日本解散



詩人を予言者になぞらえる伝統は、詩人というものが、予言者とほぼおなじように遅れて時代を反映するものだという意味で使われているかぎりは、認めてもよかろう。

――トロツキー『文学と革命』

しょうがない。
こうなったら解散だ。
領土がなければ、
国家など成り立たないのだから。
と言っても、
よその国に領土を取られたわけではない。
自分たちで勝手に領土を失ったのだ。
さらに言えば、
領土はなくなったわけではない。
地面は残っているし、
占領されているわけでもない。
しかし汚染されて住めないのなら、
ないも同然だ。
引き返すチャンスは何度もあった。
たとえば、二十年前のあの大地震のときだ。
福島の原発が壊れて、
多くの人々が家と故郷を奪われた。
福島以外の人々も、
あの痛みをわが痛みと感じることができたら。
いや、あのときでも、
少なくとももう原発は止めようと、
思った人の方が多かった。
一度は首相でさえ、
将来的に原発に依存しない方向にと
言ったのだ。
その首相は袋だたきにあって
引きずり下ろされ、
新しい首相がぬるっと出てきた。
長い話をまとめて言えば、
結局民意は反映されなかった。
デモに六万人集まろうが、
その日が過ぎてしまえば、
何もなかったかのようだった。
東北で大地震が起きると、
十年後には関東で大地震が起きる。
それから十年後には、
東海、東南海、南海で大地震が起きる。
そういうことは二十年前にも
言われていたことだ。
なぜ地震はもう起こらない、
原発事故はもう起きない、
そんな流れで国が動いてしまったのか。
放射能がまき散らされても、
除染すれば帰れるかのように言い、
それどころか除染しなくても、
帰っていいから帰りなさいと
何ごともなかったかのように
したがったのはどうしてなのか。
そして、なぜ被曝の恐ろしさを
過小評価してしまったのか。
死者が出ても放射能のせいではないと
言い張っていたのはなぜなのか。
因果関係を認めたときには、
もうボロボロだったではないか。
何を言ってももう遅い。
中身はどんどん薄くなっていったが、
憲法に九条があったのはよかった。
その前の部分はよくわからなかったが。
いずれにしてももうおしまいだ。
みんな、さようなら。
バラバラになってもお元気で。

2011年11月



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