机上の水練



思いがけず泳げと言われた。 今までに泳いだことは確かにあったはずだが、 どうやって泳いだらよいのか、 正式に教わったことはないのだ。 だから、いざ泳ぎ始めたときに、 泳ぎ方を思い出せるかとても不安だ。 今のうちにちょっと思い出してみようか。 でも、水に入る前に思い出せなかったら、 恐くて水に入れなくなってしまうだろう。 余計なことはしない方がよいのではないか。 案ずるより産むが易いともいうぞ。 過去にはそれでうまくいったこともある。 問題は泳ぎ出してから声をかけられたらどうするかだ。 接客業の常として、 明るい笑顔でハイと返事をしなければならないところだ。 そのときに泳ぎ方を忘れたらどうしよう。 それとも、接客業はもうやめたんだっけ。 今でも思い出せないのに、 泳いでいるときに思い出せるのだろうか。 まあいい。 最悪の場合を想定しておくのが社会人の常識というものだ。 泳ぎ始めてしまったのに、 途中で声をかけられて返事をしたばかりに、 泳ぎ方を忘れたとする。 前に進めなくなっても浮いていた方がいいのか、 それとも沈んだ方がいいのか。 接客業的にはどうなのか考えておこう。 それとも、接客業はもうやめたんだっけ。 そういったことどもを十秒ほどのうちに考えて、 地面から足が離れたのが今の状態だ。 ところで、水があるのを確かめたっけ?


(C) Copyright, 2012 NAGAO, Takahiro
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