人間機械論



オイルが切れちゃったのか、 どうも関節がうまくまわらなくて、 とか、 どうも水道管がさび付いてきて、 出が悪いんだ、 などといったことを口にすると、 ああ、 無意識のうちに、 身体を機械にたとえてしまったな、 と思う。 動かなくなった内臓を、 ほかのものに取り替えよう、 という発想も、 同じように身体を機械にたとえているわけで、 こういった人間機械論的発想は、 機械が人間を支配するようになった 近代以降に生まれたものだ、 と教えてもらった。 でも、 機械というやつ、 本当は人間にあこがれて、 生まれてきたんじゃないか、 とも思う。 人間と同じように、 走り回れるようになりたい、 ものを細工できるようになりたい、 そんな風に思ったんじゃないのか。 でも、 あまりうまく真似られないので、 単純な丸や四角を組み合わせたもの で我慢したのだ。 しかし、だんだん進歩してきて、 人間そっくりに動ける機械も、 出てくるようになった。 逆に、 内臓の交換技術も進歩してきているので、 人間も機械のように扱えるようになった。 だからといって、 人間と機械がなかよく共存できる社会、 などというものを夢想するなよ。 機械には心がないのだから。


(C) Copyright, 2007 NAGAO, Takahiro
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鈴木志郎康氏評
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