小春を本来の意味で使っています。この時期、田畑の収穫を終えた農家は、ようやく傾いた家の建て直しに手が回ります。一家総出で、隣人を助っ人に、余裕があれば大工の棟梁も招くことでしょう。この作業は、無事に冬を越すためでもあり、晴れやかに新春を迎えるためでもあります。家の中を大掃除する前に、まずは普請を万全にしようという季節のいとなみです。そう思うと、「小春かな」で切れるのも納得できます。なお、小春の初 出を調べて みたら六世紀半ばに中国の年中行事を記した『荊楚(けいそ)歳時記』に「小春」(ショウシュン)の項がありました。鎌倉末期の『徒然草』155段には「十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ」があり、江戸初期の『毛吹草』に冬の季語として定着しています。芭蕉は「月の鏡小春にみるや目正月」(続山井)の一句だけを残していて、これも陰暦十月として使っています。『蕪村俳句集』(岩波文庫・1989)所収。(小笠原高志)


November 28112015

 小春日の人出を鴉高きより

                           上野章子

春には呼び合うように鳴きかわし、やがてつがいとなって繁殖期を迎え、子育てが終わると再び集団で森の中にねぐらを作って冬を越すという鴉だが、冬の鴉というと黒々と肩をいからせて木の枝に止まっている孤高なイメージがある。この句を引いた句集『桜草』(1991)の中にも〈鴉来てとまりなほさら枯木かな〉とある。まさに「枯木寒鴉図」といったところだが、そんな寒々とした鴉とは少し違った小春日の景だ。実際は作者が鴉を見上げているのだが、読み手は一読して鴉の視線になる。小春の日差しに誘われて青空の下を行きかう人間達を、見るともなく見ている鴉。その鳴き声がふと、アホ〜、と聞こえたりするのもこんな日かもしれない。(今井肖子)


November 27112015

 城近き茶店の池の浮寝鳥

                           同前悠久子

光や散歩で人々が訪れる名所旧跡に茶店はつきものである。そしてお堀とか池とか噴水など水が風景を飾る。その水の風景のアクセントとなって様々な鳥たちが人々の目を楽しませている。どんな鳥か暫く観察する。白鳥、鴨、鳰、鴛鴦などを発見。秋に渡って来てここで越冬し春には帰っていくものもいれば、ここに居着いた鳥も居る。水に潜ったり翼に嘴をさし入れたり様々な姿態で点在している。水上に浮かんで寝ているものが居る、浮き寝鳥という。鴨ならば浮き寝鴨とでもいうところ。一杯の珈琲の寛ぎタイムも流れさって、人間はそれぞれの持ち場に帰ってゆく。鳥たちはのんびりと眠り続ける。他に<花枇杷を待つ日々は佳し恋に似て><足元にかすかに揺るる黄千両><玉子酒ふと作りたしひとり居の>などあり。俳誌「ににん」(2015年冬号)所載。(藤嶋 務)




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