2015N128句(前日までの二句を含む)

December 08122015

 人間が毛皮の中で生きている

                           清水 昶

和16年12月8日。日本軍が、当時の英領マレーとアメリカ・ハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった。開戦と緒戦の勝利を祝し、町や村では祝賀の行事がにぎやかに執り行われた。「進め一億火の玉だ」や「生めよ殖せよ」など戦時標語には、ヒートアップした情熱は感じられるものの、人間の顔が見えてこない。戦局の悪化にともない標語も「一億玉砕」「神州不滅」と変化し、ますますひとりひとりの命から離れていく。掲句は毛皮のコートを着ている人間を見つめたものだ。反対を唱えるでもなく淡々と描いてはいるが、毛皮という屍に包まれて満足していることもまた、命に対して無神経・無関心につながっているように思わせる。『俳句航海日誌』(2013)所収。(土肥あき子)


December 07122015

 俺たちと言ふ孫らきて婆抜きす

                           矢島渚男

しはやいが、新年の句を。このとき、お孫さんは小学校低学年くらいだろうか。まだ十分に幼く可愛らしい顔をしているのに、突然「俺たち」などといっちょまえの口をきいて、作者を驚かす。だが、いっしょに婆抜きをはじめてみると、そこはそれ、やっぱり手付きも考えも幼くて、勝負にはならない。というか、こちらが上手に負けてやるのに一苦労する羽目になってしまう。たいていの家庭での正月の孫とのつきあいはこのようであり、コミニュケーション・ツールとしてのカードや双六は、それなりの成果をあげてきた。かつての我が家でも、カードなどが引っ張り出されるのは、年に一度の正月だけだった。が、最近の孫たちとのつきあいはずいぶんと様変わりしていて、大変なようだ。第一にいまどきの子供たちは婆抜きなどには興味を示さない。彼らの得意はひたすらに電子的なゲームにへだたっており、老爺が相手になりたくても、まずは簡単な操作がままならない。上手に負けるなんて芸当はとてもできないから、弱過ぎてすぐに相手にならないと飽きられてしまう。そこで「俺たち」は俺たち同士で遊ぶようになり、年寄りはみじめにも仲間外れにされてしまうのだという。時代といえば時代だけれど、孫に限らず、世代間をつなぐ遊びのツールが失われたことは、大袈裟ではなく、世も末の兆候ではないか。「延年」所収。(清水哲男)


December 06122015

 寒鯉を抱き余してぬれざる人

                           永田耕衣

条理です。高校時代に背伸びをして読んだカミュの『シーシュポンスの神話』に、こんな記述がありました。「川に飛び込むが、濡れないことを不条理という」。『異邦人』のムルソーの心理を説明している箇所でしょうが、当時は全く理解できませんでした。しかし、身の回りで時に起こる不条理な事象を見、聞くにつれ、今はカミュの不条理が腑に落ちます。さて、掲句では、寒鯉を抱いているのにぬれない人が存在することを書いているのだから、不条理です。訳がわかりません。ところが、句集では次に「亡母なり動の寒鯉抱きしむる」があったので、句意がはっきりしました。「ぬれざる人」は「亡母」のことでした。ならば寒鯉は、生前も死後も母を深く慕っている息子耕衣その人でしょう。寒鯉のように、生臭く濡れている自身を母は死んだ今でも抱きしめにやってきてくれる。三途の川の向こうは、濡れるということがないのでしょう。あの世という形而上学には、涙や汗の質感がないのかもしれません。句集には「掛布団二枚の今後夢は捨てじ」もあり、母に抱かれる夢を見ているのかもしれのせん。となれば、掲句を不条理とするのは間違いで、夢幻とすべきでしょう。『非佛』(1970)所収。(小笠原高志)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます