断章95-1 擬液状化 清水鱗造 金属が熱に負けて表面から溶けてくるように、言葉がつくるさまざまな方向のうち誰も知らなかった方向から取り出し、現在の空間で加工することによって、一見それは液状にどろどろ溶けだしている。 熱の裏面などという概念は成立しないように見えるが、空間にもう一つ軸を作ることによって、それは容易に成立する。そしてその場所への通信を媒介するのは言葉のように見えるのだが、厳密にいえばそうではない。熱を含む生体に媒介項が含まれているのだ。 そうすると、熱に溶け出したように見える建物や物象のイメージの平面に近付く池が、そこからさまざまにまた建物、物象を容易に作りうるものだと気づくのである。 それは奇態に見えるかもしれないが、たちまちのうちに人々に飽きられるだろう。というよりは人々は一瞬のうちに、作られたものに意識がいかなくなるのだ。 なにかをし終わったように煙草に火をつける男。雲ひとつない青空だ。鮮明に山の雪が見える。だが、彼の像は前方におよび後方におびただしい、まったく同じたたずまいを見せて成立している。それと同じように、いまではみえない、また将来見えなくなる方向に向かって、煙草をすう男の像がめまいがするほどたくさん、氷のように厳密に並んでいる。 |
またこわれたよ |
布村浩一 |
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暗号 |
園下勘治 |
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熱帯可能性 |
駿河昌樹 |
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カナブンが雨の中を |
関富士子 |
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朝の電柱 |
清水鱗造 |
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二本の筆 |
長尾高弘 |
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予兆 |
長尾高弘 |
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最初は一人 |
長尾高弘 |
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汗 |
長尾高弘 |
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私たちはときおり… |
倉田良成 |
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浮世の船にゆれて |
沢孝子 |
浮世の夢の船にゆれて 辿りついた夜のくるわ その水酔いの道程に 海の性をさぐる 浮遊がなしは裏切った しきたりの格子をひらき 大胆になる乳房の闇歌で巫女の座に 彼方に頑固な雲の瞳がまばたいて 袖口にながれた血の 赤い星の 笑い思いだす 異界の港でさわいだ蛇皮線にある月の嘔吐 立ち踊りの島のしぐさで 一瞬にして醒めていった無の海のひろがり 大和世に荒れている浮世の船の暴風 それからは黒豚の交尾の御馳走で夢の旅 服従していた琉球世の言葉で 出家ぶしょうの膝頭の定形を抱く 失われた愛で展開していたくらい海 乱立してきたさまざまな帆に たかだかと法螺ふくみだれ藻 かくれる島の岬に閉じていった貝 季節ごとになびいていく夜の器の 裏切っていく乳房の闇歌で 浮世のくるわの空にとなえる呪文 敗走していく夢の船は哀願だった 頑固な雲の瞳がゆれる袖口に さわぐ蛇皮線の赤い星はかがやいて 途方もない望みをたくした定形に月がかかり どうしたのだろうか 服従したくるわで抱く無惨な膝頭の嘔吐 すする海の湾の熱 古代から難破をくりかえしている台風を 黒豚の交尾の御馳走で浮世の船によびよせて まさつしていく赤い星の瞳 大和世に閉じていった貝の異常な展開で こんなにも築かれてしまった海の心のくらい屋形 失われた琉球世の言葉をさがして 浮世のくるわにいるメーレ(娘) 立ち踊りの島のしぐさで 酔いしれている水の刑の たわむれる夜の海の藻に 遊んだ日の岬に 格子を大胆にひらく闇歌のキヨラ(美しい) 古代の空にひろがる乳房で 踊りつかれている海の刑の さまよう夜の島に 訪ねた日の藁屋根に 黒豚の交尾の御馳走でクワガ(子供が) 一瞬にして醒めた心のくらい屋形 眠りつづけている夢の刑の よみがえる夜の黒糖に ふくらむ日の樽に 乱立してきたさまざまな帆にクッサル(殺される) 頑固な雲の赤い瞳がよびよせる 立ちあらわれる死の刑の うきあがる夜の月に 巫女となる日の器に 浮世のくるわで浮遊がなしは問うている 琉球世の立ち踊りの島のしぐさで 夜の海の蛇皮線のひびきで 浮世にゆれる船で出家ぶしょうに語っている 大和世の定形の愛を抱く無惨な膝頭で 古代から難破をくりかえしてきた台風で (改稿)/ |
ロミオとハムレット(二回連載・上) |
田中宏輔 |
プロローグコーラス登場 いにしえより栄えしヴェローナに、 モンタギューとキャピュレットという 互いに栄華を競う、二つの名家がありました。 ヴェローナの領主エスカラスは 己の地位の安泰を考えて、 両家の一人息子と一人娘を婚約させました。 ところが、その婚約披露パーティーの夜、 事もあろうに、モンタギューの息子ロミオは デンマーク王子のハムレットに一目惚れ。 それでも、婚約者のジュリエットは ロミオのことを諦めることができませんでした。 得てして、恋はままならぬもの。 観客の皆様も、我が身におかれて とくと、ご覧なさいませ。 第一幕第一場 ヴェローナ。ヴェローナ領主エスカラス家邸宅内、エスカラス夫人の部屋。 (エスカラス夫人、扇子をパタパタさせて、エスカラスの前に立っている。) エスカラス夫人 今夜ですわね。 エスカラス あちらを立てれば、こちらが立たず、こちらを立てれば、あちらが立たず。モンタギューとキャピュレットの両家の板挟みとなって、これまでどれだけ神経をすり減らしたかわからん。しかし、それも今夜でおしまいじゃ。わしが取り持って、両家の一人息子と一人娘を結婚させてしまえば、万事はうまくゆく。今夜、キャピュレット家で催される婚約披露パーティーには、ヴェローナ中の有力者たちが招かれる。正念場じゃ。おまえもしっかり頼むぞ。 エスカラス夫人 ご存知ですわね、今夜のためにドレスを新調しましたの。 エスカラス (呆れたように)まあ、せいぜい着飾っておくれ。 エスカラス夫人 それにしても、あのパリスが、もう少ししっかりしてくれていたら、と思わずにはいられませんわ。 エスカラス 言うな、あの女たらしのことは。親戚でなければ、とうにこのヴェローナから追放しておるわ。いったい、何人の女の腹をはらませたことか。それにな、あのパリスがキャピュレット家の娘と結婚したとしても、わしの地位が安泰するというわけではないのじゃ。この街の半分には、モンタギュー家の息がかかっておる。もしも、わしがモンタギュー家よりもキャピュレット家の方に肩入れすることになってみろ、身内となったからには肩入れせんわけにはいくまいし、そうなれば、モンタギュー家から、どのような厭がらせを受けるかわからんぞ。反乱が起こるとまでは言わんが、わしの地位が不安定なものになることは目に見えておる。 エスカラス夫人 政治のことは、わたくしにはわかりませんわ。 エスカラス 身を飾ることのほかは、と言うべきじゃな。 エスカラス夫人 まっ。(と言って、動かしていた扇子を胸にあてて止める。) エスカラス このイタリアでは、陰謀という名前の犬が歩き回っておる。その犬に咬みつかれんようにするには、己自身が犬になることじゃ。 (扉をノックする音。エスカラスの返事を待って、召し使い登場。) 召し使い 手紙をお持ちいたしました。(エスカラスに手紙の束を渡す。) エスカラス (その中から、一通を取り出して)これは、ハムレット殿宛のものじゃな。お持ち差し上げろ。(と言って、召し使いにその手紙を渡す。) 召し使い 承知いたしました。 (召し使い退場。) エスカラス夫人 そういえば、ハムレット様とオフィーリア様も、今夜のパーティーにご出席なさるのでしょう? エスカラス ご身分を隠されてな。それはもう、ぜひに、とのことじゃ。そう申されておられた。いつか、あらためて紹介しなければならんだろうがな。 第二場 ヴェローナ。エスカラス家邸宅内、賓客用客室。 (ハムレット、召し使いから手紙を受け取る。召し使い退場。) ハムレット (差出人の名前を見る。)ホレイショウからか。何、何(封蝋を剥がし、手紙を読み上げる。)『こころよりご敬愛申し上げますハムレット王子殿下へ 殿下がエルシノア城を去られ、故郷であるデンマークを後にされてからもうひと月にもなりましょう。ヴェローナに着かれてすぐに、二人のともの者を帰されて、殿下の叔父上、現国王クローディアス陛下も、殿下の母君、ガートルード王妃様も、ずいぶんと、ご心配なさっておられるご様子です。また、ポローニアス殿も、殿下とごいっしょにデンマークを離れられたオフィーリア嬢のことを心配なさっておいでです。殿下が、亡き父君、先王ハムレット陛下を追想され、悲嘆の念にくれていらっしゃいますことは、先刻承知いたしております。ですが、――あえて、ですが、とご注進させていただきます――いつまでも悲しみの中に沈んでおられてはなりません。王位第一継承者たる王子殿下のなさることではありません。人民より愛され、臣下より慕われておられる殿下であります。オフィーリア嬢とごいっしょに、一刻も早く、デンマークに戻られますようお願い申し上げます。臣下一同、首を長くしてお待ち申し上げております。命ある限り殿下に忠誠を誓いしホレイショウより。』(手紙をテーブルの上に置き、オフィーリアの顔を見て、再び手紙に目を落とす。そして、独り言のように)亡霊のことについては、何も触れていなかったな。 オフィーリア (不安そうに、ハムレットの顔をのぞき込む。)亡霊ですって? ハムレット あっ、いや、何でもない。それより、今夜のパーティーには、どのドレスを着ていくことにしたのかな? オフィーリア (ドレスの話を持ち出されて、顔に微笑みが戻る。洋服箪笥の中から、藤色のドレスを選んで、ハムレットに見せる。)これを着て行くことにしましたわ。 ハムレット 紫の仮面に藤色のドレスか。それでは、そなたに合わせて、わたしは紺の服を着て行くことにしよう。 オフィーリア それは、ハムレット様の黒い仮面にも似合っておいでですわ。 ハムレット それにしても、そなたは、お父上のポローニアス殿のことが気にかからないのかい? オフィーリア わたくしのことなど、心配なさるはずがありませんわ。むしろ、お父様は、わたくしと顔を合わせることがなくって喜んでいらっしゃるでしょう。 ハムレット そんなことを言うものじゃないよ。きっと、心配なさっておられるはずだ。 オフィーリア いいえ。お父様は、わたくしのことが大嫌いなのですわ。そして、わたくしは、その何層倍も、お父様のことが大、大、大嫌いですの。 (ハムレット、沈痛な面持ちになる。) オフィーリア (ドレスを置いて、ハムレットのそばに寄る。)ごめんなさい。ハムレット様の前で。ここでは、お父様のことを忘れようとなさって、ずっと陽気に振る舞っていらっしゃったのに……。 ハムレット (首を振りながら)いや、いいんだ。 オフィーリア ほんとうに、ごめんなさい。 ハムレット (さらに沈痛な面持ちになって)いいんだよ。いいんだ。 (暗転、その刹那、「よくはない!」という野太い叫び声。) 第三場 回想場面。デンマーク。エルシノア城、城壁の楼台。 (舞台の隅。胸壁の書き割りを背景に、鎧兜を身に纏った亡霊の姿が浮かび上がる。) 亡霊 よくはないぞ! なぜ、わしの敵(かたき)を打たん? (ハムレットの上に、スポット・ライトがあたる。) ハムレット 敵(かたき)を、ですって? 亡霊 そうじゃとも、ハムレット。昨夜も告げたはず、余は汝の父の霊である。余の妃を手に入れんがため、余の命を奪いし汝が叔父、クローディアスに復讐せよ。 ハムレット そのような話は信じられません。昨夜も、わたしはそう申し上げました。 亡霊 余の言葉を信ぜよ。余の話を最後まで聞け。汝が叔父、クローディアスは、余が庭で午睡をしておる間に、余の耳の中にヘボナの毒液を注ぎ込んだのじゃ。 ハムレット 父上は毒蛇に咬まれたと聞いております。 亡霊 嘘じゃ! ハムレット 父上が睡っておられたパーゴラで、その毒蛇が見つかっております。 亡霊 罠じゃ! ハムレット 葬儀の際の、叔父上のあの悲しみの表情、あの涙は真であったと思います。 亡霊 偽りじゃ! ハムレット 偽りであってもかまいません。 亡霊 何じゃと? ハムレット よしんば、それが、嘘や偽りであってもよろしいと申し上げたのです。 亡霊 何と。 ハムレット いずれにせよ、父上の命はそう長くはなかったのですから。 亡霊 どういう意味じゃ? ハムレット ここ、半年の間、梅毒の症状がすっかりひどくなられて、父上は狂われてしまわれたのです。 亡霊 そちは、余が狂っておったと申すのか? ハムレット 狂っておられたとしか思えません。あれほど父上に忠誠を尽くした臣下たちを、つまらぬことで追放なさったり、処刑なさったりして。 亡霊 余はデンマークの王である。 ハムレット それゆえに恐ろしい。狂気が、王という一人の人間の中に棲まうとき、数多くの罪のない者が犠牲になるのです。 亡霊 どうしても、余のことを気狂い呼ばわりするつもりじゃな。 ハムレット 臣下の中で、ひそかに謀反の声を上げる者がおりました。 亡霊 クローディアスもそう申しておったが、余に刃向かう者などおらんわ。 ハムレット お調べになったのですか? 亡霊 調べるまでもない。そちはクローディアスに騙されておるのじゃ。 ハムレット 騙されてはおりません。反乱が計画されていたことは事実です。 亡霊 余がクローディアスに殺されたことも事実じゃ。 ハムレット それが事実であっても、わたしには叔父上に剣を向けることはできません。 亡霊 余のことを愛してはおらぬのか? ハムレット 父上を愛する愛よりも、叔父上を愛する愛の方が強いのです。 亡霊 余の耳が聞いておるのは、そちの口から出た言葉か? ハムレット 正直に申したまでのこと。さらに正直に申すれば、わたしは、父上のことなど、まったく愛してはおりませんでした。 亡霊 何じゃと? ハムレット 父上は、ご自分がどれだけ自分勝手で傲慢な人間であるか、おわかりにはならないのですね。 亡霊 おお、この世の中には、親子の愛ほど強いものはないと思っておったのに……。 ハムレット いいえ、この世の中には、親子の憎しみほど強いものはないのです。父上の自分勝手で傲慢な振る舞いに、これまでどれだけ厭な思いをしてきたことでしょう。生前は、ただ父上のことが恐ろしくて、おっしゃるとおりにしてきたまでのこと。霊となられたいまは、父上のことなど、ちっとも恐ろしくはありません。なぜなら、わたしの手が父上の躯に触れられないのと同様に、父上もまた、わたしの躯に触れることができないからです。 亡霊 そちもまた、クローディアスの手にかかって死ぬがよい。 ハムレット 叔父上は、前にも増して、わたしに優しくしてくれています。母上もまた叔父上と再婚なさって、この上もなく幸せそうにしておられます。 亡霊 おお、わが息子、わが弟、わが妃よ。汝ら呪われてあれ! 地獄に墜ちるがよい。 (鶏の鳴く声が聞こえる。一度、二度、三度。) ハムレット 父上の方こそ、硫黄の炎が噴き出る場所に戻られるべき時でありましょう。 (舞台の隅から立ち去る亡霊。城壁の書き割りが引っ込み、舞台が明るくなる。) オフィーリア どうかなさったの? (ハムレット、その声に躯をビクンとさせる。) ハムレット あ、いや、ただの立ちくらみだよ。(机に手をついて、椅子に腰掛ける。) オフィーリア 夜まで、まだ時間がありますわ。それまでお休みになられてはいかが? ハムレット そうしよう。 第二幕第一場 ヴェローナ。キャピュレット家邸宅内、大広間の舞踏会場。 (二人の給士、招待された人たちにグラスを渡していく。) エスカラス あらためて、ここで、モンタギュー家のロミオとキャピュレット家のジュリエットの二人を皆さんに紹介しましょう。(と言い、間に立って、二人の肩に手を置く。そして、ロミオの顔を見て)皆さんもご存知のように、彼はヴェローナでも評判の好青年であり、徳の高い、行いの正しい若者であります。(ジュリエットの顔を見る。)彼女もまた、聞きしに勝る美貌と、その品のあるしとやかな立ち居振る舞いによって、非常に高い人気を博しております。そこで、両家と縁のある、わたくし、ヴェローナの領主エスカラスが二人を引き合わせてみたのです。すると、案の定、二人は相手のことを気に入りました。そして、二人は幾度となく会ううちに、結婚の約束をするまでに至ったのです。今夜は、この二人が、皆さんを前にして誓いの言葉を申し述べます。聞いてやってください。皆さんの耳が証人となります。ではまず、将来の花婿となるロミオの口から誓いの言葉を聞かせてもらいましょう。 ロミオ ここにお集まりの皆さん、わたしは皆さんの前で誓います。わたしは、彼女、ジュリエットと結婚いたします。たとえ空に浮かぶ月が砕けても、わたしたちの愛は決して砕けません。砕けることなどないでしょう。 エスカラス (ジュリエットを見て)そなたの方は? ジュリエット わたくしも誓います。たとえ太陽が二つに割れても、わたくしたちのこころは一つ、決して二つに割れることはありません。 エスカラス お聞きのとおりです。何とも羨ましい話ではありませんか。まだ恋人のいない若い人の耳には、ほんとうに羨ましい話でしょうな。わたくしのような年老いた者の耳にさえ、そうなのですから。今夜のこの婚約披露パーティーを仮面舞踏会にしたのは、まだ恋人のいない若者が、相手を見つけることができれば、という趣向からです。では、皆さん、存分に楽しんでください。この若い二人の婚約を祝って、そして、キャピュレット家とモンタギュー家の両家の繁栄と、このヴェローナのますますの発展を祈って乾杯しましょう。 (一同、グラスを上げて乾杯する。楽士たち、演奏。一同、踊り始める。) パリス (オフィーリアの前に立って)わたしと踊っていただけますか? (オフィーリア、傍らにいるハムレットの方を見る。ハムレット、うなずく。) オフィーリア わたくしでよろしければ。 (パリス、オフィーリアの手をとって舞台の中央に導く。そこで、二人、踊る。) モンタギュー夫人 あそこで踊ってらっしゃるのは、確か、エスカラス様のご親戚の方 じゃなかったかしら? ジュリエット ええ、確かに、あの方はパリス様ですわ。 ロミオ いっしょに踊ってらっしゃるご婦人は、エスカラス様のところのお客様ですね。 モンタギュー夫人 お連れの方はどこに? ジュリエット (窓の外を見つめているハムレットの方に顔を向けて)あそこに。 (窓の外を亡霊が横切る。ハムレット、扉を開けて外に出る。) ロミオ 様子を見てきましょう。気分が悪くなられたのかもしれない。 (ロミオ、ハムレットの後を追って外に出る。暗転。) 第二場 ヴェローナ。キャピュレット家邸宅内、中庭。 (仮面を外したハムレットが後ろ向きに立っている。ロミオが背後から近づく。) ロミオ ご気分でも悪くなられたのですか? ハムレット (ロミオの声に驚いて)えっ。(と言って振り返る。) ロミオ 驚かせてすいません。ご気分でも悪くなさったのかと思って声をかけました。 ハムレット ああ、いえ、大丈夫ですよ。 ロミオ でも、お顔の色が月のように真っ白ですよ。 ハムレット 亡くなった父のことを思い出してしまって(と言って、窓明かりを指差し) あそこから逃げ出してきました。 ロミオ そうでしたか……、できることなら、ぼくも逃げ出してしまいたい。 ハムレット どこからですか? ロミオ ぼくの運命からです。ジュリエットとの婚約、ジュリエットとの結婚という、ぼく自身の運命からです。 ハムレット (笑って)悪い冗談です。 ロミオ 冗談ではありません。 ハムレット (真剣な表情になる。)あなたは、ジュリエット嬢のことを愛していないのですか? ロミオ 愛しておりません。今夜の婚約披露パーティーは、モンタギュー家とキャピュレット家の名誉と富が一つに合わさったことを、世に示すために催されたようなものなのです。 ハムレット ジュリエット嬢は、あなたのことをどう思っているのでしょうか? ロミオ 愛してくれているようです。 ハムレット あなたも彼女のことを愛するようになるかもしれません。 ロミオ いいえ。おそらく、ぼくが彼女のことを愛することなどないでしょう。 ハムレット なぜですか? ロミオ ぼくには、女性を愛することができないからです。異性に対して、性的な興味が、まったくないからです。 ハムレット 女性は未経験ですか。 ロミオ 未経験です。 ハムレット 未経験であるということが、あなたを女性恐怖症にしているのではないでしょうか。しばしば、そういう若者がいます。経験さえすれば、それまでの女性恐怖症が、嘘のように消し飛んでしまいますよ。 ロミオ 確かに、ぼくは女性恐怖症かもしれません。でも、それとは関係ありません。ぼくは、同性である男性にしか、性的な興味が持てないのです。 ハムレット それもまた、あなたの思い過しであると考えられませんか? (ロミオ、突然、ハムレットに抱きつく。ハムレット、とっさのことに驚いて、ロミオを抱き返してしまう。ジュリエット、扉を開けて、抱き合った二人を見る。) ロミオ ぼくは臆病です。ぼくは、普段とても臆病なのです。ですが、いまは違います。いまは、勇気を出して、あなたに愛を告白することができます。 ハムレット (ロミオの躯を離して)わたしは、それにこたえることができません。 ロミオ さきほど、はじめてお顔を拝見したとき、ぼくは、ぼくの胸の中に、何か重たいものが吊り下がったような気がしました。そして、こうして、月の光の下であなたとお話しているうちに、それが恋であったということに気がついたのです。 ハムレット わたしは、あなたの恋にこたえることができません。わたしは、婚約者といっしょに、今夜、ここにやってきたのです。 ロミオ もしも、お一人でやってこられたとしたら? ハムレット それでも、わたしは、あなたの恋にこたえることができません。なぜなら、わたしは同性愛者ではないからです。あなたを愛することはできません。 ロミオ でも、ぼくには、あなたの表情の一つ一つから、あなたが、ぼくに好意をもって、お話しくださっていることがわかります。 ハムレット あなたのように若くて美しい青年から真摯に愛を告白されれば、だれもが悪い気はしないでしょう。わたしが、あなたに好意をもって、何の不思議があるでしょう。しかし、だからと言って、わたしが、あなたの恋にこたえていると早合点してはなりません。 ロミオ (独り言のように、俯いて小さな声で)早合点、ですか……。 ハムレット そろそろ、戻りましょう。 ロミオ その前に、あなたのお名前をお教えください。 ハムレット そう言えば、まだ名乗っておりませんでしたね。ハムレットです。 ロミオ ハムレット様! (と言うやいなや、ハムレットの唇に接吻する。) (ハムレット、バランスを崩しかけて、思わずロミオの肩をもってしまう。二人のことをずっと見てきたジュリエット、扉の中に入る。ハムレット、ロミオの躯を押し離す。オフィーリア、ジュリエットとほとんど入れ違いに中から出てくる。) ハムレット 戻りましょう。(と言って、オフィーリアの方を振り返る。) (オフィーリア、ハムレットとロミオの二人に微笑む。) 第三場 ヴェローナ。キャピュレット家邸宅内、ジュリエットの部屋。 (ジュリエット、母親のキャピュレット夫人の膝の上に顔を伏せて泣いている。) キャピュレット なぜ、ロミオが身持ちが堅いと評判だったのか、よくわかった。 キャピュレット夫人 (娘の背中をさすりながら)あなた(と、夫に声をかける。) キャピュレット よりにもよって、娘の婚約者が同性愛者だとは! キャピュレット夫人 いっそ、婚約解消いたしましょう。 ジュリエット (顔を上げて)いやです。わたくしはロミオ様をお慕い申しております。 (と言って、ふたたび顔を伏せて泣く。一際大きな声で。) キャピュレット (夫人に向かって)婚約解消はだめだ。二人がいずれ結婚するということは、ヴェローナにいる者なら、知らない者はいないのだ。それに、婚約解消ということになれば、たとえロミオのことを公表したとしても皆が皆、それで納得するという保証はないのだ。わがキャピュレット家の支持者も多いが、モンタギュー家の支持者も多い。ジュリエットの方にこそ問題があるのだと、ありもしない理由を作る輩が出てくるに違いない。わが娘が、そのような侮辱を受けてよかろうものか! よかろうはずがあるまい。まして、これは、ジュリエット一人の問題ではない。 わが キャピュレット家の名誉にも関わることなのだ。 キャピュレット夫人 (夫に向かって)では、結婚させるのですね。 ジュリエット (母親にすがりついて)お母様……。 キャピュレット 結婚させるにしても(と言って、ひと呼吸置く。) キャピュレット夫人 (娘を抱き締めて)結婚させるにしても(と、夫の言葉を継ぐ。) キャピュレット このままでよいのか、それともよくないのか、それが問題だ。 (次号につづく) |
バタイユ・ノート2 バタイユはニーチェをどう読んだか 連載第9回 |
吉田裕 |
7 戦後の場合 ヨーロッパでの戦争は、四五年五月八日に、ベルリンで降伏文書が調印されることで終わる。フランスではパリが四四年八月二五日に解放されるが、六月の連合軍のノルマンディ上陸の頃から、戦争の終わりはちかいと予感されていたようだ。この時期以後、バタイユは、消費をも含んだ普遍経済学の体系を構想し、それを示すために『呪われた部分』という題名の三巻からなる複合的な書物を考える。それは第一巻『消費』、第二巻『エロチスムの歴史』、第三巻『至高性』というものだったが、実際に刊行されたのは、第一巻のみでこれがふつう『呪われた部分』と呼ばれる。第二巻は後に書き直されて『エロチスム』として刊行されるが、『至高性』は遺稿として残された。その中に三つのニーチェ論が含まれる。またほかにそれらの元になった雑誌論文がある。戦後のニーチェ論の中心は、これらの論文だが、中で目につくのは、ニーチェとコミュニスムの関係を取り扱ったものである。この問題が戦後のバタイユのニーチェに対する関心の中心にあった。それに対比すると、ほかの問題は個々の思想家との比較の問題の域をさほど出ないように思われる。 四六年の「ジッド・ニーチェ・クローデル」は、表記の三人の作家に関する独立した短い三つの書評からなっている。クローデルに関する項にはニーチェに関する言及はない。ジッドに関する項では、ニーチェの「更なる仮面を」という願いはジッドにおいては百倍もかなえられたという一節があるだけである。ニーチェに関する部分は、キノーという人のニーチェの翻訳および注解の本に対する書評である。キノー氏は、ニーチェを〈キリスト教なき十字架の聖ヨハネ〉、つまり神の探求者とみなしたらしい。この見方は一見バタイユに近いように見えるが、バタイユはそれを、〈神的なものの感覚は、悲劇的なやり方で神の不在の感覚に結びつく〉と批判する。神の探求は、神の不在にいたりつくからだが、この点は、いわゆる神秘家とバタイユを区別する最も重要な点である。 四九年の「ニーチェ・ブレイク」も、独立した二つの書評が合わさったものである。ブレイクは、ロールの棺に詩集『天国と地獄の結婚』が入れられたり、また『内的体験』に詩が引用されるなど、以前からバタイユの愛好する詩人ではあった。バタイユは、ブレイクがシュルレアリスムに近かったこと、またキリスト教的モラルに敵対したグノーシス的傾向を持つ幻視者であったことを評価する。ブレイクに関する言及は五一年の「ニーチェ」にもあって、この詩人は〈ニーチェの知られざる先行者〉で、「善悪の彼岸」の世界を最初に考察したと述べられている。 五九年の「ツァラツストラと賭の魅惑」には、興味を引く問いかけがある。それは第一次大戦以来、ドイツの多くの青年がポケットに『ツァラツストラ』を持って戦死していったが、それをどう解すべきかという問である。バタイユは次のように答える。〈そのことは、たいていの場合、著者が危惧したように、この書物が誤解されたということを考えさせる〉。この誤解をバタイユは、戦争の質の違いに見ている。戦争は、古代においては人間の高貴さを示す無償の行為でありえたが、一九一四年においては、目的と結果を重視する合理的な操作にすぎなくなり、ニーチェの言う戦争とはまったく違ったものとなっていたと彼は言う。戦争に関する解釈は、検討の余地があるだろうが、これはまたニーチェを戦争賛美者として利用したファシスム的な理解への批判として読むことができる。 「ニーチェとイエス」は、ジッドとヤスパースのニーチェ理解に関する本に対する書評を元にしている。ジッドについては、ルネ・ラングという批評家のジッドに関する評論、またヤスパースについては『ニーチェとキリスト教』が対象である。ジッドに対するバタイユの評価は厳しい。バタイユによれば、ジッドは、イエス自身の言動とパウロによって確立された宗教としてのキリスト教を区別したものの、ニーチェのことを、教会は批判したが、イエスには羨望と共感を持ったとみなしてしまう点で誤解をおかす。 バタイユは、パウロの解釈を逃れたところに見いだされるイエスに対するニーチェには、なおも批判が存続しており、そこにこそ本来のニーチェが現れると考える。この判断を支えるのがヤスパースの分析である。ヤスパースによれば、ニーチェにおいては、イエスに対して常にディオニュソスが対置されていた。バタイユはヤスパースを、次のように引用する。〈十字架上のイエスの死は、ニーチェの目に生命の衰退と映り、生命に対する糾弾となっているのに対し、ばらばらに引き裂かれるディオニュソスは、彼にとって、悲劇的な快活さでもって昂揚し、絶えず更新される生命を意味する〉。だがこれは、イエスをただ嫌悪して退けることではない。ヤスパースは次のように続ける。〈だが驚くべき曖昧さを保ちつつ、ニーチェは――確かにまれにではあるが――イエスの態度を束の間自分のものとすることができた。そして狂気のなかで書かれた短信………にいたるまで、ディオニュソスの名のみならず、「十字架にかけられし者」とも署名した〉。 ニーチェがイエスに持ったのは、ディオニュソスを媒介として一体となった嫌悪と共鳴である。ヤスパースのこの分析を受けて、バタイユは、イエスに対するニーチェの感情を次のように述べる。〈………深いところでニーチェはイエスに似ている。とりわけ、二人はともに、彼らの心を離れなかった至高性の感情と、至高ななにものも「モノ」からは生じないという等しい確信とによって動かされていた。ニーチェには自分たちの類似のほどがわかっていた〉。至高性の感情は、イエスによってもっとも強く経験されたとバタイユは考える。しかしこのイエスは、ディオニュソス的ニーチェ的なイエスなのだ。これはキリスト教に対する、もっとも肉薄したところからの批判であり、バタイユの反キリスト教の意識をよくうかがわせるところである。 「ニーチェと禁制の侵犯」は、ニーチェをモデルにしたとおぼしいトーマス・マンの「ファウスト博士」を発端とする。モデルという点では、バタイユの評価は高くない。この本は〈哲学者ニーチェの相貌を照らし出すどころか、その特徴を消してしまう〉。ただバタイユに示唆的だったのは、ニーチェが人間の限界を超えようとしたファウストという伝説上の人物に擬せられたという点であろう。ファウスト的な悪魔との契約は、レーファーキューンの宿命で、ニーチェはそこから遠いところにいるとバタイユは考えるが、人間の限界、つまり禁制を超えようとして、なかば伝説となるほかなかった人物たちとニーチェを比較するように彼は促される。対象は、ダ・ポンテとモーツァルトによるドン・ジュアンと、サルトルが描くところのボードレールである。 バタイユは、合理主義による無神論は評価しない。それは神に対する無知であり、禁制を犯すとしても、それと知らずに犯すのであって、本当の意味では禁制を犯すことにはならないからである。ドン・ジュアンが自分が殺した騎士長を招待するというのは、死者に対する恐怖を感じないでそうしたのだから、禁制の侵犯にはならない。ただ彼が最後に、後悔を迫られながら「否」を言い通すとき、それは自分が地獄に呑み込まれることを確信した恐怖に満ちた「否」であって、神の死を確信したことから来るニーチェの恐怖に通じるものとなる。しかしバタイユは、ニーチェの恐怖が道徳的要請のかたちを取って内側から来るのに対し、ドン・ジュアンの場合は、彼をうちひしぐ力はあくまで外側から来ると考える。したがって、バタイユにとっては、ニーチェの例のほうがさらに本質的なのだ。 ボードレールについては、バタイユはサルトルの革命家と反逆者、無神論者と黒ミサの司祭の差異から出発する。サルトルによれば、革命家は世界の秩序をかえることを望み、無神論者は神のことなど気にかけないのに対して、反逆者は破壊することも乗り越えることもなく、結果的に秩序を尊重するだけであり、黒ミサの司祭は、神を尊重する故に嘲弄するだけである。ボードレールはこの後者の例とされるが、バタイユはサルトルのいう革命家も、既存の秩序を覆すとしても、なお新たな秩序を作り出さねばならず、秩序を逃れられないという点では、反逆者と変わりないと批判する。彼は禁止と侵犯の関係が、単純な二者択一ではありえないもっとアンビヴァレントなものだと考える。規範とそれに対する侵犯は、規範の無視によるのでもなければ、規範に対する無力に終わるのでもない。規範は侵犯のために保持されねばならず、保持されはするが、確かに破壊はされるのである。〈ニーチェは神を気にかける無神論者である〉、あるいは〈ニーチェは、はじめから禁止と侵犯のどちらか一方に身を任せきることはできないという逆説的な不可能に気づいていた〉とバタイユは言う。この両義性、それがつきることのない動的な力の源泉ではあるのだ。 8 コミュニスムの問題 コミュニスムは、ヨーロッパにとって、ファシスムがとりあえず現実の問題ではなくなったあと、もっとも緊急な問題となった。しかし、コミュニスムという用語は、バタイユにおいては多様な意味を含むから、注意を要する。彼が二〇年代に初めて左翼運動に接近したとき、それはすでにコミンテルンの系列にある公認のコミュニスムではなく、トロツキーとスヴァーリンの系譜を引く反スターリン主義の運動の側であった。この経験は戦後にも尾を引く。戦後の左翼運動、また実存主義を通じての知識人のアンガジュマンの運動がもっぱらソ連の影響下におかれた時、この経験はそれに追従することをバタイユに許さなかった。だが同時に、このロシア的に変質したコミュニスムを批判することを、他の人々に先んじて可能にもしたのである。 しかしながら、この批判にも時代的な限界があることは、承知しておかなければならない。九〇年代も半ばにいる私たちは、すでにソ連と東欧圏の崩壊を経験し、またそれ以前にスターリニスムはもちろん、トロツキスムを批判することも、マルクスをいわゆるマルクス主義から分離して読むことも知っているからだ。だがバタイユのコミュニスム論は、これらとは異質なほかに例を見ないものである。それは三〇年代のいくつかの論文と実践に散見されるが、まとまったかたちを見せるのは、戦後の『呪われた部分』の第五部と、『至高性』の第二、三部においてである。前者はコミュニスムを、主に経済的な観点から、後者は人間の原理としての至高性の観点から追求しようとしたものである。これらの考察は、理論的であるよりも、コミュニスムと称するところの社会の現状を対象とした実践的な分析である。バタイユがコミュニスムと言うとき、それはほとんどの場合、ソ連式の社会主義である。〈コミュニスム――むしろスターリニスムと言ったほうがよい〉とバタイユは言う。 またバタイユのコミュニスムは、ブルジョワ社会に対立する社会を指しているのではない。『至高性』のなかで示される彼の歴史的なパースペクティヴは、特異なものだ。彼の視点はただ至高性の上にある。彼の原理では、フランス革命とロシア革命の間にほとんど差異はない。前者がブルジョワ革命で後者が社会主義革命という定義は、意味をなさない。至高性を原理として歴史的な区分を行うとき、バタイユが本質的とみなす変化はひとつであって、封建制から近代への移行の根底に見いだされる変化だけである。封建制とは、王政、君主制、帝政すべてを含むが、それは〈富を非生産的な様態で用いることにもっとも優先権が与えられている〉社会であった。それに対して革命が起こったとき、たとえばフランス革命だが、それは〈資力や諸手段を蓄積する〉社会をもたらしたのである。しかしこの変化は、ただフランス革命、イギリス革命のみによってもたらされたのではない。それは、封建的支配と結びついた教権に反抗した都市市民の運動であった宗教改革がすでに持っていた変化であり、広い意味での「産業革命」だったのだ。 ところでこの変化は、二〇世紀の革命、つまりロシア革命においても変わらないとバタイユは考える(中国革命は五〇年代にあっては進行中で、彼は判断を保留しているが、基本的にはロシア革命と同質だとみている)。彼はまず、ロシア革命がブルジョワ革命の達成のあとで初めて可能になる社会主義革命として実行されたのでなく、封建制を直接打倒する役割を担わざるをえなかったことを指摘する。それはすでに当初からレーニン自身らによって認識されていたことだが、この変質は理論の部分的な変更だったのではない。以後期待された本来の社会主義革命がドイツにもフランスにも起こらなかったこと、それにロシア革命が実際上は主に農業の集団化や計画経済として実行されたことと考え合わせると、コミュニスム革命とは、本質的には封建制打倒の革命、富の蓄積をめざす革命だったのであって、そこに成立したのは、西欧的なブルジョワ社会と性格を同一とする社会だったのである。〈ブルジョワ社会とスターリン的社会は、ほぼ同じかたちで封建社会に対立する〉。しかも、中央集権的な権力構造によって実行される計画経済という面から見れば、ブルジョワ社会よりもはるかに徹底した効用と蓄積の社会である。この点においてコミュニスム社会は、ブルジョワ社会のさらに前方をいく〈現代社会にとって不可避の運命〉なのだ。 そして至高性が富の消尽に根拠を持っているとすれば、富をあたう限り蓄積と再生産に振り向けるコミュニスム社会は、〈至高性が否定される世界〉(第二部第三章題名)である。バタイユは、〈本質的にあらゆる人間に属する〉はずの至高性が、ただそれを放棄するというネガティヴなかたちで実践されるという〈平等主義的消尽〉によって、また〈君主にも似た権利をロシアの国民に対して持っていた〉スターリン個人によって実践される可能性があると言っているが、放棄は放棄であり、スターリンが持っていたのは本当は至高性ではなく、強大ではあるがただの権力にすぎず、いずれの場合も蓄積されたもろもろの力の自由な消費という意味での至高性は、コミュニスム社会では完全に抑圧される。 これは単にソ連だけの問題ではなく、世界全体の今日と明日の問題である。このコミュニスム的社会に、ニーチェの思考だけが対立する。〈ニーチェの立場は、コミュニスムの外に対立するただひとつの立場である〉(「ニーチェとイエス」)。また彼は自分のことも、ソ連的なコミュニスムとは無縁であると言っている(「『至高性』第三部第二章)。「ニーチェとコミュニスム」で、バタイユは次のように書いている。〈伝統的な至高性=君主権については、彼もコミュニストたちと同じ態度をとった。だが彼は、人間が――ひとりひとりの人間が――ある集団的企図の手段であって目的ではないような世界を、受け入れることはできなかった。彼が国家社会主義の先駆者たちを相手取るときの嘲笑的なアイロニーやコミュニスムの元になった当時の社会民主主義に対して示したそっけない、しかし軽蔑なしの拒否は、そこから生じる。他に仕えること(有用であること)への拒否こそ、ニーチェの思想の原理である〉。他に従属することへの拒否、それ自身の価値を求めること、これがファシスムに抗しようとするバタイユが見いだしたニーチェの原則だったが、バタイユのコミュニスム批判の根底にあるのもまた、同じ原則である。バタイユにおいて、ファシスムに対立したのは唯一ニーチェだったように、コミュニスムに対立するのも唯一ニーチェである。これを見るとき私たちは、ニーチェこそが、バタイユにとって生涯を通じてもっとも親密な思想家であったと確認することができる。(了) |
Booby Trap 通信 No. 7 |