2016N731句(前日までの二句を含む)

July 3172016

 雲湧いて夏を引っ張る左腕なり

                           清水哲男

緑色の球場の向こうには、入道雲が湧いている。真夏の甲子園。エースの左腕は、予選から数えれば10試合以上、投球数は1000球を超えて夏のチームを引っ張ってきた。そればかりではない。地元からは、何十台ものバスを連ねた応援団を呼び寄せ、高校野球ファンたちを球場に誘い込み、全国津々浦々の食堂・床屋・お茶の間のTVの前に人々を釘付けにし、スポーツ紙の売り上げを伸ばしている。酒場では男たちが、金田正一・鈴木啓示・江夏豊・工藤公康といった往年の左腕を語り、「山本昌は甲子園に出られへんかったから肩を消耗せずに50歳まで投げられたんや」とか、「それに引きかえ近藤真一は甲子園で投げ過ぎて入団の時には肘の反りがなかったんやで」とか、「それ 考えると工藤はええ野球人生やな」など、野球になると口数が多くなる男たちの夏の話題も引っ張る左腕。今年の甲子園では、そんな左腕が現れるだろうか。ところで、野球は左利きに有利なスポーツだ。バッターなら、右利きより一歩分一塁ベースに近い。イチローが右打者だったら、大リーグ3000本安打は無理だっただろう。足で稼いだ安打が多いですから。では、投手はどうだろうか。詳しいところはわからない。右も左も投球の質そのものに違いはないだろう。ただし、打撃有利な左打者に対する左腕は、球の出所が見えにくいのは周知の通り。そう考えると、左腕はやはり有利であるようだ。そんなことよりも、事はもっと単純で、左腕はかっこいいのである。私が少年野球をやっていた時、チームは全員右利きだった。左腕は、TVでしか見られない憧れだったのだ。さて、もう一度、掲句を読んでみて下さい。この五七五は、「振りかぶって、第一球を、投げました」のリズムに重なります。『打つや太鼓』(2003)所収。(小笠原高志)


July 3072016

 ふたたびは聞く心もてはたたがみ

                           稲畑汀子

たたがみの、はたた、は擬音語ともいわれるが、激しく鳴りとどろく雷のことをいう。掲出句、直接表現されていない最初の激しい雷の音が聞こえる。突然の雷には誰もが驚かされるが、室内にいれば命にかかわることはまずない。そうなると恐怖心は確かにありながら、どこか自然の力を目の当たりにすることを望むような心理も働く。聞く心、という一語には、二回目は驚かないという理屈をこえた作者の自然に対する思いが感じられる。この句は句集『さゆらぎ』(2001)より引いたが、そのあとがきに「二十一世紀はもう一度、「人間も自然の一部である」という根本に立ち返り、人間と自然の調和を考えなければならない」とある。二十一世紀になってからの十数年間のさまざまを思い返すと、漠然とした憂いに覆われる現在である。(今井肖子)


July 2972016

 飛ぶ鳥の腋平らなり朝曇

                           櫛原希伊子

日様の窓を開けると鳥が飛んでいる。翼をいっぱいに広げて飛んでいるので腋がぴんと平らに張られている。折しもの朝曇り、さして眩しくも無い空の色がしっくりと目に馴染む。来し方も平凡、行く末もそうありたいなどとふと思う。ワタシも随分遠くまで飛んできたものだが、思い残す事もさしてないなあ。などと清々しい気分で空を眺めている。今日も斯く安らかな命の一時を得て、お茶がことさら美味しい。他に<目にふれるものことごとく旱石><宇や宙や土用入りなる作法あり><のどぶえの湿りほどほど天の川>など。俳誌「百鳥」(2014年10月号)所載。(藤嶋 務)




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