2016N716句(前日までの二句を含む)

July 1672016

 夜の青葉声無く我ら生き急ぐ

                           清水哲男

事の都合等で伺えなくなりずっとご無沙汰となってしまっている余白句会だが、句会記録だけは拝読している。今回久しぶりに過去の記録を読み返した中にあった掲出句、2013.6.15、第107回の余白句会で筆者が「天」とさせていただいた一句である。「青」が題だったので他にも青葉の句はあったのだが一読して、くっとつかまれるような感じがしたのを思い出す。今を盛りの青葉も思えばあとは枯れゆくのみなのだが、移ろう季節の中で長い年月を繰り返し生きる木々と違い、人は短い一生を駆け抜けて終わる。闇の中に満ちている青葉の生気を感じながら、作者の中にふと浮かんだ見知らぬ闇のようなものが、三年前よりずっと身近に思えてくる。(今井肖子)


July 1572016

 燕雀も鴻鵠も居る麦酒館

                           廖 運藩

燕雀」はツバメやスズメなどの小さな鳥のことで、転じて小人物をさす。「鴻鵠」は大鳥や白鳥など大きな鳥のことで、転じて大人物をさす。小人(しょうじん)も大人(たいじん)も一つ屋根の麦酒館に居てわいわいがやがやとやっている図である。『史記』に「磋呼、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とあり、小さな者にどうして大人の志が解りましょうやとの原典をよりどころにしている。中国の陳渉が、若いころ農耕に雇われていたときに、その大志を嘲笑した雇い主に向かって言ったことばとされている。小生の酔眼によればいずれ飯を喰らい糞を垂れるただのお仲間に過ぎないのではあるが。他に<すぼみ行く麦酒の泡や朋の老い><酔ひどれの生き血吸ひたる蚊の不覚><絵日傘やをみな骨までおしやれする>などあり。俳誌「春燈」(2015年9月号)所載。(藤嶋 務)


July 1472016

 かき氷前髪切った顔同士

                           工藤 惠

しぶりに会った友達同士、顔を見合わせて「髪切った?」同時に言って何となく笑いあう。向かい合ってかき氷を食べていても前髪を切った互いの顔を正面から見るのがまぶしくて、下を向いてかき氷を一匙一匙丁寧にすくって食べる。そんな光景が目に浮かぶ。前髪を切ると、 顔がむき出しになる気恥ずかしさがあって美容院でも「前髪、切りすぎないでくださいね」と美容師に念押しする女の子をよく見かける。色鮮やかなかき氷はなんといっても若者の食べ物。私などはあの氷の山を食べつくす気力はもうない。『雲ぷかり』 (2016)所収。(三宅やよい)




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