March 011998
沖に降る小雨に入るや春の雁
黒柳召波
井本農一・尾形仂編『近世四季の秀句』(角川書店)の「春雨」の項で、国文学者の日野龍夫がいきなり「春雨は、すっかり情趣が固定してしまって、陳腐とはいうもおろかな季語である」と書いている。「月様、雨が。春雨じゃ、濡れてゆこう。駕篭でゆくのはお吉じゃないか、下田みなとの春の雨」では、なるほど現代的情趣の入り込む余地はない。そこへいくと近世の俳人たちは「いとも素直に春雨の風情を享受した」ので、情緒纏綿(てんめん)たる名句を数多く残したと日野は書き、この句が召波の先生であった蕪村の「春雨や小磯の小貝ぬるるほど」などとともに、例証としてあげられている。蕪村の句も見事なものだが、召波句も絵のように美しい。同時代の人ならばうっとりと、この情景に心をゆだねることができただろう。しかし、こののびやかさはやはり日野の言うように、残念ながら現代のものではない。だから、この句を私たちが味わうためには、どこかで無理に自分の感性を殺してかからねばならぬ、とも言える。これはいつの時代にも付帯する後世の人間の悪条件ではあるが、その「悪」の比重が極端に加重されてきたのが「現代」である。(清水哲男)
December 261998
餅搗きや焚き火のうつる嫁の顔
黒柳召波
江戸時代の句。「うつる」は「映える」に近い内容の言葉だろう。餅つきは早朝の暗いうちから行われるのが常だったので、電灯などないころには焚き火の灯りが必要だった。また、その焚き火の威勢のよさが「餅つき」の雰囲気を盛り上げた。そんな焚き火の明るさのなかで、懸命に奮闘している嫁の姿に、作者はいたく感じ入っている。まめまめしく働く嫁に満足しており、さらには美しいと一瞬見惚れたりもしている。もちろん、彼女は今年当家に嫁いできたのだ。これで、よい正月が迎えられる……。新春を間近にした大人の無邪気が伝わってくる。ところで、この「嫁」とは誰の嫁なのだろうか。というのも、私の田舎では、昔から自分の妻のことを単に「嫁」と言い、いまだに「息子の嫁」とは区別してきている。現代の感覚からすると、句の「嫁」は後者であろうが、この場合は自分の新妻である可能性が高いと思う。だとすれば、まことにもって「ご馳走様(のろけ)」の句だ。さて、こうして大量の餅をつきおわると、あとは正月を待つばかり。なんとなく、大人も子供も神妙な顔つきになってくるから面白い。しかし、どんな世の中にも皮肉屋はいるもので『柳多留』に一句あり。「餅は搗くこれから嘘をつくばかり」と。(清水哲男)
February 181999
落ちなむを葉にかかへたる椿かな
黒柳召波
おっと、どっこい。すとんと落ちかかった花を、かろうじて葉で抱きとめている椿の図。椿は万葉の昔から詠まれてきたが(しかも、落ち椿の詩歌が多いなかで)、このように途中で抱えられた椿を詠んだ人は少ないだろう。「かかへたる」という葉の擬人化もユーモラスで、召波の面目躍如というところ。物事を「よく見て、きちんと詠む」のは俳句作家の基本である。したがって句を作る人たちは、まず「よく見る」ことの競争をしているようなもので、その競争に勝てば、とりあえず駄句は避けられる理屈となる。この句などは、そんな競争に勝つための目のつけどころのお手本だ。こんなふうに詠まれてみて、しまった口惜しいと思っても、後の祭り……。客観写生での勝負には、常に「コロンブスの卵」的な要素がつきまとうのである。だからこそ、常日頃から「よく見」ておく必要があるというわけだ。作者は江戸期の人だから、この椿は和名を「ツバキ」といった「薮ツバキ」のこと(だと思う、あくまでも推定だが)。いまでは椿の園芸品種も多種多様であり目移りするほどだけれど、いろいろ見てきたなかで、結局はどこにでもある「薮ツバキ」の素朴さを、私は好きだ。(清水哲男)
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