犬としての生活
私は犬なので毎日散歩に連れ出される。
散歩は犬としての立場を固定化するための習慣である。
身に付けているものといえば、
しっかりと巻き付いて離れない首輪だけ。
裸で四つんばいになって歩かなければならない。
この姿で排泄もさせられる。
すでに自分で尻をふくことはできないが、
飼主がふいてくれるわけでもない。
尻から後ろ足にかけて、
干からびた排泄物がこびりつき、
排尿時にそれがまたぬめりを取り戻す。
私には人間だったときの記憶が残っているので、
これが辛い。
忌々しいのはこの首輪だ。
これさえなければ二本足で楽に歩けるかも…
それどころか、
飼主を振り切って逃げることも…
後ろも振り返らず、
走って走って…
血だらけになってもかまわず走って…
助けを求めて暖かそうな家に飛び込み…
しかし飼主が変わるだけかもしれない…
記憶をなくせばよいのかもしれない。
人間だったという記憶を。
人間だったときに覚えたものは、
もはや何の役にも立たない。
飼主の命令を理解できたからといって、
何の役に立つだろうか。
記憶をなくせば、
私は犬よりも犬になる。
そしていつの日にか、
飼主を噛み殺し、
骨の髄までしゃぶりつくしているだろう。
それと意識することもなく。
(C) Copyright, 1998 NAGAO, Takahiro
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