二〇〇九年



1 この年末から、 年明けにかけて、 ここからちょっと離れたところでは、 飛行機が飛び回って、 地上の人々を、 撃ち殺していた。 2 ちょっとではないのかもしれない。 ここでも飛行機は飛び回っているが、 その下を歩いているからと言って、 撃ち殺されるとは、 誰も思っていないのだから。 同じ銃器を搭載した同じ飛行機でも。 3 飛行機を飛ばしている方の言い分では、 撃ち殺されている人たちの方から、 ロケット弾が飛んでくるから、 自衛をしているのだそうだ。 この五年間で五人もなくなっているそうだ。 えらいことだ。 この年末から、 年始にかけて、 この自衛行動≠ヘ、 少なくとも千三百人を殺した。※1 4 遠く離れたところからでも、 情報は一瞬のうちに送られてくる。 がれきの山の中で、 臥せっている人の写真も、 ケーブルを通って入ってくる。 死んでいるのだ、きっと。 生きて写っている人も、 両親を殺されるか、 兄弟を殺されるか、 子供を殺されるか、 手足を吹き飛ばされるか、 目を潰されるか、 それらを複数兼ねているか。 5 ここで私≠ェ出てくる。 出てくる必要はないような気もするが、 出てくる。 この年末から、 年明けにかけて、 毎日のように、 大量殺戮のことが私≠フ目に入ってきた。 怒り≠感じ、 悲しみ≠感じ、 無力≠感じた。 毎日五分ほどのことだ。 そして日常に帰っていく。 6 この年末から、 年明けにかけて、 このあたりでは、 くびになった人もいた。 7 くびになるというのは、 くびを切られるという言葉を略したもので、 くびを切ると、 胴体がなくなって、 くびだけになるから、 くびになる。 8 くびになるとか、 くびを切られるとか言っても、 それは比喩で、 本当に切ってしまうわけではない。 働きに来てもお金を上げられないから、 来なくていいよ、 と口で言うだけだ。 でなければ、 紙に書いて渡すだけだ。 くびになった人の中には、 くびをくくる人もいて、 それは比喩ではない。 9 ここでもう一度私≠ェ出てくる。 仕事がなくなったことはあった。 働く意思があっても、 働かせてもらえないのは辛いことだ。 何が辛いかというと、 収入がなくなる。 収入がなくなると、 いずれ生きていけなくなる。 この年末から、 年明けにかけては、 仕事がないということはない。 以前の辛さは記憶になった。 収入を得るために仕事をする。 それが日常。 それが一日のほぼすべて。 10 生き残りをかけた競争、 という言葉が当たり前のような顔をして、 本棚に座っている。 競争に勝てば生き残るが、 そうでなければ生き残らない。 競争に勝てないということは、 死ななければならないような罪なのか? 競争に勝つことが、 人を殺してもいいような手柄なのか? 11 競争に勝つことを、 夢と表現した国。 競争に勝てば、 千人万人が生きられるだけの収入を 一人占めにしても、 罪悪ではない。 だって、それは競争に勝つだけの 理由があったから。 その人が優れていたから。 競争に負けた人が負けたのは、 その人が劣っていたから。 12 競争に勝つことを、 夢と表現した国は、 国と国との競争に勝って、 どこよりも力のある国になった。 国の力とは金と暴力。 力があれば、 人を黙らせることができる、 と思う驕り。 13 夢の国には、 世界中の国から、 人々が集まってきた。 だからこの国は世界の縮図。 縮図の中にも競争があり、 勝者と敗者がある。 この国の元首に上り詰めた人物が、 あるときこう言った。 「首都で強気なことを言っても、 I1を守れるわけでも、 I2を抑え込めるわけでもない」※2 I1もI2も国の名前。 夢の国に無条件で守ると言ってもらえる国は、 縮図の中での競争に勝ったのだろう。 それでも自衛行動≠するようだが。 14 この年末から、 年明けにかけて、 夢の国は次の元首が決まっているが、 まだ就任していない時期。 自衛行動≠ヘ、 その隙間のような時期を狙って行われた。 就任式の数日前に停戦≠ェ宣言された。 停戦≠ニ言っても一方的≠ネもので、 攻撃が終わったわけではない、 という情報が、 ケーブルを通って入ってくる。 15 夢の国はここから近いのか、遠いのか。 この年末から、 年明けにかけて、 このあたりでくびになった人が たくさん出たのも、 夢の国で破産した会社や人が たくさん出たからだ。 このあたりでくびになった人々は、 自分たちのためではなく、 夢の国のために、 ものを作らされていたのか? 16 くびになって、 この年末から、 年明けにかけて、 公園の一角に集められた人々。 今はどこにいるのだろうか? 仕事にありついた人もいるだろうが、 そうでない人の方が多いだろう。 その後にくびになった人もいるのだろう。 くびになることはもう他人事ではない。 17 最後にもう一度、私≠登場させてみよう。 私≠フ日常はさしあたり続いている。 まわりは、目を覆いたくなるようなことばかりだ。 目を覆いたくなるようなものは、 できれば見ずに済ませてしまいたい。 見ていたら生きていけない。 でも、見なければ生きていない。 18 この間、車で出かけようとして、 たまたまガソリンの残りが少なかったから、 ガソリンスタンドに入ったら、 「タイヤに鋲が刺さっていますよ」 と声をかけられた。 スタンドに入っていなかったら、 そのまま高速道路に入り、 タイヤが破裂して、 死んでいたかもしれない。 走っていて拾ったものではなく、 誰かが意図的に刺したものらしい。 とんだ命拾い。 19 飛行機が落とした爆弾で がれきの山になった場所で、 僧侶がこう言ったという。 「壊されたモスクを見るのは悲しい。 だが再建するという目標が 私たちに生きる励みを与えてくれる」※3 ケーブルを通って入ってきた情報が、 教えてくれた。 人は支え合って初めて生きていける。 ※1 http://daysjapanblog.seesaa.net/article/112508511.html、http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/850(飛行機からの爆撃だけではなく、ミサイル砲撃、軍艦からの砲撃もあり、一月三日からは地上戦が始まり戦車が家々や農地を踏み潰し、人々を殺傷した) ※2 http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/ir/gooeditor-20081230-02.html、『オバマ演説集』朝日出版社p.70(一部改変) ※3 毎日新聞二〇〇九年二月二一日 http://mainichi.jp/select/world/news/20090221k0000e030051000c.html


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