2016N122句(前日までの二句を含む)

January 2212016

 うたはねば冬のヒバリはさびしき鳥

                           筑紫磐井

らかに空高く唄う春の雲雀あり。オスの囀りである。美しい声、うららかな空、昇り詰めて一気に落ちて来る様など見飽きない楽しさがある。それに引替え唄っていない雲雀の何と淋しいことか。ましてや冬の雲雀となれば。いや唄っているのに気付かれぬ事が多い冬の雲雀でもある。その他筆者の自分史というか青春のアリバイとも言える叙述が諸々と治まっている。いや青春に対しての「青い冬」の叙述だったのかも知れぬが。<さういふものに私はなりたくない><恋人よ血が出ぬほどにかまいたち><昭和 あゝ 島倉千代子のうたふ恋>。『我が時代』(2014)所収。(藤嶋 務)


January 2112016

 冬晴れへ手を出し足も七十歳

                           坪内稔典

晴れへ足と手を出して、ああ、自分も七十歳なのだなぁ。と感慨を込めて空を見上げる情景とともに、この「手を出し足も」が曲者だと思う。「手も足も出ない」となると。まったく施す手段がなくなって窮地に陥るという意味だが、この言葉を逆手にとって、手も足も出すのだから、なに、七十歳がどうした、これからさ、という気概が感じられる。また「手を出し」でいったん休止を入れて「足も」と音だけで聞くと、伊予弁の「あしも」と重なり。早世した子規と作者が「あしも七十歳ぞ」と唱和しているようだ。「霰散るキリンが卵産む寸前」「びわ食べて君とつるりんしたいなあ」言葉の楽しさ満載の句集である。『ヤツとオレ』(2015)所収。(三宅やよい)


January 2012016

 てんてまりつけばひだまりひろがりぬ

                           日原正彦

てんてんてんまり てんてまり……、新年の日だまりで女の児たちが楽しそうにまりつきに興じている。そこらへんから新しい年はひろがっていく。てんまり、手まりーーーそれらの遊びは遠い風景になりつつあって、今やむなしい「ひだまり」がひろがるばかりだ。「てまり」と言えば、西条八十作曲の童謡「鞠と殿さま」、あるいは横溝正史の「悪魔の手鞠唄」のようなおどろおどろしいものもある。良寛さまの「こどもらと手まりつきつゝこの里に遊ぶ春日はくれずともよし」などの歌を想起する人もあると思われる。私などがまだ子どものころには、ゴム製のてんまりで女の児たちが遊んで、♪おっかぶせ、と歌ってサッとスカートのなかにまりを器用に隠したりしていたのが、記憶に残っている。今や、てまりは女の児の遊びというよりは、観光みやげとして美しい彩りのまりが各地で売られている。掲出句は昨年末に刊行された句集『てんてまり』(2015)の冒頭に「新年の章」として、「自転車のタイヤの空気去年今年」などとならんで収められており、「新聞、雑誌、テレビなどの「俳壇」欄に入選(特選、秀逸、佳作)したものばかり」(あとがき)が収録されている。「ひだまり」と「ひろがりぬ」のH音の重ねも快い。(八木忠栄)




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