断章95-4 真っ黒な一ページ 清水鱗造 下のほうに黒い水が池になって溜まっている。作業はとても単純だ、今の概念でなら。だけれども、いつも黒い水に向かって変な旅をしなければならない。これはノイズに似ている。それも遊戯のときのノイズ。 生まれてきたものを平安のなかで成人させたのなら、それはそれで成功なのだが、平安を形作る概念もゆっくりと変遷していく。ぼくは異形をつくらない。それは作るものがただ、生理に依拠しているところにしか根拠をもたないところの意思として。ただそのためにだけ異形を作らない。 黒い水は下方に溜まっている。その表面には今の生活が映されている。そしてたまに冒険する。その集団に向かって。しかし、それに浸る時間はすでに生理に否定される。無尽蔵にある生理の採集物を採りにいくための変な旅なのだ。その後、かんたんにぼくらは別れられるだろう。 黒い水に浸った一ページがあらわれる。ページ数も抹消されている。でも、たちまち白いインクで一面に言葉を記すだろう。 建造の音には平安と不安が交じっている。と同時に遊戯の音には別れの音が交じっている。塩梅しながらそれらのノイズを聴き、固有のノイズを送るだろう。 |
普遍的祝福 |
駿河昌樹 |
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初夏の少女的じんるい |
駿河昌樹 |
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転居のお知らせ |
関富士子 |
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明日香めぐり |
荒川みや子 |
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特別な 映画 |
布村浩一 |
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子守歌のためのファド ――アマリア・ロドリゲスによる |
倉田良成 |
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網膜の光を九九で解き眼孔の闇をゼロの地点にさそう |
沢孝子 |
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砂糖の列車 ――春の旅 |
清水鱗造 |
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楽器 |
長尾高弘 |
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ロミオとハムレット(二回連載・下) |
田中宏輔 |
第三幕第一場 ヴェローナ。僧ロレンスの庵室。 (早朝、ロレンスが薬草を薬棚に仕舞っているところ。扉をノックする音。) ロレンス はい、はい、おりますですよ。(と言って、扉を開ける。) (登場。) ロレンス これは、これは、キャピュレット様。 キャピュレット ロレンス殿、今日はぜひお頼みしたいことがあってまいったのですが。 ロレンス はあ、――で、それは、いったいどのようなお頼みごとでございましょう。 キャピュレット 実は、家で飼っている子馬が死にかけておりましてな。 ロレンス (うなずいて)ええ。 キャピュレット 娘がそれを見て、とても悲しんでおるんですよ。 ロレンス そうでしょうな。お可哀相に。――で? キャピュレット それでですな。親であるわたしには、娘が悲しんどる姿など見ちゃおれん、というわけですわ。(ロレンスの顔を覗き込む。) ロレンス それは、ごもっともなお話です。お気持ち、お察し申し上げます。――で? キャピュレット ――で、ですな。その子馬を薬で楽に死なしてやりたいと思いましてな。 ロレンス なるほど、なるほど。それで、ここに、やってこられたというわけですか。 キャピュレット そのとおりです、ロレンス殿。そういった薬を調合する資格のある者は、ここヴェローナでは、ロレンス殿、あなた、ただお一人ですからな。 ロレンス 公式には、ですよ。闇で作っておる者がおりますから。 キャピュレット しかし、ロレンス殿ほどに優秀な調合師はほかにはおらんでしょう。娘には、子馬が自然に死んだと思わせたいのですわ。薬殺したとわかれば、娘の悲しみが倍加するに違いない。餌をやってすぐに死ぬようなことがあっては疑われてしまう。そのようなことがないように薬を調合できるのは、あなたをおいてほかにはいない。作っていただけますかな? ロレンス お作りするのは造作もないこと。ほかならぬキャピュレット様のことですから、すぐにでもお作りいたしましょう。キャピュレット様なら、安心してお渡しできます。ですが、これだけはお約束ください。その薬は、その死にかけた子馬にだけ使うということを。ほかの目的には絶対に使用しないでください。 キャピュレット お約束しましょう。ほかの目的には一切、使用しません。 ロレンス もう一つ、お約束ください。その子馬を薬殺した後、薬が入っていた壜は、直ちに、こちらに返しにきてください。壜の中に残った薬を、万一、だれかが誤って飲んだりするようなことがあるといけませんから。 キャピュレット お約束しましょう。事が済み次第、すぐに持ってまいりましょう。 ロレンス では、お昼過ぎにおいでください。 (キャピュレット、うなずいて部屋を出てゆく。) 第二場 ヴェローナ。キャピュレット家邸宅内、応接間。 (キャピュレット夫妻、ハムレットとオフィーリアを自宅に招いて談笑している。) キャピュレット夫人 (ハムレットとオフィーリアの二人に向かって)では、お二人も婚約なさったばかりなのですね? ハムレット そうです。 キャピュレット わたしの娘とロミオの二人をごらんになって、どうお思いですかな? ハムレット お似合いのカップルだと思います。お二人とも、花のようにお美しい。 (キャピュレット夫人、オフィーリアの顔を見る。) オフィーリア ええ、まさしくジュリエット様は白い百合、ロミオ様は赤い薔薇のようですわ。 キャピュレット (二人に微笑んで)そんなに褒められては、花に申し訳ない。 (ハムレットとオフィーリアの二人、微笑み返す。) キャピュレット あとで、娘にも聞かしてやりましょう。先ほども申しましたように、昨夜の疲れが出たのか、いまは部屋で休んでおりますが、そのようなお褒めの言葉を耳にすれば、すぐにでも元気になるでしょう。 ハムレット お大事になさってあげてください。 オフィーリア ご心配ですわね。 キャピュレット (うなずいて)せっかく、お二人におこしいただきながらに……、せめて 挨拶だけでもさせようと思ったのですが、眠っておりましたので。 ハムレット どうぞ、お気兼ねなく、お嬢さんを休ませてあげてください。 キャピュレット夫人 ところで、ハムレット様は、乗馬やフェンシングのほかに、何かご趣味はおありですの? ハムレット 詩を書いています。 キャピュレット 詩を? ハムレット ええ。 キャピュレット夫人 ぜひ、お聞かせいただきたいですわ。 ハムレット 拙いものですけれど、よろしかったら。 キャピュレット ぜひ。 ハムレット では、短めのものを、一つ。 (ハムレット、深呼吸すると、眉間に皺をよせ、目をつむって詩を暗唱し始める。) 死に たかる蟻たち 夏の羽をもぎ取り 脚を引きちぎってゆく 死の解体者 指の先で抓み上げても 死を口にくわえて抗わぬ 殉教者 死とともに 首を引き離し 私は口に入れた 死の苦味 擂り潰された 死の運搬者 私 の 蟻 (暗唱し終わると、耳を傾けていた三人が拍手する。) キャピュレット すばらしいですな。 キャピュレット夫人 すばらしかったですわ。 ハムレット そうおっしゃっていただけて光栄です。 キャピュレット夫人 でも、とても怖い感じの詩でしたわね。いつも、そのような詩をお書きになってらっしゃるのかしら? ハムレット (笑って)人を驚かすのが好きなんですよ。 オフィーリア いつも驚かされていますわ。 キャピュレット夫人 まあ。 キャピュレット 喉が渇かれたでしょう。何か飲み物を持ってこさせましょう。 (と言って、用意してあった飲み物をもってくるよう、召し使いに言いつける。) キャピュレット ヴェローナには、いつまでおられるおつもりですかな? ハムレット まだ、しばらくいるつもりです。 キャピュレット夫人 ごゆっくりなさってください。ヴェローナはいいところですわ。 ハムレット (オフィーリアを見て)彼女の父親のことが心配ですが……。 キャピュレット (ハムレットの顔を見ながら)ハムレット殿は、お優しい方ですな。(と言って微笑み、オフィーリアの方を向く。)親が子を思う気持ちをよくお知りだ。 (召し使い、銀盆の上に、飲み物を載せて登場。) キャピュレット (銀盆の上を指差して)わたしと妻にはパープルの方を。ハムレット殿にはブルー、オフィーリア殿にはレッドの方を。 (四人が飲み物を手にする。) オフィーリア (ハムレットが手にもったグラスを見て)ブルーの色がとてもきれいね。 ハムレット (キャピュレットの方を向いて)グラスを取り換えてもよろしいですか? キャピュレット (困惑した面持ちで)え、ええ。もちろん結構ですとも。 (交換される二つのグラス。キャピュレット、息を呑んで、オフィーリアの口元を見つめる。オフィーリア、ゆっくりとグラスを傾ける。暗転。) 第三場 ヴェローナ。エスカラス家邸宅内、賓客用客室。 (ハムレット、ベッドの上に横になったオフィーリアの肩を揺さぶっている。) ハムレット おお、オフィーリアよ、オフィーリアよ! なぜ、そなたは目を覚まさぬのか? なぜ、目を覚まさぬのか、オフィーリアよ! (ロミオ登場。その背後から、亡霊の姿が現われる。) ロミオ ハムレット様、どうなさったのですか? (ハムレット、振り向く。) ハムレット (驚いて叫ぶ。)出ていけ、亡霊よ! ロミオ わたしです。ロミオです。 (亡霊、ロミオの背後に隠れる。) ハムレット おお、ロミオ殿。すまない。オフィーリアが、オフィーリアが目を覚まさないのです。目を覚まさないのですよ。息はあるのですが、かすかに、息は。 ロミオ 一体、何があったのですか? ハムレット いいえ、何も、何もありません。キャピュレット殿のところから戻ると、急に眠くなったと言ってベッドに横たわったのです。しかし、しばらくして様子を見てみたら、躯が冷たくなっていて、目を覚まさないのですよ。 ロミオ (ベッドに近づきながら)それは大変だ。 (ハムレットの目が、亡霊の姿を捉える。) ハムレット おお、亡霊よ、亡霊よ! 立ち去れ、立ち去れ、立ち去るがいい。(と叫んで手を振り上げる。) ロミオ (振り上げられたハムレットの手をもち)ハムレット様、落ち着いてください。どうか、落ち着いて、よくごらんになってください。(と言って、自分の背後を振り返る。)亡霊などおりません。(ハムレットの手を離す。) ハムレット (亡霊を指差して)そなたには、その亡霊の姿が見えないのか? ロミオ (ふたたび、振り返り見る。)見えませぬ。 ハムレット あれは幻ではない。あれは幻ではない。あれが幻なら、このベッドの上に横たわるオフィーリアの姿も幻だ。おお、そして、このわたしの姿も幻だ! ロミオ しっかりなさってください、ハムレット様。 (と言って、ロミオは手を伸ばしてハムレットの手を握ろうとするが、ハムレットは、その手を振り払う。) 亡霊 (皮肉っぽく)しっかりなさってください、ハムレット様? 余のことを気狂い呼ばわりしたおまえが、気が狂っておるのじゃ。 ハムレット わたしの気が狂っているというのか? ロミオ (首を振って)そんなことは申しません。 (亡霊の躯とロミオの躯を押し退けて、ジュリエット、登場。ハムレットの躯に体当たりする。ハムレットの白いシャツが鮮血に染まって赤くなる。) ロミオ 何ということを。(と言って、ジュリエットの手からナイフを取り上げて、床の上に投げ捨てる。そして、ハムレットの躯を抱え起こす。) ジュリエット わたしが愛しているのはロミオ様、ただお一人。ロミオ様も、ただわたくし一人を愛してくださらなければならないのよ。 ロミオ (凄じい形相で)尼寺へ行け! そなたの姿など、二度と目にしたくない。 ジュリエット ロミオ様! ロミオ 尼寺の道へと急げ! 急がねば、わたしにも罪を犯させることになるだろう。その血に汚れた手を挙げて、神に許しを乞うがいい。もしも、神が、真に慈悲深きものなら、そなたを赦しもしよう。しかし、わたしは赦さない。赦すことなどできはしない。 (ジュリエット、泣きながら走り去る。亡霊も立ち去る。ロミオ、ハムレットの躯を抱き締める。舞台の上、溶暗しながら、するすると幕が下りてゆく。)
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乗物 |
園下勘治 |
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塵中風雅 (一三) |
倉田良成 |
元禄三年十二月、大津ないしは京にあった芭蕉は、加賀金沢の人・句空(くくう)に宛てて一通の書簡を認める。内容は北枝(ほくし)・楚常撰の「卯辰集」にかかわる記事が中心で、末尾の尚々書には乙州の大津帰郷をうながす一文がみえる。以下全文を引く。 巻(まき)尤(もつとも)俳諧くるしからず候へ共(ども)、一體(いつてい)今の存念にたがふ事、殘念之事に御座候へども、和歌三神(さんじん)、其一分はかゝはり不申(まうさず)候間、其侭(そのまま)指置候。かりそめの集等(など)、皆名利(みやうり)驕慢(けうまん)の心指(志)にとおもひ立(たち)候故、皆見所失ひ申(まうし)候。何とぞ風雅のたすけにも成り、且(かつ)は道(みち)建立(こんりふ)之心にて、言葉つまりたる時をくつろげる味に而(て)、折々集(しふ)を出(いだ)し候處(ところ)に、三年(みとせ)昔の風雅只今(ただいま)出(いだ)し候半(さうらはん)は、跡矢(あとや)を射(いる)ごとくなる無念而已(のみ)に候。何とぞ御さそひ候而、二十日ならず候はゞ、十五日之滯留にて、三月十日頃上津(じやうしん)あれかし。實(まこと)に風雅に心をつくされ候樣(やう)にと被存(ぞんぜられ)候。乍去(さりながら)世上(せじやう)之人に而御座候へば、心にまかせぬ事も可有御座(ござあるべく)候間、上京成間敷(なるまじく)候はゞ、何事も沙汰なしにて急々板行(はんかう)御すゝめ可成(なるべく)候。 集之題號、卯辰(うたつ)集と可有哉(あるべくや)。山の字重き樣に被存候。是(これ)も拙者好(すき)に而も無御座(ござなく)、其元(そこもと)評伴(判)に御まかせ可被成(なさるべく)候。以上 句空樣 はせを 一、次郎助其元仕舞(しまひ)候而上り可申旨(まうすべきむね)、智月も次第に老衰、尤(もつとも)大孝(たいかうに)候。則(すなはち)さも可有事(あるべきこと)被存(ぞんぜられ)候。早々登り候(さうらへ)と御心可被付(つけらるべく)候。 「卯辰集」は北枝編、句空序で、元禄四(一六九一)年の刊。もともとは加賀の楚常が個人句集としてその刊行を意図しながら貞享五(一六八八)年に病没したため、北枝がその遺志をついで増補刊行したもの。加越の蕉門を中心に各地諸家の句を集めた撰集で、上巻四季発句五〇四、下巻に北枝、曽良、芭蕉の三吟燕歌仙、いわゆる山中三吟を含む歌仙四をおさめるというスケールは、個人句集の域を大きく超えることはいうまでもなく、そこには芭蕉一門の戦略さえうかがうことができる。 そのような撰集である以上、書簡冒頭で触れられている「巻」――山中三吟のことである――が、足掛け三年昔のものであることは、芭蕉にしてみれば釈然としないものがあるのは当然であった。ここで注意していいのは「三年昔の風流只今出し候半は、跡矢を射ごとくなる無念而已」という言葉のすぐあとで、句空や北枝らに、大津でひと巻巻かないかとさそっている点である。二十日でなければ十五日でもいい、という芭蕉の息遣いに私は驚く。これは芭蕉の執心といっていいだろう。そして書簡の終わりちかく、まるで憑物が落ちたように、北枝も句空もそれぞれのなりわいがあるのだから心にまかせぬこともあろう、上京がかなわないのなら、北枝にはこのことを告げずに早々に板行するのがよろしかろう、という口調に変わっている。まさに連句とは一期一会であり、一度成立したものは修整がきかないのだ。「跡矢」を放つ無念とはこういう意味にも読み替えられるだろう。 ここで例によって句空と北枝の略伝を記しておく。 句空。加賀金沢の人であることはすでに述べた。町家の出か。没年不明ながら、正徳二(一七一二)年の「布ゆかた」の序に六五、六歳とあるから、正保四(一六四七)年か慶安元(一六四八)年の出生と思われる。貞享末年に京の知恩院で剃髪して句空と号し、金沢卯辰山法住坊金剛寺のかたわらに隠棲した。鶴や、松堂、柳陰庵とも。俳諧では延宝のころ、宗因、維舟らと交渉があったという。「ほそ道」の旅で金沢を訪れた芭蕉と知り合い、元禄四(一六九一)年には義仲寺の草庵に芭蕉を訪ねたこともあった。「卯辰集」序文のほか、「北の山」「柞原(ははそはら)」「草庵集」「干網集」などの撰著がある。 北枝。生年不明、享保三(一七一八)年没。立花氏、一時土井氏を称す。通称、研(とぎ)屋源四郎。別号、鳥(趙)翠台、寿夭軒。加賀小松に生まれ、のち金沢に移住。兄彦三郎(牧童)とともに研刀業をいとなむ。芭蕉入門以前は金沢の貞門系俳書などにその名がみえる。元禄二(一六八九)年、芭蕉の北陸行脚の途次に入門。その金沢滞在から山中温泉を経て越前松岡までの約二五日間同行、その間に芭蕉から受けた教えの内容は「三四考」「やまなかしう」「山中問答」などによって知ることができる。「卯辰集」を編んだことはすでに述べたとおり。けだし「北方之逸士」(「本朝文選」作者列伝)であり、名実ともに北陸蕉門の重鎮であった。 さて、この「三年昔の風流」とは、世に「翁直しの巻」として伝えられる歌仙で、芭蕉の裁ち入れが入ることによってその成立過程が窺われる貴重なものである。それまで「ほそ道」の旅にずっとつきしたがってきた曽良が病を得て、芭蕉らに先行して伊勢へと赴くその餞に興行された歌仙で、時期はやや前後するが若干の評釈を試みてみたい。 元禄二の秋、翁をおくりて 山中温泉に遊ぶ三両吟 馬かりて燕追行(おひゆく)わかれかな 北枝 いうまでもなく当季は秋で季語は「燕帰る」であるが、「燕」にはどうやら加賀から見て「南」に当たる伊勢へと旅立つ曽良の姿も二重映しになっていることはほぼ間違いがないだろう。馬に乗って徐々に小さくなる人影を見やっている、という格好である。 馬かりて燕追行わかれかな 北枝 花野みだるゝ山の曲(まがり)め 曽良 もとのかたちは「花野に高き岩のまがりめ」。花野は兼三の秋の季語。花野に「乱れる」は付き物で、紀貫之の「秋の野に乱れて咲ける花の色の千種にものを思ふころかな」や紹巴の「袂まで入乱れたる花野哉」などがある。「乱れる」と裁ち入れがはいることによって、人か花か判然としなくなる秋の野の夢幻のうちに人影は消えている、それが「曲め」であったということだ。言い換えれば「曲め」はここ(此岸)とむこう(彼岸)を分かつ境界でもある。 花野みだるゝ山の曲め 曽良 月よしと相撲に袴踏(ふみ)ぬぎて 翁 もとは「月はるゝ角力に袴踏ぬぎて」。差し合いとして「ミダルル」と「ハルル」の似たような語感を嫌ったか。「ミダルル」は「踏ぬぐ」をとっさにみちびく気合。前句と同じ屋外であるにしても、ここは夜祭りなどで興行される相撲の俤である。定座の月は二句引き上げられている。 月よしと相撲に袴踏ぬぎて 翁 鞘ばしりしをやがてとめけり 北枝 もとは「鞘ばしりしを友のとめけり」だが、友の字が重いとして芭蕉の直しが入る。「鞘ばしる」は前句の持ち物のアシライ。このあたりさしたる付け筋ではないが、高速度で回転している芭蕉のいわゆる「俳諧地」が感じられる付けようだ。 鞘ばしりしをやがてとめけり 北枝 青渕(せいえん)に獺(うそ)の飛込(とびこむ)水の音 曽良 北枝草稿には「二三疋と直し玉ひ、もとの青渕しかるべし、と有(あり)し」とあるが、元禄三、四年ころの芭蕉であったら、あるいは「二三疋」で定まっていたかもしれない。「青渕」はいかにも「猿蓑」風である。ほとんどこれも気合だけの句といえそうだ。 青渕に獺の飛込水の音 曽良 柴かりこかす峯の笹道 翁 同じく北枝草稿に「たどるとも、かよふとも案事(あんじ)玉ひしが、こかすにきハまる」。「コカス」は転がるの意。「柴かり・こかす」と「柴・かりこかす」とでは意味が違ってくるが、現在でも「コケル」が人がつまずいて転がる意であることから、ここは柴刈り人が笹道で転げるというふうにとっておく。いずれにせよ前句の「飛び込む水」の視線が上から下にむけてのものであるとすれば、付け句の視線は下から上へむけてのものだ、という対付けのなかに「俳」がある。 柴かりこかす峯の笹道 翁 霰降(ふる)左の山は菅の寺 北枝 もとは「松ふかきひだりの山は菅の寺」。芭蕉直しのコメントに「柴かりこかすのうつり、上五文字霰降と有(ある)べし」とあるが、「柴カリコカス」の軽快で粗い、隙間を含んだ空間を思わせる語感は、雨でも雪でもない湿気を排して降る霰こそがふさわしいという芭蕉の、とっさのそしてしたたかな把握である。前句の柴を冬ととれば二句続きの冬か。なお「菅の寺」は、李由の「湖水の賦」(本朝文選)に、「菅山寺は、世に菅の寺といふ。菅家の遺愛寺也」とある。 霰降左の山は菅の寺 北枝 遊女四五人田舎わたらひ 曽良 もとは「役者四五人田舎わたらひ」。「役者」が同じベクトルを持つ「遊女」とわずかに位相を変えるだけで、前句の蕭条とした光景がにわかに昔物語風な情感をたたえてくるのはみごとと言うしかない。ここからが恋の運びである。季は雑。 遊女四五人田舎わたらひ 曽良 落書に恋しき君が名も有(あり)て 翁 もとは「こしはりに恋しき君が名もありて」。「こしはり」は「腰張」とも書き、壁や襖の下部に和紙または布を張ったもの。腰張に見える名前とは、それが落書されたものだということを意味している。「落書」と具体化されることによって、前句の物悲しげな「田舎わたらひ」はここでもうひとつ駘蕩としたものに転じられている。ここでの句眼は、「恋しき君」ではなく、あくまで「落書」の一語であることは注目していい。落書のなかに恋があるとは、まったく思いもかけない眼のつけどころである。 (この項続く)
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バタイユ・ノート 3 バタイユ・マテリアリスト 連載第1回 |
吉田裕 |
1 ノート3の目的とするところについて バタイユ・ノートの3をはじめるにあたって、いくつかの覚え書を記しておきたい。ノートの1(『聖女たち』収録の「淫蕩と言語と」となったもの)は「聖ナル神」を扱ったが、それは私にとってはじめてのバタイユ論で、築山登美夫の誘いによるものであり、テーマの選択は偶然のようなものだった。これに対して、ニーチェ論を扱った2は意図的な選択ではあった。私は三、四〇年代のバタイユに、ことにその言語的な活動に強く惹かれていたが、ともかく一度はある一定の視点からバタイユを通して眺めてみる必要を感じていたからである。ところで私は、まだバタイユの言語という私にとっての関心の中心に直接近づくことができない。かつて私は「淫蕩と言語と」で、彼の言語の印象を、至るところに開口部を持ち、観念の極限と現実の社会の双方と直接に渡り合っていると書いたが、ノートの2を書き終えた今、その印象はますます強くなっている。バタイユの言語は、今私の想像の中では、あたう限り拡大されて破砕する寸前ある。観念と触れ合う側面に関しては、それは『エドワルダ』や『死者』に触発された私の関心の中心であるから、最後の目標にしておく。だがこの目標に達するためには、現実と触れ合う側面の方を辿っておかなくてはならない。それにはバタイユの社会的関心および実践的経験を検討することが必要になるだろう。これがノートの3の目的である。だがバタイユの社会的関心、実践的経験の検討と言っても、それは実証的研究でもなければ、傍証的個別的なテーマの一つというわけでもない。巨大に拡大された想像力の世界が、現実の世界に侵入しまた侵入されてせめぎ合う接点の様態への関心からくるところのものである。 2 物質の探求者 バタイユは、彼の言う内的体験と神秘経験とを、言葉の上では混ぜ合わせることがあったが、厳密に区別していた。彼の言い分によれば、内的経験には、神秘経験の中にある神が不在なのだ。人間の極限は神ではなく、神の不在であり、内的体験は神という限定を越え、その不在を確かめることに導くものだった。これはもちろんその通りである。しかし、私の見るところでは、彼の内的体験には、神秘経験との間にもう一つの側面で差異が明らかにされるべきである。それは内的体験には、常に物質性があらわになってくるという点である。彼の言う神の不在には、彼の唯物論がこだまを返している。このことは指摘されることは少ないが、それを強調しておくことは重要であると私には思われる。内的体験がもたらす、虚空に消え去るような一瞬の経験については、多くの人が取り上げ、分析しているが、後者の物質的なものとの、それまでとは全く異質となった様態での遭遇という点については、ほとんど注目されてこなかったように思われる。だが、この物質との遭遇は神の不在の経験と不可分の一体をなしているのだ。『内的体験』のなかで、彼はヨガの実践から示唆を受けて内的体験を照らし出そうとしているが、その時、内的現存へ注意を集中することによって、感覚を通常与えられる対象から引き離すと、逆に外部の事物あるいは世界が暴力的に侵入してくることがあるのを、次のように語っている。 〈感覚に達してくるものから切断されることによって、感受する能力はきわめて内的なものとなる。そのために外部から回帰してくるもの、一本の針の落下、軋む音は、巨大で遥かな反響を持つことになる・・・ ヒンズー教徒たちは、この奇怪な出来事を書き留めている。これは瞳孔が拡大されると、暗闇の中でも視力が鋭くなるという出来事と同じだと私は思う。この場合、暗闇とは光(あるいは音)がないことではなく、それが外部へと吸収されてしまっていることである。ただの闇夜においては、私たちの注意力は、どこまでも存続する言葉という道筋を通って、客体の世界に注がれている。本当の沈黙は、言葉が不在になったところで起こる。その時針が落ちる。すると私はハンマーの一撃を受けたように飛び上がる・・・ 内部から作り上げられたこの沈黙のなかで、広げられるのは、一個の器官ではなく、感覚性の全体、心情なのだ〉*1 この経験を現象学的還元とも、またサルトルのマロニエとも較べることができるだろうが、重要なのは、バタイユにおいて、内的体験の領野の中に、外部があからさまなかたちで侵入してきていることである*2。だからバタイユが内部と言うとき、それはこの言い方が普通思わせるような、他から切り離され閉じられた空間のことではない。だがそれはすでにとどまらず、この内部については、右のような外部の直接の侵入があることから見て、外部と直通した内部だとまで言わなくてはならないだろう。バタイユの内部が限界のない広さを持っているとすれば、それはこのような外部との通底によるのだ。 バタイユの内部あるいは内的体験が持っているこの外部性とでも言う性格は、しかしながらそれほど見やすくはない。外部には確かに外部としてとどまる性格があるからだ。だから、内的体験がそれ自体だけで取り上げられるとき、この外部に対する言及はしばしば、と言うよりも多くの場合欠落しがちになる。だが原理的に言って、神の不在というかたちで実践されるバタイユの経験がこの外部性と表裏をなしていることを見失わないならば、彼の内的体験が、この外部と一体をなしていることを見出すことができる。ではそれはどのような場合か? この外部の経験とは、もっとも強いかたちでは戦争であろう。それは旧約の予言者たちが神を声を聞くという神秘的経験を持つのが、イスラエルが滅亡の危機にさらされた時であったこととほぼ同じだが、今はこの類推よりも、外部との呼応そのものをとらえたい。彼の内的体験の追求が絶頂をなすのは、言うまでもなく『内的体験』の時期だが、その中でも中心をなす「刑苦」の章の中に、この追求が戦争あるいは外部からやってくるものと不可分であることを明らかにする節がいくつか現れる。 〈戦争の限りない恐怖の中で、人間は集団となって恐怖をそそってやまぬ極点に接近する〉 〈戦争の恐怖は、内的体験の恐怖よりも大きい〉 〈主体は恍惚状態を知っており、それを予感する。ただしそれは、自分自身のうちからやってくる意図的な方向付けとしてではなく、外部からやってくるある効果の感覚としてである〉 〈私は自分が大群衆の反映であり、彼らの不安の総和であることを知っている〉*3 こうした部分を読むとき、私たちは、バタイユにおいて、かつて解き放たれた感覚の中に針の落ちる音が巨大な反響をともなって侵入したのと同じように、彼のもっとも内密な体験である内的体験のうちに、遥か遠くから戦争が侵入しているのを知ることができる。 だが針の落下音と戦争をこのように重ね合わせることには、疑問が呈されうる。確かに一個の対象物にすぎない針と考えられる最大の社会的事件である戦争の間には、短絡を許さないものがあるからだ。だがおそらくこれら二つは深くでつながっている。そうでなければ、つまりバタイユの言う内的体験を、針の落下音を巨大な反響音とともに聞くというところに位置づけることで終わるならば、それはただ強迫神経症であるにすぎないだろう。類似の症例は、精神医学心理学の資料の中に山ほど見つかるに違いない。だがバタイユの例が単なる強迫神経症でないとしたら、それは針の落下音を、もちろんいくつもの異なったレベルを経てではあるが、もっと巨大なものと重ねて聞くことのできる聴覚の野の広がりを持っていたからである。この巨大なものを、とりあえず戦争と考えることにする。二つは物質性と外部性を本質としているということにおいて、共通する性格を持つ。これらはどう媒介され、どう連続するか? バタイユにおいては、そのあいだに位置させうるような関心、また出来事はいくつか考えることができる。 この物質性が最初にあらわれてくるのは、「花言葉」、「足の親指」、「低次唯物論とグノーシス派」等雑誌ドキュマンに発表されたいくつかの論文であろう。これらの論文でバタイユは、高みに対して低いものを、美しいものに対して醜いものを対置して、抽象的観念的となろうとする人間の傾向を正面から批判する主張がありうることを明らかにする。この主張は、直接的には一九二〇年頃の信仰喪失後の反動であるには違いないが、それにとどまらない射程を持つ。そこに剥き出しに提出された醜悪な事物は、は最初高いもの美しいものに対するアンチテーゼとして提出されるが、ついには補完物であることを越えてほとんどそれ自体の存在を主張するに至るからである。それが「低次唯物論とグノーシス派」で打ち出された物質matiereの意味である。彼は次のように書いている。 〈私の言うのは、存在論を含まぬ唯物論、物質を即自的な事物としない唯物論である。なぜならとりわけ問題になるのは、何であれより高尚なもの、私という存在とそれを武装させる理性とに借り物の権威を与えるようなものに、自己と自己の理性を服従させないことにあるからだ。本当のところ、存在と理性が服従するのは、もっとも低いところにあるもの、どんな場合でもなにがしかの権威の猿真似をする手助けになりえないものにたいしてのみである。したがって私は、自我と観念の外に存在しているがゆえに物質と呼ばれるべきものに全面的に服従する。そしてこの意味で私は、私の理性が私の言明したことを限定することを承認しない。なぜならもし私がこんなふうに論を進めるならば、私の理性によって限定された物質は、即座に一つの高次の原理という価値を帯びるはずだからである(奴隷的理性は、その権威の元に語るために、この原理をみずからの上に喜んで担ぐことだろうが)。低次の物質は、人間の観念的渇望の外部にあって無縁のものであり、そのような渇望の結果としての存在論の大がかりな機械にとなることを拒否する〉*4 彼の言う物質は、人間の絶対の外部にあるものだが、即時的な物質ではないと言われているように、それ自体で自足してしまうものではなく、常に存在論を巻き込み、それを瓦解させる作用を持っている。存在論によってとらえられた物質が観念論的な変質に見舞われているのは当然のことながら、いわゆる弁証法的唯物論もヘーゲル哲学を出発点に持つことによって、同じく観念論的な変質を蒙らねばならなかったが、それを引き寄せては解体する作用を持ち、その上で物質は観念の外部にとどまる。唯物論は、〈あらゆる観念主義を排除した生のままの諸現象の直接の解釈〉(「唯物論」*5)とならねばならない。これはあらゆる既成の意味作用を越えて切迫してくるあの針の音のことにほかならない。 この剥き出しの唯物論、それにともなう反観念論、反理想主義は(以下日本語では文脈によって観念論、理想主義と訳し分けなければならないが、元になるフランス語は同じidealismeイデアリスムである)、以後さまざまの局面で変奏されて現れる。それをいくつか辿ってみる。ドキュマンと同じ時期に彼はすでに、『眼球譚』をはじめとするいくつかのエロチックな物語を書いているが、彼の小説においては、周知のように、女主人公たちははじめから、汚辱のうちに置かれることになる。彼女らは排尿し、尿をかぶり、卵の液汁にまみれ、嘔吐し、泥沼に身を浸す。それは男女の性愛を、決してアガペへと昇華させないためなのだ。女たちの肉体はどこまでも肉体にとどめられる。またブルトンに「理想主義の糞ったれども!」と言い返し*6、鷲にたとえ、それに対して自分を老練なもぐらだとするのも、反逆的に見えるシュルレアリスムの中になお西欧的なイデアリスムへの屈服があるのを見たからである。 言語に対して彼がどのような態度をとらねばならなかったかのうちにも、同じ反理想主義が作用しているのを見ることができる。バタイユが純粋な虚無となろうとする経験をあれほど称揚し、対象と結びついて主体を屈従させる作用を不可避的に持つ言語の存在を批判しながらも、彼自身は、わずかの口伝か退屈な技術的教示、あるいは伝説しか残さなかった苦行者や聖者たちとは違って、思想的な反省をどこまでも書き続けなければならなかったのは、彼の内的経験が、この物質性の存在によって、宗教上の神秘経験との間に根本的な差異を持っていたからである。彼の経験には、この物質性に引き留められ、従って言語の中に回帰する部分がある。『内的体験』で彼は、〈私はヒンズー教徒が、不可能性のうちに深くまで到達することを疑わない。しかし最高度の段階で彼らにはそれを表現する能力が欠けている。そしてそれが私には重要事なのだ〉(「刑苦」)と言う。バタイユにおいて言語が物質性を志向するものとしてあることは、彼の文体をも性格づけている。彼の文体は、『エドワルダ』や『死者』、そして『内的体験』で一つの頂点に達するが、それは修飾をあたう限り切り詰め、対象と直結する文体である。彼の言葉は対象をイデア化する言葉ではない。それ自体は言語である以上想像の領域にあるけれども、一方では常に対象と直接に切り結ぶことで、物質的な性格を獲得するのだ。 唯物論的な関心のもう一つの現れは、社会学への関心であろう。社会への関心は、直接には、彼が棄教後も関心を持ち続けた聖なるものが共同的な経験を通して作り出されることから来ているが、この共同体への関心の根本には、外部また他者の存在を見ることができる。社会とは、人間が複数存在すること、ひとりの人間が他者との関係のうちで存在することを基盤としているが、ある者にとっての他者とは、その外部なのだ。たとえばひとりの男にとってひとりの女が決して昇華され得ない他者、常に汚されることで物質性を帯びた他者にとどまるのと同じように、社会の中で出会う他者もまた、折り合うことのできない他者、観念化によって回収されるのを拒否する絶対的な他者である。この意味で社会もまた外部と物質性の延長上にある。バタイユは古文書学校の後輩であるアルフレート・メトローの導きによって、モースの講義に出始める。モースの『贈与論』が出るのが二四年である。この書物がバタイユに及ぼした影響は言うまでもない。人間には理性に還元されない部分、合理的ではあり得ない破壊や浪費の活動がありうるというモースの提示は、理性と観念の支配を受けない物質の存在を確信していたからこそ、彼に示唆的だったに違いない。彼は二八年に残酷を極めたアズテカ文明を発見し、「消え去ったアメリカ」を書くが、この残酷さへの関心は、性愛における汚辱と同じく、イデアリスムに対する彼の断固たる反抗の徴なのだ*7。 だが社会的なものは、まだ別様に展開されうる。見出されるのは政治的なものである。社会の中にある共同性は、いっそう強力なものとなるとき、政治として作用するからである。今バタイユおいて社会的な関心の基本にあるのは、聖なるものへの関心であることを見たが、この宗教的な性格が政治的なものとして現れうることを、バタイユは、「アセファル」の創刊号で、〈政治の顔を持ち、政治だと信じ込んでいたものは、いつの日か宗教的な運動であることが露にされるだろう〉と言うキルケゴールの一節を引用することで主張することになる。宗教と政治のあいだに社会を媒介することで、この一節はもっと良く理解できるようになるだろう。宗教、社会、政治は、バタイユにおいて出来事のさまざまなレベルに応じて現れるが、同じ原理を持っている。それらのいずれもが共同体の問題である以上、そこには他者の問題があり、さらに外部のもっとも基本的な徴としての物質性の問題がある。だからバタイユが物質に関して持った経験、また性愛を通して他者と持った経験は、多くの媒介を経なければならないとしても社会や政治の経験に反映するし、政治的社会的な経験は、彼の宗教的な経験、物質に関する経験を左右するのである。 しかしもっとも外部的な経験としては、やはり政治的な経験を考えねばならないだろう。そこで共同性は、現在考えられる限りでは最高度に拡大されるからである。その上さらに言うと、もっとも政治的な出来事が戦争であるのだ。政治あるいは戦争は、もっとも度しがたい外部として、どんな観念的な操作も容赦なく振り落とし拒絶する外部として現れ、バタイユに切迫する。バタイユにとって政治とはそのようなものであった。彼は二〇年代から四〇年代にかけての時代、ごく普通に言って政治的な転変のきわめて激しかった時代を、さまざまな活動に関与し、また失敗を繰り返しながらくぐり抜けていく。だがそれら辿るとき必要なのは、それらを単なる政治的発言ないしは行動として読むことではなく、彼の言う内的な経験にまで達することを可能にするようなパースペクチヴの元に読みとることである。 *1『内的体験』出口裕弘訳、現代思潮社。p49、OC,t6,p30 *2 外部の侵入、物質性の手触りということから最近面白かったのは、中沢新一の『始まりのレーニン』岩波書店、一九九三年である。この本で中沢は、レーニンがよく笑う人間であったが、その笑いは、魚、犬や猫、子供の体、トロツキーによれば思考の外にあるものに触れることで引き起こされるのであり、それがレーニンの唯物論だったと言っている。そしてレーニンのこの笑いはバタイユの非知の笑いに限りなく近いと言う。非知の笑いは、自ずから現れるもの、認識によっては到達できないようなかたちで位置を占めているものに触れることで引き起こされる。すなわち知り得ないものが意識の中に侵入するとき人間は笑うという意味で、非知の笑いはレーニンの笑いに近い。とすれば一見虚空にわき起こるように見えるバタイユの笑いは、レーニンと同じく物質的なものでありうるということになる。中沢は次のように言っている。〈西欧の周辺、キリスト教の限界点、ヘーゲルの臨界において、バタイユは限りなく唯物論の思想に接近していく〉p21。 *3『内的体験』p109,109,143,149。OC,t6,p58,58,75,76. *4『ドキュマン』バタイユ著作集、二見書房、片山茂樹訳、p106、OC,t1,p225 *5『ドキュマン』p49、OC,t1,p180. *6 個人的活動と集団的活動のいずれかをとることを選択するよう求めたシュルレアリスムのアンケートに対する回答。二九年はじめ。 *7 バタイユとフランス社会学との関係については、富永茂樹氏の要を得た研究がある。「ジョルジュ・バタイユと社会学の沸騰」『ヨーロッパ一九三〇年代』、岩波書店、一九八〇年。フランスでは、"Ecrit ailleur",1987が、バタイユの社会学的関心に対する共同研究をまとめている。 |
Booby Trap 通信 No.8 |