2016N1句

January 0112016

 初山河いのちのかぎり鶴のこゑ

                           淵脇 護

けましておめでとうございます。元旦のいかにも瑞祥に満ち満ちた風景が初景色。いつも見慣れた山河も年が改まると何と新鮮に見えてくることでしょう。筆者は鹿児島の方で、ここで言う鶴のこゑは出水地方の鍋鶴の声。古来鶴は瑞鳥とされているが今出水に渡来した鍋鶴が初山河の只中でいのちの限り鳴いている、何ともめでたい限りである。健康で命の限りを楽しめるものなら長生きもいいかも知れぬ。今年も皆々様に幸多かれとお祈り申し上げます。「俳句」(2015年1月号)所載。(藤嶋 務)


January 0212016

 豆味噌つまみて二日の夜になり

                           鳥居三朗

知県生まれの作者にとって、豆味噌は故郷の味だったのか。そうは一度にたくさん食べられるものでもない豆味噌、つまむ、は、お酒のあてにしている感じもするし、重箱の隅のそれをちょこちょこ楽しんでいるとも思え、二日の夜、がまたちょうどよい頃合いだ。この句の調べは、四四四五、集中の一句前に〈おみくじからから吉吉初詣〉という句もあり、いずれもひとつひとつの言葉が破調のリズムと相まって心地よい軽みを生んでいる。〈地球より外に出でたし春の夜は〉。春を待たずに一人旅に出てしまわれた作者だが、今頃遥か彼方の地で楽しい時間を過ごしているに違いないと思えてくる。『てつぺんかけたか』(2015)所収。(今井肖子)


January 0312016

 初山河雲になりたき兎かな

                           原田宏子

春のファンタジーです。澄み切った青空の中、冠雪した山の方から河が流れています。その広大な遠景をみつめる一羽の兎は、雲になる夢を見ています。「わたしの白くてふわふわの毛は、あの白くてふわふわの雲とそっくりだ」「わたしは飛び跳ねることが得意だから、いつかきっと空高く舞い上がることができるだろう」。そんな兎のけなげな夢です。しかし、リアリストは頭ごなしに否定します。「どんなに色が白くても、どんなに毛がふわふわしていても、どんなに跳躍が得意だろうと兎は雲にはなれないよ」。けれども私は思うのです。正月の三が日くらいは、こんな夢を見ていていいのではないかと。新春の兎なら、新春らしく浮世離れして、その跳躍が雲に届くこ とを夢見て いていいのではないかと。ちょっと浮かれてうわついて、雲になりたい兎でいていいのではないかと思うのです。『雲になりたき兎』(2005)所収。(小笠原高志)


January 0512016

 子の声が転がつて来る雪の上

                           山崎祐子

中学校の冬休みは地域によってまちまち。それでも今日はまだどこも冬休みである。三ヶ日やお年始というおとなしくしていなければならない大人の行事への付き合いも終わり、普段通りに思いっきり遊べる日がやってきた。子どもというのは遊べる日というだけで心は躍る。おまけに雪が積もっているとなれば、大喜びで飛び出していくことだろう。掲句の遊びはソリなのか、雪合戦なのか。どちらにしても、いつもよりスピードを感じさせ、通り過ぎてゆく声である。子どもの声の高さや笑い声を「転がつて来る」としたところで、雪玉がだんだんふくらんでいくような楽しさにつながった。〈形見とは黴に好かれてしまふもの〉〈風鈴を百年同じ釘に吊る〉『葉脈図』(2015)所収。(土肥あき子)


January 0612016

 はつ夢や誰(た)が見しも皆根無し草

                           三遊亭圓朝

夢のような噺「怪談牡丹灯籠」「怪談乳房榎」や「心眼」を始めとする、因果応報の傑作落語をたくさん作った“落語中興の祖”圓朝。名作は古びることなく今日でもさかんに上演されているけれど、彼はいったいどんな初夢を見ていたのだろうかーー。「根無し草」とはうまい指摘ではないか。例外もあろうけれど、夢はおよそ根無し草かもしれない。圓朝の言葉でそう言われると、うーん、説得力がある。「初夢」という言葉は『山家集』(鎌倉時代)に初めて登場するらしい。その時代は立春が新年の始まりとされ、節分から立春にかけての頃に見る夢のことを言ったらしい。今日では元日の夜から二日にかけてみ見た夢を「初夢」と言っている。諸兄姉はどんな初夢をご覧じたか? 七福神の宝船の絵に「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」(長き夜の遠の眠りのみな目覚め波乗り船の音の良きかな)という回文の歌を書いて、枕の下に置いて寝ると良い夢が見られる、と言う習慣は江戸時代に確立された。たとえ「根無し草」であっても、良い夢を見たいのが人情。一富士二鷹……。圓朝の新年の句には「をしげなくこぼしてはいる初湯かな」がある。永井啓夫『三遊亭圓朝』(1962)所収。(八木忠栄)


January 0712016

 人日の鳥のぼさぼさ頭かな

                           櫻木美保子

月七日は「人日」なぜこのように呼ぶのか。「一日には鶏、二日に狗、三日に羊、四日に猪、五日に牛、六日に馬、七日に人を占い八日に穀を占う。毎日の天候によって動物や人の一年を占い皆、清明温和な天候であれば畜息安泰、陰寒惨烈なら疾病衰耗と為す」と平井照敏の「新歳時記」に説明がある。「人日」という言葉を知ったのは俳句を始めてからで、七日と言えば七草粥を食べ、学校が始まる日と思っていた。鳥のぼさぼさ頭と言えば、ウッドペッカーやスヌーピーのウッドストック、はたまたハシビロコウが思い浮かぶ。ぼさぼさ頭が寝起きの頭のようで愛嬌がある。きっと人間が動きだす日なんぞ鳥には関係ない、とシニカルなまなざしでのんびり眺めていることだろう。『だんだん』(2010)所収。(三宅やよい)


January 0812016

 鷽替へてまた抽斗に放り込む

                           土肥あき子

替えとは、主に菅原道真を祭神とする神社において行われる神事である。鷽(ウソ)が嘘(うそ)に通じることから、前年にあった災厄・凶事などを嘘とし木彫りの鷽を新しいものに交換し、今年は吉となることを祈念して行われる。この鷽と言う鳥は四十雀ほどの小鳥でオスの頬の淡い朱色が美しく目を引く。「琴弾鳥」の別名は脚を交互に上げてフィッフィッと鳴く仕草が琴を弾くようなので着いた。梅や桜の蜜をあさり花びらをこぼすのもこの鳥の性。また春が来て今年こそはもっと良い夢を散らしたいなと新しい鷽を抽斗(ひきだし)に大切に仕舞う作者ではあった。他に<夜のぶらんこ都がひとつ足の下><花疲れして懐の猫が邪魔><じゃんけんのあひこは楽し木の実落つ>などなど『夜のぶらんこ』(2009)に所収。(藤嶋 務)


January 0912016

 鈴一つ拾ふ初寅神楽坂

                           肥田埜恵子

段なら目に留まっても拾うことはないかもしれない鈴だが、お正月の境内ということもありそっと手のひらにのせたのだろう。澄みきった空気を小さく震わせて一瞬かすかな音をたてる鈴、他の何を拾い上げてもこの仄かな味わいは生まれない。今日一月九日は初寅、一月最初の寅の日に毘沙門天に参詣する、ということなので、神楽坂善國寺の毘沙門天御開帳の日のできごとと思われる。初が付く十二支の日は、初午は二月、初辰は毎月、などそれぞれ異なるが、初未、とは取り立てて言わないという。今年もまた、知らないことだらけの身を刺激される一年となりそうだ。『俳句歳時記 第四版』(2008・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


January 1012016

 冬の夜や灯り失くして木漏れ星

                           郷 拓郎

月二日の夜。友人の山荘で、旧知の三人と初対面の三人とで一晩を過ごしました。「ゴウです」と挨拶されたその声が繊細で女性的で髪が長かったので、彼が男性であることを認識するまで6時間かかりました。深夜、他の四人が寝静まって、二人暖炉の前で酒を飲みながら、ゴウ君が音楽家であることと恋話など聞いていたとき、「小笠原さんは何者なのですか」と聞かれたので、私は外に出て尺八を吹き、一句作って、「ゴウ君も一句作らないと中には入れさせない」と言ったらしいのです。ゴウ君が、森の木と木の間から見える星をみつめながらひねり出したのが掲句。翌日、前夜の記憶をほとんどなくしていた私は、外に投げ出されていた尺八の袋と、逆さに置いてある缶ビールを見て、かすかに記憶を取り戻し、今年最初の一句をゴウ君に揮毫してもらって、駅でハイタッチをして別れました。(小笠原高志)


January 1212016

 もつと軽くもつと軽くと枯蓮

                           藺草慶子

あふれる蓮の葉、高貴で香しい蓮の花の時期を通り過ぎ、蓮の骨ともいわれる枯蓮は、耐えがたい哀れを詠むのが倣いである。ところが掲句は一転して、蓮は枯れることで軽くなろうとしているのだと見る。日にさらされ尽くした蓮は、風に触れ合う音さえも軽やかである。それはまるで植物としての使命を終えたのちに訪れる幸福な時間にも思われる。黄金色に輝く杖となった蓮の「もっともっと」のつぶやきは、日のぬくみとともに作者の胸の奥にも静かに広がっていることだろう。『櫻翳』(2015)所収。(土肥あき子)


January 1312016

 初暦知らぬ月日の美しく

                           吉屋信子

が改まると同時に、どこの家でもいっせいに替わるのが暦(カレンダー)である。真新しくて色彩やスタイルがさまざまな暦が、この一年の展開をまだ知らない人々の心に、新しい期待の風を吹きこんでくれる。心地よい風、厳しい風、いろいろであろう。この先、どんな日々が個人や世のなかにまき起こすことになるのか、まだ予想もつかない。せめて先々の月日は「美しく」あってほしいと誰もが願う。何十年と齢を重ねてくると、だいたいあまり過剰な期待はもたなくなってくる。悲しいことに、その多くが裏切られてきたから。ことに昨今の国内外の穏やかならぬ想定外の事件や事故の数々。わが身のこととて先が読めない。いつ何が起こっても不思議はない。せめて「知らぬ月日」は「美しく」と切望しておきたい。加藤楸邨の句ではないが、まさに「子に来るもの我にもう来ず初暦」である。『新歳時記・新年』(1996)所収。(八木忠栄)


January 1412016

 鏡餅開く僧侶の大頭

                           波戸辺のばら

開きは十五日だと思っていたが、関東では十一日という説もある。どちらにしても鏡開きをしてぜんざいを作る家も少なくなっているのではないか。だいたいがマンション暮らしだと床の間もなく鏡餅を飾る場所もない。カビが生えないようパック入りの鏡餅をテーブルに置くぐらいだが、この句の鏡餅は床の間に飾られた立派な鏡餅でないといけない。もとより僧侶の大頭で鏡餅をかち割るのではないけれどこう並列に並べられてみると、別別の事項であっても連想が結びついて笑ってしまう。僧侶の大頭でかち割られた鏡餅は豪快に砕けそうだ。『地図とコンパス』(2015)所収。(三宅やよい)


January 1512016

 可惜夜のわけても月の都鳥

                           黛まどか

惜夜(あたらよ)は明けてしまうのが惜しい夜という意味。余白に恋の一夜を感じさせる。川は大川(隅田川)の波間に岸辺の灯り、雲間には月光が辺りを照らしきらめいている。眠れないのか都鳥が乱舞している。因みに都鳥はユリカモメのこと。冬鳥で河口近くや海岸に生息し、春になると頭が黒くなる。伊勢物語の「名にし負はばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」と昔から恋にからめた鳥として知られる。語りても語り尽せぬ二人の夜が更けてゆく。月よ都鳥よ値千金の今宵の時を止めてくれ。可惜夜は可惜夜ゆえに尊さがあるのだが。他に<行きたい方へそれからのしゃぼん玉><さくらさくらもらふとすればのどぼとけ><さうしなければ凍蝶になりさうで>など所載。『忘れ貝』(2006)所収。(藤嶋 務)


January 1612016

 橙の灯いろしぼれり牡蠣の上

                           飴山 實

ともはやおいしそうな句だ、そして美しい。橙を牡蠣の上にきゅっとしぼった、と言っているだけなのだが、大ぶりの牡蠣にやさしい光をまとった橙の雫が数滴落ちて、牡蠣の身はよりいっそうふっくらと輝いている。牡蠣好きにはたまらないがやはり、灯いろ、の方が、灯色、より果汁のとろりとした自然な感じが出て、しぼれり、へのつながりも絶妙だ。生牡蠣にはレモンが添えられることが多いが、以前橙酢というのをいただいてそれがお刺身にとてもよく合ったことを思い出した。個人的には生牡蠣は何もかけずに塩味で食べるのが好みだが、今度橙を試してみたいと思う。『鳥獣虫魚歳時記 秋冬』(2000・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


January 1712016

 鉛筆の芯に雪解の匂ひかな

                           武井伸子

筆の芯に鼻を近づけると甘い匂いがします。これを雪解の匂いとしたところに飛躍があって新鮮です。たしかに、雪解は早春の草木がかすかに発する息吹を運んでくれるのかもしれません。キーボードやタブレット使用が一般的な現在、鉛筆を使う人はめっきり減りましたが、昨日今日は大学入試センター試験です。全国693箇所で56万本の鉛筆が動くとき、それぞれの会場には甘い香気が漂うのでしょう。受験生は、今まで蓄積してきた知識を鉛筆の芯に託して、堅固な意志を鋭角に削られた鉛筆の先に宿します。問一、問二、問三、「やれそう、やれる」という手応えは、受験生を緊張から解放してランナーズハイに似たある種の快楽へと誘います。「雪解」は春の季語ですが、受験生たちは、いち早くその匂いを実感しているのではないでしょうか。「ににん」(2016年・冬号)所載。(小笠原高志)


January 1912016

 鮟鱇のややこしき骨挵りけり

                           山尾玉藻

篇に弄ぶと書く挵(せせ)るは、その字が表す通り、箸で食べ物をつつきまわすこと。決して行儀がよいことではないが、対象が鮟鱇であることにより、納得の一句となった。河豚にまさる美味と呼ばれる鮟鱇だが、グロテスクな見た目同様、その身もきれいな切り身となるわけではなく、どの部位もかなり複雑な形態をしている。骨にも皮にもゼラチン質の身をまとい、料亭によっては「骨についた身はすべてしゃぶって食べつくしてください」とまで言われるほど。ともあれ、ややこしくもおいしい鮟鱇にせっせと取り組んでいる姿は飾り気なく、鍋を囲むほっこりとあたたかい人間関係までが見えてくるのである。『人の香』(2015)所収。(土肥あき子)


January 2012016

 てんてまりつけばひだまりひろがりぬ

                           日原正彦

てんてんてんまり てんてまり……、新年の日だまりで女の児たちが楽しそうにまりつきに興じている。そこらへんから新しい年はひろがっていく。てんまり、手まりーーーそれらの遊びは遠い風景になりつつあって、今やむなしい「ひだまり」がひろがるばかりだ。「てまり」と言えば、西条八十作曲の童謡「鞠と殿さま」、あるいは横溝正史の「悪魔の手鞠唄」のようなおどろおどろしいものもある。良寛さまの「こどもらと手まりつきつゝこの里に遊ぶ春日はくれずともよし」などの歌を想起する人もあると思われる。私などがまだ子どものころには、ゴム製のてんまりで女の児たちが遊んで、♪おっかぶせ、と歌ってサッとスカートのなかにまりを器用に隠したりしていたのが、記憶に残っている。今や、てまりは女の児の遊びというよりは、観光みやげとして美しい彩りのまりが各地で売られている。掲出句は昨年末に刊行された句集『てんてまり』(2015)の冒頭に「新年の章」として、「自転車のタイヤの空気去年今年」などとならんで収められており、「新聞、雑誌、テレビなどの「俳壇」欄に入選(特選、秀逸、佳作)したものばかり」(あとがき)が収録されている。「ひだまり」と「ひろがりぬ」のH音の重ねも快い。(八木忠栄)


January 2112016

 冬晴れへ手を出し足も七十歳

                           坪内稔典

晴れへ足と手を出して、ああ、自分も七十歳なのだなぁ。と感慨を込めて空を見上げる情景とともに、この「手を出し足も」が曲者だと思う。「手も足も出ない」となると。まったく施す手段がなくなって窮地に陥るという意味だが、この言葉を逆手にとって、手も足も出すのだから、なに、七十歳がどうした、これからさ、という気概が感じられる。また「手を出し」でいったん休止を入れて「足も」と音だけで聞くと、伊予弁の「あしも」と重なり。早世した子規と作者が「あしも七十歳ぞ」と唱和しているようだ。「霰散るキリンが卵産む寸前」「びわ食べて君とつるりんしたいなあ」言葉の楽しさ満載の句集である。『ヤツとオレ』(2015)所収。(三宅やよい)


January 2212016

 うたはねば冬のヒバリはさびしき鳥

                           筑紫磐井

らかに空高く唄う春の雲雀あり。オスの囀りである。美しい声、うららかな空、昇り詰めて一気に落ちて来る様など見飽きない楽しさがある。それに引替え唄っていない雲雀の何と淋しいことか。ましてや冬の雲雀となれば。いや唄っているのに気付かれぬ事が多い冬の雲雀でもある。その他筆者の自分史というか青春のアリバイとも言える叙述が諸々と治まっている。いや青春に対しての「青い冬」の叙述だったのかも知れぬが。<さういふものに私はなりたくない><恋人よ血が出ぬほどにかまいたち><昭和 あゝ 島倉千代子のうたふ恋>。『我が時代』(2014)所収。(藤嶋 務)


January 2312016

 木の葉とは落ちてもじつとしてをらず

                           大久保白村

時記の「木の葉」の項を見ると「木を離れて了ふと単に木の葉としての存在となる。それと同時に散り残つた乏しい木の葉も亦木の葉といふ感じが強くなる」(虚子編 新歳時記)とある。生い茂っている時には幹と枝と共に一樹をなしている葉は、散った瞬間に生物としては終わりを迎えるが木の葉としての存在感を得る、ということか。そう思うと、木の葉、という言葉には、落葉や枯葉には無い永遠性が感じられる。掲出句の作者は、かつて樹としてざわめいていた葉が木の葉となってもなお風に遊ぶさまを見つめている。本質を観ながらやさしい視線だ。他に〈老いてなほ花子と呼ばれ象の冬〉〈日向ぼこしてゐるうちに老けにけり〉など。『続・中道俳句』(2014)所収。(今井肖子)


January 2412016

 雪の肌なめらか富士は女体なり

                           山口誓子

年、初詣に富士を拝みます。今年の正月は雪不足のため、富士の山容には黒い縦の筋が幾つか通っていました。その姿はどこか険があって厳しいものでしたが、先週の降雪によって、富士は白い美肌美人になりました。作者同様、私もそんな富士に女体を見ます。富士は万葉集に詠まれ、竹取物語に描かれて、上代から日本人に親しまれてきましたが、信仰の対象としての富士は上代をはるかに遡った時代に起源があると思われ、神話では「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)」という美しい娘とされて います。作者はこれを踏まえ、この民族的な擬人化をごく自然な写生句のように仕立てています。ところで、たをやめぶりの富士に対してますらをぶりの富士はないかといえば、太宰治「富嶽百景」で、御坂峠の茶屋の二階から、自動車五台で年一度の旅行に連れて来られている遊女の一団を見ている太宰がそれを見ていられなくなり、「そうだ、、富士に頼もう、、おい、、こいつらをよろしく頼むぜ、、その時の富士はどてらを着た大親分のようにさえ見えた」という一節がありました。この大親分は、男気がありなおかつ苦界に生きる女のあわれに身を重ねられる、そんな義侠でしょう。女神にも、任侠にもなれる富士こそ景勝です。『山口誓子集』(朝日文庫・1984)所収。(小笠原高志)


January 2612016

 狐火や顔を隠さぬ殺人鬼

                           大澤鷹雪

夜に青白い焔がゆらめく現象を狐が口から吐く火といわれた狐火。実際には灯火の異常屈折や発光虫の仕業といわれるが、明かりの少ない時代にはさぞおそろしげに感じられたことだろう。まだ始まったばかりの今年だが、相変わらずおそろしい事件が続く。掲句の「顔を隠さぬ」にあるものは底知れぬ不気味さである。残忍な事件は昔からあったが、犯人たちは一様に顔を隠して捕らえらるのを常としていた。顔を隠すという行為は「世間に顔向けできない」という心理から出るものだ。それを見ることによって、罪を罪として意識している者に対して、同じ人間として憤りや侮蔑を感じるのである。顔を隠すことさえしない殺人鬼には、悪事という概念もないように思われ、そこには人としての心のかけらも見つけられない。不可解な季語と組み合わせることで、薄気味悪さを最大限に引き出すことに成功した。作者はテレビのコメンテーターとしても活躍する弁護士大澤孝征氏。集中には〈風呂敷に決め手の証拠春の風〉〈尋問の罠を工夫の夜なべかな〉など、職業に特化した作品も。『夏木立』(2015)所収。(土肥あき子)


January 2712016

 寝返ればシーツに絡む冬銀河

                           高岡 修

なる「銀河」であれば秋の季語である。空気の澄みきった秋の銀河ならば、色鮮やかな夜空に大きく流れるイルミネーションであろうけれど、「冬銀河」となればしんしんと冴えわたって感じられる。色鮮やかさを超えた神秘的な存在感を夜空に広げて、読む者に迫ってくる。中七「シーツに絡む」という表現によって、この冬銀河はどこやらエロティックな響きを秘めることになった。寝返る人が見ている夢のなかでも、冬銀河は恐ろしくきらめきを増していて、冴えわたっている。そのくせどこかしらエロスを孕んでいるように思われる。身を包んでいるシーツも、もはや銀河そのものと化して、身に絡んでいるのではあるまいか。姿美しい句になっている。富安風生の句に「冬銀河らんらんたるを惧れけり」がある。修には“死”をテーマにした句が多いけれど、他に「死するまで谺を使う冬木立」「虹の屍(し)は石棺に容れ横たえる」などがある。『水の蝶』(2015)所収。(八木忠栄)


January 2812016

 冬うらら猫とおんなじものを食べ

                           寺田良治

倍青鞋の句に「水鳥の食はざるものをわれは食ふ」という句がある。空を飛んで遠くの国から渡りをする水鳥が食べるものは軽くて清い印象がある。その裏には肉をはじめあらゆるものを食べて生きている人間の猛々しさが隠されているのだろう。水鳥とおなじものを人が食するのであれば仙人のような気がするが、「猫とおんなじもの」は生活感が漂う。豪華ではなく、ささやかな食を猫と分け合って食べている様子とともに自分の食生活へのペーソスが感じられる。ごちそうや珍味と呼ばれるものに魅力も感じず、お前と同じもので十分だよと膝に乗せた飼いネコに話しかける。「猫まんま」はいいけど、キャットフードはいやだな。『こんせんと』(2015)所収。(三宅やよい)


January 2912016

 五位鷺と寒雨の水面見てをりぬ

                           東藤涼子

醐天皇が神泉苑の御遊のとき五位の位を授けたという謂れで「五位鷺」。日本では本州以南で繁殖する留鳥である。分類としてはコウノトリの仲間のサギ科。全長六十センチメートル内外。頭と背は緑黒色,腹面は汚白色,翼は灰色。繁殖期には後頭から二本の長い白色の飾り羽がたれるのが特徴。夜行性で,夕方,水辺で首を縮めて獲物を待ち構える。狙う獲物は魚やカエルなどだが折しもの冷たい雨に思う様には獲物にありつけない。ただ悪戯に流れる時の中で五位鷺も作者もひたすらに水面を眺めて佇むのみである。野生は斯くに厳しい。<霙降り湖の船遅れけり><丸帯を卓に敷きたり節料理><待春の岸辺よ鳥類図鑑欲し>。俳誌「はるもにあ」(2015年3月号)所載。(藤嶋 務)


January 3012016

 縁側におはじき一つ山眠る

                           日原正彦

の句にあるのは遠い記憶の中の穏やかな日差しだ。おはじきは深い海の色に小さく光っている。少しささくれ立った木の温もりを手のひらに感じながらの日向ぼっこは心地よく、見るともなく見ているのは遥かな山の静けさ。読み手の中にもそんな冬日和の景が浮かんでくる。なんとなく捨てないで持っていたおはじきを今、手のひらにひんやりとのせてみた。はじいて遊んだ記憶はさらに遠いが、縁側と共に懐かしい。同じ集中に〈水仙の彼方に光る副都心〉とある。どちらの句も近景と遠景を一句の中に組み合わせて巧みであり、冬日の持つやさしさと鋭さがそれぞれ描き分けられている。(2015)『てんてまり』所収。(今井肖子)


January 3012016

 縁側におはじき一つ山眠る

                           日原正彦

の句にあるのは遠い記憶の中の穏やかな日差しだ。おはじきは深い海の色に小さく光っている。少しささくれ立った木の温もりを手のひらに感じながらの日向ぼっこは心地よく、見るともなく見ているのは遥かな山の静けさ。読み手の中にもそんな冬日和の景が浮かんでくる。なんとなく捨てないで持っていたおはじきを今、手のひらにひんやりとのせてみた。はじいて遊んだ記憶はさらに遠いが、縁側と共に懐かしい。同じ集中に〈水仙の彼方に光る副都心〉とある。どちらの句も近景と遠景を一句の中に組み合わせて巧みであり、冬日の持つやさしさと鋭さがそれぞれ描き分けられている。(2015)『てんてまり』所収。(今井肖子)


January 3112016

 から鮭も空也の痩も寒の内

                           松尾芭蕉

蕉は、乾燥させた鮭を好んで食べたようです。「雪の朝独リ干鮭(からざけ)を噛得(かみえ)タリ」が『東日記』にあります。一方、掲句の「から鮭」は食べ物としてよりも、内臓や脂分が削ぎ落とされた物体として提示されていて、市の聖と言われた空也上人の雑念の無い痩身に重なります。日本史の教科書の口絵には、念仏を唱える空也上人の木像彫刻が掲載されていますが、この実物は京都・六波羅蜜寺の境内のガラスケースの中で無造作に鎮座しており、今も市井の存在です。史実としての空也を 検証する資料がほとんどない代わりに、各地に残されている木像彫刻からその足跡を推測できます。上人は、首から鉦(かね)を下げ、鐘を叩くための撞木(しゅもく)を手にしています。一昨年、淡路島で発見された銅鐸の中から撞木が出てきたことによって、長年その使用法が謎だった銅鐸は、祭事に叩いてその金属音を聴くための祭器であることがわかりました。それから時を経て、空也が生きた平安時代も、鉦の金属音は非日常的な音響であり、人々の内奥までその響きが届いたことでしょう。空也の木像彫刻は、開いた口元から六体の阿弥陀仏が吐き出されていて、念仏と鉦の交響という音の視覚化に特徴があります。およそ平安中期までの仏教は、文字が読める貴族階層のみに浸透していたでしょうから 、空也は、そのほとんどが文盲であった市井の民に福音を届ける宗教の革新者でした。これは、マルティン・ルターが、ラテン語のみしか認められていなかった新約聖書の表記をドイツ語で読めるように翻訳して民衆に広めた改革に比肩すると思われます。なお、掲句の前書には「都に旅寝して、鉢扣のあはれなるつとめを夜ごとに聞き侍りて」とあり、空也忌(旧暦十一月十三日)から行なう四十八夜の「鉢叩」の行に触発された句であることがわかります。その金属音は、K音の頭韻として句中に響いています。『芭蕉全句集』(角川ソフィア文庫・2010)所収。(小笠原高志)




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