2016N19句(前日までの二句を含む)

January 0912016

 鈴一つ拾ふ初寅神楽坂

                           肥田埜恵子

段なら目に留まっても拾うことはないかもしれない鈴だが、お正月の境内ということもありそっと手のひらにのせたのだろう。澄みきった空気を小さく震わせて一瞬かすかな音をたてる鈴、他の何を拾い上げてもこの仄かな味わいは生まれない。今日一月九日は初寅、一月最初の寅の日に毘沙門天に参詣する、ということなので、神楽坂善國寺の毘沙門天御開帳の日のできごとと思われる。初が付く十二支の日は、初午は二月、初辰は毎月、などそれぞれ異なるが、初未、とは取り立てて言わないという。今年もまた、知らないことだらけの身を刺激される一年となりそうだ。『俳句歳時記 第四版』(2008・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


January 0812016

 鷽替へてまた抽斗に放り込む

                           土肥あき子

替えとは、主に菅原道真を祭神とする神社において行われる神事である。鷽(ウソ)が嘘(うそ)に通じることから、前年にあった災厄・凶事などを嘘とし木彫りの鷽を新しいものに交換し、今年は吉となることを祈念して行われる。この鷽と言う鳥は四十雀ほどの小鳥でオスの頬の淡い朱色が美しく目を引く。「琴弾鳥」の別名は脚を交互に上げてフィッフィッと鳴く仕草が琴を弾くようなので着いた。梅や桜の蜜をあさり花びらをこぼすのもこの鳥の性。また春が来て今年こそはもっと良い夢を散らしたいなと新しい鷽を抽斗(ひきだし)に大切に仕舞う作者ではあった。他に<夜のぶらんこ都がひとつ足の下><花疲れして懐の猫が邪魔><じゃんけんのあひこは楽し木の実落つ>などなど『夜のぶらんこ』(2009)に所収。(藤嶋 務)


January 0712016

 人日の鳥のぼさぼさ頭かな

                           櫻木美保子

月七日は「人日」なぜこのように呼ぶのか。「一日には鶏、二日に狗、三日に羊、四日に猪、五日に牛、六日に馬、七日に人を占い八日に穀を占う。毎日の天候によって動物や人の一年を占い皆、清明温和な天候であれば畜息安泰、陰寒惨烈なら疾病衰耗と為す」と平井照敏の「新歳時記」に説明がある。「人日」という言葉を知ったのは俳句を始めてからで、七日と言えば七草粥を食べ、学校が始まる日と思っていた。鳥のぼさぼさ頭と言えば、ウッドペッカーやスヌーピーのウッドストック、はたまたハシビロコウが思い浮かぶ。ぼさぼさ頭が寝起きの頭のようで愛嬌がある。きっと人間が動きだす日なんぞ鳥には関係ない、とシニカルなまなざしでのんびり眺めていることだろう。『だんだん』(2010)所収。(三宅やよい)




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