思いがけず泳げと言われた。 今までに泳いだことは確かにあったはずだが、 どうやって泳いだらよいのか、 正式に教わったことはないのだ。 だから、いざ泳ぎ始めたときに、 泳ぎ方を思い出せるかとても不安だ。 今のうちにちょっと思い出してみようか。 でも、水に入る前に思い出せなかったら、 恐くて水に入れなくなってしまうだろう。 余計なことはしない方がよいのではないか。 案ずるより産むが易いともいうぞ。 過去にはそれでうまくいったこともある。 問題は泳ぎ出してから声をかけられたらどうするかだ。 接客業の常として、 明るい笑顔でハイと返事をしなければならないところだ。 そのときに泳ぎ方を忘れたらどうしよう。 それとも、接客業はもうやめたんだっけ。 今でも思い出せないのに、 泳いでいるときに思い出せるのだろうか。 まあいい。 最悪の場合を想定しておくのが社会人の常識というものだ。 泳ぎ始めてしまったのに、 途中で声をかけられて返事をしたばかりに、 泳ぎ方を忘れたとする。 前に進めなくなっても浮いていた方がいいのか、 それとも沈んだ方がいいのか。 接客業的にはどうなのか考えておこう。 それとも、接客業はもうやめたんだっけ。 そういったことどもを十秒ほどのうちに考えて、 地面から足が離れたのが今の状態だ。 ところで、水があるのを確かめたっけ?
こんにちは、昔の人たち。 もうこの世にはいらっしゃらない皆さんに、 挨拶をしたくて筆をとりました。 筆をとりましたといっても、それはたとえ話で、 本当は筆なんか持っていませんが、 話すと長くなりますので、 筆を持っているというつもりで、 聞いてください。 それでは本題に入りますが、 皆さんは、未来に夢をお持ちでしたでしょうか。 なぜ、こんなことを言い出したかというと、 皆さんから見て、今は未来になるわけですが、 全然いいとは思えないのですよ。 確かに、自分が小さい頃でも、 こんな風に筆を持たないで手紙を書くことなんて、 想像も付かないことでした。 筆を持つよりは楽なんですよ。 こういうのを便利になったというのかもしれません。 でも、 代わりになくなっていったものがいっぱいあって、 胸のあたりがすうすうするんですよね。 そんなことを言っているのは贅沢なのかなあ。 でも、皆さんが未来の私たちのために、 と思って残して下さったものも、 もう何も残っていないんですよ。 正直言って、私たちは皆さんがいらっしゃったことさえ、 ほとんど覚えていないんですよね。 昔の人たちは、そんなことを言われても、 笑ってそれでいいんだ、って言ってくれるのかなあ。 それをちょっと聞いてみたかったんですよ。 でも、やめておきます。 実は、 ふだんは皆さんではなく、 未来の人たちに向かって書いているんですよ。 この手紙は、 念のため、 彼らのために取っておくことにします。 それではまた。 どうかお元気で。
母は神だったので裸でいた。 村の礼拝所で数日ずつ過ごした。 どこからともなく村人たちが集まり、 母を拝んだ。 男たちは薄目を開けて拝んだ。 何のご利益があるのかは知らないようだった。 集まる人が少なくなると、 次の村に移動した。 移動するときには御輿に乗った。 私たち子供が御輿を担いだ。 見物がいなくても御輿に乗っていた。 普通、見物はいなかった。 ときどき御輿の扉を開いて、 西日を浴びた。 しばらくすると子供が増えた。 そういえば、私たちは神の子だった。 母は神だったが、 次第に老いていった。 ある日死んだが、 遺骸はなかった。 次の日から、 私たちのなかの一人が裸になり、 神になった。 残りは相変わらず神の子だった。 神の子でも、 死んだときは、 遺骸を残さなかった。 私たちは村がなくなるまで、 旅を続けた。 もう神はいない。
底が抜けたのに、 なかなか落ちないってことも、 あるんだってね。 普通なら、 すとん、 といって終わりなんだけど、 なかなか落ちないから、 なかなか終わらないんだってさ。 本人は、 気付きもしないそうだけど、 まわりからは、 見ればわかることなので、 とても辛いものらしい。 もっとも、 本人に底が抜けたと言っても、 きょとんとしているだけで、 結局わからないらしいけどね。 気付かないしわからないんだから、 本人は幸せなものなのかな。 選べるとしたら、 どっちがいいと思う? どっちでも同じかな?
今年で四十八歳になった、 わが人生、 最初の方はわからないし、 最後の方もわからない。 三十年前には、 それより十年前のことでも、 鮮明に覚えていたのに、 今ではほとんど覚えてない。 記憶はなぜ消えたんだろう。 それから後のことも、 次々に消えて、 十年前のことも、 考えてみると、 形のあるものは何も出てこない。 それでも今のことははっきりわかる。 そう思っているのは、 本当か? 十年後に考えてみよう。 覚えていればの話だけど。
テレビで食中毒のニュースを見ていたら、 知っている顔がアップで出てきた。 何十年も会っていないけれども、 あれは元同級生。 若いときの印象とは、 随分かけ離れていたが間違いない。 おかげで、 普通なら消費者の立場で考えるべきニュースが、 逆立ちしてしまった。 もっとも、 自分には謝る相手もないけれど。
きみももう二五歳なんだってね。 だとすると、 きみが生まれたとき、 ぼくは今のきみと同い年だった ってことだな。 もうちょっとすると、 自分と同い年だったときの親の姿を、 記憶の中から引っ張り出してきて、 自分の姿と比べちゃったり、 するんだろうなあ。 五〇歳くらいになると、 自分と同い年だったときの親が、 あとどれくらいで死を迎えたかまで、 はっきり見えちゃうんだよね。 点がつながって線になっちゃうのさ。 だから、生きていた思い出に、 何か一つ後に残せるものを作っておきたい、 などと思ったりするんだ。 たぶん作れないけどね。 でも、 きみがそんなことを思うまでは、 まだたっぷり時間があるはずだから、 今言ったことは、 軽く聞き流して、 元気にいってらっしゃい。 悔いを残すなよ。
ここは最高だねえ。 洗濯はしてくれるし、 風呂には入れてくれるし、 座っていれば、 はいと食事を出してくれる。 そう言っているのは、 かつて家族全員の炊事洗濯を していたであろう老婆である。 本当にそうだねえ、 と別の老婆が答える。 話しているのは、 その二人だけだ。 全部で男女二十人ほどいる。 みんな車いすに乗っていて、 はいと食事が出てくるのを、 黙って待っている。 暖かい日の光は、 この建物の中にも 入り込んでいたが、 何やらばつが悪そうに、 もじもじしていた。
見覚えのある道だった。 何かが変えられていたというが、 そのときは気付かなかった。 気付かなかったのは、 その後も同じだった。 それでも、 何かが変えられていたという。 見覚えのある道だった。 何を覚えていたのかは、 よくわからないが、 確かに来たことのある そういう見覚えのある 道だった。 何がどのように変えられて いたのだろうか。 見覚えがあると思ったのは なぜなのだろうか。
テレビの画面が暗転し、 まじめくさった顔のアナウンサーが、 重々しく述べる。 NKからミサイルが発射されました NK政府の公式発表によれば、 それはミサイルではなく、 人工衛星のはずだが、 この方面に関しては、 世の中にはウラがあるということを、 マスコミ一同教育してくださっている。 他の方面に関しては、 カマトトを決め込んでいるくせに。 戦争が始まったと言わんばかりの調子で、 吐き気がしたね。 五分後に誤報だという訂正が入ったけど、 有事シミュレーションとしては、 大成功だったんじゃないの? どこのテレビ局が視聴率を取ったかなど、 色々データが取れただろう。 戦争嫌いの臆病者に、 煮え湯も飲ませられたしね。 誤報を出してごめんなさい、 とか言っちゃって、 軽いもんだね。
お久しぶりですね。 このペースだと、 死ぬまでにあと二回くらい、 会えるかもしれませんね。 あ、死ぬの主語は私です。 あなたがいつ死ぬかまでは、 わかりませんからね。 で、何の話をしましょうか。 え、話すことなど何もない? そんなこと言わずに、 天気の話でもしましょうよ。 あと二回しか会わないんですから。 今日は暑いですね。 それではまた。
本当にやりたいことからはちょっとずつ距離を取ってしまう態度、 だってさ。 やりたいことをやってお金をもらうのでは世間に申し訳ない気がする、 だとさ。 やりたくないことをやりたくないと思いながらやってお金をもらう、 のはどうなのさ。 どうせたいしたことをやっているわけがないから、世間に申し訳ない、 ってことはないのか。 本当にやりたくないこととの距離は、思わず知らず詰めていってしまう、 ってことはあるのかよ。 考えてみたら、そっちの方ともちょっとずつ距離を取っていた、 ってのがホントだろ。 そっちの方はちょっとどころじゃなかったりして、 な。 目覚める前に見る悪夢のように、逃げて逃げて逃げまくってはや数十年、 崖っぷちを目の前にしての感想が、 それですか。 もう一度やり直せるとよかったんだけどねえ。
音楽に初めて触れたのは、 まだ少年の頃、 姉の恋人に交響曲のレコードを 聞かせてもらったときだった。 渇いて干からびた心に、 音楽はたっぷりと潤いを与えてくれた。 せっかく集めたレコードを捨てた母のことは 心の底から憎んだ。 人が生きていくためには、 食べることよりも大切なことがある。 そんなこともわからない俗物め! 大人になってから、 バイオリンを習いに行き、 素人オーケストラに入った。 そのまま音楽の道に入りたいと思ったが、 家族の反対に屈して勤め人になった。 結婚して子どもが生まれた頃までは、 それでもバイオリンを弾くこともあったが、 やがてふっつりとやめた。 接点はレコードだけになったが、 音楽は心の渇きを癒してくれた。 音楽は心の中の宝物であり、 そのようなよりどころを持たない人間を 哀れんだ。自分はそういう人間とは違う。 そんな調子でさらに三十年が過ぎた。 妻に先立たれ、一人暮らしになった。 侘びしい生活の中で、 音楽を聴き続けた。 本人はすぐに帰ってくるつもりだったらしい。 しかし、ベッドに寝かされているうちに歩けなくなり、 認知症も見つかって、 一人暮らしに戻すわけにはいかない、 と医師に宣告され、 老人介護施設に移った。 もう二度と家には帰らないだろう。 音楽から引き離されて、 聴きたいと言い出すかと思いきや、 そんな気配はどうもない。 楽しみは食べること。 周囲に居丈高に接するのは、 自分は他人とは違う という思いの名残なのだろう。 その思いが心の支えなのか。
目を閉じると、 若かった頃の母が、 誰に聞かせるでもなく、 唄をうたっている姿が浮かんできた。 団地のベランダに置かれた二槽式の洗濯機。 ガタガタと大きな音を立てて回っていた脱水機が静かになると、 ベランダの物干し竿に洗濯物を干していく。 大きな水玉模様のノースリーブのワンピース。 腋毛がふさふさとしていた。 子どもは変なところを見ているものだ。 唄っていたのは、何だったろう。 明るい子ども向けの唄。 自分の子どもに聞かせるというより、 自分が子どものときに習った唄を 子どものように唄っていた。 今どきこんな人は見かけないなあ。 かと言ってその前の時代にも、 こんなのどかな風景はなかったのかもしれない。 体が少しずつ動かなくなる病気で、 薬の副作用で苦しんで亡くなったけど、 母にもそんなときがあった。 もう誰も覚えていない。 私の記憶だって当てにならない。 現に、 唄っている声がどうしても聞こえてこないのだ。
ついに眼だけの存在となって、 ふわふわと漂っていった。 前と同じように、 日の光がさんさんと降り注ぎ、 草木が風になびいている。 音がしないというのは、 不思議なものだ。 何もかもが、 まるで平和であるかのように見える。 川を渡ると、 人の姿が見えてきた。 あの男もいる。 あんなことをしたのに、 何事もなかったような顔をしている。 口を動かしているから、 何かしゃべっているのだろう。 おれのことなど、 眼に入らないらしい。 でも、こうなった今は、 もうどうでもいいことだ。 欲望というものもなくなったらしい。 何をしたらよいのかわからないままに、 何を見たいということもなくて、 さまざまなものが眼に入っては消え、 ただいつも何かが見えていた。
店で鍋の世話をしてくれていた お姉さんの名札を見て、 亡くなった知人のことを思い出した。 四、五日前に 顔だけ思い出して、 どうしても名前が思い出せなかった。 深く行き来があったわけではない。 年齢とか、家族構成とか、勤め先とか、 そういった形ばかりのことしか知らず、 亡くなったのを知ったのも、 しばらくたってからだった。 ただ、こちらが勝手に好感を持っていた、 という、ただそれだけのこと。 亡くなったと知っても、 知らせてくれた相手に、 そうですかと言うだけだった。 それでも、顔だけ思い出して、 名前が思い出せなかったときは、 気がとがめた。 彼はもう文句も言えないのに、 ずいぶん薄情じゃないか。 楽しい時間をくれた人だったのに。 だからかどうか、 記憶の中に名前がよみがえってきたときには、 自分でも不思議なくらいの 充足感があった。 よかった、 生きていた。 こちらの勝手な思いでしかないのだけれど。
信号で右に曲がると、 急に人気がなくなった。 土ぼこりの舞う、 殺風景な坂道を、 上っていった。 アパートの階段も、 上っていった。 ドアを開けると、 部屋には誰もいなかった。 ああ、やっぱりいなかったか。 反対側の窓の向こうに、 墓地が見えた。 誰にも会わなかったのに、 その晩風邪を引いた。 楽しく読んだ本を図書館に返すので、思い出に気に入ったところを引用しておこうと思ったのだが、あったはずの箇所がどうしても見つからないので、記憶の中から引用した。本を返したら私も風邪を引いた。
今年の夏のように こんなに暑いときは、 ちょっとものの考え方を 変えてみるチャンスかもしれません。 いや、考え方を変えるとか、 そんな大げさなことでもありませんが、 暑いのだから、 ちょっとズボンを脱いでみましょう。 足のまわりを覆っていた熱気が ぱっと飛び散って、 足がふわっと軽くなります。 なんだ、こんな簡単なことだったのか。 気がつくと窮屈なのは上半身です。 ちょっとシャツも脱いでみる。 もわっとたまっていた湿気が 一気に浮き上がって、 胴回りがふわっと軽くなる。 そうすると、残るはあそこだけです。 毛がびっしり生えているのに、 夏でも二枚以上の衣類で 厳重にしまってあるところ。 もっとも、すでに一枚取ってある。 あとはたぶんもう一枚。 詩なのに常識的なことを言っちゃいますが、 こういうことはどこででもやれるわけではありません。 他人から見えるところでやるのは、 やっぱり迷惑ですよね。 しかし、一人でいられる場所だったり、 家族が理解してくれる家の中だったりしたら、 素裸になることが そんなに悪いことであるはずがない。 ちょっとやり慣れないことだけど、 工夫次第で快適に暮らせる。 たとえば、小便をした後、 おざなりな終わり方をすれば、 廊下にポタポタ雫を垂らすことになるだろう。 それが嫌ならきちんと拭いて出てくればよい。 大の方も、 いくら紙できれいに拭き、水で流したとしても、 その後で尻の穴を指先で触れて鼻先に持っていけば ぷんとにおうものだ。 そのまま椅子に座ったりするのが嫌なら、 風呂場に直行して念入りに洗えばよい。 でも、裸になる前は、 そういったものは全部下着が吸収していたわけだ。 どっちがキレイだろうか。 裸の方がよいことはまだある。 トイレでズボンを上げ下げする必要はないし、 二本の足の間に引っかかるものもないので、 楽な姿勢で用を足せる。 衣類で腹を絞め上げなくなる分、 便秘もしにくくなる。 風呂に入るのも出るのも簡単。 全部同じモードでできる。 冷房の設定温度が高くても 全然暑いとは思わないし、 濡れた手でからだに触れば、 どんな空調よりも涼しい。 (気化熱というやつです) 何より裸になると気持ちがいい。 ちょっとした空気の動きに敏感になる。 頭のてっぺんからつま先まで、 自分が一つにつながっていることがわかる。 もちろん、よいことばかりではない。 悪いことの筆頭は、変人だと思われること。 変態と言われるかもしれない。 そう思われないようにするために、 人に言えない秘密を持つこと。 変態というのは、 広辞苑によれば「変態性欲の略」 なのだそうだけれども、 裸が気持ちいいというのは、 直接的には性欲ではない。 性欲を抑圧することでは決してないが、 性欲を異常に昂進することでもない。 だから変態ではないのですよ、 と説明しても、 詩だろうが、 詩でなかろうが、 なかなか納得してもらえないだろう。 まあ、そんなことでムキになるのはやめましょう。 裸が気持ちいいからと言われたので、 やってみたけど、 かえって落ち着かない、 何がいいのかわからない、 という感想を持つ人も、 世の中にはいるようです。 そんな人は、 口車に乗せられて、 ふだん裸にはならないところで、 裸になってしまったということを、 いつまでも恥ずかしく感じ続けるのでしょう。 お気の毒なことです。 そもそも、裸になったとき、 自分の身体にうっとりできる人はごくわずかで、 たいていは醜い身体に幻滅するものでしょう。 いや、幻滅するのはそれだけではないはずです。 あれやこれやのマボロシが滅びていく。 恥ずかしいという気持ちは、 マボロシを守ろうとする必死の抵抗だ。 でもね。 幻滅すればいいじゃないですか。 隠したつもりになっていても、 それが現実ですよ。 現実は認めてしまえばいい。 人それぞれですから、 何がいいのかわからない、 という感想を持たれるのは、 そう思う方の勝手ですが、 願わくば、 マボロシを守りたいからといって、 あなたが理解できないことをしている人たちを いじめないであげてください。
1 この年末から、 年明けにかけて、 ここからちょっと離れたところでは、 飛行機が飛び回って、 地上の人々を、 撃ち殺していた。 2 ちょっとではないのかもしれない。 ここでも飛行機は飛び回っているが、 その下を歩いているからと言って、 撃ち殺されるとは、 誰も思っていないのだから。 同じ銃器を搭載した同じ飛行機でも。 3 飛行機を飛ばしている方の言い分では、 撃ち殺されている人たちの方から、 ロケット弾が飛んでくるから、 自衛をしているのだそうだ。 この五年間で五人もなくなっているそうだ。 えらいことだ。 この年末から、 年始にかけて、 この自衛行動≠ヘ、 少なくとも千三百人を殺した。※1 4 遠く離れたところからでも、 情報は一瞬のうちに送られてくる。 がれきの山の中で、 臥せっている人の写真も、 ケーブルを通って入ってくる。 死んでいるのだ、きっと。 生きて写っている人も、 両親を殺されるか、 兄弟を殺されるか、 子供を殺されるか、 手足を吹き飛ばされるか、 目を潰されるか、 それらを複数兼ねているか。 5 ここで私≠ェ出てくる。 出てくる必要はないような気もするが、 出てくる。 この年末から、 年明けにかけて、 毎日のように、 大量殺戮のことが私≠フ目に入ってきた。 怒り≠感じ、 悲しみ≠感じ、 無力≠感じた。 毎日五分ほどのことだ。 そして日常に帰っていく。 6 この年末から、 年明けにかけて、 このあたりでは、 くびになった人もいた。 7 くびになるというのは、 くびを切られるという言葉を略したもので、 くびを切ると、 胴体がなくなって、 くびだけになるから、 くびになる。 8 くびになるとか、 くびを切られるとか言っても、 それは比喩で、 本当に切ってしまうわけではない。 働きに来てもお金を上げられないから、 来なくていいよ、 と口で言うだけだ。 でなければ、 紙に書いて渡すだけだ。 くびになった人の中には、 くびをくくる人もいて、 それは比喩ではない。 9 ここでもう一度私≠ェ出てくる。 仕事がなくなったことはあった。 働く意思があっても、 働かせてもらえないのは辛いことだ。 何が辛いかというと、 収入がなくなる。 収入がなくなると、 いずれ生きていけなくなる。 この年末から、 年明けにかけては、 仕事がないということはない。 以前の辛さは記憶になった。 収入を得るために仕事をする。 それが日常。 それが一日のほぼすべて。 10 生き残りをかけた競争、 という言葉が当たり前のような顔をして、 本棚に座っている。 競争に勝てば生き残るが、 そうでなければ生き残らない。 競争に勝てないということは、 死ななければならないような罪なのか? 競争に勝つことが、 人を殺してもいいような手柄なのか? 11 競争に勝つことを、 夢と表現した国。 競争に勝てば、 千人万人が生きられるだけの収入を 一人占めにしても、 罪悪ではない。 だって、それは競争に勝つだけの 理由があったから。 その人が優れていたから。 競争に負けた人が負けたのは、 その人が劣っていたから。 12 競争に勝つことを、 夢と表現した国は、 国と国との競争に勝って、 どこよりも力のある国になった。 国の力とは金と暴力。 力があれば、 人を黙らせることができる、 と思う驕り。 13 夢の国には、 世界中の国から、 人々が集まってきた。 だからこの国は世界の縮図。 縮図の中にも競争があり、 勝者と敗者がある。 この国の元首に上り詰めた人物が、 あるときこう言った。 「首都で強気なことを言っても、 I1を守れるわけでも、 I2を抑え込めるわけでもない」※2 I1もI2も国の名前。 夢の国に無条件で守ると言ってもらえる国は、 縮図の中での競争に勝ったのだろう。 それでも自衛行動≠するようだが。 14 この年末から、 年明けにかけて、 夢の国は次の元首が決まっているが、 まだ就任していない時期。 自衛行動≠ヘ、 その隙間のような時期を狙って行われた。 就任式の数日前に停戦≠ェ宣言された。 停戦≠ニ言っても一方的≠ネもので、 攻撃が終わったわけではない、 という情報が、 ケーブルを通って入ってくる。 15 夢の国はここから近いのか、遠いのか。 この年末から、 年明けにかけて、 このあたりでくびになった人が たくさん出たのも、 夢の国で破産した会社や人が たくさん出たからだ。 このあたりでくびになった人々は、 自分たちのためではなく、 夢の国のために、 ものを作らされていたのか? 16 くびになって、 この年末から、 年明けにかけて、 公園の一角に集められた人々。 今はどこにいるのだろうか? 仕事にありついた人もいるだろうが、 そうでない人の方が多いだろう。 その後にくびになった人もいるのだろう。 くびになることはもう他人事ではない。 17 最後にもう一度、私≠登場させてみよう。 私≠フ日常はさしあたり続いている。 まわりは、目を覆いたくなるようなことばかりだ。 目を覆いたくなるようなものは、 できれば見ずに済ませてしまいたい。 見ていたら生きていけない。 でも、見なければ生きていない。 18 この間、車で出かけようとして、 たまたまガソリンの残りが少なかったから、 ガソリンスタンドに入ったら、 「タイヤに鋲が刺さっていますよ」 と声をかけられた。 スタンドに入っていなかったら、 そのまま高速道路に入り、 タイヤが破裂して、 死んでいたかもしれない。 走っていて拾ったものではなく、 誰かが意図的に刺したものらしい。 とんだ命拾い。 19 飛行機が落とした爆弾で がれきの山になった場所で、 僧侶がこう言ったという。 「壊されたモスクを見るのは悲しい。 だが再建するという目標が 私たちに生きる励みを与えてくれる」※3 ケーブルを通って入ってきた情報が、 教えてくれた。 人は支え合って初めて生きていける。 ※1 http://daysjapanblog.seesaa.net/article/112508511.html、http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/850(飛行機からの爆撃だけではなく、ミサイル砲撃、軍艦からの砲撃もあり、一月三日からは地上戦が始まり戦車が家々や農地を踏み潰し、人々を殺傷した) ※2 http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/ir/gooeditor-20081230-02.html、『オバマ演説集』朝日出版社p.70(一部改変) ※3 毎日新聞二〇〇九年二月二一日 http://mainichi.jp/select/world/news/20090221k0000e030051000c.html
ここに集めたものは、二〇〇七年一〇月から二〇一〇年末までに書いた。二〇〇七年一〇月は、私の個人的な環境がちょっと変わった時期で、倉田良成さんの『tab』誌に誘っていただいた時期でもある。二〇一〇年末には何もないが、次に書いたのは二〇一一年三月一一日のあとだった。読み返してみると、震災と原発事故よりも前の日々は遠い昔の思い出のような感じがするとともに、細部についてはもう忘れてしまって自分でもよくわからないところがあるが、まったく違う自分がいたわけでもないという感じもする。いずれにしても、今とはちょっと気分が違うので言い訳めいたことを書いた。『tab』という発表の場をくださった倉田さんには感謝しています。
二〇一一年六月 長尾高弘