人から聞いた話



会社をやめて家で仕事をすることになった。 毎日外に出るのはタバコを買いに行くときだけ。 ディスプレイに向かって翻訳原稿を叩き込んでいる。 飽きると同じディスプレイでゲームをやってメールを見る。 けっこう満足している。 電車に乗らなくて済むだけでもいい。 電車に乗らなくなって、 毎日電車でどれだけいらいらしていたかがわかった。 私は人間嫌いだったのだろうか。 毎日家族とコンビニの店員の顔しか見ていないくせに、 スイッチを入れればTVはニュースを流しているし、 新聞受けまで行けば新聞が入っているもので、 何となく社会とつながりがあるような気になって、 あのニュースはけしからん、 このニュースもけしからん、 と家族に向かって得意になってしゃべるだけでは気が済まず、 ホームページに何やらごそごそ書き込んで、 社会に向かって発言しているようなつもりにさえなる。 みんな人から聞いた話なのに。 地球の裏側の日本人の話なんか聞きたくないよ。 日本人じゃなきゃそんな話はしないだろ? 人質になっているのはあなたと同じ日本人なのですよ、 というような脅迫はやめてくれないかな。 日本人のまわりに日系人がいて、 日系人のまわりにただのガイジンがいる。 そういう考え方をするから嫌われるんだ。 日本人はその人のまわりにいるんだろ? その人の誕生日パーティが狙われたのは象徴的だね。 何重にも赤く塗り重ねられた日の丸。 新聞とTVに飽きてホームページを見ると、 新聞やTVからは聞こえてこなかったことが書かれていた。 新聞にもホームページの存在は報道されていたが、 アクセス方法は書かれていなかった。 調べればすぐにわかることをなぜ隠すのだろうか。 ホームページを読んでいて一番興奮したのは、 人権抑圧と経済搾取の政権に加担した日本を 意図的に攻撃したのだと書かれていたことである。 世界における日本のあり方が問われているのだ、 と思うと、俄然真剣な気持ちになってくるのだった。 毎日家族とコンビニの店員の顔しか見ていない私も 日本人だったのだろうか。 四月二三日。寝起きのぼんやりした頭に 軍突入、人質解放、MRTA全員死亡、という声が聞こえた。 卑怯者め、やりやがった。人殺しが英雄ヅラして 人殺しを自慢していやがる。 TVから聞こえる声はどれもはしゃいでいた。 何重にも真っ赤に塗り重ねられた日の丸。 その日はディスプレイに向かってぼーっとしていた。 でも、驚いたのはそのあとのことだ。 数日後、ディスプレイを見ていてふと気付くと、 毎日電車に乗らずに済んでほんとうに満足だなあと思っていた。 私は何者なのだろうか。


(C) Copyright, 1998 NAGAO, Takahiro
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