2016N73句(前日までの二句を含む)

July 0372016

 雲の峰暮れつつ高き岩魚釣り

                           飯田龍太

の暮れは遅い。険しい渓谷で、岩魚の食いつきをねばる。雲の峰は刻々と変化して、渓流の流れは速い。さて、この釣り人の釣果はいかに。それよりも、谷あいに居る釣り人が空を仰げば、雲の峰は高い。雲が動き、水流に糸を垂らす僥倖。動中静在。さて、釣り人はぐいぐいと岩魚を高く釣り上げたや否や。以下、蛇足。岩魚は野生味の強い魚で、貪欲に餌に食いつくけれど、針をのみ込んだまま滝を上ろうとしたり、大暴れして逃げ果せることもしばしば。その容貌には、太古を思わせる険しさがある。私 が釣り上げて最も怖かった魚の形相は、北海道知床で釣ったオショロコマというエゾの岩魚。その日、川の畔では熊が鹿を食い、食べ残した残骸を地元の漁師がガソリンをかけて燃やしていた。『山の影』(1985)所収。(小笠原高志)


July 0272016

 岩牡蠣ををろちのごとく一呑みに

                           武田禪次

ろち(大蛇)を大辞林で引くと、〔「お」は峯、「ろ」は接尾語、「ち」は霊力のあるものの意]大きな蛇。(後略)、とある。掲出句は一読して、大粒の岩牡蠣をちゅるりと口に入れた時の感覚がよみがえり、ああ食べたい、と思わせる。をろち、というやや大仰な表現が逆に、蛇という生き物の持つさまざまな感触を一掃しながら一呑み感だけを強調して比喩として楽しい。食べ物を句にする時、説明ではない言葉で詠み手を掴んで、美味しそう、と思わせるのは簡単なようで難しい。『留守詣』(2016)所収。(今井肖子)


July 0172016

 水中に足ぶらさげて通し鴨

                           岩淵喜代子

冬の湖沼に渡来する真鴨は、翌年の早春に再び北方に帰っていくが、夏になっても帰らないで残り、巣を営んで雛を育てる。青芦が伸びた湖沼に、静かな水輪の中に浮かんでいる姿は、やや場違いの感じを受けるが、どこかさびしげで哀れでもある。因みに四季を通じて日本に滞留する軽鴨(かるがも)とか鴛鴦(おしどり)は通し鴨とは言わない。やることを全て終えてのんびりと水中に足をぶらさげている。餌も付けずに釣竿を垂らす釣り人の前をゆったりと流れて行く。何だか温泉の足湯にでも浸かってのんびりとしたくなった。他に<己が火はおのれを焼かず春一番><その中の僧がいちばん涼しげに><湯豆腐や猫を加へて一家族>などなど。『嘘のやう影のやう』(2008)所収。(藤嶋 務)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます