2016N113句(前日までの二句を含む)

January 1312016

 初暦知らぬ月日の美しく

                           吉屋信子

が改まると同時に、どこの家でもいっせいに替わるのが暦(カレンダー)である。真新しくて色彩やスタイルがさまざまな暦が、この一年の展開をまだ知らない人々の心に、新しい期待の風を吹きこんでくれる。心地よい風、厳しい風、いろいろであろう。この先、どんな日々が個人や世のなかにまき起こすことになるのか、まだ予想もつかない。せめて先々の月日は「美しく」あってほしいと誰もが願う。何十年と齢を重ねてくると、だいたいあまり過剰な期待はもたなくなってくる。悲しいことに、その多くが裏切られてきたから。ことに昨今の国内外の穏やかならぬ想定外の事件や事故の数々。わが身のこととて先が読めない。いつ何が起こっても不思議はない。せめて「知らぬ月日」は「美しく」と切望しておきたい。加藤楸邨の句ではないが、まさに「子に来るもの我にもう来ず初暦」である。『新歳時記・新年』(1996)所収。(八木忠栄)


January 1212016

 もつと軽くもつと軽くと枯蓮

                           藺草慶子

あふれる蓮の葉、高貴で香しい蓮の花の時期を通り過ぎ、蓮の骨ともいわれる枯蓮は、耐えがたい哀れを詠むのが倣いである。ところが掲句は一転して、蓮は枯れることで軽くなろうとしているのだと見る。日にさらされ尽くした蓮は、風に触れ合う音さえも軽やかである。それはまるで植物としての使命を終えたのちに訪れる幸福な時間にも思われる。黄金色に輝く杖となった蓮の「もっともっと」のつぶやきは、日のぬくみとともに作者の胸の奥にも静かに広がっていることだろう。『櫻翳』(2015)所収。(土肥あき子)


January 1012016

 冬の夜や灯り失くして木漏れ星

                           郷 拓郎

月二日の夜。友人の山荘で、旧知の三人と初対面の三人とで一晩を過ごしました。「ゴウです」と挨拶されたその声が繊細で女性的で髪が長かったので、彼が男性であることを認識するまで6時間かかりました。深夜、他の四人が寝静まって、二人暖炉の前で酒を飲みながら、ゴウ君が音楽家であることと恋話など聞いていたとき、「小笠原さんは何者なのですか」と聞かれたので、私は外に出て尺八を吹き、一句作って、「ゴウ君も一句作らないと中には入れさせない」と言ったらしいのです。ゴウ君が、森の木と木の間から見える星をみつめながらひねり出したのが掲句。翌日、前夜の記憶をほとんどなくしていた私は、外に投げ出されていた尺八の袋と、逆さに置いてある缶ビールを見て、かすかに記憶を取り戻し、今年最初の一句をゴウ君に揮毫してもらって、駅でハイタッチをして別れました。(小笠原高志)




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