2016N71句(前日までの二句を含む)

July 0172016

 水中に足ぶらさげて通し鴨

                           岩淵喜代子

冬の湖沼に渡来する真鴨は、翌年の早春に再び北方に帰っていくが、夏になっても帰らないで残り、巣を営んで雛を育てる。青芦が伸びた湖沼に、静かな水輪の中に浮かんでいる姿は、やや場違いの感じを受けるが、どこかさびしげで哀れでもある。因みに四季を通じて日本に滞留する軽鴨(かるがも)とか鴛鴦(おしどり)は通し鴨とは言わない。やることを全て終えてのんびりと水中に足をぶらさげている。餌も付けずに釣竿を垂らす釣り人の前をゆったりと流れて行く。何だか温泉の足湯にでも浸かってのんびりとしたくなった。他に<己が火はおのれを焼かず春一番><その中の僧がいちばん涼しげに><湯豆腐や猫を加へて一家族>などなど。『嘘のやう影のやう』(2008)所収。(藤嶋 務)


June 3062016

 カタバミは山崎自転車屋のおやじ

                           芳野ヒロユキ

タバミはピンクや黄色の小さな花をつけてクローバーのような葉っぱを茂らせている。路地やちょっとした茂みにおなじみの花だけど名前を知ったのは俳句を始めてからだった。ありふれているからと見過ごしているものがどれほど多い日常か。それにしてもカタバミは山崎自転車屋のおやじ、って断定がすごい。その断定がそのまま俳句になっているのもびっくりだ。まったく結びつかないようでいて一度呟いてみると忘れられないインパクトで記憶に刻み込まれてしまう。店先でパンク修理をしている頑固そうなオヤジさんが映像として浮かび上がってくるからだろうか。そうかゴツイオヤジなのにカタバミだったのか。『ペンギンと桜』(2016)所収。(三宅やよい)


June 2962016

 すべすべもつやもくぼみもさくらんぼ

                           小沢信男

まれているのは、まぎれもないさくらんぼのいとしおさである。さはさりながら、それにとどまるものでないことは言うを待たない。「すべすべ」「つや」「くぼみ」――それらは、ずばり女体である。老獪な信男による女体礼讚となっていると読みたい。よって、このさくらんぼの形体も色つやも、さらに旨味さえもいや増してくるのだ。句が平仮名書きになっていることによって、なめらかさを強調していることにも注目しなくてはならない。きわどい句ではあるけれど、嫌味は寸分も感じられない。《骨灰紀行》のある信男にして、このエロティシズムはみごと! 何年か前、ある団体の詩のセミナーを山形市で開催することになり、担当していた私は、どうせなら、さくらんぼの時季に合わせたらいいという提案をして実現した。セミナーの翌日、高価な佐藤錦をみんなでうんざりするほど(木に登ったりして)食したことがある。「桜の坊」→「さくらんぼ」は日本に、佐藤錦、高砂、ナポレオンなどをはじめ1000種類があるという。もちろん生産量は山形県が圧倒的。信男の夏の句には「うすものの下もうすもの六本木」がある。掲出句は当初、第三句集『足の裏』(1998)に収められ、その後、全句集『んの字』(2000)に収録された。(八木忠栄)




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