2015N1220句(前日までの二句を含む)

December 20122015

 その中の白衣も遺品熊楠忌

                           小畑晴子

和16年12月29日、博物学者・南方熊楠が亡くなりました。広汎な視座を持った世界的な学者でしたが、私は、粘菌学者としての熊楠に魅かれています。正岡子規、夏目漱石とは東京大学予備門の同級生でしたが、代数の得点が足りず落第。博覧強記とは熊楠のためにある言葉だと思いますが、唯一計算だけが苦手でした。19〜24歳のアメリカ留学時代に植物採集に開眼し、25〜32歳のイギリス滞在中は、科学雑誌『ネイチャー』に三十本もの論文を投稿。その頃、イギリス人たちに対して英語で東洋の学問の伝統を説く活動に刮目したのが、亡命中の若き孫文でした。三か月の間、大英博物館やパブで語り合った別れ際、孫文は「海外逢知音(海外にて知音と逢う)」という一句を熊楠の日記帳に記しており、これは現在も和歌山県白浜にある南方熊楠記念館に所蔵されています。掲句の白衣もまた、同所の展示物でしょう。私は今年、熊楠をモチーフとしたドキュメンタリー映画『鳥居をくぐり抜けて風』(池田将監督、公開未定)を製作しました。紀伊半島の鎮守の杜を中心に撮影しています。三年前にロケハンに行く時、一つの謎がありました。和歌山県は、熊野本宮がある土地なのに神社の数が438社しかなく、全国で46位です。ちなみに1位は新潟県で、4775社です。その謎を解いてくれたのが熊楠記念館に展示している新聞記事と文書でした。要約すると、明治39(1906)年、西園寺内閣は神社合祀令を発令。神社を「官社」「府県社」「郷社」「村社」「無格社」に系列化して大整理をしたことによって、全国20万社のうちの約7万社が合祀。とくに、三重・和歌山ははなはだしく、和歌山では3713社のうち7割近い2913社が合祀された。熊楠は、庶民の生活に結びついた神社を合祀することによって伝承されてきた民俗が絶え、また神社林を中心とした自然の生態系が破壊されることをおそれ、果敢に反対した。日本で最初の環境保護運動を行なう中、柳田国男宛の書簡でこれも日本で初めてecology(エコロジー)という言葉を使っている。合祀令の思考には、中央集権化を推進していく一神教的な合理主義がはたらいているので、神社林といったあいまいかつ非生産的な空間を整理統合しようとします。これが、戦前の国家神道のひとつのあり方であり、天皇原理主義でもありました。しかし、それぞれの鎮守の杜は、その土地独自の生態系を形成しています。目には見えにくい大切なはたらきをする存在を神というならば、熊楠は、動物と植物の中間的な性質を持ちつつ、それぞれを繋いだ粘菌類のはたらきに神を見、鎮守の森の空気の清らかさそのものの具体的な現実に、抽象的な創造主とは違う日本のアイデンティティを見いだしていました。生物学者でもあった昭和天皇は、昭和37(1962)年に南紀白浜を訪れた時、田辺湾神島における熊楠の粘菌類ご進講を懐かしみ、「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」と詠みました。『新日本大歳時記 冬』(講談社・1999)所載。(小笠原高志)


December 19122015

 ふたり四人そしてひとりの葱刻む

                           西村和子

役でも薬味でも焼いても煮ても美味しい葱は、旬である冬のみならずいつも食卓のどこかにのぼっており、一年のうち葱を刻まない日の方が刻む日より少ないな、と思う。家族の歴史は団欒の歴史であり家庭料理の歴史でもある。生まれも育ちも違う二人が日々食事を共にして知らなかった味を知り、時にぶつかり合いながらも、次第に新しい我が家の味が作られてゆく。子供達はその新しい味で育てられ同じように家庭を持ち、そうやって脈々と代々の母の味が伝わるのだろう。やがてひとりになっても、気がつくと葱を刻んでいる。この句の葱は細い青葱、ちょっと薬味に使うほどの量だ。リズミカルな音がかろやかに響く厨に、明るい冬日が差し込んでいる。『椅子ひとつ』(2015)所収。(今井肖子)


December 18122015

 覆面に眼のあるきんくろはじろかな

                           藤田直子

んくろはじろは漢字表記すれば金黒羽白。金は目、黒は背中、白は腹部の色。飛翔中にも翼帯に白が見える。顔から背中が黒くその中に金色の目が覆面から覗いているようで印象的である。作者はそんな容姿そのものの可愛さに感動している。おもに冬鳥として渡来し、湖沼、池、広い川、入り江などに群れで生活する。水面を泳ぎ、水に潜って水中の草や水底の貝を食べる。水をけって助走してから飛び立ち、はばたきは速い。公園のすこし大きな池などで身近に眺めることが出来る鴨である。他に<詩(うた)のため何捨つべしや葛の花><われの血の重さに蛭の離れたる><廃炉へと働く人や冬銀河>などがある。「俳壇」(2015年1月号)所載。(藤嶋 務)




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