2016N112句(前日までの二句を含む)

January 1212016

 もつと軽くもつと軽くと枯蓮

                           藺草慶子

あふれる蓮の葉、高貴で香しい蓮の花の時期を通り過ぎ、蓮の骨ともいわれる枯蓮は、耐えがたい哀れを詠むのが倣いである。ところが掲句は一転して、蓮は枯れることで軽くなろうとしているのだと見る。日にさらされ尽くした蓮は、風に触れ合う音さえも軽やかである。それはまるで植物としての使命を終えたのちに訪れる幸福な時間にも思われる。黄金色に輝く杖となった蓮の「もっともっと」のつぶやきは、日のぬくみとともに作者の胸の奥にも静かに広がっていることだろう。『櫻翳』(2015)所収。(土肥あき子)


January 1012016

 冬の夜や灯り失くして木漏れ星

                           郷 拓郎

月二日の夜。友人の山荘で、旧知の三人と初対面の三人とで一晩を過ごしました。「ゴウです」と挨拶されたその声が繊細で女性的で髪が長かったので、彼が男性であることを認識するまで6時間かかりました。深夜、他の四人が寝静まって、二人暖炉の前で酒を飲みながら、ゴウ君が音楽家であることと恋話など聞いていたとき、「小笠原さんは何者なのですか」と聞かれたので、私は外に出て尺八を吹き、一句作って、「ゴウ君も一句作らないと中には入れさせない」と言ったらしいのです。ゴウ君が、森の木と木の間から見える星をみつめながらひねり出したのが掲句。翌日、前夜の記憶をほとんどなくしていた私は、外に投げ出されていた尺八の袋と、逆さに置いてある缶ビールを見て、かすかに記憶を取り戻し、今年最初の一句をゴウ君に揮毫してもらって、駅でハイタッチをして別れました。(小笠原高志)


January 0912016

 鈴一つ拾ふ初寅神楽坂

                           肥田埜恵子

段なら目に留まっても拾うことはないかもしれない鈴だが、お正月の境内ということもありそっと手のひらにのせたのだろう。澄みきった空気を小さく震わせて一瞬かすかな音をたてる鈴、他の何を拾い上げてもこの仄かな味わいは生まれない。今日一月九日は初寅、一月最初の寅の日に毘沙門天に参詣する、ということなので、神楽坂善國寺の毘沙門天御開帳の日のできごとと思われる。初が付く十二支の日は、初午は二月、初辰は毎月、などそれぞれ異なるが、初未、とは取り立てて言わないという。今年もまた、知らないことだらけの身を刺激される一年となりそうだ。『俳句歳時記 第四版』(2008・角川学芸出版)所載。(今井肖子)




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