フォアグラ




 健康診断で脂肪肝と診察された。三十を少し過ぎたばかりで成人病だと言われたわけで、本人にはかなりショックだった。道理で最近、宿酔がなかなか抜けなかったわけだ。食事等に気をつけないと、肝硬変になるという。酒も控えろと指示された。最近飲んでもちっともうまく感じなかったので、酒を我慢するのはちっとも苦痛ではない。やむを得ない場合を除き、決して飲むまいと決意した。それくらい、がっくりきた。あまりショックだったので、会う人ごとに、自分は脂肪肝と診断されたから、当分酒はなるべく飲まないようにすると触れて回った。そうして触れて回った何人目かが、ああ、フォアグラ状態ね、と言った。ああ、なるほどと思い、それからは脂肪肝とは言わず、フォアグラ状態になったから、当分酒はなるべく飲まないようにすると触れて回ることにした。健康診断で言われるまで脂肪肝という単語は知らなかったが、フォアグラならお馴染みだ。最近御殿場で食べた。まぁ、それが初めてだったわけだが。来年道路工事のために閉業するというレストランで、それはうまいフォアグラを食べた。こんなうまいものは今まで食べたことがないと思った。舌先でとろっととけて、微妙な風味がふわっと口中に広がった。レバーというやつは正直なところ苦手なのだが、英語じゃなく、フランス語になるとこれだけうまいものになるのかと思った。フォアグラ状態と診察されたときに、こういうものを食べろというリストをもらった。あそこにレバーを食べるとよいと書いてあったっけ? 書いてなかったような気もする。フォアグラを食べるとフォアグラ状態がよくなるということは、たぶんないだろう。かえってフォアグラ度が上がったかもしれない。でもうまかった。私のフォアグラはどんな味がするのだろうか?
 酒を飲まないと決めてみると、意外と飲みたくなるものである。フォアグラ状態と診断される前でも、それほど飲んでいるわけではなかった。一度飲んだら、次に飲むのは二、三日後、長ければ数週間後だった。酒が嫌いなわけではないが、飲まずにいられないわけでもない。それでも、禁酒ということになると、ふっとビールを飲みたくなったりする。以前なら、そう思ったときの二回に一回は飲んでいたが、今度は飲めない。我慢するぞと自分に言い聞かせる分、苦痛を感じた。思ったより単純ではなかった。それでも何とか我慢した。そんなある日、事務所に越之寒梅が届いた。夕方の六時頃になって、開けてみようかという話になった。ほかの酒ならともかく、寒梅はなかなか飲めるものではない。味見くらいならいいんじゃないか? どこから見つけ出してきたのか、女子社員がオチョコを並べていた。社長がそれらに寒梅を少しずつ注いでいく。みなが飲んだあと、その一つに手を伸ばした。うまくない。寒梅は以前にも飲んだことがあるけれども、こんなに舌を刺すような感じだったっけ? しかし、ほかの社員はうまい、うまいと言って飲んでいる。オチョコを見つけ出した女子社員は、つまみを買いに走った。私は一人で帰ることにした。外に出ると寒かった。オチョコにたった一つの酒では暖かくならない。しかし、アルコールが体内に入ったということは自覚できた。フォアグラ度が少し上がったかもしれない。駅に向かう途中ですれ違った男が連れの男にキンダイチュウと言ったのが聞こえた。一瞬だったし、ほかのことは何も聞こえなかったが、そこは確かに二十年前に金大中氏が誘拐されたホテルの前だった。これから、私は電車に一時間乗る。電車では間違いなく椅子を確保できるだろう。朝の夢の続きでも見ることにしようか。それとも…


(C) Copyright, 1998 NAGAO, Takahiro
|ホームページ||詩|
|目次||前頁(蚊)||次頁(カメムシ)|
PDFPDF版