December 102015
黄金の寒鯉がまたやる気なし
西村麒麟
濁った冬の沼のふちにたたずんでいると、ぽっかり口をあけた鯉がどんよりした動きで近寄ってくる。寒中にとれる鯉は非常に味がいいというので「寒鯉」が季語になっているようだ。歳時記を見るとだいたい動きが鈍くてじっと沼底に沈んでいる鯉を描写した句が多いように思う。掲載句では「黄金」「寒鯉」「が」というガ行の響きの高まりに「また」と下五を誘い出して、何がくるかと思いきや「やる気なし」と脱力した続きようである。むだに立派な金色の鯉がぼーっと沼に沈んでいる有様が想像されてなんともいえぬおかしみがある。『鶉』(2013)所収。(三宅やよい)
December 092015
笹鳴の日かげをくぐる庭の隅
萩原朔太郎
鶯の地鳴きのことを「笹鳴」という。手もとの歳時記には「幼鳥も成鳥も、また雄も雌も、冬にはチャッ、チャッという地鳴きである」と説明されている。また『栞草』には「〈ささ〉は少しの義、鶯の子の鳴き習ひをいふなるべし」とある。まだ日かげが寒々としている冬の日に、庭の隅から出てきた鶯が、まだ鶯らしくもなく小さな声で鳴きながら庭を歩いている光景なのであろう。それでも声は鶯の声なのである。朔太郎にしては特別な発見もない月並句だけれど、日頃から心が沈むことの多かった朔太郎が、ふと笹鳴に気づいて足を止め、しばし静かに聞き惚れていたのかもしれない。あの深刻な表情で。ある時のおのれの姿をそこに投影していたのかもしれない。鶯が美声をあたりに振りまく時季は、まだまだ先のことである。朔太郎の他の句には「冬さるる畠に乾ける靴の泥」があるけれど、この句もどこかしらせつなさが感じられてしまう。『萩原朔太郎全集』第3巻(1986)所収。(八木忠栄)
December 082015
人間が毛皮の中で生きている
清水 昶
昭和16年12月8日。日本軍が、当時の英領マレーとアメリカ・ハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった。開戦と緒戦の勝利を祝し、町や村では祝賀の行事がにぎやかに執り行われた。「進め一億火の玉だ」や「生めよ殖せよ」など戦時標語には、ヒートアップした情熱は感じられるものの、人間の顔が見えてこない。戦局の悪化にともない標語も「一億玉砕」「神州不滅」と変化し、ますますひとりひとりの命から離れていく。掲句は毛皮のコートを着ている人間を見つめたものだ。反対を唱えるでもなく淡々と描いてはいるが、毛皮という屍に包まれて満足していることもまた、命に対して無神経・無関心につながっているように思わせる。『俳句航海日誌』(2013)所収。(土肥あき子)
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